352 百合の香り
人間以外を信じるな。
ガルドはAと関わる日々の中で、機械の発想を体感的に覚えていった。シンプルな構造だが、人間とは明らかに違う異質なロジックで出来ている。
時にとんでもない裏切り方をし、簡単に解釈を180度ひっくり返し、それでも根底の主目的を忠実に守るのが機械の思考だ。心などない。
Aは忠誠心と表現したが、なんてことはないただの、ロジカルな優先順位の意味での抽象表現だった。
だからガルドは、Aを信じた。
優先順位が高いはずの他の命令を、ガルドの一声で一切合切切り捨ててみせたAを信じた。こいつの根底は佐野みずきで間違いない。だからそれ以外の機械は信じない。ガルドはそう断言した。
優先順位がガルドら被害者陣営より高い「人間」がいるはずで、ガルドや被害者陣の命令を無視するよう「ご主人様」に命令されれば、例えばガルドを殺してでも遂行しようとするだろう。ロボット三原則など幻想だ。実際こうして、拉致という形で危害を加えられている。
信用など出来るはずがなく、それはつまり敵という意味だった。
「AIを理解なんて出来ない。狂ってると思え」
「は、はい! ガルド様がそうおっしゃるなら、そう思いますの!」
阿国があっさり頷くのを、他のメンバーが「おいおい」と止めに入った。
「理屈は分からなくもないけどさぁ、ガルド……無茶だよぉそんなの。全部の回線ぶった切って安心なケーブルだけ残すってことでしょ?」
「ああ」
「いくらなんでも」
公司が激しく頭を縦に振る。JINGOもDBBも半信半疑だ。
「難しくてもやりますの。ワタクシを誰だとお思いで!?」
「お嬢様、あまり無茶をしすぎますと旦那様に……」
「ばあや、ばあやったら! ダメよ、これは人命に係わることですの!」
「……民間人である我々には、少々荷が重いかと」
「金ならいくらでも出しますのーっ!」
駄々をこねて婆やを説得し始めた阿国の身体がブンと揺れ動く。
「……ノイズ?」
「お、おい阿国。ボディ、超ラグってんぞ」
雅炎がおずおず言うが、阿国は無視したまま婆やに食って掛かっている。
「お父様にもちゃんと説明しますのー! いいでしょばあや!」
「お嬢様ご自身がおっしゃった通り、人命が関わることでございます。我々の手には負いかねます。婆やは反対でございます……どこか公共の機関、それこそ国連などに……」
「わからずやー!」
「なんとでもお言いなさいませ」
「えーん!」
そうこうしている間に阿国と婆やのアバターボディが砂嵐のように乱れてきた。ガルドは慌ててフレンドリストを開き、阿国と婆やにフレンド申請を送った。受託が来るより早く、一方的に送信できるメッセージに大会合で使ったデータを投げた。
阿国と婆やのログインが「オーナー」にバレて、まだ三十分も経っていない。
「捕まえられないなら追い払う、よな……」
<A>
<ご明察。管理者権限での強制ログアウトだね。『そこに存在することを弾く』ものだね>
ひたすらデータを送る。こちらの状況、合流できていない被害者のこと、二人の非ゲーマーが消失したこと。三橋が来て方針が「救助を待つ間、みんなで心を穏やかに」へ変わったこと。ぷっとんと田岡の再会で田岡事件の捜査が再開したこと。置いてきたリアルの家族へメッセージを集めていて、田岡伝手に少しずつ送ろうとしていること。
そして、田岡を通じて送れなかったこと。
<阿国、このデータはお前にしか託せない。自分をみずきだと知ってるお前だけにしか>
聞こえているか分からないが、そうメッセージを付け加えた。
父と母へ。
佐野みずきは幸せにやっていけてる。だから「もう嫁に行った(死んだ)とでも思って忘れてほしい」と。
心配をかけたくない一心で、ガルドは佐野の家族へ言葉を残した。不出来な娘でごめんなさい。父さん、母さん。どうかお元気で。
ガルドがそう送ったころには、阿国も婆やも声すらまともに聞こえなくなっていた。
「ガルドサ/ザザ/マッ!」
ノイズがひどい。
「阿国、リアルを頼む。こっちは任せろ」
あんなに真っ赤になって照れていた阿国が、いざ回線切断されるとなった途端に涙声で走り寄ってきた。
「うおっ!?」
側に立っていた榎本と雅炎を突き飛ばし、ガルドの身体に縋り付いた。
「阿国、絶対捕まるな。頼りにしてる」
ガルドの胸に飛び込んできた阿国は、マゼンタやシアンの粒に分解されながら必死にガルドの背中へ手を回してきた。顔を大胸筋にうずめ、真っすぐ艶やかだった黒髪をモザイク状のノイズに潰しながら振り乱す。
「エエ/ザザ/エエ!ワタクシ、オソバ/ザザッ/ソチラ/ザ ザ /行きますの、離れたく/ザザ!」
「希望が見えた……ありがとう」
回線を生かしてくれさえすれば逆探知が可能だ。さかのぼれば必ずサーバーの場所に、そして有線で繋がっているらしいロンド・ベルベットの身体が置かれている場所にもたどり着けるだろう。そこにはAがいる。腹に一物抱えているらしいAが、必ずリアル側でも協力してくれるはずだ。佐野みずきのためになることしか言わないAならば、リアル側でもガルドを助けるだろう。
阿国にその最初の一歩を託す。ほっそりとしていてノイズだらけの阿国の背中を、ガルドはゆっくり抱きしめた。
感謝を込める。ノイズとラグで人の形を保てていない阿国に伝わっているか不安だが、今のガルドに出来る礼はこれぐらいだ。
「嫌、イヤ! ズットココニ/ザ ザザザ/のっ! ワタクシあんな現/ 現実世界、ガル/ザ ザ/ナイナンテ イヤ デスノニ/ザザザ・ザ・ザ……」
「助けを待つ。だから」
「ザザザ/ガル 」
もうほとんど聞き取れない。ガルドの腕の中にある阿国の温かさもなくなり、柔らかさの再現も消え、ただの空間としか感じなくなってきた。
外との突発的な繋がりが、強引に引き裂かれていく。
「元気で」
返事はない。ぶつりと線の切れる音とともに、阿国と婆やのアバターは掻き消えた。腕を中途半端に浮かせたガルドは、ゆっくりと名残惜しみながら腕を下ろす。
「……いいのか、ガルド」
「ん?」
榎本がシリアスな顔でガルドに声をかけた。
「アイツ、何やらかすか分からねぇぞ」
阿国のことを指しているのだろう。確かに何をするか分からない女だ。住所を暴かれそうになったこともあれば、つけまわされたストーカー被害の経験もある。
だが、何が何でも阿国自身が敵の手に落ちないよう、ガルドが出来る指示はあれぐらいしかなかった。
出来ることならなんだってしようと、ガルドは真面目に頷く。
「責任はとる」
「ッハ、籍でもいれるってか? やめとけ未成年」
首をかしげてガルドは榎本を振り向く。腕の温かさが急速に冷え、ガルドをもの悲しくさせた。相手は阿国とはいえ、情も恩義もある。籍というのが冗談だと分かっているガルドは、真面目な意味で責任を口にした。
「いや、逮捕されるなら少年法がいい」
「そっちかよ」
「大将、斜め上だなぁ」
「っ!?」
「げ!?」
榎本と揃ってギクリと肩を震わせる。そういえば雅炎が側にいた。無表情を演じながら様子をうかがうと、よくわかっていない様子で「阿国ってそんな若いのかぁ」と笑っている。ガルド自身が罪を負って未成年を盾にするつもりだったが、雅炎には思いもよらない事実だろう。
「じゃあ大将、阿国のアレさえなければ最高なんだな。うらやましいこった」
「なにがだ? 雅炎」
「金持ちのお嬢様なんだろ? で、噂によると美人だって話だ。ゲームの話題も完璧で、なによりアンタにベタ惚れだ」
「だ、ダメだダメだ! あんな犯罪スレスレな女!」
「てめぇにゃー聞いてねぇよ、榎本ぉ。ひがみか?」
「相棒をあんな魔の手にさらす訳ねぇだろが!」
「我が好敵手様は大将の一体なんなんだろうなぁ。相棒にしては束縛強いんじゃねーの?」
「ぐっ!? いやいや、お前の方こそ別にライバルでもなんでもないし……それこそ雅炎、テメェの方が俺につきまといすぎだ」
「はあああ!? オレのことライバルだって言ってただろ!?」
「いつの話だ、いつの。十何年前の別タイトル時代のことだろうが」
鼻下ヒゲのイケメンオヤジとアゴヒゲの筋肉オヤジが言い争いはじめ、周囲の面々もグダグダと雑談をし始めた。まるで緊張感がない。ガルドはこっそりと右手で鼻と口を覆った。何か考えているような顔をしつつ、鼻で息を吸う。
抱きしめていた阿国が普段からアバターに設定している、百合のような優しい香りがまだ残っていた。
「ガルド様、ガルド様ガルド様ぁっ!!」
絹を裂く悲痛な叫びがこだまする。
「あああ、あああーっ!!」
「お嬢様、落ち着いてくださいまし」
<弾かれた!? ンダぁ!? こりゃ……おい久仁子! お嬢様! 戻ってきたんかー!? 返事しろ!>
「うう、ううあああ!! クソが! 分かってますの! ぶっ殺す! ものども!」
<アイアイ!>
<久仁子ォ、しっかりメット被ってSP貼り付けとけよぉ~!? っひひ、ドローンの可能性を忘れンな。おめぇさん、これから狙われるぜぇ>
「生身の心配は要りませんの! 逆探知っ! してますの一っ!?」
<叫ぶなって。してるしてる。後をつけつつ、危ないオクスリ注入してやるぜェ。チクっとな>
<ギャンさん、カノジョ出来てから医療ネタ増えましたよね……>
「クッソどうでもいいですの! ばあや、車! 急いで海に行きますの! 貴方がたはコレを載せますの! 駆け足!」
「はっ」
「かしこまりました」
「お嬢様、海とはどこの海です?」
「とにかく出発しますの。この線を辿って、ガルド様がおっしゃる通り、この島のネット保守会社の中継線を掌握なさい。あと連絡! お父様と、お父様に頼んでパイプを……」
「先ほど言いました通り、一民間人には無謀なことにございます。我々は法を犯して免れる立場にございません」
「戦争なのよ!」
「お嬢様……」
「これは戦争! 昔からそうしてきたように! 殺人さえも正義になる……それこそリンチも、拘束も、脳を暴くのもなにもかもなにもかもっ!!」
「我々は虐殺を行っているわけでも、行われているわけでも、ましてや戦争犯罪に手を染めるわけでもございません」
「それを決めるのは、終わった後のワタクシたちですの」
「……できうる限りは行動しましょう。あの一本の線が、お嬢様だけでなくあの人たちの希望でもあるのですから」
「ばあや……ありがとう!」
「ですが九郎さまを通さないのはいけません」
「分かってるわ、ばあや。ちゃんと報告はあげますの……回線保護が完了した後にでも」「お嬢様」
「だってだってアイツ田岡のことばっかりで他の日本人なんてどうでもいいとか思ってるに決まってますの! じゃなかったらあそこで引き上げたりしませんのっ! 田岡の回線をハッキングさせてくれないのもそうですの!」
「田岡さまの発言のお陰で情報が流れているのですよ? もっとあの方も大事になさいまし、お嬢様」
「フンだ! ガルド様をオトリになんて使わせませんの。だから九郎には事後報告! あとのことはPMCに任せますの。軍人なんて信用なりませんの。多国籍軍の現場責任者には引き続き圧力と、『日本への隠蔽工作を指示したのはアメリカ側だ』と反論を。尻ぬぐいだか汚名返上だかなんだか知りませんが、活用できる言い分は使い倒しますの」
「では、晃五郎さまを通しては? 旦那様とは旧知の間柄でございますし、お嬢様もお会いになったことがありましょう?」
「……なるほど、政治筋ということね」
「日電の晃九郎さまには極秘裏に、なのですよね? でしたら最適かと」
「外交的にも良さそうですの」
「ではそのように。参ります、お掴まりくださいまし」
「え!? ちょ、ばあやどこに向かうつもり!?」
婆やはこめかみから垂らしたコードからいくつかのデータを久仁子の端末へ送信した。
「……お嬢様がおっしゃったことでしょう。この地のネットを保守する会社が所有する構造物が海岸沿いにございます。おそらく海底線中継施設ですね。この線のココから、試験用の信号を流すようにそこのドイツ人技術者へ指示いたしました。彼ならば情報漏洩の危険はないでしょう。ドイツとアメリカは現在情勢が不安定ですし、我々には借りがあるでしょうからね。信号の生えている線だけを残し、あとは『故障』で断すれば良いだけでございます。迂回路や海底中継器へのダミー送信は彼らに任せましょう……一旦、地上へ戻ります。配下の者に現在現地図と机上の線路図をハッキングさせております。得られた情報と合わせて、保守会社所有の建物に侵入、依頼した試験信号を確認できればココと繋がる線を把握できますので」
「ま、待ってばあや……パンクしちゃう……」
「後は中継側で切り取り、物理的に海底からの引き揚げ管路を守れば完璧でございます。海底には国際機関の保守ドローンが巡回しておりますのでご安心を。あとは無線回線でございます。こちらは物理的に中継基地局を潰すのがよろしいかと。衛星はジャマーキャンセラーのキャンセラーを……」
「わ、分かったわ! 一任します! さ、さすがねばあや。さすが、お父様が信頼を寄せるエキスパートばあやだわ」
「うれしゅうございます。まぁ、ほとんど通信越しの『龍田様』によるお知恵でございますが。ささ、シートベルトを」
「ばあや、安全運転でおねがいよ?」
「……」
「ばあや!」
「このイエロースーツは対衝撃・対NBC(生物兵器、化学兵器、核兵器、放射能兵器)・対破壊工作仕様でございます。交通事故くらいどうってことございません……とのことです」
「嫌よ!? さっきみたいなのはもう嫌! 怖いんだから! ばあやだって怖いんでしょう!?」
「落差が苦手なだけでございますゆえ……高いところじゃなければ大丈夫です。ガルド様の勇ましさを見習いくださいまし、お嬢様」
「……ぐうの音もでませんの」
「参りましょう。若旦那様のご依頼、完遂してご覧にいれましょう。一族に加わる新たな主のために!」
「や、やだわもう、ばあやったら……ガルド様とは結納もまだですの。き、気が早いですの! プロポーズはエベレストの頂上がいいですの」
「お掴まりを」
「へっ?」
アクセルがベタ踏みされ、ギュルギュルとタイヤが空回りする音がする。ハンドブレーキを外す軽い音と、低く唸るようなエンジン音が続いた。
「あー待って待ってシートベルト……きゃああっ!?」
久仁子は慌ててシートベルトを締めた。




