326 命の足音
<……かゆみ?>
ガルドは血の気が引いた身体を、岩に手をついて支えた。身体からぽたぽたと湯が落ちていく。新しくつくられた和風の露天風呂は、ガルドのほかに利用客が三人。全員鈴音で全員男だが、リラックスしきって無言で浸かっている。
同じようにくつろいでいたガルドの元へ届いた田岡からの個人チャットは、恐ろしい単語が混ざっていた。聞いた瞬間湯船から立ち上がったガルドは、立っていられなくなり膝から湯に入りなおす。
<そうナノだ,アゴと、耳ノ、後ろ……この辺、だそうだ>
<見えない>
<あ、ソウダったなぁ クク、亡心れてた。二人揃ってむズむずするトカ。かゆみドめのクスリとかな いか?%?%>
<この世界に……は、無い>
<そ かぁー>
ガルドはそこで通信を一度切った。
「……くそっ!」
田岡に聞こえないよう、ロで悪態をつく。
ガルドは真っ白になった頭を叩き、風呂を飛び出した。
かゆみは「死に限りなく近い激痛」。
フロキリだけでなく、世界中のフルダイブプレイヤーが噂していることだ。田岡や、今回かゆみを感じたという非プレイヤーの二人は知らないことだろう。
彼ら非プレイヤー被害者を取りまとめる「拉致被害者の会」の会長になった田岡は、彼らが抱える小さな悩みを取りまとめてガルドへまとめて質問する役目を担っていた。
過去のものは「運動しないで太らないの?」「シャワーの水圧が気に食わない」など些細過ぎる悩みばかりだった。今日の、かゆみが気になるという悩みも田岡はその程度だと思ったらしい。
重要案件だ。ガルドは田岡に「今回の悩み相談は全部シークレットに」と忠告する。他の誰かからかゆみに関する噂を聞くのは避けたかった。
<緊急事態>
赤文字でギルド前線六人のチャットへ流せば、すぐに慌てたメンバーのレスポンスが届く。
<どうした!?>
<なんだ、敵か!?>
<むぐおっはぁ!>
寝ていたらしいジャスティンの野太い挨拶にガルドは<寝てたところすまない>と謝罪しつつ続ける。
<田岡から連絡が入った。眼鏡のアイツとワンピースのご婦人、二人揃ってアゴ下に『かゆみ」を訴えてる>
<っう!>
<な……>
<ま、じ?>
<え、え、ええ? えー!?>
メロの泣きそうな声が事の重大さを示していた。
<何かあったのは間違いないな。すぐ帰るぞ!>
<こっちのは? 護衛どうする>
<こんなにいっぱいいるんだ、どうにでもなるだろう>
<うむ、そう、そうだそうだ>
<ジャスは顔洗って装備着て! 宿ゲート前にクルマ横付けるから!>
<うむ……>
<二度寝禁止!>
<うむ!?>
ガルドは屋外の岩肌につけられた階段を駆け下りた。一段飛ばしどころか転げ落ちるように勢い良く降り、クルマが置かれている街の端まで走る。途中救援チームの鈴音やロンベルレイド班がガルドを目で追ったが、誰も急ぐガルドに声をかけるようなことはしなかった。
「おっさん! またどっか行くのかよ!」
「ごめんミーシャ! あとみんなのことよろしく!」
「最悪だよくそが!」
「わかったわかった」
駐車エリアには既に夜叉彦が立っている。腰には二振り刀を備え、赤い流しの着物風ボディスーツ装備を着込み、隣で文句をたれるミーシャをなだめていた。
「待たせた」
「旦那も? マジかよ!」
「ん、苦労かける」
「さっさとどこにでも行きやがれっ!」
言葉の割に心配そうな表情で、ミーシャはラズベリーカラーの長い髪を翻しながら帰っていった。同時にすれ違いざま、マグナが走ってくる。
「待たせたな。詳しい話は道中聞こう。とにかく行くぞ」
「ああ」
「メロどこ?」
<まって一装備選んでるとこー>
「榎本」
<鈴音に捕まっててだな……>
「待てん。置いていくぞ」
<ちょっとー!>
マグナが赤い少人数用牽引車「ガボー吟本」の柄の部分に入り込む。慌てて夜叉彦とガルドが車体のフチに足をかけて捕まると、見計らったように勢い良く走り始めた。
街の駐車エリアは氷結晶城の方角とは正反対で、商業エリアやクエスト待合ロビーなどを横目に街を横断した。しばらく走る。立ち乗り状態のガルドは鈴音たちの視線が恥ずかしかったが、牽き役として一番目立っているマグナはどこ吹く風だった。
宿として利用しているワンタイム制の待機ルームに入っていくための、半透明なゲート前で一度止まる。
<ジャぁスぅーっ!>
夜叉彦が大声で発言するが、返信はない。
「……二度寝か!? よし!」
「置いてくの?」
<ま、まてまて。あと三秒!>
きっかり三秒待つと、ゲートから背の低いドワーフが勢い良く飛び出てきた。背中にはしっかりタワーシールドを装備している。
「遅いぞ!」
「スマンスマン。む、ガルド? それでいいのか?」
ジャスティンがガルドの左隣へ飛び掛り、一緒に車体外面へ掴まり立ちの状態になってから続ける。
「ずーいぶん懐かしい大剣じゃないかぁ」
前方を見るガルドの背中がジャスティンには丸見えだった。ぺたぺたと触られているのが感覚フィードバックでガルドに伝わってくる。
「たまにはいい」
背負っているのはミントグリーンの氷属性に寄った大剣だ。普段の黒銀のものとは違う。デザインも細身で繊細な、どちらかと言えば女性的なデザインをしている。
ガルドがソロのころ良く使っていた中級クラスの大剣は、普段使いのものより攻撃力が劣るが非常に軽く、再起動のスピードがハンマー並みに速くなる。ガルドにとってル・ラルブといえばこの剣で、各種大剣の中でも「対片手剣・ハンマー戦に持ち出すガルド必殺の一振り」だ。榎本と敵対していたころの思い出の品でもある。それを気分で背負っていたガルドは特に装備変更をすることなく、走り出したクルマの中に頭から潜り込む。
途中町を抜けるすれすれの入り口でメロを拾い、榎本一人を残してロンベル前線五人はル・ラルブを出発した。
正式に運転手のマグナから置いていったことへの謝罪と合わせて「ちょうどいいからル・ラルブ救援班のリーダーやれ」と指示された榎本は、仲間はずれにふてくされながら、鈴音やロンベルレイド班と非ゲーマーのスーツ組へ戦闘エリアのいろはをレクチャーし始めたらしい。ガルドとはほぼずっと個人チャットを繋いでいる榎本が、どこかテンション低く話す講義の声が小さく聞こえる。
相棒と離れるのは久しぶりだ。ガルドはちくりと不安を覚えた。
「田岡、かゆみはないか?」
<h?%うーん、今ハ無いな、うん。無いとイウノは不思議だが、むむ?%? 食べレる今はかゆいノカ? 前のワタシはかゆかったノか?%>
「田岡、ねぇ、前あったの!? 嘘!」
メロが悲鳴のような声をあげる。
<前、前、ウゥん……尾も出せない>
「思い出せないか」
打ち間違いならぬ脳波イメージし間違いをフォローしつつ、文字化けだらけの田岡の言葉を読み解く。
「どこだ? 二人と同じか?」
<さっき言ったアゴとミミの裏,コノ辺だ。場所はモチ君に詳しく話したからな>
「ん」
「ドコだ?」
「この辺らしい」
ガルドが車内のメロたちにジェスチャーで伝える。両頬の奥、ノドを伸ばすとみやすくなるあたりだ。
「それって扁桃腺じゃない?」
「へんとうせん?」
「風邪引くと腫れるところだよ」
夜叉彦が人差し指から続く三本指で首とアゴを押さえる。その動きからデジャブがわいた。意識が佐野みずきへと戻る。
祖母がみずきにしてくれたものだ。
熱くてぐったりとしている日に、しわくちゃの手でやさしく触れてくれた。そして困ったふうに「あらあら」と、三本指で扁桃腺とやらを探って言うのだ。
「熱? じゃあ病気か」
<ああ、可能性は高い>とマグナ。
「いや、違うんじゃあないのか?」
常に笑顔のジャスティンが珍しく険しい表情で言う。
「俺もインフルのときにログインしたことがあるんだが、四十度近くてもかゆくはならんかったなぁ」
「あー、確かに」
「いや、寝ときなよ」
一年目の夜叉彦は経験が無いと首を振るが、他のメンバーはガルドも含めてジャスティンの意見に同調した。ただの熱でかゆくはならない。ガルドも過去に経験済みだ。
「みんなストイックすぎるよ、熱あるときぐらいログインやめとけばいいのに」
「水分補給はタイマー機能ではじき出されるたびにすればいいし」
「そうだそうだ」
<ヘッドセットの間にヒエピタ挟んで、脇に保冷材挟んどけば完璧だろう?>
「マグナ、そんなことしてまでプレイしてんの?」
「無論」
雪山を猛烈な勢いで駆け上りながらクルマを牽くブロンドロングのエルフが、音声チャットで会話に参加してくる。言っている内容は限界ゲーマーによる自虐自慢で、一般的な感性の夜叉彦がげっそりした様子になった。
「みんなそうなの? それくらいしなきゃ上手くなれないかぁ」
「そんなことはない。プロは健康第一だ」
「俺らはアマチュアに毛が生えた程度の弱小セミプロだからなぁ!」
ジャスティンの自称にガルドも頷く。熱も風邪もどうしようもないものだ。ひきたくてひいているわけではない。
流行るにしても、二人同時など考えられない。そういえば、と思い出したことをガルドは話題にして投げた。
「それに、風邪や熱なら咳が出る」
「あ、そうか」
「ごほごほ、うん確かに」
「じゃあどうして……」
<扁桃腺に何かあるんだろうな。くそ、人体解剖学は専門外だ>とマグナが悔しそうにする。
「ウチ植物専門だし~」
「高校の理科でも怪しい俺に比べれば上出来だがなあ!」
「俺は歴史が好きな文系だからパスだね」
続々と仲間が目をそらす中、ガルドは扁桃腺について知りうる情報を引き出そうとした。目や胃、腸の断面図は教科書を思い出せば出てくる。脳の働き、消化管の流れ、その中に果たして扁桃腺しか持たない役割などあっただろうか。たとえ現役高校生でも知らないことには役に立たない。ガルドは首を横に振った。
<ダメか>
「理由が分かれば避けるだけなのに、原因不明なんてどうしようもないよね」
<そもそも、他のユーザーにかゆみの発生を伝えるなんて出来ん>
「え? どうしてだよ」
<士気がどんどん悪くなるだろうからな。かゆくなっている被害者が一人でも居ると知れれば、能天気なアイツらでも一気に崩れかねん>
「鬱なるよねー」
「メロ……」
「あっ鬱っぽい気分になるってだけだから心配しないで」
ガルドはしばらく悩み、メロのメンタルに気を遣う発言を考えた。膝を組む。すると反対側に座るメロに足が当たった。
「ん、悪い」
「いーよいーよ」
明るい表情で言うメロに、ガルドはほんの少し安堵した。この様子なら、先ほどの心配するなという言葉は嘘ではなさそうだった。
改造によって電車のように横向きで設置され直した黒の長椅子は、ガルドの巨体でもへこまないがっしりとした素材だ。
同じようにグレードアップで付けられた間接照明もベロア生地を使ったひざ掛けも、鈴音所属のクリエイターと榎本が新たに設置したものだ。赤いラッピングの車体の内側はがらりと雰囲気を変え、シックで重厚なロンド・ベルベットのギルドホームに近い姿へ形を変えている。
「ほんと、どうしよう」
夜叉彦がうなだれながらぐったりとして言った。
メロは無言のままクルマに載せていたぬいぐるみを抱え込む。夜叉彦が趣味にしていたあみぐるみで、ざっくりとした目で編まれているウサギだ。
「……わかっていたことだろう? なぁ?」
「ジャス、問題はターゲットだ」
「む?」
覚悟を決めていたジャスティンに大きな動揺は無いが、不思議そうに首をかしげてガルドをみた。
<二人は何もしていないだろう。かゆみが体調によるものなら、何もしないのは身体に悪い、ということになる。コチラでの身体活動が向こう側に反映されているのかもしれない。EMSなどな。何もしなければ身体は弱まる。すると風邪をひく……無くはない。何かさせないとな>
「外に出るのも嫌がって、料理も楽しくないって言って、ひたすらテレビ見続けてきた二人に? 何言っても変わんないよきっと」
「未経験だからって戦闘を怖がってるようじゃ、ここじゃあ居辛いだろうなぁ。ル・ラルブなら温泉があっていいんだが」
「ご飯にケチつけると思うよ。こっちはキッチン無いから」
「そもそも動くだけで体調直るぅ~?」
「うっ、確かに」
メロが詰まる。ガルドは頭を下げ、目を半分閉じて思考を安定させた。男の名前を文字だけで、誰にも見られないよう、非公開の設定にして宙に投げる。
<A>
<黙秘だね>
<まだなにも聞いてない>
<フム、不快な脳波、出ているね。ではリラクゼーションになるようなことを伝えるかね。該当二名は君らとは別の場所で保管中だ。身体の管理は優先順位の高いグループになればなるほど、一定温度の一定湿度、無菌状態で格納されるのでね>
<優先順位?>
<グループで分けている。キミはBJ0、トップのAJの次に高いのでね。キミが気にしている該当二名はFより下でね。どう扱われているのかボクには分からない程でね。劣悪かもしれないし、キミと同様かもしれない。分からんがね>
<体調を崩しているのか>
<体調? それはボクの得られる情報には載っていないのでね。キミのバイタル・メンタル・生理現象全て記録しているがね。いちいち記録をリアルタイムで見て管理できるのなんて、せいぜい20人がいいところなのでね>
<調べろ>
<不可能。別の場所にいる、という言葉では伝わりきらないかね? つまり別の行為者が所有しているのでね。我々ではないのでね>
ガルドは思わず舌打ちしそうになるのを、噛み切るほど強く歯で抑えた。




