34 加速装置は夢物語
鱗が生えた小さなアルマジロのようなモンスターが、コロコロとビー玉のように辺りを転がっている。鱗は茶色なのだが、よく見るとヒョウのような模様をしていた。真白の銀世界に包まれるこのゲーム内では珍しい、緑の大地に生きるモンスターだ。
雪解け水が流れこむ、緑豊かな湿地帯エリア。そこに、ぬかるんだ地面をかき分けるように進む一団がいた。半分泥のようになっている地面を歩いているため、粘着質な水音を立てながらずんずんと進んでいる。歩きづらい地形を勢いよく駆ける様子は、まるで行軍だった。一緒にアルマジロも蹴飛ばしながら豪快に進んで行く。
「作戦に変化なし、今回も場を作ってからだ。あとは自由にしろ。ふざけすぎるなよ?」
「はいよ」
「あれどうする?」
「ああ、最初チャフ頼む」
「メロー、悪い、エンチャント頼むわ」
「ほいほい。ま、それも今回で最後だね」
「いやぁ、お手数おかけしました」
「まだ終わらないかもな。運だろ、ドロップするかなんて」
「おおう、そうだった」
湿った地面を踏み抜く耳障りな泥の音と、キャラクターが歩行するときに鳴る装備のSE、そして自身の声と機械音が混ざったキャラボイスの緩やかな作戦会議が混ざりあう。
今回のクエストは、彼らの実力からすればタイムトライアル程度の難易度だ。今更このクエストに挑むのは、一番新入りの夜叉彦に原因があった。
「なっ、おい夜叉彦! 印スキルまだ取ってないのか!?」
「へ? あぁ、あれ大変だからさぁ。欲しいとは思ってたんだけどね」
「欲しい? 必須だぞアレは!」
「ええ〜?」
八時間ほど前に遡る。
オフ会が終わり、普段通りの生活が戻ってきたギルドのホームでマグナが珍しく声を大きくした。メンバーのステータスを総ざらいして、世界大会対策の訓練計画を立てているところだった。ジャスティンは家族サービスとやらでログインしていない。
「印スキルなぁ。早めにとっといたほうがいいんじゃないか?」
ホームのソファに深く体を預けながら、自分の装備一覧を開いていた榎本が口添えする。すぐ隣にがっちりとした前傾姿勢で座るガルドは、ギルド共有のアイテムボックスを開き、不要なアイテムを売却しながら話に耳を傾けていた。
印スキルというのは、装備に一定時間属性を纏わせることができる「時の印」スキルのことだ。二年ほど前のアップデートで導入されたが、取得のためのクエスト難易度が高く、プレイヤーの所持率はかなり低い。中堅ギルドや上位の非戦闘系娯楽優先ギルドなどは持っているほうが珍しいほどで、それほどに面倒なクエストだった。
どの武器でも使用できるのが売りだが、誰もが持っていては確かに面白みはない。そんな運営の意図は分かる。ガルドはしみじみと二年前を思い出し、夜叉彦とメロを交互に見た。
圧倒的な利便性は、使う夜叉彦のためではない。
「ちょうどいいから取ってよ! エンチャントスキル、どれだけ燃費悪いと思う? 大変なんだよー!?」
「はは、いつもゴメン。あれ、そういえばどれくらい消費するんだ?」
「十八パーセントだよ!」
「え」
「印スキル使うと、魔力消費無いんだよね~。いいなぁ、全然違うだろうな~」
「い、いつもありがと。すぐ取りに行くから!」
「やりぃ! っていうか、最近エンチャントサボってたから人のこと言えないけどねぇ」
「夜叉彦の被弾率が徐々に上がってたの、それか。たるんどる!」
「えーだって余裕ないし。無くてもいいじゃん」
「世界を相手にするなら必須だ。すぐに取りに行くぞ!」
およそ二割のMPを持って行かれるエンチャントというスキルが、印を使うとゼロパーセント、つまり「MP消費無し」になるのである。
ガルドは沢山ある属性の一つだと考えているが、それなりに噂を信じていた。
背中の剣をちらりと振り返る。大剣には水属性がすでにつけられ、相性が良ければ大ダメージを狙えた。不利になることが少ない便利な属性で、ガルドはかなり気に入っている。だがどうしようもない敵も中にはいる。
アイテムボックスの武器欄には、各属性のお気に入り武器が何種類もストックしてあった。
そして仲間たちが夜叉彦に諭した「時属性」は、どんな装備にも存在しないたった一つの「スキル由来属性」だった。
光のエフェクトも無くダメージも無い。よく分からない謎の属性だと一般プレイヤーには認知されている。使っているのは一部の真剣な面々だけだ。
曰く、「なんとなく敵がスローに見える」のだという。
実際使用しているプレイヤーは実感できるが、数値としては何も出てこない。公式からは「プレイヤーを効果的に支援する属性」としか紹介されなかった。ガルドはソファに背中をどしりと預け、そのころの噂を思い出す。
フルダイブゲーム専用のSNSを中心に広がった認識では、その「スローに見える」という現象そのものは眉唾もの、噂の域から出ないデタラメだとされていた。
オンラインゲームで自分だけ敵がスローに見えるなど、タイムラグ以外に考えられない。リアルタイムのゲームで敵の動きを遅くすれば、周囲にいるプレイヤー全員にそう見えるはずである。
個人に「他より自分が加速するという演算処理」をしているとは考えにくかった。市販用フルダイブ機の性能では、脳を経由して視野や聴覚、味覚、嗅覚などに若干の影響を与えることしかできない。
人に時間を超えて物事を認識させる、などができるとは思えない。ガルドはニコリともせず、仲間たちの身支度を眺めた。
加速装置など、まだまだSF世界の話だ。
細かく描写しませんが一応HPとMPがあり、スタミナのようなゲージは無い設定にしています。




