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361 泣けない俺らの泣き方

 ぐいと布団を引っ張る。マント装備をつぎはぎして作っただけのものだが、中に差し綿をしていてふかふかだ。

 ガルドが気に入っている厚みたっぷりの布団が、屈強な筋肉の大男二人がかりで引っ張られている。あまり力を入れると他の装備品同様氷の粉のように砕け散ってしまうだろう。だが力を抜くのは負けたようでしゃくに触り、ガルドはなんとなくカを抜けない。

 榎本も手を緩める気配がなかった。

「いや、なーんで卵なんか一人で抱えて帰って来たんだぁー? とか思ったんだよ。絵面(えづら)想像するとシュールすぎるんだが、お前の中身、知ってるからなぁ……」

 榎本の声はしみじみと波打っていて、ガルドの胸は逆にざわりと荒く波打った。

「別に」

「そうだよなぁ。お前、話すの苦手でも会話そのものは嫌いじゃないだろ? むしろ好きな部類だ、じゃなかったらチームなんて所属しない。ずっとソロ野郎でいたはずだ。お前のこと、俺もしばらく離れてたから放っといちまったし……悪かったな」

「なにが」

「卵でも『話し相手』に出来れば、とかか?」

 それこそシュールだ。ガルドは首を横に振る。

「別に、そこまで病んでない」

「お前も俺のこと心配してくれただろ? 連携確認の模擬戦、かなり付き合ってもらったからな」

「そんなの、いつものことだ」

「ここんところ忙しかっただろ。なのに他の奴らにまで気ぃ回して、器用だよなホント」

「気配りは苦手」

「配ってはいないかもな。でもよく見てる。感心だわ」

「それを言うなら、榎本の方が広く見てる」

「俺のは気遣いじゃねぇよ。ダチの顔見てるだけで、精神面までは見きれてないぞ」

「助けられてる」

「……それ、お前も含んでるのか?」

 言葉にするのも野暮だとすら思っているガルドは、それ以上口を開かないまま榎本へ背中を向ける形に寝返りを打った。

「お、おう……そうか……なら、いいんだ。お前の愚痴ぐらいなら聞き役になれるつもりだぜ」

 優しい声だ。

 榎本がベッドから動かない理由がガルドにはやっと分かった。背を向けたまま少し身体を丸める。シーツと布団がすれる音がいつもより大きく聞こえた。接触感覚の再現も豊かになった気がする。少しごわごわした布がガルドの頬と少しだけこすれた。

「……少しくらい吐き出せ。お前、少し頑張りすぎだ」

 いつかの、御徒町のマンションで過ごした日々を思い出す。遠い昔のようだ。

「ソロ探索も長すぎるってマグナに苦情入れたんだぞ俺」

「受験よりまだいい」

「あ、それもだな? 進退窮まってるのも悩んでるんだろ」

 目ざとい。

「帰っても待ってるのは受験戦争、ってやつだな。ヒドイ目に合ってるのが現在進行形なんだ、緩い人生を選んだって誰も何も言わねぇよ」

 暗に志望校のランクを下げろと言っているのだろうか。悪魔のような誘惑を口にした榎本に、ガルドは背後に向かって馬のように後ろ蹴りを入れた。ごすんごすんとモノにモノが当たる物理オブジェクト衝突音がする。

 榎本は三回防がず受けてから、四回目で遠慮なくガルドの足首をつかみ取った。

「っ!?」

「っはは! ストイックだな。真面目で、自分に厳しい。夜叉彦よりよっぽど武士っぽいぞ」

 ベッドから上半身を起こした榎本に片方の足を持ち上げられ、ガルドは一瞬背中側にひっくり返りそうになった。体勢を崩されたことに、ガルドのバトルジャンキーな精神が燃え上がる。

 素早くガルドは三点倒立の要領で下半身を上へもたげさせ、もう片方の足を榎本の腕にねじり引っ掛けた。抱え込むように肘を強引に伸ばさせ、手首を強く掴む。

「お?」

 回転する物理演算がいとも簡単に榎本の腕を外側へ曲げ、また榎本の上半身をベッドに引き倒した。両足を伸ばして榎本の肩をベッドに縫い付ける。続けて、アバターボディのボーン可動域を意識しながら、これ以上曲がらないだろう方向へと思い切り引っ張った。

 ギリースーツで作った蔓植物の天蓋カーテンも巻き込みながら、ガルドは榎本へ関節技を仕掛け続ける。

「逆十字固めじゃねーか!」

 アームロックの種類などガルドは知らなかったが、見よう見真似の関節技がうまくいって気分が良い。2m超えのガルドが不自由なく眠れる手製のベッドが狭く感じるほど、榎本は七転八倒した。

「痛くねぇけどアイタタ、痛ぇってオイ!」

「知らない。ストイック? 所詮ゲームだ。勉強じゃない」

「……十分有益だし、お前にゃ天職だろ。成果は出てる。フルダイブプレイヤーのプロは多くない上に、他の機種に比べれば年寄りが多い。お前ならしばらくフルダイブ狩りゲージャンルの最先端に立てるぜ」

 榎本はガルドにアームロックされたまま、必死に目線をガルドに合わせようと首を動かす。意図をくんでガルドは力を抜いた。余裕ができた榎本がガルドをまっすぐ見つめる。

「だから、焦るな。無茶すんな」

「……無茶、か」

「お前がそこそこ『暇だな』って思うくらいの忙しさでいいんだ」

「榎本……」

 ガルドはAに言われた「BJ01とBJ02の差」について思った。緩んだ拘束の隙を榎本がすかさず抜け出したが、距離をとることなくガルドの隣にあぐらをかいて座る。

「歳とか性別とか、ここじゃ確かに関係ない。それはそれとして、お前にはお前のキャパシティがあって、俺には俺のキャパシティがある。変に俺と目ぇ合わないのも、突然卵拾ってくるのも、顔色が能面みたいに固くなってるのも、全部『お前自身が知らない間に持てる量以上の仕事と悩み抱えてる』って証拠だ」

 証拠を突きつけるにしては優しすぎる口調だ。ガルドが想像するような被疑者へ刑事が詰め寄る刑事ドラマのシーンとは大違いだ。

「そんなに辛いと思ったことはない」

「身体が悲鳴あげてんだろ? 心より先に」

「身体も仮想だ」

「だから、ここだろ」

 人差し指で榎本が勢いよく、ガルドのこめかみを指した。生身だったら爪が刺さって痛いだろう。強く強く、何度も榎本はガルドのこめかみをつつく。

 こめかみの奥は脳波コンが埋め込まれている。その奥にあるのは脳だ。

 心より先に身体が。仮想の身体より脳が先に。そう聞くと、心と脳は少し違うかもしれない。無意識を心と言うかどうか、ガルドには少しばかり難しい問題だった。

 榎本はこめかみの奥、無意識に普段と違う動きをする脳を指している。

「俺だけだぞ、気付いてやれるの」

「……痛い」

「痛いか? そりゃ一重症だ」

 そのまま頭をわしゃわしゃとかき乱され、ガルドは胸がいっぱいになる。何があるわけでもない。辛い問題と今この瞬間鉢合わせているわけでもない。痛めつけられているわけでもない。そもそも痛みは再現されることもなければ、脳波コンの部分でカットされ、ガルドの意識までは届かない。

 だが、誰にも言えない命の天秤を支え続けるのは、一個人のガルドには重たすぎた。

「……かゆくは。かゆくは、ない」

「だとしても、お前の痛みだろ」

 榎本の声がどんどん柔らかいものになっていき、まるで慰められているような感覚になる。一瞬の羞恥。次に強い反抗心。そして、一気に泣きたくなった。

「しばらく離れてから顔合わせると、記憶ん中のお前との違いっつーの? 様子がおかしいことくらい分かるんだよ。お前、顔、こわばってるぞ」

 榎本がガルドの眉間に親指を押し当て、揉むようにして上へ押し上げた。シワが取れると同時に下がり眉になる。目頭が熱い。榎本が「こわばってる」と表現した変化は、ガルドが望んで張り付けた仮面だ。Aが善意で、怒りや悲しみを隠したいと願ったガルドのために用意したエモーションコントロール・プログラムのことだろう。

 だがガルドは、榎本に気付いてもらえたことが密かに嬉しい。

「笑う時のは、素なんだろうけどよ」

「えのもと」

「おう」

「……ありがとう」

()()()でなら、ティッシュボックス渡してるところだ」

 榎本はそう言うと、ガルドの目のすぐ下を親指で押した。加減するつもりはさらさらないらしく、アバター・ガルドの特徴であるロシア系の高い頬骨を目のくぼみへ押し込むように、強くグイグイ押し上げてくる。

 きっと生身であれば、頬の肉に押されて瞼が強制的に閉じられ、瞳の上で表面張力を働かせていたナニカが目尻から落ちるだろう。向こう側にある「みずき」は今頃、もしかしたら泣いているかもしれない。

 だが、ガルドには分からなかった。

「別に、泣いてない」

「……ああ。俺も、忘れちまったよ」

 ガルドは榎本の言葉に、無言のまま頷いた。




 声がする。

「こうすればいいのかね? うーむ、ふむふむ……」

「あらまぁ、珍しいことしてるわねぇ。でもアンタ、その子の身体に傷なんかつけたら承知しないわよ?」

「おや、予定より早くないかね? フム、皮膚と皮膚が接触することにより裂傷になるとは考えられないのだがね」

「あらま! 乙女の肌の価値をなんだと思ってるのチョット!」

「みずきの価値は『一番尊い』から揺るぎないのだがね。肌の価値もそれに類するのではないかね?」

「じゃあなおさら傷になりそうなこととかには細心の注意払いなさいよ! いえすろりーた、の一たっち! よ!」

「なんだねそれ。確かに過剰な刺激は良くない……承知した。みずきの副鼻腔表面部に()れる行為は止めようかね。あと、ロリータの定義にみずきを入れるのはやめてほしいのだがね。年齢的にも定義に合わないのだがね」

「やぁね、冗談よ。未成年の女の子にしていいもなにも、こんなところに寝かせてること事態がアウトよねぇ~。そもそもなんでそんなことしてたの。ダメじゃない、ソレ外しちゃ」「優先すべきは呼吸管理より心理状態でね。先ほど、みずきの心理グラフが非常に不安定になってね」

「アラッ」

「安心したまえ、もう既に安定したのだがね。しかし安定した理由が不明瞭でね。言語の意図的な揺らぎをチャートでさらっても、該当する解析済みのデータにヒットがないのでね。壊れているのではないのかね? 解析ツール」

「ウッソ、アレ結構したのよぉ? SPSSでの心理学パッケージの蓄積データ」

「ヒットはなかったのでね」

「で、何か参考になるものがないか探ってるってワケ? 実際に触ってみて?」

「そうだ。BJ02が触れたようにボクも触れてみたのだがね、この行為の筋肉が受ける刺激を数値化しても、やはり既存の治療方法へのヒットはないのでね」

「行動そのものでのみ再現可能だなんて、本気で言ってんじゃないわよねェ」

「それはもちろん、友好と年月が不足しているとは理解しているがね」

「BJ02の条件を全てアンタにすげ替えて、何もかもアンタがBJ02になったとする……例え話よ?」

「例え話……了解した。それで?」

「アンタが過去のその子と一緒に沢山語り合って、沢山遊んで、沢山時間をかけたとしても……アンタの手では泣けないわよ、その子は」

「前提条件が不明確かつ不明瞭でね」

「ソイツに対抗心抱いたって覆らないって言ってんの。そっちのヒゲ男が持つ対話スキル全部アンタに移植してもムリ」

「フム……」

「反論できないでしょ。ニンゲンとニンゲンでしか出来ないことがあるのよ~」

「いいや、それは違うのではないかね」

「そーねぇ。アンタはそう言うと思ったわ」

「ニンゲンに限らず、生命は進化するものなのでね。ニンゲンがお互いに依存し合う形態から進化するためにニンゲンが必要かどうか、そろそろ精査する時代になったのでね」

「アンタのその持論は分かったわよぉ。そう思い至ったアンタの良さもね。独学で方程式閃いた頭の良すぎるアホみたいで可愛いわぁ」

「相変わらず曖昧過ぎる表現で、ボクには全く理解できないのだがね」

「ニンゲンが持つ『ゆらぎ』と『無意味さ』よぉ~? サルとは違う、進化で手に入れた文化的余暇ってやつね。生きるのに必死な生き物から、無意味なことへ意味を見出すだけの余裕がある……そう思わないときもある。それもゆらぎの良いところよ」

「そう、その通りでね。進化だ。みずきの進化が、ボクの意味の一つなのでね、ボクはその無意味さを手に入れなければならないのでね」

「そうそう、その調子よ」

「今後の議題の一つでね」

「今後ね。あ、これからどうするつもりなのよお! それ聞きに来たの! 人一人追加で放り込んでたみたいだけど、あいつらにバレないの?」

「バレても構わんと思うがね」

「冗談でしょ」

「ジョークとはもっと明るく言うものではないかね? 本気なのだがね」

「……知らないわよぉ~? アンタと、アンタが入れたアレのこと、超探してるじゃないの。アイツら血眼になっちゃって」

「物理的にかね? フム、それは困るがね」

「まぁアイツら今忙しいでしょうし……守りはどうなのよ」

「万全とは言い難いがね、立地の良さを遺憾なく発揮しようかね」

「油断するんじゃないわよ」

「それはこちらのセリフだ、なのだがね」

「アラ良い返しね。でも大丈夫よ。わざと先手打って、安全に露見するよう仕組んだの。ホラ」

「おお、それは面白いようだね。ボクは過程について興味はないのだがね、その対象が確認される立場ならば、きっとみずきの変化を生むだろうからね」

「でしょう? ふふ、楽しいわぁ」

「ツラいツラいと愚痴を言っていたころが懐かしいがね」

「ちょーっと! 言うんじゃないわよ無粋ね! やれることも出来ずに足掻く時期は終わったのよ。どんどん働いて、どんどんぶっ壊すんだから」

「その意気だね」

「てなわけで」

「ム?」

「ロシア行ってくるわ。お留守番お願いねぇん」

「ロシア? ふむ……承知した。この()のことは任せたまえね」

 声が止む。高く細いヒールが鳴るが、どんどん小さくなっていく。

「……行ってくるわね、みんな」

 声はハスキーで、そしてとても静かだった。


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