329 出来ることは少ないけれど
「ほれ、授業始めるぞー。ん? 集まってどうしたんだお前達」
「せんせー、来るの早いよぉ」
「もうチャイム鳴っただろ? ほらほら、席つけ」
ぽっちゃりを超えてシルエットが丸に近い社会科の教師が、テキストをうちわのようにぶんぶん振りながら教室に入ってくる。黒板前に立たされていた林本は追い出されるように席へ戻った。
脳波コンに繋いだコードは右手のすそから服の中を通し、左胸のポケットに隠したスマホへつなげている。ほおづえをつくフリをしてこめかみまでケーブルを隠し、脳波コンでネットサーフィンを続けた。
<今日行くつもり>
メッセージツールから文字情報が流れてくる。
見ると宮野は授業を受けながら、膝の上に広げたスマホを左手の人差し指一本でいじっている。画面を見ない状態で打った文字だが誤字もない。フリック入力が正確かつ高速な彼女ならではの技だ。右手のシャーペンは絶えず板書を続けている。
<警察? いいよ。暇だし>
林本の入力はもっと速い。脳波コンでゲームをしない林本は、文字の入力や動画の検索・再生に特化した使い方ばかりしている。使い始めて間もないが姉にも「打つの速いな!?」と褒められたばかりだ。
ちらりと宮野が下を向いた。そしてすぐ顔を上げて人差し指を走らせる。
<詳しいっていうオネーサンのトモダチ、SNSやってる? アタシでも入れるやつね>
<やってるやってる。教えるよ>
<さんきゅー>
メッセージのやりとりに新しいメンバーが入ってきた。表示を見る前に林本は匂いで誰か判別する。ほんのりとした桜の香り。佐久間だ。
<みやのん、私の方に来たメッセージまとめてそっちに送るね。スクショがいいかな>
<うん。さくちんはいいよ、部活に顔出すんでしょ?>
<ごめんね>
<いいって。つかメガネには話したの? このこと>
<う、うん……いちおー。えっと、気にしなくて良いよアイツのことは>
林本は歯切れ悪く返した。スマホを指で操作するときは書かない言い方だが、脳波コンを使い始めてからというものの、なんでも直接口語のまま文字にしてしまう。意識して作文用紙のようなものをイメージしなければ、友人たちが使うようなデジタル語調に出来なかった。
脳波コンは悪い意味でも使用者をデジタルに溶かす。姉の言う通りだ。林本は少し恥ずかしくなり、顔が赤くなるのを感じる。
<え? アイツなんかもう動いてるの? やることダブったらやだなぁ>
<メガネはね、噂の中身だけ聞いたら公欠とってどっか行った>
そう打ち返せば、宮野は額を机にべたりとつけて両手でスマホを操り始めた。
<ああ! アイツの志望校、研究発表審査あるからね。報道士資格とれる大学ってなるとバンバン公欠とって記事一本仕上げたほうが受かるっていうし>
報道士と呼ばれる国家資格について林本は無知だったが、弁護士や税理士のようなものより簡単で、しかし四年間の学校生活をジャーナリズムにささげる必要があるらしいことは聞いたことがあった。
メガネと呼ぶ男は、みずきと脳波コンのことで盛り上がっていた保険委員だ。みずきの次にそうしたデジタル機器に強く、留学で不在のみずきに代わって林本の相談にも乗ってくれた。
林本は頭が悪い。だが記憶力は良かった。受けた恩義を忘れない。だがメガネとはどうも相性が悪く、みずきが居ないと会話が長続きしなかった。嫌いではないが、なるべく会いたくない。
<巻き込むの?>
<うーん、受験対策中なら邪魔できないし。いいや、ウチらだけでやろ?>
宮野がそう配慮する。ここ数ヶ月で劇的な変化だ。林本は夏の間に合格を決めたが、宮野は冬まで走りきると明言している。予備校に通い模試を立て続けに受けてきた結果、縁のなかったガリ勉たちが今までどんな気持ちで学校生活をおくってきたのか身をもって知ったらしい。
簡単に言えば、真面目な人間たちにかなり優しくなった。
<優しいねぇ>
<もう、ハヤッシーまで>
誰かに指摘された後らしい。林本はくす、と笑う。するとこほんと咳払いが一つ続いた。横から熱を感じる。半袖Yシャツの教師が汗をかきながら机間巡視中で、林本の脇に立っていた。
そういえば授業中だった。意識を現実側に寄せれば、強く感じていた宮野のメッセージが遠くへ行く。
「どうしたお前ら、随分そわそわしてるな」
何も知らない教師が不思議そうに席を見回る。原因はあきらかに、林本が先ほど漏らしてしまった成田の事件、そしてみずきの危機だ。
しっかり口にしたわけではないが、クラスメイトだった佐野みずきが突然留学したのが実は嘘で、本当は世界的なニュースにもなったロシアの飛行機の事件と同じ被害にあっていると思っているらしい。林本的には「事件が起きたのかどうか、まだ本当かどうか分からない」が付くが、クラスの友人たちにとっては既に確信に近い事件らしい。
良く見れば普段より机の下に目をやる者が多い。宮野と林本がやりとりしているように、クラス中でオンラインの噂話をしているのだろう。皆スマホを隠すのはお手の物だ。
林本は心の底から謝った。ゴメンみず。ゴメン。だって知らなかったのだ。みずがこんなに心配され、こんなに覚えられていたとは。口にしないだけでみんな気にしていたということも、留学したという点を怪しんでいたことも。
思わずため息をつく。
「林本、次当てるからなー」
「は、はいっ!」
こめかみからコードを外し、林本は真剣に黒板とテキストを目でなぞり始めた。
大通り沿いにある戸塚警察署は、場所こそ知っていたが入るのは全員初めてだった。
薄暗く古い建物に、役所らしい無音のロビーが広がっている。床は大ぶりなタイルが升目状に敷かれ、小学校でみるような白くぶつぶつした壁と消音素材の天井が広がっている。
「な、なにもこんなに来ることないのに……」
林本が背後を見ずにつぶやく。
「だってウチら未成年じゃん?」
「お前らだけじゃもみ消されるかもしれねぇだろ」
「だからって男子まで……ていうか多いって!」
我慢できず、林本は立ち止まって後ろを振り返った。
「何人か来れなかったし、全員じゃないぜ」
「明らか二十人超えてるって!」
クラスにいる顔ぶれのほとんどが林本を見ている。数えるのも面倒なほどで、総数の三十から居ないメンバーを引いた方が早い。二十一人。団体客だ。
「暇かよ」
「たとえばこれが『手術を控えたクラスメイト』だったとする。そしたら俺ら全員、献血とか募金の呼びかけとかしてたと思う」
「そうそう」
「佐野のためになにか出来るならやるぜ」
「成果が出なかったらネットで署名活動するし」
頼もしい声に、林本は呆れつつ微笑んだ。宮野も隣で笑っている。
「ばかばっかり」
「それなりに偏差値の高い俺らに向かって、なんて言い草だ」
ぞろぞろとそのまま警察署の受付ロビーまで進む。レトロな白アクリル板の看板に丸ゴシックで書かれた「生活課」や「交通課」の文字をキョロキョロと見渡していると、慌てた様子の女性警察官が近づいてきた。
「ど、どうしました?」
不審者ではないが、これだけ集団の高校生となると変なのだろう。奥から追加で二人、制服を着た男女が小走りで近づいてくる。
「あの! 私たち、クラスメイトが心配で……証拠! 持ってきたんです!」
「事件に巻き込まれてるかもしれないって思って」
目をぱちくりさせて驚く婦警が、後から来た男性警察官となにごとか相談を始めた。その間ざわざわと署内を眺め、二十一人は社会科見学のように待機する。
「少し話を聞こうか」
そう誘導された林本は、指された行き先の「少年課」と書かれた掲示看板に不安を覚えた。
「次はこれね。ここに記入していって。住所は学校でいいから」
「あ、いえ、学校には……」
「内緒で来たの? でも制服だから分からないわけないけどね」
「うー、そうだった」
「じゃあウチが代表者で書く」
「お、やるぅー! お願いねー」
「その間に他の書いてよ~」
「えっ」
「何その反応」
「ねぇ、みんな暇してるならその間にやれること考えなよー」
「ったってよぉ」
「ネット使って調べてるけど、何も出ないよ?」
室内は喧騒に包まれている。若い男女の、トーンを抑えて笑いが生まれないよう気を遣った会話がずっと続いている。何重にも重なる声はどうしてもやかましくなるが、昼休みほどうるさくない。場所を配慮しているらしい。
クラスの二十一人はそこそこ広い警察署内の会議室に通され、数枚の書類を書かせられていた。内容は情報提供に関する事務的なものらしいが、林本は、物理ペーパーでの申請など旧時代的だと文句を言いたかった。
電子ならばこめかみから瞬殺で、友人たちにこうしてでしゃばられることもないだろう。それで仕事が減るわけではないが、もっと静かに作業ができる。
「端末ごとでかまわないの? 数ヶ月はお返しできないけど」
「いいんです、前使ってたやつなんで」
「そう、じゃあありがたくお借りするわ。あ、貸し出しと返却に関わるのも一枚書いてね」
「う、はい……」
ロにして説明した時間は三十分も掛かっていない。ざっくり伝え、古いスマホごと英文メッセージを渡した後は、ひたすら書類を書いている。
「えーっと、ここって?」
「ああ、そこはいいよ。目撃した時の状況を書く欄なんだけどね、ネット上のだと不要だから」
「古い様式ですね」
「まぁね。君たちが情報提供してくれたのは一応我々の管轄だから、この様式なんだ。サイバー犯罪っていうのはね、ネット上だけで加害も被害も完結するものだけで、ネットを使って現実で犯罪を犯すのとは捜査の手順も管轄部署も違うんだよ」
「へぇー」
「君たちの話をまとめると『未成年者の行方不明』になるし、この場合、被害者のご家族から捜索願を受理しないとならないんだ。今日貰った証言とデータは参考資料としてこちらでまとめておくけど、捜査が始まるかどうかはご家族次第かな」
林本の隣で話を聞いていた宮野が、机の下で握る手をぎゅっと強めた。
「そうですか……」
「みんなが来てくれたこと、佐野さん、でしたっけ。お伝えしときますね」
「情報提供を広く呼びかけるときは、始める前にもう一度来るように。警察の電話番号を窓口にする関係上、いろいろ調整が必要だから」
丁寧に二人掛かりで対応され、二十一人の間には「これで安心」という安堵と満足感が蔓延した。林本には不満が残る。
「うん、今必要なものは以上かな。ありがとう、お疲れさま」
少年課の婦人警官は高校生相手の対応が慣れているらしく、まるで教壇に立つ教師のように立ち上がって背筋を伸ばす。二十一人はすかさず普段どおり一斉に立ち上がり、警官の礼に合わせて一斉に一礼した。
「ハヤッシー、このあとちょっといい?」
下げた頭を宮野が小声で誘ってくる。気持ちは同じらしい。林本は小さく「うん」とだけ答えた。
警察署から徒歩五分、全国チェーンのファミリーレストラン。
「ま、ママさんが……真犯人?」
「そう!」
突然宮野が突拍子もない推理を展開した。自信満々、といった表情で反応を待っている。
林本は全く信じられず、隠さずに顔をむすっとさせた。箸で皿を手繰り寄せ、ポテトフライを一つ摘む。
「あー! 信じてないっしょーぉ!」
「うん」
生返事をしながらポテトを頬張る。ほくほくの芋にじゅわりと油がしみこんでいて、ついもう一本食べたくなる。今度はケチャップも付けようかな、と視線を皿に向けた。
「だって絶対そうだって!」
ポテトの乗った皿を宮野が手元に回収する。下がっていく熱々ほくほくの芋を目だけで追いかけるが、その上に見えた宮野の膨れっつらに諦めた。
「……隠してるのは納得いくけど、真犯人ってのはナイ」
「じゃあなんで隠すの」
「うーん、近所の目?」
「犯罪に巻き込まれてるんだよ!? 再現のバラエティVみたいに、探偵雇ったりSNSで拡散したりして、ビラつくって、募金募って! 事件解決のために手を尽くすのが親ってもんでしょ!?」
確かにそうだ。林本もそこには頷く。何故か分からないが隠している。
「だからやっぱり犯人だよ、ネオナチのシンパだわ」
「嘘だぁ~」
テーブルの右脇に追いやっていたレモネードを引き寄せ、ストローをくわえる。酸味と甘みが爽やかにノドを駆け下り、思わず遠くに行ったポテトフライを探した。
「じゃあなんで隠すのー? 利益無いじゃん!」
「知らなぁい」
「隠してるなら被害届けなんて出すわけないじゃん。ウチらの頑張りは? 望み薄くね?」
「うん……」
林本もそこが不満だった。宮野が意を決して、受験勉強の貴重な時間を割いて訪れた警察署の証拠提出が全く無意味に終わりかねない。バカでも分かる。隠すのであれば、佐野の母は敵だ。
「どうする?」
「やっぱり宮野の言う通り、ネット使って広めるのがいいよ」
「そうだよね! やろう!」
林本はこめかみを触った。少しでも現実世界で困難があると、林本たちの世代はネットを手段に選ぶことが多い。警察に管理されながらビラ配りなどまっぴらだった。そしてそもそも、林本が得た情報には続きがあった。
「SNSでみずの個人情報が流れるのは避けたいじゃん? だから『成田であったっていう誘拐事件』そのものを上げてこ」
「そのもの?」
「言ってなかったけど、成田の事を追ってるボランティアチームがいるの。その人たちが脳波コン持ってる人の間にだけ拡散かけてる。だからウチみたいな普通のでも、事件のこと知ってるんだよ」
「おー! 先輩だ!」
「その人たちから他の被害者の個人情報もらって、そっちを拡散かけるの。みずの周りの被害者が見つかれば、みずも見つかるでしょ」
「ハヤッシー、なんか冴えてるね」
「普段と違うでしょ? ふふーん、ほとんどねぇねの入れ知恵」「出たシスコン」
「たまにはいいでしょ」
林本はコード伝手で感じるデータをスマホの液晶側に呼び出す。数人いる見知らぬ男達のデータをめくった。
「誰がいいかな」
「誰でもよくね? みず以外なら」
「そーだねー、うーん」
男の顔ばかりがペラペラとアルバムのようにめくられていく。
「って、ああーっ!」
「ひゃ、何?」
「うわーっ! 待って、戻って!」
「え? これ?」
「もうちょい前!」
宮野が席から立ち上がり叫ぶ。混んでいないが客はいる。ボックス席の壁の向こうから視線を向けてくるサラリーマン客を気にし、林本は宮野の肩を掴んでテーブル側に引き寄せた。
「ちょっと、叫ばないでよ」
「これー! コイツ!」
「へ?」
「え、え、うわーっ! な、名前! 名前!」
「さっきからどうしたの?」
「う、う、うそ、え、どういうこと? どうして?」
ロに手をあて震え始めた宮野に呆れつつ、凝視する先の液晶を見る。被害者の奥様方が集まって出来た捜索ボランティアグループが作った、一人ひとりの似顔絵モンタージュだ。家族の承諾がある場合だけ写真になっているが、ほとんどが色鉛筆やクレヨンで描いた似顔絵になっている。
宮野が見ているのは、茶髪に染めた男の似顔絵だ。
ツーブロックで後ろを刈り上げ、目じりが垂れて軽いヤツに見える。アゴヒゲが印象的だ。似顔絵を描いた人のクセなのか、口がオメガの小文字のようにふにゃふにゃと曲がり、可愛らしくデフォルメされている。
顔のフォルムはだっぷりとしたLサイズの卵のようで、似ているとしたら首から下もガッシリとした体形だろう。
「み、み、みずの、みずの親戚って言ってたけど、え? あれ?」
「もう! 話してくんないとわかんないってばぁー! はぁ……」
落ち着くまで置いておこう。林本は宮野を一旦無視してグラスを持って立ち上がる。飲み放題のドリンクバーだ。次はアイスティーにでもしようか、と遠目にラベルを眺める。
「えの、もと? え……榎本って書いてある! あのENOMOTO? て事だよねコレ!?」
宮野は相変わらずバタバタと暴れている。林本はケーブルをこめかみから取り、ボックスのテーブルから出て通路を歩き始めた。




