362 一歩ずつ歩き、絡み合い
ロシア、サハリン州。ポロナイスク地区、ネフスコエ湖付近。
トライクを駆使し、脳波コンを持つ人間だけが感じるノイズをしらみつぶしに探し続けること一週間。
「うわ、凄い雑音! 鼓膜ちぎれるー!」
「地図っ! 地図に! ペンで書いてーっ!」
「叫ばなくても聞こえてるよ」
「なーにー!?」
「聞こえなーい!」
「……座標の記録はコンパスと紙の地図でとるから、二人とも早くカバーかけて」
「えーなーにー!?」
「聞こえないわ!」
佐野弓子と中島すずは、耳の穴を手で蓋しながら叫んで聞き返した。その間にもずっと、二人の耳にだけはギーギーという金属のこすれるような音が聞こえている。すずは今にも吐きそうなほど顔を青くしていて、弓子はトライクからよたよたと降りた。
朝比奈は一人、脳波感受型デバイスを埋め込んでいない一般人だ。
「ほーら。こっちも」
「あうっ」
「きゃ! あ、ありがとう朝比奈さん」
多少荒っぽく、朝比奈は手に持ったゲル状の青いシートを二人のこめかみに一枚ずつ張り付ける。途端にすずは深呼吸し、弓子は背筋をしゃきりと直した。
「そんなにすごいの?」
「ええ、ええ! これはもう間違いないでしょう!」
弓子は興奮気味だった。
一週間かけ、人が寄り付かなそうな湿原地帯を爆走し続けた弓子だったが、見つけられた手掛かりは乏しかった。確かにノイズを感じる。だが気のせいだと言われればそうとも言え、広範囲すぎるために何か基地があるようにも見えなかった。
「弓子さんが探ってくれた各地のノイズを地図にして、高低差の情報も入れて、やっと見つけた重要拠点です。絶対ココだって思ってましたよ!」
すずも興奮気味に、しかし青い顔が治らないまま手を広げる。
「指示されてた『ロシアの秘密のノイズ情報確認地』から随分離れたけど」
「間違いないです! まぁ確かに? ネフスコエ湖付近、むしろ海岸寄りの方だって聞いてたのに、逆に山の方ですけどね?」
背の低い植物が点々と生えている程度で、日本の山とは大きく様子が異なる。だが小高い丘程度だが標高は少し高く、海岸側とは正反対に陸地へ上がっていく場所だ。
「で?」
「ん?」
「ここ、なんもないじゃん。小屋とかさぁ、車のタイヤ痕とかさぁ」
「……確かにそうですね」
朝比奈の指摘に、すずは声のトーンをぐっと落とした。弓子ら三人は、確かにノイズを探しにはるばるロシアのサハリンまでやって来たのだ。しかしノイズは手掛かりでしかない。ノイズの発生源である敵の施設を見つけるのが最重要で、何もないところから出る怪電波を見つけて喜んでいても仕方がない。
「ただの黒っぽい地面に、単なる木と葉っぱしかないんだけど」
「何か中継するようなものがあるのかも……基地局のような……電波を使うなら強度不足に対策を取るはずです!」
「素人目で見ても分かるかしら? とにかく無機物の何かを探しましょう」
「私はノイズの解析から探りますね」
「ちょ、ちょ、待って」
「待ちなさいすずさん」
ゲル状の青いシートに爪を立てて剥がそうとしているすずを、慌てて朝比奈と弓子が止めにかかった。
「止めないでくださいー!」
「体調優先」
「気候も合わなくて風邪気味なんだから、無茶しちゃだめよ! すずさん、落ち着いて応援待ちましょう。久仁子さんのところのスタッフがすぐ来ますから」
「ですけど、元々は白亜研究室に来た解析依頼なんです……このノイズがなんなのか調べないと」
そう言ってまたこめかみに手を当てたすずの右腕を弓子が、左腕を朝比奈ががっしり掴んで物理的に止める。朝比奈が横から援護した。
「十分な成果だよ! 微弱なノイズ一つ一つの高低差に着目して調べようなんて、私たちもあっちのスタッフも思いつかなかったって!」
「そうですよ、すずさん。発生源から一定間隔でいびつな球体を描くようにして広がってるなんてこと、貴女でなければ分からないことですよ? ねぇ?」
「そうよー。すずちゃんすごい! そのグラフみたいなやつが本当だったってだけで十分! ポロナイスクのホテルに戻って、日本に連絡入れたらどう?」
やんわり誘導する二人の声に、すずも観念した様子で腕の力を緩めた。だが顔色は晴れない。
「でも、もしかしたら逆なのかもしれないですし」
「逆?」
「微細なノイズが重複して、ここにピンポイントで集まっているのかもしれないです。逆に今まで弓子さんが集めてくれたノイズデータが本命で、ここは実はどうでもいいとか……実際何もないですし、脳波コン持ちがいなければなんてことはない、ただの平野です」
そう言ってすずが手元の端末を握りしめる。スマホよりもごつごつした形の塊に太いアンテナが生えていて、コードが垂れ、すずのこめかみに繋がれている。
「確かに平野で、何もなくて、ホント何の意味も見いだせないけど」
「意味もなく電気と労力をつぎ込んでこんなノイズ電波流すわけないじゃないですか」
「だよねー」
「人がいっぱいいる場所ならまだしも、こんな無意味な場所に」
「……無意味、ねぇ……」
弓子は引っ掛かりを覚え、やたらめたらと周囲を探し始めたすずと朝比奈を尻目に、アゴに手を当てて考え込みはじめた。
佐野弓子はジャーナリストだ。地域の小さな地域新聞社に勤めているが、気持ちだけはワールドワイドな報道関係者だと自負している。決して自意識過剰の誇張表現ではなく、横浜在住の利点を生かしたジャーナリズムに特化しているだけのことだ。
副業のような形で集めて切り売りしている情報には、各国の取引先が価値を見出すだけの意味があると思っている。だからこそ弓子は、今回目の当たりにしている状況が「欲しい人間には必要な情報だろう」と思っていた。
些細な事だと弓子も思う。無意味な場所に無意味なことをするものだと、無知な一面では単純に疑問視している。
知識だ。弓子は、自分が持たない知識を持つ人間の存在を強く意識している。国家の裏工作を知って脳波コンを入れたように、何か裏を知っていればこの場所に価値が見えてくるのだ。
「きっと誰か、この場所でなくてはならない何かを知ってる人が……」
「弓子さぁん、ちょっと手貸してぇー?」
遠くで朝比奈が大きく長い棒を地面に突き刺していた。さらに遠くでは、久仁子に雇われた外国人スタッフの集団に背の低いすずが紛れこんでいる。若い上に童顔のすずはまるで子どものように見えた。
白亜研究室に持ち込まれたロシア現地調査の依頼を受けたのは中島すずであり、日本を離れる前に関わっていたパトロンである久仁子は手足となるスタッフをすずの配下として提供したに過ぎない。だが外国人スタッフたちは、雇い主の取引先とは思わず、フランクな共同研究者のようにすずを対等に受け入れていた。弓子は少しムッとするが、すずは気にしていないらしい。
「軍手が無いわ」
朝比奈の申し出をやんわり断る。
「これ! この紐、縛り直して~!」
両手で長い鉄の棒を地面に差し込んでいた朝比奈は、ジャケットの背中側についている飾り紐が今にも取れそうになっていた。ぶらんと垂れ下がり、姿勢によっては地面につきそうなほどだ。弓子は背後に回り込んで蝶々結びに結び直す。
「ありがと」
「ねぇ、朝比奈さん」
「ん?」
「例えばね? この場所に宗教でいう聖地のような、常人には理解できないような価値があるとして」
「え? 突然なに?」
「とりあえず、あるとして。その価値を知識のない部外者が確かめるには、内部の人間をつついて自白させるしかないと思うの」
「か、過激なこと考えてない!?」
慌てた朝比奈が棒を取り落としかけるが、さらに慌ててぎゅうと両手で握りしめ直した。2mぎりぎりなさそうなほど長い棒は金属でできていて、ある程度地面に刺すと自動でドリルが作動し地面を掘削して自立するハイテクな棒だ。中には弓子の専門外である各種センサー類が内蔵されているらしいのだが、朝比奈は少し分かるらしい。
「技術的なことはもちろんこれから調べるわ。こうしてセンサーを使って、数字として目に見えるようになるわけだけれど……異常が出て当たり前よね」
「まぁ、すずちゃんも弓子さんも悲鳴あげてたし、それくらい大きな『音』だったなら異常だよね」
耳鳴りのことを思い出しながら、弓子は深く頷いた。
「……さっきの、痛いほどだったもの。数字でも大きなものが出るに決まってるわ」
「そっか。それが何なのか分かる人間には分かるけど、私たちにはちっとも分からないだろうし、答えを出すには『これを欲しがったり消そうとしたりする人』の本音を聞かなきゃダメってことだ」
鉄の棒の側面にある突起を押したり引いたりし、ドリルを動作させながら朝比奈が頷く。弓子が見てもドリルのスイッチは分からないが、朝比奈は難なく初見で逆回転も回転もこなして見せた。
「アウトリガーはこっちかぁ。よっ、っと。で? 価値が分かる人間ってどこにいるの? それこそ犯人本人じゃないのかな」
「そこまで辿り着ければ苦労しないわ。断片でもいいの。価値が分かりそうな人間を数珠繋ぎで追っていくのもいいわ」
「なるほど~」
朝比奈が棒から生えた棒を地面に埋め込み、支えにしだした。そして水平器を覗き込んだ後、足でバイクのエンジンをかけるように部品を蹴り下げる。プロペラかエンジンか弓子には分からないが、部品が高速で回る高い音がした。
「そこでね、罠を何通りかちょっと考えてるんだけど、犯罪じゃないか不安なの」
「……だからやっぱり危険なことしようとしてたんじゃん! ダメダメ!」
「例えばオンラインの動画に一瞬紛れ込ませて、気付いて動画に隠したURLにアクセスしてきた人を追跡するとか……」
「なにそのトラップ! エルサゲート? 犯罪犯罪!」
「じゃあ、わざと掲示板に『こんな留守電が届いたんだけど』みたいなスレたててみたり?」
「ろくな情報来ないってば」
「しょうがないわ。前と同じ『探偵』にお願いしようかしら」
ガッチャン、と朝比奈の手元で棒が固定される。ドリルが止まり、話半分に聞いていた表情が一変した。
「……探偵?」
「ええ。ネット探偵」
「ネット探偵?」
「ええ」
朝比奈は目をきらきらとさせた。
「探偵いいね! グルメでも安楽椅子でもいいけど、ネットの探偵といえばアメリカのCIAとかのドラマが面白いよ」
「CIAは探偵じゃないわ。でも期待を裏切らないような探偵に依頼しましょう。お金が少し掛かるのだけど……これ以上久仁子さんのポケットマネーから出させるのは憚られるわね」
「私も出す! 期待を裏切らないネット探偵!? わくわくするぅ~! そうと決まれば……すずちゃーんっ! アナタもひとくちどう~?」
「そういうの好きだったのね、貴女……」
テンション高めにすずの元へ走る朝比奈を見ながら、弓子は衛星電話をポケットから出した。脳波コンはノイズがヒドいため「オフラインゼリー」でシールしている。指でメッセージを一から打つしかない。
「……連絡先、ブルーホール経由でしか知らないわね。あ、仁さんに頼もうかしら。探偵さんと仁さんの間にパイプを作るいい機会だわ」
これは名案だと弓子は顔をほころばせた。
「えっと……伝言内容は以下に……スラッシュいっぱい。Hello、佐野、弓子、です……もうっ! 今どきモーションフリックも出来ないなんて! 爪がひっかかって打ちにくいわね」
500mlペットボトルサイズほどの大きさをした電話機を、両手でしっかり握りしめる。ふっくら突起になっている数字が書かれたボタンを何度か押して、一文字ずつひらがなへ変換していく。弓子の世代が年齢一桁のころに廃れたトグル入力だ。
重い機械を何度か落としそうになりながら、弓子はそこそこ長い文章を指で打った。送信を十字キーで選び、エンターボタンを押す。
「おばさま~!? また何か勝手にやってるんですか~!? も一っ!」
姪のすずが、まるで母親をたしなめるようにしながら弓子の方へと走って来た。朝比奈は後ろからしょんぼり歩いてきている。
「善は急げ、よ」
「にしたって相談ぐらいしてください!」
「貴女、こういうとき保守的になるじゃない」
「そりゃ当たり前です! ここに来るのだってあんまりよくないんですよ? 身内は身内ですが外部といえば外部ですからね! 情報を漏らしていいわけありません……で? どこの誰に連絡を? 相手によっては……」
「夫よ」
「仁おじさまですか? なーんだ、心配して損しました」
親戚の名前に、すずがころころと笑った。
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メッセージ トゥ LOND・V
「妻から『メッセージを送るだけでいい』と言われて伝言を預かったよ。全く、いつのまに連絡とり合っていたんだい? びっくりしたじゃないか」
「あら、それは浮気を感づかれたとか思ったの?」
「まさか。私は弓子一筋だから」
「アツアツねぇ~!」
「内容、悪いけど拝見させてもらったよ」
「アレでしょ? 予想はついてるわ。久仁子ちゃんからも弓子さん達のことは聞いてるもの」
「え!? うわぁ、君ってば顔が広いし信頼もされてるもんだから、みんな口外しまくってるねぇ。一応弊社のトップシークレットなんだけど」
「えーん! そろそろ仲間に入れてもらってるんだと思ってたわー!」
「仲間の間に報酬割り増しとか延長料金とかないだろう?」
「それもそーね。うふふ、毎度ありぃ~」
「確かにアナタが我々と同じように『日本人の無事』を願っているのは分かっているけど、それ以上に我々を金づるだと思われていることにも気付いているからね」
「やぁだもうっ、バレバレ?」
「バレバレだね」
「だっはっは! あ、間違えた。うっふっふ~」
「お清楚に笑ってるところ悪いんだけど、妻からの仕事は受けてくれるのかい? 頭金、少ないようなら私が出そう」
「うーん、気持ちもうちょっと欲しいけどぉ、今回はサービスしちゃうわ。丁度日本にも用事あったから一石二鳥だしねぇん」
「そうかい? 感謝する。我々としても場所に起因するノイズの必然性には興味があるんだ。発生源のトレースはこちらが請け負おう。少しロシアサイドが首を突っ込んできているけど、危険性がないからそっちは別のアプローチとして残しておく予定だよ。労力を割いて止める必要すらない……そうだ、アナタはどう思う? 社会情勢には詳しいんだよね?」「ええ。そのまま放置で泳がせるべきね。今回の脳波コンを取り巻く一連の事件、ロシアは完全に出遅れてるわ。依頼主に口止めされてないから言っちゃうけどねぇ、これも工作らしいわよ? 熾烈な競争が始まった段階で誰も動いてないなら、必要最低限の『事件性』すら見落とすものね」
「中東と同じ、か。依頼主はどの国だい?」
「そこはノーヒントで。まだ依頼続いてるんだもの」
「なるほどヨーロッパか」
「もう! クイズにならないじゃないの!」
「口の軽すぎる探偵もどうかと思うけどね」
「成功報酬狙いの種まきよ」
「……アナタは日本人だから日本にBETしてるのかい? 分が悪いよ、我らは。国の中枢から離反した組織が代表選手をしてるんだからね……勝たなくてもいい、生きてプラマイゼロの状態に戻る。それを勝利、成功とは呼ばないだろう? どこから貰うのか分からないけれど、報酬は期待しない方がいい」
「ご忠告感謝するわ、仁ちゃん」
「ダブルスパイでは足りなさそうな様子だけど、上手く出身国と人種を隠すんだよ? 日本人とバレれば一発だ。この攻防、発端はどうやら日本の『田岡』だ。間違いない。その時の遺恨と贖罪が、世界中を巻き込んだテロ行為に発展している」
「遺恨と贖罪……ね。きっともっと真実はビジネスよ、仁ちゃん。感情で動いてるのはアタシたちだけ。じゃなかったらあんな血も涙もないようなこと……戦時中でも、あんなことしないわよ」
「……そうかもねぇ」
「仁ちゃんはもっと怒って良いのよ」
「怒って娘が帰ってくるなら怒るけど、そんな暇もないさ。弊社の社長が当時のことを既に闇に葬っている以上、我々は今出来ることから調べていくだけのことだよ。アナタも」
「ええ」
「無茶だけはしないでくれよ、龍田さん」
「こちらのセリフよぉー? それ。娘さん、きっと見つかるから。焦らないでねぇ仁ちゃん! 急いては事を仕損じるわよぉ」
「肝に銘じる。じゃ、そのメッセージ通りよろしく頼むよ」




