364 パノラマ・パラボラ
龍田がスタスタとサハリンの大地を歩く。寒い風を受けてミンクのコートが輝きを波打たせるのが、まるで女優のような大物感を引き立てていた。
「で、どこに向かうの?」
「足、用意してくれんでしょー? じゃあ現場に行くっきゃないわね!」
意気揚々と歩き出す龍田の後を、弓子と朝比奈が防寒着を一枚追加しながら追う。日が暮れれば気温がぐっと冷える。北海道より北にいるのだと実感しながら駐車場へと急いだ。
ひび割れだらけのコンクリートの上に、弓子からすれば型落ちも甚だしいガソリン車がずらりと並んでいる。錆が目に見えて浮き出ているものもあり、中のシートが衛生的だろうかと心配になった。その中の一つを脳波コンで選び電子決済でレンタル契約すると、自動でぶおんとエンジンがかかる。
「おっと! 運転、オート全部切ってね~。それなりにデータログ残るものだから」
「え?」
当たり前のように後部座席へ座った龍田が、当たり前のように運転席へ忠告した。ハンドルを触る手を放して振り返り仰天する中島すずの、少しなで肩気味の上半身を押しのけるようにして前の席へ乗り出してくる。そして古い車特有のアナクロなエアコンパネルの脇を指さした。
「探偵だけじゃなくて、ちょっと詳しい機械素人でも分かるんじゃないのかしら? ねぇ?」
「わ、分かりますよ! 車のCPU部分にデータが残ってれば残ってるほど、追跡も私たちの端末もアカウントさえも全部吸い出せます。でも車のコンソールは強固で、そもそも遠隔で吸い出す手段なんてないくらいなのに……あ」
すずが一重の目を丸くして固まった。
「え?」
「い、今向かった先を探ろうとする人が……この車を探し出して、こうやって乗り込んで、履歴を読み込めば出来なくはないです。でもそこまでします!?」
「するわよぉ。現にアタシがこうして足を運んでるじゃないの」
龍田はコートをゆっさゆっさと波打たせながら笑った。古いガソリン車は現行の再生可能エネルギー車に比べて部品が少ない分広いはずなのだが、毛並みのゴージャスなコートが人三人分を占領して見えた。
「どういうことかしら」
「さっきお茶してたところはあんまりよくないわねぇ。今どき日本語も暗号になんかならないわよ。言語の壁は崩れてるものネッ!」
龍田の豪勢な付けまつげがウインクで揺れるのを見ながら、弓子は一瞬イラっとした。それくらいは分かる。隠すような内容の話をしているつもりはなく、強いて言えばビザ無しの違法渡航だということぐらいだ。
パスポートは置いてきている。協力者である久仁子からの条件「日本人である証拠は全て置いていくこと」のためだ。現金だけ握りしめ、端末は借り物、身分証明書の類は何もない。
移動手段のコンテナは北海道とサハリン、ロシア間をフェリーと貨物列車で乗り継ぎしてきたもので、全て日電警備から一名出た追加被害者の二の舞を防ぐためのものだ。日本人であることを秘密にし、脳波コンを空中で狙われないよう陸路でむかい、その上警備がつくこと。弓子は過剰な気遣いだと思っていたが、事情を知らないはずの探偵・龍田は上回る勢いで危険性を指摘してくる。
「ロシアは何でもするわよ。この山はお金になるんだもの~。実際にほら、この町だってスパイだらけじゃないの」
「えっ」
「えっ!?」
「うそ、スパイ!?」
「というより、アナタたちが素人すぎて彼らもいぶかしむぐらいだもの。偽造ビザとパスポートで来たって? それすら罠だろうって怪しんで、あっちのポリスメンもアナタたちを見張るだけにしてるの。突っついて拘束したらしたで『多国籍軍からロシアが犯人だと疑われる』ってネ……そうそう、いろんな国がこう思ってるわ。『渦中にいるくせに、ジャパンは一体なんてもったいないことをしてるんだ』って」
「渦中……」
「普通ならアナタたちではなくもっと屈強な男とか自衛隊員とか、そういう専門家がここにいるはずなのよ」
上手くのみこめない。
「どういうことかしら、龍田さん。大問が分からないとヒントを貰っても解きようがないわ」
「ハイハイ、それは現地に向かいながら話しましょ」
龍田がすずの足元をアゴでしゃくった。再エネ車と変わらず、アクセルとブレーキは運転席の足元にある。弓子が乗り込んだ右側の座席にも本来同じように運転機能があるはずだが、ガソリン車は運転者が一人だけと決められていた。左側のすずがボタンを押してエンジンをかけ、サイドブレーキを解除し、ギアをDに入れる。
ぶるんと音を立ててレンタカーが走り出した。
「聞き耳を立ててるのは、なにも人間だけじゃないのよん」
後部座席の左側に座る龍田がクネンと声を曲げた。ミラー越しに見ると、右側に座る朝比奈の肩にしだれかかるようにして、未舗装の道の先を見ている。
「……そうね」
弓子も身に覚えがある。
映像、画像や音声から単語を取り出し検索する機能がついた「スパイツール」は、もちろん違法で値が張るものの、ネットで販売されている。犯罪の高度化だ。上からフィルターを掛けて検索に引っかからないようブロックして回っているのが、日本ではパブリックシギントと呼ばれる防犯ドローン群だった。
スパイツールによるノイズキャンセリング機能が出てくるとノイズキャンセリング・キャンセリング機能が装備され、さらにそれすらスパイツールが上回ると、検索機能そのものを破壊する攻撃的防御機能へ手を出し、スパイツールが影をひそめる隠密性を高めれば「盗聴器探し」のような手法を装備する。天井のない身長比べだ。
弓子のような記者を始めとした情報取扱者は、そのパブリックシギントによる対応前の最新技術を耳にする機会がある。スクープをとるにはリスクがつきものだ。弓子自身も数年前に一度だけ、横浜のカジノ店幹部が持っていた違法薬物に関する取引データを裏から撮ったことがある。このことは墓までもっていくつもりだが、技術の話程度なら問題ないだろう。マスコミの間では周知の事実だ。
分かっていると頷けば、龍田は歯を隠さずに笑った。メイクが無ければ中年男性の笑みに見えるだろう少々男勝りな笑い方だ。
「アラぁ、もしかして詳しいかしら? ただ一つ注意が必要なのよ弓子ちゃん。ここは外国。法律が違うわ」
「ええ、そちらも存じております。ここは警戒すべき場所ですので」
ロシアにも自動盗聴へ対抗する公的なシステムはある。むしろ過去から軍備の強い国で、シギントに関してはプロフェッショナルだ。
「え、え、なんかヤバイの? ドラマみたい。スゴーイ」
「現実ですよ、朝比奈さん。小説より奇なりって言うじゃないですか」
「やってることは地味だけどね。ドラマにしても画面はつまんないったらないわ。あはは!」
「ですねえ。移動と機材設置だけしてばかりで……ふふっ」
朝比奈と中島すずが少し空気を和ませた。弓子もつられるようにふっと力を抜いた瞬間、龍田が急に動く。
毛皮のコートから腕を伸ばし、運転しているすずのこめかみに両手で掴みかかった。
「きゃあっ!?」
「わーっ! なになに、どうしたの!」
無言のまま、龍田はすずのこめかみから青いゲルの塊を剥がした。
「ちょっと龍田さん!? まだ遠いけど、外したらすごいノイズが!」
弓子が助手席側から龍田の右手を掴んで止めるが、成人男性と同じ腕回りをしている龍田の本気のアイアンクロウを剥がすことなど出来ない。無言のまま顔色一つ変えない屈強な身体を持つ龍田に恐怖を感じ、弓子は印象を改めた。
内面は女性に間違いない。ミステリアスで美意識が高くヒールも高い素敵な女性だ。だが身体は違う。思いのまま腕を振るわれれば、弓子ら三人など吹っ飛んでしまうだろう。
「ああっ!」
とうとう龍田の手で、すずのこめかみに張られていた電波遮断のゲルが剥がされた。
「きゃーまた音が! 音……あれっ?」
「ワァオ、やっぱり!」
「え? え?」
弓子もすずも、脳波コンを埋めていないため蚊帳の外な朝比奈も、龍田の変貌ぶりに目を見張った。
「やってくれやがったわね……出し抜こうだなんて、頭が高ァー……」
急にガラリと声が変わった。龍田は低く唸りながら、何者かを強く威嚇している。
「ふえぇ、龍田さん……」
すずが両方のこめかみを両手でぺたりと塞ぎながら、龍田の方をおずおず振り返った。
「すずさん、前! オートじゃないのよ!?」
「ひゃあっ! す、すみませんっ!」
慌ててハンドルを握り直すが、すずは顔を青くしたままだ。
「アラッ、オホホ! マジじゃないわよぉ。怖がらせちゃってごめんなさいね!」
「い、いえ……」
すずが硬い返事をする。完全に苦手意識が芽生えたようで、弓子はそっと慰めるように肩を数回優しく叩いた。
「龍田さん、ゲル取っても大丈夫なの? なんで?」
「朝比奈ちゃんはコレ見てて」
後部座席からカチリと機械が開く音がする。ノートPCを開いて固定する時の、ロックがかかった音だ。液晶部分が透過しないシルバーの背面が何とも言えずレトロで、弓子は龍田の年齢を自分と同等かそれ以上だろうと予想できた。
「わ、何このグラフ!」
「え? グラフ?」
「前の二人はコッチで見せたげるからね」
弓子の背後から龍田が腕を伸ばし、こめかみのシールゲルをさっと外した。無防備で心もとなくなる。
「はいコレ」
手早く龍田はこめかみへケーブルをあてがった。磁石でひたりとくっついてくる。隣で運転しながらすずも同様に装着されていて、ながら運転は良くないと弓子は小さく真面目なことを考えた。そんなことを気にしている場合ではない。リアルタイムで事態は動いている。間髪入れず、簡易的なデータの波が押し寄せて来た。
「これは?」
「ゲル外した理由」
「……どこが?」
「すずちゃんの推論と解析スタッフのデータ貰ったけど、まだちょっと足りないのよー」
「足りないって何がです? 予算を越えない程度のことなら出来ますけど、出来ることはほぼやり尽くしてます。これ以上はホントムリなので。人命掛かってるとはいえ、これ以上例のご令嬢に迷惑かけらんないです。借金なんてもっとダメ」
「すずちゃん」
「ダメですからね、弓子おばさま! このロシアにみずきがいるならまだしも!」
「ま、前見て運転して頂戴」
「流れてくるグラフ読むので精一杯です!」
「やだ、ちょっと止まって! わき見どころか見てないじゃないの貴女!」
「急いでるんで!」
ハンドルがわずかにブレ、車体がぐにゃりと蛇行する。即座に自動補正がピーと音を鳴らしてふらつきを知らせるが、オート運転を切っているため車は蛇行し続けた。
「きゃ」
「ちょっと龍田さん、少し後にしてもらえるかしら!」
「だいじょーぶだいじょーぶ、対向車無いわよ。北海道並みに広くて誰もいないんだから、だいじょーうぶ!」
龍田は手を緩めず、続々とデータを流してくる。見えるだけで弓子のどこかにログが残るわけではない。龍田が説明のために一度見せるだけのものを見逃さないよう、忘れないよう、弓子はすずと一緒に必死になって読んだ。
グラフは波状の3Dだ。折れ線グラフが俯瞰的に描かれ、縦横とは別に奥行きがある。よく見ると地図がうっすら見えた。すずが発見した高度データも、ミルフィーユのように幾栄にも重ねられた等高線が表示していてわかりやすい。
「私のはじき出した高度データに被せてるコレ、GPSっぽいDMS形式の2次元座標書かれてますね。衛星から何受信したんです?」
「衛星?」
朝比奈は車の中で天井を見上げた。龍田はサラリと答えを言い、大したことではないと話を続ける。
「チューナーとアンテナがあるもの、そりゃテレビじゃないのよ~。このグラフの赤色になってるところが移動してるでしょーお? これはつまりね~……」
「ちょっとまって」
弓子はしょっぱなから買いた。朝比奈も同様に目を丸くする。
「てっ、テレビぃ? チューナーって、CSとかBSとかの?」
「もちろんじゃないの。あら、見つけてない?」
「え?」
「置いてあったでしょう? パラボラアンテナ」
「ぱ、ぱら……?」
弓子は聞きなれない単語に首を傾げ、通信端末のオンライン辞書を開いた。




