337 夢であるように
城下町の二の丸に当たる広い中腹、ただ広いだけのイベントスペース。少し小高くなっているステージの上で、レイド班の一人がコンソールを操作していた。
ガルドもそれなりに話す男性プレイヤーだ。オンラインゲーマーには珍しくない体育会系なノリで、榎本と仲が良い。むしろ榎本がいるからゲームをしていると言うべき男で、ガルドとはその共通の友人に関する話題で盛り上がることが多かった。
彼が指を一回滑らせると、真っ白で装飾一つ無い豆腐のような箱が一つ上空に現れ、ドスンと落ちてきた。白い箱は机で、足元が見えないよう隠されているが、同じ色をした箱型の椅子も収納されている。壇上で座るための個人席セットだ。それがまずは六つ並べられる。
加えてスタッフの男は、指を二回横へ滑らせた。少し離れた場所に二つ席が現れる。
「司会席も一個おねがーい」
「あいよー」
遠くから指示を叫ぶ声がした。見ると、夜叉彦が陣頭指揮をとっている。
この三週間で五人は少し変わったように思う。ガルドは乾物のスルメイカゲソを噛みながら様子を傍観した。
着流しの着物型装備を翻しながら、夜叉彦が周囲をくまなく見回っている。指をさしながら檄を飛ばし、女性プレイヤーひとりひとりに優しく声をかけ、ふざけて遊ぶレイド班の男たちを蹴り飛ばしている。
「なに遊んでんだー!」
「出た辻斬り」
「叩き切るよホント!」
「わ一にげろ一」
「ギャハハ」
「夜叉彦も遊ぼうぜ~?」
「真面目にやれ!」
夜叉彦は少し、周囲への当たりが強くなった。
反動なのだろうか、女性に対する紳士ぶりは加速している。それが一年の間隠していた素の夜叉彦なのか、それともストレスで人当たりが悪くなった結果なのかはまだ分からない。周りの被害者であるロンベル・レイド班男性陣も、なんとなく荒れている夜叉彦を理解しているらしく、笑いながら夜叉彦の悪態を受け流していた。
広場の隅にはジャスティンが立っている。声は聞こえない。いつも激しいはずのジェスチャーもない。
以前ならガハガハと大口を開けていつでも笑っている彼は、この三週間で突然無口になった。周囲に話しかけられれば、以前同様大声で笑いけたたましく喋りだす。だが、一人で無言のままボーッと立っていることが増えた。
ふさふさのテラコッタ色をしたヒゲで見えないが、笑いもせず、無表情で腕を組んで周囲を眺めている。
「ジャスティーン!」
そこへ仲の良いあんどろうが駆け寄ると、普段通りの表情に戻った。
「む、あんどろう! 場所取りは済んだか?」
「絶好の真ん前取ってきた! まんまえだ!」
「おお、やる気十分だな! 寝るなよ? お前すぐ寝そうだからなァ!」
「授業は半分寝ながら聞くもんだぜ」
「がはは!」
笑い声を聞いてガルドは少し安堵した。ジャスティンの良き友人に心の中で賛辞を送りながら、ガルドはスルメを奥歯ですりつぶして噛み切った。
口の中いっぱいに旨みと塩味がじゅわりと広がる。美味い。さすが最新タイトルの味覚表現は違う。ガルドはやめられなくなり、もう一本スルメを茶紙袋から取り出した。長いゲソを一本。ロからはみ出るが、気にせず咥えたまま歩き出す。
「司会なんて聞いてないよーぉ!」
広場の入り口付近から、聞きなれた声が困った声を上げている。
「上手いだろう、お前」
見ると、マグナとメロが何事か打ち合わせをしているようだった。近くにはぷっとんや三橋、ぷっとんの部下四人も立っている。
「う~、確かに町内会のカラオケ大会、連続十回くらい司会してるけどさあ~」
「プロじゃん」
「プロだな」
「すごいですねー」
「流石です」
「うっわみんなして何? 突然台本もなしにそんなの無理ぃ〜!」
「ほら台本」
「うっさい持ってるよ進行表ぐらい!」
ペしり、とメロが空中のポップアップ画面を叩く。半透明で透き通っている画面は手を通過し、そのままぷかぷかと浮き続けた。それをマグナが脳波で閉じる。
「なら出来るだろう?」
「台本と進行表ちーがーうー!」
メロが地団駄を踏む。
ガルドへ大人っぽい年長者ぶりを発揮した三週間前と違い、ここ最近メロは一気に子どものような態度をとり始めていた。周囲の鈴音が「幼女メロ」と影で呼び始めたが、思わずガルドも領いてしまうほど、メロは「おませな女児のようなワガママっぷり」を発揮しはじめている。隠そうともしない原因に、ガルドだけでなく周囲の全員が、幼女化を生暖かくハラハラしながら見守っている。
メロの手には今も、ハイネケンの瓶が握られていた。
水を飲むことなく、メロはずっと酒を飲み続けている。24時間酔っているのだ。再現力の向上で酒が美味くなったからだろう、との予測をレイド班の面々から聞いた。
それがうわべの理由だと、ガルドはもちろん知っている。飲まなきゃやってられない、というやつだ。
「よし、あとはぷっとん、お前の説明演説だ。覚悟はいいな?」
「分かってるってぇ」
「三橋」
「はい!」
「久世、大谷、山瀬、叶野」
スーツ姿の四人が声を揃えて「ハイ」と答える。
マグナは三週間の間に、何故か不動の地位を築いていた。
ぷっとんがマグナの指示に従う形に収まったのが最初だ。三橋はそのぷっとんの下に。
スーツを着た四人、情興組は元々ぷっとんの下で働く公務員としてそのまま上司に従っている。
いつのまにか仲良くなったらしい。名前も知らなかった情興のスタッフたちと、司令官のような顔で全員を見渡すマグナを見比べる。どうみてもマグナの方が偉そうに見えるが、実際は上下関係など無い。
「あまり気負いすぎるなよ? ぷっとんの指示に従っていれば、悪い展開にはならないはずだ」
「はい!」
「よし、席に移動だ。俺と三橋は壇上に上がる。ぷっとん」
「舞台袖で立って待機してるわ。行くぞぉみんなー。あ、お水飲んだ?」
「いただきました」
「メロもそろそろ目ぇ覚ましなさいよ」
「うい~」
「布袋さん、重そうですよソレ。持ちます」
「ぷっとんさんって呼べって言ってるでしょうが一」
「すみません布袋さ、あ」
「ぷっ! ぷうー!」
「ぷ、ぷっとんさん」
「よろしーい! ワタシはもう一回ネガチェックするから、その間に質疑応答の予想と答弁立てといて。久世、率先してネガティブのを。プライオリティ大事なのはこっちでも変わらないわよ。まとめてメッセで頂戴。やり方分かる?」
「はい!」
「ならよし!」
ぞろぞろと歩く様子は、半分以上がスーツだからか、ビジネスとプライベートが混ざり合って見えた。フランクな口調だが緊張感が一定残っている。三橋は余程緊張しているらしく、丸まった背筋がか弱く見えた。
アバターのゲームプレイヤーばかりの広場で、黒いスーツを着込んでいる三橋と情興スーツ組はよく目立つ。だが、有名レイド特化ギルドのチートマイスターを実質まとめていたサブマスのぷっとんと、名実共に日本サーバーでトップのロンベルの一員であり抜きん出て口が立ち頭が切れる頭脳派のマグナが先頭を歩くだけで、スーツを着ている彼らは突然エリートに見えた。
箔がつく。狙っているのだろうか、とガルドは首をかしげた。マグナが自虐的に自称していた「教師や警官」に見えてくる。警官に近いだろう。従うように歩く面々は元々、警官に近い仕事をしてきた者たちだ。
ガルドはぷっとんの後姿を目で追う。部下達が情興庁の職員だと分かった時点で大よそ予想していたのだが、ぷっとんは情興庁への出向職員だ。出向元は一般的には多岐に渡るらしいが、防衛庁や警視庁も含むと聞いた。明確にどこだかはまだ伏せているが、空港で「わんわん」と犬の真似をした自己紹介を思い出す。
そういえば、ディンクロンと同期らしい。彼が社長職に天下りしたという事実を踏まえれば、少なくともノンキャリではないだろう。キャリアコース、恐らく官僚レベルで間違いない。
地位と権力を得た真面目人間が、リーダーではなく別のポジションから全員の状況を良くしようとしている。傷つけあわずに弱きを助け、人間として不出来なゲーマー達を律するべく、マグナはなにか準備をしているように見える。
ぷっとんたちと協力関係にあるのはその結果だろう。まるで元の日本を維持しようとしているかのようだ。マグナはこの世界、この船における警官を目指しているのかもしれない。
ガルドはハッとした。
ぷっとんもそれに同調しているのだろう。
一般プレイヤーや田岡たち非プレイヤー被害者がパニックに陥らないための、自主的な、Aも言っていた「自治」行為だ。
<A>
<なんだね? キミの脳波をモニタしていたところでね。随分交感神経優位のようだね>
頭の中を二十四時間モニターされるなど不快なはずが、最近はすっかり慣れてしまった。一言多いAに軽くため息をつきつつ、ガルドは敵、GMについて探りを入れる。
<マグナが自治における『警官』を目指すとして、お前たちの言う『よりよい船内環境』に近づくと思うか?>
<思うがね>
<お前たちの狙いは達成されるか?>
<目的はヒトによって違うのでね。最終的な狙いには遠因かもしれないがね>
<マイナスには?>
<ならない。キミの思う通り、自治がなされる過程を観察しているのでね>
うわ悪趣味、とは言葉にしないでおく。
<その過程、自分は関与するべきか?>
<フム、悩むね>
<お前たちの目的達成をゴールにして答えろ。前みたいにはぐらかすな。お前個人の目線も要らない>
<命令かね?>
<命令>
<フム、喜んで承ろう。キミを尊重するというボクだけの目的は除外する>
<ん>
<その場合、その船の平均値が良くなることを目的とするようだがね>
<平均? 数値化して、か>
<キミに分かりやすく言えば『シムズ』だね>
<……箱庭ゲーの? 街を作る、アレか>
<そうだ>
目から鱗だった。
思わずロからスルメイカが落ちる。半分以上食べていたゲソは衝撃ダメージに耐えかね、地面に落ちた瞬間氷の粒になって砕け散った。広場のざわめきが耳に入ってくる。
その中でAの声がガルドの心臓の鼓動と共に、身体の奥から聞こえてくる。
<街の偏差値平均を引き上げたいのだがね、そのためには住民……キミたちは船員、搭乗員だがね。それぞれの行動や結果全てを数値化し評価していく必要があるのでね。それは全て、機械的に行われている>
<ゲームのつもりか>
<ゲームにいるつもりなのだろう、キミたちは>
ぐ、とガルドは詰まる。死者が出たことを知るロンベルに比べ、他のプレイヤー達はゲーム感覚が抜けていない。クラムベリで震えるほど命の危機をつぶさに感じ取っていたはずのレイド班所属双剣使い・吟醸ちゃんも、すっかり普段通りのゲーマーっぷりを発揮し、装備分解でキャンピングカー作りにいそしんでいる。
<いや、ソレで構わないのだがね。現状パニック値は底辺に近い指数でね。とても良い。動乱は起こらないだろう。今そちらは実にLAWだ>
<CHAOSよりマシ、か>
<そういうことだね>
<フン>
マグナを始め、ロンベル六人が話し合って決めた「夢は夢のままで方針」と被る発言に、Aが打ち合わせの内容を把握しているのではないかといぶかしむ。
<夢は……>
<夢のままで、かね?>
<盗み聞きか>
<フム。船長以下デッキ要員の方針決定会識を見逃すなど、ちょっとナイと思わないかね?>
<だとしても、無言はダメだ>
<すまないね。では今後は声を掛けようかね>
ガルドは主語を抜く。とんとん拍子で話が飛ぶが、Aは寸分の狂いなく内容を把握し、上手くガルドの知りたいことだけを簡潔に答えた。以前ほど怒りは湧かない。
<マグナの自治は見守る。コチラから強い干渉はしていないし、今後もしない。見誤るなよ>
<……了解した。キミの手腕を拝見するとしようかね。自治に関わる変化において、キミによる干渉は無いものと断定する。被検体の処分対象にはしない。安心したまえ>
Aは明るくそう答えると、途端に無言になった。観察モードに入ったらしい。ガルドはAの行動パターンを用心深く把握しながら、デジタルのメモなどには一切残さず、頭だけで情報を記憶した。
夢は夢のままで。
二人亡くした三週間前、ロンベル前線六人組、そしてぷっとんや部下、三橋といった外部組織のメンバーからなる「奪還チーム」、田岡と金井の二人に減ってしまった「非ゲーマー」が集まって決めた方針だ。
死者が出たという情報を完封し、この世界を美しいゲームに維持したまま、外からの救援を待つ。むしろソレしかない、とぷっとんは言った。この広いようでいて狭い密閉空間の中を、夢の箱庭にするか地獄の監獄にするか。ぷっとんは「私達次第よ」と真面目な顔でガルドたちを鼓舞した。
へこんでいた面々に効果は抜群で、死ぬかもしれない恐怖に蓋をし、夢を見ているような状態をキープしようと決めたのだった。
ガルドは、決まった方針に何も口を出さなかった。
真実を伝えられない今、榎本の言うとおり「知らない」というのは武器になる。二人の死を知ってしまった仲間たちや金井の恐怖と落ち込みように、ガルドは認識を改めている。
何も知らないまま、夢のような空間で、夢のままで(死ねれば)幸せだ。誰も何も言わなかったが、少なくともガルドは作戦名をそう解釈した。




