355 ストイックなら一箇所には留まらない
<金銭が絡まない犯罪なんてないと思うがね>
<開き直るな>
ガルドはAと会話し始めてからというものの、少しだけツッコミの精神を理解し始めていた。
雪道をザクザク踏み貫くように歩く。空が高い。ずっと湿っぽい雰囲気の地下迷宮で過ごしていたガルドは、全てが仮想のデジタルによる色だと分かっていても、青い空に解放感をめいっぱい味わえていた。
「ガルド。ソロ探索の第一陣、おつかれさん」
骨で出来た現代アートのような形をしたバイクを押しながら、榎本が声をかけてきた。「戦果ナシ、完全敗北だ」
「おいおい、デッカイ卵が釣れただろ?」
「それだけだ。ソロが居なかった……正直予想外だ」
「そうそう簡単に見つかるかよ」
「ん……」
榎本の言う通りだ。だが気持ちと事実はくっつかない。ガルドは表情筋を固めているプログラムを解除しつつ、アゴを撫でた。ざらざらとしている。
<オーナーについての情報開示は慎重にならざるを得ないのでね。アレは行動の予測を立てにくい。人間はロジックとして論理や条件を越えた「天命」を持つそうだがね>
<……宗教の本でも読んだのか>
<日本人の精神を学ぶのに、日本史と仏教、神道との精神は欠かせないと聞いたのでね>
<で? 金銭のやり取りをしているからオーナーの指示に従っている、と? 誰と誰が。お前を作った人間か>
<作った? いいや、ボクは生まれて育って独り立ちしているのでね。金銭のやりとりはボクの望みでね>
<は?>
意味が分からずガルドは聞き直した。
<ボクは金が欲しいのだがね、オーナーがくれるというのでね。オーナーは雇い主ということでね>
<金が欲しい? なぜ>
<それはボクがここで活動する理由そのものだがね>
<……最初からここで活動するための存在として生まれたんじゃないのか>
ガルドは思わず歩みを遅くした。Aはここの運営を円滑に進めるため作られたのではないのか。田岡のためにサルガスが。ガルドのためにAが。そして榎本やマグナ、ジャスティン、夜叉彦やメロにもそれぞれ一体ずつ支援の存在がいるのだ。
<それは違うのでね。ボクはキミのために生まれ、存在し、その上でお金が欲しいのでね>
<……訳がわからない。壊れてる? ここじゃない場所で使われていたのか? 再利用品、か。だからサルガスのデザインがあんな……>
ゲームではよくある話だ。
裏で走るシステムは同じだが、名詞やデザイン、イラスト、音楽などは模様替えのように塗り替えてリリースする再利用ゲームというのが存在する。フルダイブでは顕著だ。感覚再現は一から作るよりよっぽど流用した方が安く済む。グラフィックさえ変えれば感じるものも大きく変わるため、普通のモニター系ゲームよりバレにくいらしい。
「おいガルド、あんまり気ぃ落とすなって。どいつもこいつも太い奴らだ。今回聞いただろ? こいつらの社会不適合ぶり」
榎本が数ミリだけ高いガルドを見上げながら言う。ガルドはいったんAに<あとでまた聞く>と返事をし、話を切り上げた。
隣では頭を大きく横へ振りながら、榎本が落胆している。
「帰りたくない奴がこんなにいるなんてなぁ〜。俺らの覚悟の意味……」
「はー? 聞き捨てならないですねー」
榎本の元でバイク作成を行っている男が振り返って文句を言い出した。
「帰りたいですよ? 普通に。ですけど、ここは夢なんですよ」
「夢?」
「チョモランマみたいなもんです」
「最高峰の登山ならもっと別タイトルがある」
「あーもー! じゃあスイス連峰でいいですよ。そうそうビザが降りない山。一度降りたら次来れるのが何年先か、もしかしたらもう二度と入れないんじゃないか、って感じの」
「わかる」
「でも日本食だって恋しいし、家族にだって会いたいし、榎本さんの言う通り『このタイトルに果たしてそんな価値があるか』って言われるとちょっと……自分にとってはそうでも、他のユーザーにとってそうだとは限りません。その差が、我々の温度差だ」
ガルドは首が痛くなるほど頷きたくなるのを必死に我慢した。小さく頷くだけにする。
「おおっ!? 陸、お前すげぇゲーマーじゃねぇか。で、フロキリはそのお眼鏡にかなったってことだろ?」
榎本がバイクのハンドルを半分離し、ぐらぐらと蛇行しながら騒ぐ。陸と呼ばれたエンジニアの男は悲鳴を上げた。
「ぎゃー! 壊さないでくださいよ!? 試作機一個一個にどれだけのボーン素材つぎ込んだと思ってるんですか、もうっ!」
「何騒いでんだよ。王がどうしたって?」
「おい聞けよ雅炎! 一回引退したくせに大会あるからって戻ってきたと思えば、案外ハードなこと言いやがってコイツぅ〜!」
「違う、引退はしてない。新作に入り浸ってただけです。メインが変わっただけです」
「えー? ぱったり来なくなって、ブルーホール伝いに誘ってやらないと空港にも顔出さなかった癖に」
「た、たまには会いたいですから」
「どうせ空港まで生ツーリングでも、とか考えたに決まってら」
榎本がハンと笑う。ガルドにはそれがどうしてもひがみにみえた。
100年前と違い、今はガソリン価格が高騰している。よってガソリンエンジンを使ったオールドバイクのツーリングといった、電気で代替できない類のものは貴族の趣味になりつつある。少なくとも榎本の収入ではまず無理だ。維持費と税金、メンテナンス可能な工場の減少が需要に釣り合わないための工賃高騰。そもそもツーリングとフルダイブゲームを同時に楽しめる余力のある彼は、よほど経済的に余裕があるのだろう。
雅炎がひがまれている男を庇う。
「とっかえひっかえタイトル移るプレイヤーなんてごまんといるだろ。どっちかと言えば王も廃ゲーマーだよな。中卒だろう?」
「ちょっと、高専中退ですからね? 高卒より長く勉強はしてましたから」
「ゲームのし過ぎで自主退学だろ? ダブりすぎだって」
「は? うわ、見えねぇー! はははっ! マジかよ!」
榎本が指をさして爆笑している。
「んでもって浮気性。カマトトぶってみえるがその実、かなり手が早い」
「それゲームの話ですよね雅炎さん! 女遊びしてるみたいな言い方して! 悪意込めないでくださいよ」
「事実だろ?」
「榎本さんには負けます」
「はっ!? げ、飛び火っ!」
榎本の悲鳴に周囲からはどっと笑いがおきるが、ガルドは雅炎が使った「カマトト」の意味が分からず首をかしげた。
いじられている男を呼ぶ名前にもばらつきがあるようだ。高専を中途で退学したらしい彼を、榎本は陸、雅炎は王と呼んでいる。
陸と王が付く名前なのかとガルドは彼の側に寄った。価値観が榎本やガルドに近いらしい彼は、確かに見た目だけで言えば「見えない」と榎本が言うのも納得の装備だ。忙しく装備強化がおろそかになっていたボートウィグも弱い見た目をしていたが、彼はそれを超える、ほぼ初期装備の遠距離用鉄鎧で身を包んでいた。
「新作って?」
「ぅひゃい!」
変な声を上げてバイクのハンドルを落としかける陸に代わり、ガルドはハンドルを片手で握って支える。
「おっと」
「あああ、すんません!」
突然挙動不審になった陸に首を傾げつつ、ガルドは空いた右手をバイクの向こう側へ伸ばした。フレンドシップを結ぶアクション・握手を求める。脳波感受で対象である陸へ向けて「握手したい」と思うと、そのままフレンド申請としてメッセージが自動送信された。
陸はバイクのハンドルを完全に離し、両手を太ももでゴシゴシ拭ってから右手を伸ばした。そっと左手を添えつつ、深々とお辞儀をしてくる。
「ごっ、ごごご挨拶が遅れまして! よ、よっよろしく願いますっ!」
鐘の音が一突き鳴り、フレンド管理画面が自動的に目の前へ飛び出た。
彼が設定している挨拶ポージングと現在の装備が頭から全てイラスト風に表示され、ページを捲れば戦績がグラフになって出されている。ガルドは名前の欄を探した。
「……陸王」
「はいっ! あ、みんなには陸と呼ばれてます。あの人だけ茶化してるんですけど」
陸王と表示されている。確かに呼びやすいのは陸の方だが、陸王でも呼びにくくはない。従う榎本は常識的で、ちらりと陸王に見られて「にっひ!」と笑う雅炎は奇抜だ。
「あっれ、初めましてだったのか?」
「言うて榎本もほぼ初だったろ」
「……二年半ぶりのアバター姿ですし、まぁ……」
「なるほど」
見たことがないのも納得がいった。プロフの所属ギルド欄はヴァーツになっている。来るもの拒まずで幽霊部員も多かった旧ロンド・ベルベットの構成員だったのだろう。ガルドが会ったこともない同ギルド所属プレイヤーなどごろごろしていて、しかし相手側には、前線六人の一人として大剣使いガルドの顔と名前はよく知られている。
「お噂はかねがね」
嫌なものも妬みもひがみも含め、いろいろ言われていることだろう。ガルドは当たり前なことに頷いた。
「よく言われる……どんな噂だ」
聞いたのは陸にだったが、声を上げたのは別の男だった。
「凄腕ヘビィパリィ!」
榎本だ。褒めているのか揶揄しているのか分かりにくい。
さらに、歩調を遅めて近づいてきたJINGOが割り込んでくる。
「よっ、ムキマッチョゴリラ」
こちらは明らかに悪意がある。ガルドは肩を大げさに動かしてアメリカンなリアクションをとった。ニヒルに口端を釣り上げて笑うと、比例するようにJINGOはつまらなそうな顔をする。嫌がると思ったのだろう。ガルドはゴリラと呼ばれ慣れていて、それほど嫌でもなければ嬉しくもない。
「ナイスバルク!」
榎本は負けじとガルドで遊びだした。
「肩に東京タワーでも乗ってんのかぁ!」
「背中に鬼神背負ってるぅー!」
雅炎も便乗して笑いながら掛け声をあげた。慌てた様子で陸がゴマをする。
「ああー! いやぁ、ほんとすごい噂ばかりで! ええ!」
「慣れてる、大丈夫」
「……あの、ほんとにボディビルダー、なんですか?」
「陸」
「ぅおあっいや、いや、冗談ですーっ! 榎本さんたちも冗談なんですよね!? いや、随分手馴れて聞こえて……」
「なら脱ごう」
ガルドはいたずら心のままに装備を非表示設定にした。極寒の雪原が広がる中、背中から少し宙に浮いた黒い大剣と、肌に一体化しているふんどし以外全て透明になる。
榎本と雅炎が口笛を吹いてはやし立てた。JINGOは指をさして笑ってくる。
「ふん」
見よう見まねのポージングを決めながら歩くガルドに、バイクを挟んで隣を歩く陸王が面食らった顔をした。そして次第に緊張感を緩め、最後には歯を見せて笑いはじめた。
「あは、あはは! わぁ! ガルドさんって案外話しやすくてフレンドリーですね!」
陸王が嬉しそうに笑う。ガルドは気恥ずかしさで硬くなった笑みを隠すことなく、アバターの顔へ反映させた。
プレイヤー待機施設エリア、氷結晶城。
エリア入り口の郊外はひとっこ一人いない。出迎えも皆無だ。やっと帰って来たとは思うが、位置的に離れていないためか、長旅をした達成感はない。
「じゃ、寝るわ! 惰眠をむさぼって夜叉彦くんに合流するわ!」
熱海湖は意気揚々と鈴音のギルドホームへ帰っていった。半透明のドア型転送ブースから飛んでいくが、建物の様子はギルド違いのガルドには見ることができない。熱海湖だけでなく、ヴァーツ所属のDBB達もガルドとは別のギルドホームへ帰っていった。
ヴァーツはこの世界へ閉じ込められてから作られた新規ギルドで、ギルドホームは細かく区割りされて個室になっている。招かれて一度入ったことがあるが、基本は元々のロンド・ベルベットと同じデザインだった。
ヴァーツのギルドホームは、シックで大人びた内装の室内を区分けし、ネットカフェのようなブースが細かく設けられている。ギルドマスターに選ばれたケットシー種の双剣使い・吟醸ちゃんのスペースだけは畳四畳ほどあり巨大だったが、あとは二畳あるかないかだ。狭くても他人の目を気にせずゴロゴロできれば良いと笑っていたが、サンバガラスの広すぎる亜種ギルドホームに比べれば雲泥の差だ。
そういえば、鈴音のプライベート事情はどうなのだろうか。ガルドは少し興味がわいた。
鈴音舞踏絢爛衆が正確なギルドネームだ。彼らのギルマスは熱心なベルベットのファンで、彼女の引退と同時にログイン率を大幅に減らしている。
その際、ログインが最も多いMISIAがサブマスとして権限を大幅に得たらしい。ギルドホームの「模様替え」機能はMISIAが持っている。
「個室、あるのか」
他に誰も歩いていない無人の石畳を、ガルドとボートウィグだけがフル装備で歩く。長期のダンジョン攻略で食事の娯楽がなく、温かいものが食べたかったガルドは、ボートウィグと一緒に食事をしようと青春亭へ向かうことにした。連絡を入れれば仕事中だった他の住人達も続々「後で行く!」と返事をくれている。
右目の端にチャット画面を避け、ガルドは左を歩く獣耳を見た。身長差で後頭部と耳しか見えない。
道中プライベートルームについて尋ねると、赤毛の犬顔は満面の笑みでガルドを見上げて「あるっすよー」と答えた。
「女の子多いからMISIAも結構配慮してるっす。がっつり女子広めの不公平な二分割してて、女の子はどっちも入れるっすよ。男は女子エリアには立ち入り厳禁というか、設定で入れないようになってるっす。MISIAが権限持ってるんで」
「そこまでか」
「MISIA、夜叉彦さんのこと大好きなんで。女性の扱いとかも準じてるっすよね。ツンのせいで姉御っぽいっすけど」
「……MISIA本人はどっちだ」
「……サブマスだから、どっちも入れるっす」
ボートウィグも神妙な顔をしている。ガルドは感想も述べずに頷いておいた。偽り続けているガルドには、ネカマを明かしている面々へ意見を言う資格などない。
性別の境界線が曖昧なネット上では、自認と自称が性別になる。
被害にあう側になりやすい鈴音所属の女性たちは悪意ある自称に敏感で、ベルベットやMISIAのような「弱者に見える存在」には優しい傾向にあった。
「ま、閣下とはちょっと似てるカンジっすよね。MISIAがリアルは男でも中身は結構ぼんやりしてるって、有名な話だし。鈴音の間ではもう当たり前に浸透してるっす」
「配慮し合ってるのか」
「ぶつかりながら、っす」
空き瓶が転がる道の角を曲がり、深い緑の分厚い葉がしげる生垣に沿って歩いていく。相変わらず青い椿は永遠に美しく咲き続けていて、季節感の欠片も無い。
「ぶつかって、角が丸くなった川の石みたいになって。ようやく自分の居場所に収まるような一般人なんすよ、鈴音もヴァーツも。閣下たちはすごいっす。リスペクトし合って、でも自分をへりくだらないなんて」
「自然にできる」
「……でもそれ、ベルベットさんの影響でかいっすよね」
ガルドは目の前に立ちはだかる扉を見つめた。
重厚で古めかしく、使い込まれたような質感のオーク材でできた扉だ。ソーダガラスがぶ厚すぎて店内の様子は見えない。
「……ベルベットが、引退していてよかった」
「閣下」
「空港に居なくてよかった。誘わなくてよかった」
ガルドは小声で、確かめるようにつぶやいた。
「……もう帰ってこないっすよ、あの人は」
ボートウィグが低い声で言いながら、青春亭のドアを押して中へ入っていった。




