332 ガルドは言い負かそうと努力している
マントを切り裂かれたサルガスが、真顔のまま微動だにせず棒立ちしている。今までずっとちょっと微笑んでいたまつげの長い吟遊詩人の変貌を受け、ガルドは急に怖くなった。
<……A?>
<フム、この宣言は優先度の高い呼び出しを行えるはずだがね>
<恥ずかしいだけだ。なんだコレ>
<待ちたまえ。ボクは彼の内部コードを閲覧できない。こうしてキミと、キミが繋がる船内ネットワークを通して見ているわけだがね。キミ、彼のこめかみに触ってくれるかね?>
目の前のサルガスは真顔のまま、真正面をじっと見つめている。
ガルドではない別の空中に焦点があっているため不気味だった。霊感をほのめかす猫のようでもある。
Aからの触れという指示は、話の前後から考えると情報を得るのに必要なことなのだろう。ガルドはサルガスの無表情を高身長から覗き込み、頬の上あたりから両手の平を使って髪を掻きあげるようにして、こめかみを探った。
狙った場所を掠めた瞬間、一瞬だけぴりりと指先に刺激を感じた。フルダイブにログインするときに感じるものと同じだ。ガルドはその地点をグリグリ探ると、Aの声を待った。
<フム。パニックになっているようだね>
簡単な報告に、ガルドはこめかみから手を離さずたずねなおす。
<パニック?>
<優先順位がプログラムの製作者とキミとで拮抗している。処理に時間が掛かり、こうして表情プログラムが後回しになるほど……知恵熱で固まっている、と言おうかね>
<なるほど>
<キミの『船長宣言』はやはり有効だ。とてもね>
……いいかね? 船長が自分だと宣言するだけでいい。それだけでいい。
Aから受けた説明はそれだけだったが、理屈が機械的なAIには、マントを斬って脅すよりよっぽど効果的だったらしい。管理者権限でのログインID、とガルドは解釈していた。
<船長がそんなに偉いのか>
<偉いとも。キミはそう思わないのかね? フム、予定していた『権力の自覚』と『責任感の付与』は実現不可能かもしれないね。船長という単語を持ち出した立案者に抗議文を送ろうかね>
<人に何をさせようとしている>
<船長は船員へ命令し、その代わり強大な試練へ立ち向かう指針となるはずと……ううん、そう聞いているのだがね……>
<どこのファンタジーだ>
<フム>
サルガスには無い高性能な頭脳に疑問を持ち、AにA以外の犯人への嫌疑を抱かせているらしい。いいぞ、そのまま内輪もめして自滅しろ。ガルドはこっそりほくそえむと、動かないサルガスにじれて座り込んだ。
風が吹く。
サルガスを向いて座ったガルドの背中から、奥の螺旋階段へと向かう涼しい風を感じた。
<A>
<感情がフラットに近くなってきたかね。良いことだ>
<良いコトを思いついた。その船長権限とやらで、あの二人を救えないか?>
<ボクには分かりかねる>
<やれることはしたい。とにかくサルガスに……ん?>
胡坐をかいてAと作戦会議をしていたガルドの耳奥に、仲間の声が聞こえた。
<だけどさ>
<押さえろジャス、これは……>
どうやらこちらにではなく、他の仲間同士で話しているらしい。
<くそ、こんな、こんなことって!>
<金井くん、少し席を……外してくれる?>
今まで聞いたことも無いような低い声でメロが言った。
<他の人たちに話して良い感じじゃあ……なさそうだね>
<ガルドにも言いにくいことだ。他のやつならなおさらな>
マグナが口にした自分の名前に、ガルドは眉をしかめる。まるでオフレコのような言い方だ。
<A?>
<だから名称だけで会話しようとしないでくれないかね>
<この音声は?>
<彼らの言葉は通信ではない。しかしキミには聞いておいて欲しいと判断した。キミが与えられるのは情報だ。それをどう活用するかはキミ次第だがね>
それはAが自身の存在意義として話していたことだ。ガルドへ情報を与えること。その結果変わる行動をモニタリングしたいということ。どうやら盗み聞きしている内容をこちらに流しているらしい。
<A、お前>
<耳を塞いでも無駄だが、本当に聞きたくないのかね?>
仲間が影で内緒にしようと打ち合わせる様子を聞かされ、ガルドはどう反応していいのかわからなかった。
<煮えきらんようだがね、怒るとか嘆くとか無いのかね>
<何も、いや……>
聞こえてくる四人と金井の声は、普段の音声チャットよりもずっとノイズ交じりで遠く聞こえた。ところどころよく聞き取れない。
<落ち着け>
<くそ! くっそぉっ!>
<冷静になれとは言わん。一度沸点まで上げきった方が良い>
<マグナぁっ! ねぇ、俺さ、俺……!>
<夜叉彦、ほら、手、緩めろ。ゆっくり、ゆっくりだ……>
<どうする、ガルドに黙ってるの>
<メロ、オマエさん、そりゃ当たり前じゃないのか!?>
<ウチ反対。ロンベルに秘密は無し。レイド班はともかく、六人の間に溝なんてもう二度と作りたくない!>
<む、いやしかし、俺の息子やオマエの娘と同じくらいの年なんだぞ? なぁ、こうしてかゆくてかゆくて、突然消えたと、知ったらどうする。え!?>
<ジャス>
<頭が悪い俺でもわかるぞ!?>
<ログアウトできたと、言えば、いいだろうっ>
<マグナ、やっぱり無謀だよ。未成年でもね、十七くらいになると大人とほとんど変わらないんだよ。それにガルドだよ? ウチらと同じロンベルの>
<そうだよな、気付かないわけないか>
<いやしかし、突きつけることになるぞ。我々が人質で、命を握られ、敵は軽々しく殺すようなヤツらだと>
ガルドは盗み聞きのような形で、二人がどうなったか知った。
<気付いていたのだね。心拍の乱れが想定より穏やかだ>
<攻め込まれている、というのは救援のために組まれた多国籍軍にだろう? 爆撃に?>
暗に、誰によって殺されたのか聞き取る。
<いいや、爆撃は無い。公にはされていないが、物理攻撃は基本ドローンによってだね>
<有人操作か>
<いいや。我々には人的資源がほぼ皆無なのでね。コチラは無人だ。アチラは不明だが、大規模な有人進攻は不可能だ。土地のキャパシティが無いのでね、そんなに入らない>
人間の補助としてドローンを使うのはかろうじて許されるが、完全自動操作のドローンによる人間への攻撃は禁忌だ。ガルドは眉をしかめる。
<流れ弾で? いや、狙われたか>
<死因かね? 施設のステータスしか分からないが、そのデータをキミへ伝えよう。推測からの判断は船長の仕事だ>
嫌な予感がし、ガルドは歯を食いしばる。案の定、勢い良く数値や座標といった緻密な情報がガルドのこめかみから脳へとなだれ込んできた。一見なんなのか全く分からない。
「うっ」
がつんがつんと後頭部を殴られているように感じ、思わず苦しさで頭をおさえる。
細く目を開けデータを覗くと、圧倒的な量が視界を覆うように感じた。侵入者対処用に配備されていた設置型銃座のオフライン数とオンライン数の変遷、そしてジャマーによる無線通信のダウン、光ケーブルの断線、故障箇所の座標が増えていく。
車両用ドアのゲートが、ある時刻から続々とエラーになっていく。どの監視カメラの映像も黒。
これをどう使えというのか。ガルドは文句を言いたくなったが、Aが言った「船長の仕事」とやらを思い出す。こうしてサルガスからある程度情報を得られたのも、Aが情報提供に協力的なのも、ガルドを船長だと思ってこそのことだ。
「……仕事はこなす」
ガルドは素人だが、出来る限りのことをしようと決めた。
<向こう側の設備や間取り図などは提供できるのだがね>
<寄越せ>
正面に現れた地図は、巨大な地下施設の構造図のようだ。各ポイントにロックのかかった扉があるが、先ほど得たデータと照らしていけば、最も東側のものから順に開錠されていっている。東に目を凝らせばセンサーが途切れているドアがあり、ここが昇降口なのだと分かった。
防衛用トラップなる怪しいラベルのついた設備の故障・エラーログを見ていく。これも扉の開錠タイミングに合わせるように、東から順に赤くなっていた。故障とあるが、破壊だろう。ゲームで言えば攻城戦で、細道や通行止めなどで三面攻撃を狙った敵側の意図が読める。
それを破壊し、どんどん北西へ進攻しているのが多国籍軍だ。
味方、救援とガルドは思っている。
<……これは?>
ところどころ、地図データと他のデータがマッチングしない。
<フム、実はボクが持っているこのマッピングデータだが、建設が完了し資材を搬入し終えた最終版ではあるのだがね。その後の改造や被検体の位置などは不明だ>
<被検体>
<被検体の保護や観察には衛生管理が重要だがね、キミらBJグループを例にするならば、上下水道設備、高電圧設備、検体一体ごとの通信回線終端子、医療機器設備、免震・防火設備……>
<見つけた>
ガルドの脳裏は星のように瞬いていた。
Aが挙げた単語が脳裏のデータの中で光り、紐付けされ、統合され、意味が良く分かっていないガルドが理解できないまま勝手に分析されていく。
<フム、ほう、ほう! これは素晴らしい!>
まるで価値あるアートを見たような感嘆をもらしたAを気にも留めず、ガルドは脳が動くまま、勝手にさせることにした。そこにガルドの意思は無い。貰ったデータと聞いた単語が、ガルドの中で好き勝手に重なり合っているだけだ。
<無意識なのかね?>
<二人は本当に死んだのか>
ガルドを突き動かしているのは、ただ信じたくないというだけの、子どものような否定の思いだった。
今も聞こえている仲間たちの悩む声と裏腹に、ガルドは二人がかゆみを訴えている時点で死ぬのだと思っていた。
温泉でAからコンタクトがあったからこそ信じた。自分ではなく、他のこの世界に閉じ込められた誰かが殺される覚悟。ガルドはル・ラルブで強烈かつ強制的に覚悟をさせられ、二人が結果として殺されたのだと納得した。
その上で、否定材料が欲しかった。
<お前の言葉は真実だとしても、お前は一度も『死亡』とは言っていない>
<仲間を信じないのかね? 彼らは死んだと>
<ログアウトかもしれない。回線切断での>
<それを否定する事実をボクは持ち合わせているが、まだ伝えてはいけないようだ。残念だがね>
<なら、自分で調べるだけだ>
材料なら揃っている。ガルドは目の裏で先ほどからひっきりなしに点滅しているマップを注視した。
爽快感が後頭部から前頭葉へ向けて駆け上がってくる。
ジェットコースターのような初めての快感にガルドは身をゆだねながら、熱いこめかみに力をいれた。眉間にしわが寄る。
さらによく見ようと目を凝らせば、簡略データから詳細データへ移り、さかのぼりたいと思えばそのポイントの一時間前に何が起こったのか監視カメラが巻き戻った。
動作としてはフルダイブゲーム向けコミュニティサイト・ブルーホールの閲覧方法に近い。だがあれは決められたコマンドへ脳波コンで選択するために、プログラムで数個決まったアクションをしているだけだった。ガルドはマップを一回転させながら思う。
コレは何だ。自分に何が起きている。
この動作がなぜこの結果を生むのか分からない。まるでリアルタイムにデータ処理をしているようなスピード感だ。
<フム、これが次世代の……なるほどなるほど、素晴らしい! どうかね、気分は>
<見つけた、これだ>
Aが楽しそうに聞いてくるが、ガルドは必死に、マップ上に被検体と呼ばれた非ゲーマー二人がいないか探していた。そしてある一点に目を凝らす。
医療機器から出されるデータを壁掛け液晶モニタに表示する設備が二箇所、通路入り口と行き止まりの通路奥に設置されている。
地図で見ればただの通路だが、恐らく袋小路になっているのだろう。
壁掛けモニタは壁がなければ掛けられない。通路の奥に壁を増築し、細長い部屋のような使い方をされているのだろうと推測できた。
<もう少し何かないか>
<データかね? フム、方法は提案できるがね。そこの彼から聞き出すことだ>
サルガスは相変わずパニックになったままだ。
<船長とか言うが、思ったより権力は無いな>
<ム、そんなことはない。キミが思うよりずっと、キミが得た証明書はよくできている>
ガルドは慣れない煽りでAに行動させようとしたが、反応は乏しかった。事実や客観的なことばかり言う。
<もっと絶対命令のような、強制的な権力を想像していた>
<船長とはいえ現場判断が優先なのだがね>
<サルガスは船員じゃない>
<む?>
Aは不思議そうな疑問符をエモーションスタンプで投げてきた。そこまで人間的なコミュニケーション能力があるとは思わず、ガルドは不気味に感じながら続ける。
<サルガスは窓口と言った。窓口はこちら側じゃない、向こう側だ。船が乗りつける港側にある>
<ならばなおさら船長権限は低くなるのではないかね? 船員でない者は船長の指示命令を受ける義務などないはずだがね>
確かにその通りだ。ガルドは反論を考える。
正当か合理的かなど関係ない。これはディベートだ。ガルドが勝てる内容ならば嘘でも構わなかった。
<港が船舶を支配下に置く状態そのものが間違っている。港は人員が流動できる。船は箱のようなもので、人の出入りが無い。ずっと固定メンバーだ。いつ居なくなるか分からない港の人間に支配されるのはストレスだ。そもそも港は船のためにある。サルガスが船を、つまりこちら側を優先させないのはおかしい>
<フム>
芳しくない反応に、ガルドは焦ってさらに畳み掛ける。
<命に関わることを決めるのが船長だろう。ストレスを避けたいとお前も言った。なら船長がストレスで倒れないために、誰よりも強い権限を持つべきだ>
<フム。船と港のパワーバランスが間違っているということかね>
<ああ>
<ボクはキミたちが船という環境下でどう生き抜けるか知りたいだけだがね。つまり港ではなく、別の船で助けつつ給油するような補給燃料船のつもりだ。だがキミの目の前にいるものは間違いなく違うだろうね。キミの言う通り、港のようなポジションで間違いない>
Aが自分とサルガスを喩えで表現した。その言葉をメモとして文字にして残しつつ、ガルドはサルガスへ情報提供を強く求めるために、必死に口を動かし続けた。
<ならA、サルガスからの情報が得られない以上、自分は生き抜くことができない>
<それは困る>
<船は港から圧力を受けてはいけない。開放されるべきで、風や波や天気予報のような情報は隠されてはいけない>
<フム、一理ある>
<なら『どの人間の命令よりガルドの命令が優先』だと振れ>
<承知した。ボクが出来る範囲で、各AI機体の命令を書き換えよう>
思わずガルドはガッツポーズを取った。
<ただし>
<……ん?>
<サルガスは書き換えられないのだがね>
「……チッ、つかえねぇ」
思わずガルドは声に出して吐き捨てた。




