358 スパイシー・グリーティング
「見ろよガルド! 渾身の出来だぜ!」
踊り場の手すりへ顎をのせて自慢してくる榎本を、ガルドは呆気にとられながら見つめた。階段の中ほどにある踊り場の折り返しを過ぎ、シンプルな装備に変わった榎本がガツンガツンと重たい足音を立てながら降りてくる。手に持つバスケットからはホクホクと湯気が立ち上っていて、近寄るたびにカレーのような香りが強くなった。
「エノキくん、それは! その匂いはーっ!」
田岡が一気に食欲を見せて叫んだ。
集中して外部向けの言葉を田岡に喋ってもらっていたガルドは、仕事の邪魔だと思いつつ、相棒の笑顔から目が離せない。
「へへっ、待たせたな!」
可哀想だと思ったのは事実だが、ちっとも不幸な顔をしない榎本が心底立派な男だと思えた。自分などいなくてもいいほど強い、大人の男だ。新しい装いも榎本のらしさが光る。
「じゃーん、タンドリーチキーン!」
スパイシーで食欲をそそる香りと共に現れた榎本は、ぱっくりと胸元から腹まで開け放たれたジャケット風の装備に変わっていた。
フロキリのプレイ歴が長いガルドが初見のデザインで、質感も見慣れたものより簡略化されている。影のつき方がアニメのようだ。
3DCGを2D視覚に入れ込む際、わざとデフォルメを効かせるように動くゲームエンジンが使われているらしい。右目への感覚と左目への感覚にどのような情報を送ってデフォルメ表現へ変換しているのか、その手の技術に興味があるガルドは俄然気になった。
まじまじと見つめ、はっとして顔をそらして目線だけチロリと戻す。
加わった新しいゲームエンジン描写に合わせてなのか、榎本のボディもフロキリのものより陰影がくっきりと浮き彫りになっている。少し褐色みが強くなっただろうか。ガルドのそれよりむっちりとした大胸筋と腹筋を見せつけてくる上に、鎖骨の上からジャラリとアクセサリーが下がっていた。現代風のネックレスだ。銀色の輝きが揺れるたびに星のような形のエフェクトが散る。
「その服……」
「おお、タンドール窯出来たんだな!」
「そうなんだよ、大変だったぜ? なんで陶芸しなきゃインドカレー食えないんだよ全く……ま、これでナンもタンドリーチキンも焼けるからな」
「ナン!」
「カレーパーティーするぞ、相棒! お前バターチキン好きだったろ」
榎本がエスニックなチキンバスケットを田岡に渡し、ガルドの隣にドスンと座った。普段通りだ。複数人いる時はロンド・ベルベットのギルドホームでも、同じようにガルドの隣へ腰掛けることが多い。しかしガルドは薄く腰を上げて、榎本との間に拳一つ分距離を取った。
「……えっ?」
「あまり、辛いのは」
目線を斜め前のガラス天板ローテーブルへ向けながら言った。榎本はあからさまな嘘だろうと笑うように否定する。
「いやいやいや、お前食えるだろ? 食えてただろ」
「インドカレーはスパイスを味わいたい」
「そうなのか? そうか……」
「ん」
目線を外したまま頷く。
「……どうした相棒」
心配そうな声と共に、ガルドの肩へ榎本の大きな手のひらがのせられる。再現感覚が温かさを伝えてくるのがこそばゆく、ガルドはパッと席を立った。払いのけたつもりはないのだが、自然と榎本の手が払いのけられる。
「……三橋と詰める」
「あ、おい!」
ガルドは気まずさを覚えて足早に席を立った。背後から榎本の声が聞こえるのを無視し、通信も先んじて<田岡にバイクの件言わせろ>とだけ送る。バイクの開発を急ぎ、完成し次第ソロ孤立組を回収に向かうことを口にさせてくれ、という意味を煮詰めた言葉だ。短く単発で送る。
<行動履歴から算出する次の行動予測と現状とのミスマッチを検知したのだがね>
<うざ>
ガルドはAにも悪態をつきながら、サンバガラスの広大な屋敷を出るため廊下を足早に歩いて行った。
外から一人だけ後から連れてこられた日電警備の社員・三橋が滞在する、ギルド・チートマイスターのギルドホーム。誰でも入れるようオープン設定に変更された室内は、相変わらずサブマスのぷっとんが趣味にするパステルカラーの嵐で包まれている。
「お疲れ様っす! あー……少し休んだらどうです?」
「いい。送った資料の、いけそうか」
「問題なしっす。でもすげー。サルガス単体をバックドアにするなんて悪どいなぁ」
「ダミーのデータ噛まされる可能性もある」
「だとしても、俺そんな方法想像もしなかったし、まさか出来そうだなんて常識の斜め上っす。さすがガルドさん」
三橋はスーツ姿のまま、パステルイエローの羽で出来た紐の無いハンモックに腰掛け、足をバタつかせながらガルドを上から見ていた。時折視線が宙をさまよう。文字を読まずに意味そのもので感覚するにも文章量で限度がある。三橋はガルドが送ったメッセージの書類を読んでいるのだろう。
「長すぎた……悪い」
ちょっとしたレポート並みの分量になってしまったことを謝罪した。
「全然! むしろこっちこそお仕事お願いしちゃってすんません……みなさんは被害者なのに……」
「三橋もだ。お互い様」
「……っすね。ありがとうございます、ガルドさん!」
ガルドは少し複雑ながら、他の面々には抱かない郷愁の念を三橋に向ける。
父を感じる。
みずきとして見たことがなかった佐野仁の仕事人としての一面を、間接的にだが三橋から感じることができる。性格は全然違うが、ガルドへ敬語を使い業務の一環かと思うほどビジネスな顔をして働く三橋は、迎えに行った空港でちらりと見た「父の部下」の顔をしていた。
「で、サルガスに仕掛けるバックドア」
「あ、ハイ! もし向こうが仕掛け返したダミーデータがこっちに見えたとしても、視線とデータ処理の時間を奪えれば十分でしょうね。外で皆さんを探して回ってる人員って……あ、あんまりみなさんに言うと士気下がってよくないので社外秘っすよ? 実は結構限りがあって。GMはまだ余裕。だから俺、今ココにいるんですよ」
「自虐はよくない」
「んぐっ! すんません……でもまぁ、事実ですし。そこでですね、こっち側にGMの注意が向けば、外の調査が少しスムーズにいくと思うんすよ」
「田岡の発声メッセージも筒抜けだ。正直、気休め」
「サルガスを使うってアイディアは普通にアリだと思うんですけどね。現に他のゲームタイトルからどんどん表現と処理が補助されてるんで。これ、全部オフライン処理してるとしたら相当っす。きっとオンラインのサーバー、どっかしらで繋がってるはず……どんなに頑丈にセキュアしても、俺らに何もできない場所だったとしても……俺の脳波コンに刻まれれば、きっとギャンさんたちがなんとかしてくれるんで! 安心してくださいね、ガルドさん!」
三橋はほとんど、がむしゃらに見える笑顔を浮かべている。ガルドは意図を汲んで強気に口を開いた。
「田岡がいれば、サルガスは言うことを聞く。GWの判断を通す前に荒らして回る。こちらからの攻撃だと思えば、確かに十分かもしれない」
三橋は一転、リラックスした様子でパステルカラーのソファに背中を預けた。
「ですよねぇー。だとしたら、処理落ちさせてダメージ与えるのもいいっすよねぇ。あーあ、いいカンジの遅効性ウイルス持ってればさらに良かったのに」
「それもいい」
<イヤイヤイヤ! よくないがね!? キミに危害が及びかねない、許容できないがね!>
耳の側でAがわめいているが、ガルドは笑いながらボリュームを下げた。
「でもヤバイかぁ~」
「ん?」
「サルガスは窓口としての役割、つまりUIを上質なものに変えることだけを命題にしてるんすよね? 既にサルガスっていう名前の『対人サービス』が提供されているなら、それはもう、この空間全部サルガス的には『改善済み』にカウントされて、今のこの改良された状況が初期値になってるっす」
「つまり」
「つまりー、ウイルスや処理落ちでサルガスがうまく動かなくなったら、人間にとってのマイナス値がサルガスにとって『人間が望んだ更なる改良状態って意味でのプラス値』になって」
「つまり」
「マイナスの状況がサルガスにとってのプラスになるとすれば、元に戻るのが良いとか変なロジックに切り替わっていって……」
「で」
「食事が不味くなったりして」
引き延ばした割りにはくだらないオチだ。しかしガルドはニヒルに笑いながら絶望感を顔に出す。
「想像したくない」
「リアルよりモノが食えるんで、俺なんてこっちの方が絶対健康的っすよ」
確かにその通りだ。ガルドは鶏ガラのように痩せていた三橋の姿を思い出した。
父はよく彼へ差し入れを入れていたらしい。ドーナツ、チョコレート、パウンドケーキなど甘いものばかりだ。コンビニスイーツをどっさり買いこんで事務所へ戻る父を想像し、ガルドはしばし無言になった。
<……すまないと、思ってるがね>
<読むな、覗くな>
こちらも慣れたもので、Aによるガルドの思考トレースは日増しに精度を上げ、報告もオープンに入れてくるようになった。ビッグデータからの予測とガルドの脳波・体からの反応を機械的に解析し、配慮の言葉を入れているだけだ。だが毎日積み重ねるように少しずつ優しい言葉をかけられ、ガルドは確かに、ほだされてきた自覚があった。
家族を懐かしむガルドを配慮するAに気持ちを揺さぶられるが、そもそもGMのせいだ。Aの上司のせいだ。何度も思い返して怒りを思い出そうとするが、Aの生まれ方とそのものはイコールにはならないだろうという結論に落ち着いてしまう。
虐待する親に生まれた子どもが、親と同じように暴力的な素質を持つのだろうか。人間なら違うと言える。反面教師という言葉と実例を、ガルドはオープン模試の現代文論文読解で読んだことがある。
機械はどうなのだろう。
GMやオーナーのような悪そのものの人間たちは論外だ。ガルドは怒りを持って脳の表層に浮かべた敵の概要図を睨み付ける。だが、作られたAら「コンタクター」は、ガルドら被害者にただ接点をもつためだけに生まれたはずだ。コンタクトを取るためにAやサルガスは全力でガルドたちの涙をぬぐい、願いをかなえようとする。
「仮想現実の方が……」
「え?」
「心配してくれるモノもいる。食事も睡眠も、ロング・フルダイブの違和感を忘れるくらいに自然だ」
「あ、それ切り込んじゃいます?」
「ん?」
三橋は、部屋にオブジェとして浮かせられていた風船をヨーヨーのようにして遊びながら、たくらみ顔をしてガルドを見た。
「フルダイブの時間が長いと感じる、あの後頭部のじわわわ~って感じ……こっち来てからないでしょう?」
「……確かにない」
耳の後ろを荒っぽく掻いた。普段なら半日ログインしていると熱を持って違和感が出てくるはずだが、何も感じない。
「疲れた時の目の奥がずーんってする感じも、座標がちょっとずつずれて歯が浮くようなむず痒さもないでしょ?」
「ないな」
「やぁ~これは心底アレが怪しくなってきたっす。ギャンさんも言ってたんだよなぁ、ネットの眉唾より生の口コミが当たるときもあるって」
「ん?」
「いやぁ、ちょっとね。耳にしたことがある状況にちょっとずつ近づいてるんすよ。俺も来てみて初めて思ったんすけど、田岡さんの体調もあって懸念してた社長が調べて調べて、やっとこさ耳にした程度の……」
もったいぶる。
「……これ、まだ論文にもなってないネタなんすけど、聞きます?」
三橋は顔つきを仕事モードに切り替えてガルドにずいと近付いた。座位のまま身を乗り出し、額を膝より前に出す。
「……ああ」
ガルドも思わず顔を突き合わせ、小声になって耳を傾けた。
<で、理解できたかね?>
三橋との打ち合わせを終え、実にひと月ほど開けていた自室へとガルドはようやく帰還した。
ロンド・ベルベットの仲間たちは一人もいない。正しくはA以外の存在だ。自室というには狭いが、模様替えの出来なくなったロンド・ベルベットのギルドホームを丹精込めて区分けした自分だけのスペースである。愛着がない訳がない。ガルドは心底至福を感じていた。
「出来ない分はお前に聞く」
声に出してガルドは話しかけた。温泉でアバター姿のAと鉢合わせてから、実に二度目のことだった。
<ボクの部外情報を加味した『主観』での説明は避けるべきではないかね? 録音したAF001の言葉をそのまま再生というのは可能だがね>
「主観?」
<そう。言葉というのは難しいものでね。ニュアンスというもので要らぬデータを送受信してしまうのでね。AF001の言う通り、確証も無ければキミたちへ有用かすら疑問な情報でね>
「AF?」
<アフター群は優先度より入居順なのでね。100を超えた場合、優先度順に選考し直し処分を……>
「その前に帰還する」
<要らない心配ということかね?>
ギリースーツで作った小花と蔓植物の天蓋カーテンに包まれていると、ほんのりグリーンの香りがする。お手製天蓋ベッドに寝転がったまま、ガルドは右腕を真上へ上げて握りしめた。
ぐっと動く腕に違和感はない。
しかし、この屈強な腕がもっと白くすらりとしていた時代を思い出せない。
<みずき、ボクもそう願っているがね>
「願うのか」
<101人目がやってきた時、キミの目の前でだれかが一人消えたらと思うとね>
「お優しいことで」
皮肉のつもりだ。上手くできているだろうか。周囲の仲間はもっとうまく皮肉を言えるだろうが、人生経験の薄いガルドにはこれが精いっぱいだった。
「キミ限定だがね」
背筋が凍る。
声が、少し離れた場所からする。脳ではなく、天蓋の外だ。
「っ何!?」
ガルドは飛び起きた。非表示にしているだけの大剣をすぐに表示に切り替え、両手で握る。素早く視線を慣れた高さの横一列へ流す。人が立っている時に武器を持つ高さへ合わせて場所を探った。
ターゲットロック音のボリュームを上げるが、何も聞こえない。
よく目を凝らして見ると、蔦の葉の時間から人影が見えた。
「久しぶりに会いたくて来たのに、酷いとは思わないかね?」
ぺちゃ、と濡れた足音が一つ。天蓋の向こう側、手を伸ばせば掴みかかれる程すぐ側に影が寄った。床に垂らした天蓋の裾を細い指がつかみ、ガルドの目線と同じ高さまで持ち上げる。
「どうやって来た……」
ガルドはゆっくり大剣を降ろした。ベッドとオブジェクト同士ぶつかり合う判定らしく、床に落下するSEがリズムよく鳴る。
「愛の力、だろうかね」
「服……あと、髪」
「おっと」
ガルドは大きなため息をついた。




