表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
369/429

366 白い亜種

 グリーンランド。

 敵研究施設跡地から3km程離れた、海岸沿いの海底ケーブル引き上げ管施設入口。

 建物の入り口からフェンス製の外構との間に若干の敷地があり、その一角に突然現れる電話ボックスには女が一人入っていた。本革の黒いコートは遠目で見ても上等なものと分かる。襟を立てて着こなす女はワンレングスの黒髪を掻き上げながら、赤の口紅を歪ませ受話器に向かって怒鳴った。潮風を浴びて赤錆が目立つ電話ボックスのすぐ脇には、白髪の老婆が背筋を正しながら紙に何かを書いていた。

「嘘言ったら殺しますのよ!?」

 電話中の女が使う言語は日本語で、口調は上品だが物言いがキツい。

「回線の中継地、本当にカナダなんですのね!? 本当に本当に、命かけても絶対カナダですのね!?」

<何度も言っている。私としても、田岡と布袋に繋がる唯一の掴みかかった糸だ。逃すわけにはいかん。命はかけられないが>

「かけなさいな!」

<今我々が命を天秤にかけていては、田岡も布袋も『佐野みずき』も救えないぞ>

「……じゃあ、カナダじゃなかったら小指頂きますの」

<指? フッ、安いものだ>

「あー! 今言いましたの! 聞きましたのー! ばあやも聞きまして!? 菜切包丁用意して!」

 電話ボックスのドアをガチャンと開いて女が老婆に話を振った。老婆は手元から顔を上げ、淑やかに微笑みながらたしなめる。

「焦らないでくださいまし、お嬢様。時が来たらご用意致します」

「ふふふ、言質取りましたのっ! 覚えてらっしゃいディンクロン! さもなくば指詰めろ!」

 受話器を勢いよく電話機に叩きつけ、ツーツーという音を聞く前に女がボックスから飛び出してくる。

「さ、ばあや! 行きますわよカーナダァ!」

「かしこまりました」

「こんな誰もいないような寂しい島からはおさらばですの! オーッホッホッホ!」

 フロキリでは名の知られた阿国こと久仁子は、高笑いしながらずんずん歩き始めた。


 緑の国と書くが雪が残る極寒の大地、グリーンランド。犯人グループの研究施設があった場所だ。敵の自爆で全て燃え上がり、ほとんど何も残っていない。久仁子は移動のために海岸沿いから現場まで戻って来たが、人影もまばらだ。

 くすぶった煙の臭いは落ち着いてきているが、今もまだイエローのKEEPOUTラインが人を寄せ付けない。アメリカ国籍の軍人が小隊規模で残っているが、他にはもう既にどの国の人間も手を引いていた。

 久仁子は婆やと私設の部隊を引き連れ、次の目的地へと引き上げる算段でいる。

「でも回線中継地の絞り込みをこうしてやっていくの、つまり『発信源』に近付いてるんではなくて?」

「そのようですね」

「きゃあ~! ガルド様ったら流石ですの~! そこまで予見して……あのボンクラチート移動砲台よりよっぽど上手く皆を救出できますの! まさしく救世主っ!」

 久仁子は有頂天だ。

 ガルドと再会した際に託された大事な仕事である回線の死守だが、別動隊として動いていた晃九郎ことディンクロンからの情報で意味合いが変わってきた。守ろうとしていた地底ケーブルはグリーンランドの研究施設と「どこか別の()()」との間を繋ぐ回線だと判明したのだ。

「九郎さまは九郎さまなりに頑張っておいでです、お嬢様。その部分だけでも評価は必要でございますよ?」

 婆やが久仁子をたしなめる。

「ま、まぁアイツもアイツに出来る範囲で頑張ってますもの。ですけれども、やっぱりガルド様と比べれば雲泥の差! きっとガルド様なら、本拠地の位置まですでにズバリ言い当ててしまわれるに決まってますの!」

「そうでございますね。ですが九郎さまのお陰で、我々が追うべき『ガルド様へ通じる路』の最短ルートが見えてきたのですから。旦那様も大層お喜びでした。何にお喜びなのかはわかりませんが、資金には糸目をつけず救出に専念しろとの仰せ……」

 目を輝かせながら婆やが語る。久仁子は婆やの敬愛を一身に受ける父親へちょっとした嫉妬心を抱きながら、脳波コンを起動させた。カナダへ行く手筈は全て私設の部隊に整えさせている。護衛ももちろんのことだが、ここまでくれば質量兵器による直接攻撃まで考慮しなければならない。「先進技術市場になんらかの動きがあるはずだとのことですが、婆やには難解で理解できませんでした……流石でございます」

 婆やは詳しくないふりをしている。久仁子は目を細め、意識の半分を脳波コン側へ集中させた。録画した音声と映像を流すだけのオフラインアプリを、愛用のヘッドフォン型PCから読み込んで脳の裏で再生させる。

 テロが引き起こした「副産物」について、久仁子の一家では好機だと結論が出ていた。

「市場が動くだけではありませんの。この意識改革と普及のスピード、次のステップへ到達する被害者たち……これはもはや早すぎる次の『シンギュラリティ』ですの。それをビジネスチャンスととらえるなんてお父様は素晴らしいわ。それは確か。でもワタクシ、お父様のために頑張ってるわけじゃありませんの」

「もちろんでございます。お嬢様の幸せな未来こそ、婆やの夢でございます故」

「いつもありがとう、ばあや。ワタクシ、ガルド様と一緒になって絶対に幸せになりますの。ただお父様のお手伝いもしたいのは本当よ? 商売敵が増えるのだって嫌ですもの。ならやっぱり、あの田岡なる爺様は我々の手で『浮上』させたいところですの」

 ネットワークには繋げない。

 ガルドの指示通り、全ての通信機器が使えないよう物理的に受信施設を破壊して回ったため、今やグリーンランドは非常事態だ。研究施設の薬物汚染の件もあり全島避難となっている。

 全てテロ組織による破壊工作ということになっているが、久仁子と()()を守るアメリカ軍だけは真実を知っている。犯人は関係ない。公然の犯罪行為を犯したのは久仁子たちだ。

 海底ケーブル以外の通信を全て断ち切る作戦行動に出る直前、一応周知しておこうと、久仁子は圧力を込めて米軍サイドへ前もって連絡を入れていた。これからお前たちの衛星にも他のケーブル沿いのネットにも入っていけなくなるぞ、携帯電話なんてもってのほかだ、と強く上からの物言いで警告したのだ。

 当然反発が来るだろうと思っていた久仁子と婆やだったが、米軍側が二つ返事でぜひと協力してくれたのは予想外だった。

 恐らくあちらも既に研究施設と敵本拠地を繋ぐケーブルの重要性に気付いていて、何らかの計画を立てていたのではないかと久仁子は思っている。そう思わないと説明がつかない程、米軍の手際が良すぎた。対テロのスキルがどの国より抜きんでているアメリカの部隊は、この施設を完全に潰すことが敵の意欲を削ぐのだと判断したのだろう。自分たちがスタンドアローンで孤立するのを「全く問題ない」と断言していたが、それも先んじて準備していた専用線があると思えば疑問はない。

 アメリカ合衆国は研究施設そのものの調査もほぼ一任され、久仁子が知らない情報を数多く手に入れたことだろう。そして既に焼失し消し炭状態の施設をさらに爆破し、他国の追随を許さず、結果は米国政府の一人勝ちという寸法だ。

「どうでもいいですの」

 久仁子は心からそう思った。日本という国に従属しているつもりはない。アメリカにすべて持っていかれても気にならない。グリーンランドがとばっちりの被害者になってもなんとも思わない。

 ただ一点、ガルドが救えるならなんでもいい。田岡を救うかどうかも、久仁子の父が目を光らせるビジネスのスタートダッシュと晃九郎の件が気になっただけだ。久仁子自身は田岡などどうでもよい。

「お嬢様、参ります」

「ええばあや、行きますの。物理的な短距離を取ってるとは思えませんが、理論上は近付いてますの。カナダヘ……そしてその先の、ガルド様がおわす地球上のどこかへ!」

 少なくともここよりは近い。脳波コンで録音していた音声データを繰り返し再生させながら、上空から吹いてくる強い風に飛ばされないよう仁王立ちで空を見た。

 こめかみの上から聞こえてくる声は違和感があるが、久仁子に勇気と熱を与える。

< 阿 国、頼み た  い>

「……あの場では自然でしたのに、こうして聞き直すと違いまくりですのね。ガルド様の声はこんなにのんびりしてませんでしたの。地下迷宮のBGMも変。やっぱり時の流れ方が違いますのね。田岡もきっと、別に四年も過ごしてないはず……」

 それでも急ぐべきだ。

「でもでも! ガルド様がこちらに来るにしても、ワタクシがあちらに参るにしても、強制というのは甚だ我慢なりませんの!」

「ええ、お嬢様」

「どちらを選ぶかはガルド様次第ですのよ、ばあや。ワタクシが遠くへ行くかもしれないというのに、止めないのね?」

「その際は我々もお供いたします」

「そう! それは心強いですの! まぁ確かに、お父様もこの一件に乗り気ということは肯定派ですものね。ばあやたちが嫌がる道理はありませんの」

「技術はさておき、倫理的にも旦那様は中立では?」

「もうばあや、分かってないフリじゃないやっぱり」

「おや、失言でございました。中立やら倫理やらなど、婆やは何も存じ上げませんよ」

 婆やが淑やかに笑う。久仁子もつられて口元を隠しながら笑った。


 風が一層強くなり、空から高い轟音を立てて垂直離着陸機が降りてきた。アイドル状態で止まる。機体の色は鈍いグレイとうっすらブルーの混ざったグレイのカモで、明らかに軍用だ。

 ただし国旗はない。IFF(アイエフエフ)はNATOになっている。久仁子が乗り込もうと近付くが、それより先に人影が出てくるのが見えた。

 久仁子には見覚えのある人影だ。むしろ事件の内容を考えれば助力が遅いほどで、久仁子は思わず皮肉を漏らす。

「あら~? 今頃こんなとこでお会いするなんて、随分腰が重すぎるんじゃなくて?」

 久仁子は声を張り気味にして、オスプレイの後方タラップから降りてきた男へ吐き捨てた。強く煽っているつもりはなかったが、久仁子の元来持つセレブなイントネーションが男の眉間にしわを寄せさせる。

「ふん」

「色々学んでワタクシも事情が分かってきましたの。まさか経済界のパーティーでよくお見掛けする上に、ワタクシに脳波コンのイロハを教えてくださった御高名な先生と、こぉんなところでお会いするとは! 出資した分、開発は進みましたの?」

「いただけるものはいただくが、金銭と研究結果に比例も反比例もない」

 男の声は渋い。年齢の厚みを感じさせるが、容姿はそれほどやつれていない。ただ真っ白に染めたかのような色ムラのない白髪が、男を相応の年齢だと示している。

()とはいつから?」

 久仁子は愛らしく首をかしげるが、返事は想像が出来た。

「ご令嬢には関係のないことだ」

 予想通りの答えに久仁子は満面の笑みを浮かべる。

「まぁ! ワタクシがここにいるということが何を意味するか、この期に及んでもまだ分からないとおっしゃいますの?」

「そういう文法は嫌いだ」

「スポンサーに向かってその口の利き方、図太すぎて笑えますの」

「なんだその口調は……ワシのパトロンは旦那だ。ご令嬢、貴女は添え物でしかない」

 ストレートにずけずけと言う男は、白髪のザンバラ髪をぼさぼさにしたまま久仁子の脇を通り過ぎていった。

「ココにいるのもドコにいるのも、貴女が何か企んでいるとしても、ワシの仕事には関係のないことだ」

「ちょっと、どこに行きますの!? 第一ワタクシがチャーターした機体になんで貴方が乗ってますの!」

「軍用オスプレイをチャーターなどと寝言を言うな。一個人に貸し出すなど許すような緩い規範ではない」

「あらあらうふふ、嘘をつけないのは相変わらずですこと。言われるがまま乗せられているなら『軍の飛行機』としか呼ばないでしょうし、自信満々に否定できるだけの事情を把握できるとは思えませんの。つまり貴方、軍の規範を知りえるだけの長い期間、国外へその余りある豊かな知見を横流ししてましたのね」

「失敬な」

 白髪の老人は、久仁子に背を向けたままコートから電子タバコを取り出した。

「ワシほど忠国に尽くしている男はいないぞ」

「教授、あまり誇張が過ぎると敵を生みますの。ここは外国。忠義を国にという言葉は海外にとっては敵性の自己主張ですの」

「……研究職というのはだね、ご令嬢。政治に振り回され、金が湯水のように消え、その結果に重い責任を勝手に付与され、間違いを起こせば社会的に殺されるよう出来ているのだよ。少なくとも日本という国はそうだ」

「だから後ろ盾を欲したんでしょうに」

「もちろん旦那もそうだが、これもその一つだ」

 電子タバコを加熱し、口から煙を吐いて男が一拍おいた。久仁子は腕を組んだまま肩をすくめる。

「浮気ですの? 気心の多い男は嫌われますの」

「パトロンと恋人を一緒にするな。それ以前に、これも仕事だ。協力する決まり(IPCP)がある。そもそも、どこにも属さずにいられるほど世の中甘くない」

「ワタクシとお父様は誰の下にもおりませんの」

「だから弱い。金はあっても、お家程度では国への鶴の一声にはならない」

「ぐっ」

 久仁子は真正面から家庭規模であることを突き付けられ、頬が痙攣するのを眉を吊り上げて防いだ。男はまだタバコをふかしている。

「ふぅ……大国の前に個人の集合など無意味なのだ。大国と言ったが、小国の集合と大国複数による組み合わせが最強だ。その上軍事色を持つとなると、あの動かざる岩山のような国連とは違い、勝手がいい」

「だとしてもワタクシがコレを呼びましたのよ!? 国の意向なんて全くありませんの!」

「日本は傍観を決め込んだようだな」

 話が飛ぶ。

「だからこうして動いてますのー!」

「放っていても、ワシのような誰かが動くというのにか?」

「犯人を捕まえる気がありまして!?」

「捕まえる? ワシはただ、真実と未来を知りたいだけだ」

 久仁子は「古代ロープレの賢者キャラみたいなこと言わないで欲しいですの」と小さくつぶやく。あまり悪口を言っていい相手ではない。久仁子は久しぶりに社交向けの顔をした。

「ふん、左様で。ですがNATOへ顔を売ってこんなところまでフィールドワークに来ていること、父には言いつけますのであしからず」

「ご令嬢、まさかこんなところで会うとは思ってもみなかったが」

「い、今更!?」

 男は振り返って煙を吐いた。深く刻まれた目の下のシワとくぼんだクマはいつも通りだが、肌艶が良い。久仁子は独り言のように脳波コンで、<イキイキしやがってド腐れジジイ>と虚空へ投げる。

「貴女は先駆者になれるだろう。世界は大きく分断される。古い電子にこびりつく人間と、次元を超える手段を得る人間とにだ。『彼らを追う第二世代』になれる資格があるのは、今この変革を、ココを通じて受け取れる感覚質の持ち主だけだ」

 男はこめかみを叩きながら言った。電子タバコを吸い終わり、胸元のポケットへカートリッジごとしまい込む。そして久仁子と、背後にある垂直離着陸機を見上げて歩き出した。機内に戻るようだ。久仁子は慌てて、あっという間に背後へ回った男を振り返る。

「そんなの、ワタクシにとってオマケでしかありませんの! 大切な方が自分らしく生きられるのであれば文句はありませんの! ですが! 居場所も声も普通じゃない今の状態はダメですの!」

「上手くいくかどうか確かめてからではダメなのか。今中断してはまた一からやり直しだ」

「ハァ!? 本気で言ってるならぶっっっ殺しますの!」

 久仁子は銃を持っていない。婆やを指のジェスチャで呼びつけながら、胸倉を掴もうと怒りの小走りで近付いた。

 男はけろりとしている。

「日本は『供物』を世界に提供したに過ぎない。中に知古がいたのか? 災難だったな」

「白亜ぁーっ!」

「お嬢様」と婆やが久仁子の腕を掴んで止める。

 今にも久仁子は男を殴ろうと腕を振り上げるところだった。非力なせいか、やすやすと婆やに食い止められるが怒りが収まらない。

「『会場』を見つけるまでは目的を同じくした同志だ」

「どんだけの悪行を口にしてるか分かってますの!?」

「発見してからどうするかは、NATO側に任せるつもりだ。貴女や他の民間人とは別の見解だが、ワシも一民間人だ。問題ないだろう?」

「あ、あ、ありまくりですのーっ! 白亜教授! 侵襲性脳波感受技術関連各社が出資した研究室の顔たる男が! 拉致被害者を救う前に!? 実験を終わらせるなって言ってますの!?」

「うん」

 髪の真っ白な研究者の男・白亜は、なんの感情も見えない無表情でこくりと頷いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ