321 顔を偽るすべを得る
「ガルド、温泉行ってたのか? これからしばらくは時間調整して行けよ。人数増えたからな」
「……あ、ああ」
「ん? どうした?」
「いや、なんでも」
真っ赤な愛車「ガボー吟本」の近くから榎本が声をかけてくる。温泉から階段を降りて町まで下りてくるところを見られたらしく、ガルドが誰かと一緒に温泉に入るのを何故か嫌がる榎本が苦言を呈した。
自分が特殊な状態だという自覚は無いが、榎本のように気にするプレイヤーもいるだろう。気持ちに一定の理解と配慮をしつつ、ガルドはそれよりずっと大きな配慮を別のものにむけていた。
Aとの会話は極秘だ。
会った事はもちろん、そもそもAの存在さえ悟られてはいけない。ガルドは隠し通せるか不安でしかなかったが、嘘をついてその場を誤魔化すのに罪悪感は無かった。日々学校で鍛錬していたのが役に立つときがきたのだ。気合を入れ直すと、榎本が申し訳なさそうな顔で寄ってきた。
「ガルド、俺は別に意地悪したくて言ってんじゃねぇからな……」
「分かってる。ありがとう」
「へっ!? ど、どう、ん?」
「配慮を感じる」
自分もしているからこそ、周囲の仲間から受ける配慮にも敏感になる。ガルドはそう思い、新たに感謝をしながら対策を考えた。Aとの連絡、隠すべき情報の一覧作成などやることは多い。特に榎本やマグナといった論理的な仲間への矛盾の無い会話を徹底しなければならない。
「あ、う、いや、お前にもいつも助けられてるしな。俺は知ってる立場として最大限、やれることをするだけさ」
榎本の言葉にガルドは胸が熱くなった。
「そうだな」
相棒の言うとおりだ。知っている立場でなければ出来ない配慮を全力でしていれば、榎本は死なずにすむ。
ガルドはひたすら、相棒が生きていてくれれば、生きて帰還できれば、自分が他のコンタクターに処分判定を受けようと構わなかった。
そう決意を新たにさせるような、眩しいほど明るい榎本のはにかみ笑顔を見つめる。「帰ったらサルガスの野郎に頼んでみようぜ、各ギルドホームに温泉つけろって」
「ナイス」
「だろ? 小さくていいからよぉ」
「打たせ湯」
「あ~いいな~」
「サウナも入ってみたい」
「おっ、いいねぇ! ロウリュとかな」
「ろうりゅう?」
「リュで止まるんだ。流石にガルドは経験ないか。熱々の石にアロマオイルかけて蒸気だして、サウナん中でうちわ仰いで灼熱を味わうんだよ」
「クソ熱……」
「それがいいの」
「へぇ」
「岩盤浴とか砂風呂とかもいいけどな、アレ再現難しいだろうし」
「ああ、難しそうだ」
熱と湿度を再現するのは簡単でも、硬さや重さ、細かな粒子などの再現は難しい。岩盤浴ならではの硬さと片面だけの暑さなどは難易度が高く、砂風呂は現状の技術力では再現不可能だろう。
「あ、閣下ぁ~!」
「ウィグ、よく来た。おつかれ」
「閣下こそ、ご不便なかったっスか?」
「ん、問題ない」
「ね、ね、後で一緒に温泉入り……ふっぎゃ!」
クルマの整備から逃げてきたボートウィグがガルドに何事か誘おうとした瞬間、榎本にローキックを喰らう。
「ちょっとー!」
「っせぇ、他のはしょうがないにしてもテメェはダメだ」
「くっそー、相変わらずのボディガードっぷりっスね」
二人が仲良く遊ぶ中、ガルドは一人こっそりとAから送られてきたメッセージを感じ取っていた。並んでいる語句は船長権限に関するものばかりだ。そもそも船長とは何を意味するのか分かっていないガルドに、躊躇なく書かれている専門的な内容を理解するのは難しすぎる。
ガルドはとにかく内容を流し読みながら、分からないところはAに聞けばいいと楽観的に捉えていた。
文字としての意味をこめかみ伝てに感受するが、フロキリのものとは違い、意味合いと同時に頭が強制的にクリアになっていく。
ガルドは嫌な予感がした。
<なにをした>
ガルドがそう短い言葉で詰問すると、Aから少々のタイムラグを挟んで返信が合った。
<キミの脳の反応をみているのだがね>
<だから、なにをした>
<キャッシュをクリアした。少々重そうだったのでね>
ガルドはハッとしてこめかみを触る。仲間の目がある中でやるつもりはないが、恐らくポーズメニューから使えるようになった「脳のモニター可視化」を行えば異変がわかるだろう。
<どこのだ。生身か>
<いいや。キミたちの脳波コン、バージョンが市販のものと違うのだがね。その機能を完全に引き出すための、補助デバイスのキャッシュクリアを行ったのでね>
知らない状態も不服だが、ガルドはこれ以上ヘタな情報を得たくなかった。思わず仲間にこぼしてしまいそうで怖い。
脳波コンをバージョン更新した覚えなどなく、キャッシュが溜まるということすら知らなかった。プレイヤーとしてそれなりに詳しいガルドが知らないシステムが実装しているなど、答えは一つだろう。
<どこまでイジった>
自分たちが実験動物のような扱いを受けていると、うすうすロンベル六人の間だけでは結論が付いていた。しかし確定した事実として突きつけられると辛いものがある。ガルドは苦々しく思いながら、メッセージの返答を待った。
<フム、そこまでお気づきかね>
<バカにするな。気付いてはいた。どこまでか、と聞いた>
<機体としては従来の、キミたち自身が選んで付けたものだがね。加えてアップデート機体を付けさせてもらったのでね>
<キャッシュクリアはそちらか。データを保存できるのか? 引き出す引き出さないはこちらでコントロールできないのか>
<聞くね>
<得体が知れない>
半分の理由は口にした通りだが、もう半分は隠している。
ガルドはなんだかんだ、最先端の脳波コンカタログを熟読する程度には新しいものが好きだった。非正規品だろうが、犯人が人体実験までして実証試験をしたがる最新スペックが気になっている。
<ではキミにのみ情報を開示するのでね。これにより、キミのコントロール精度が上がるかどうかの調査とするのでね。キミ個人のみであり、他被検体との比較を行うため口外時の対処は以前述べた通りとするが……いいかね?>
語尾をつけるAIの言語学習はガルドが子どものころに流行ったものだ。とってつけたような強引さで懐かしいが、話の内容が不穏で全く面白くない。ガルドは宙を睨んだ。
<言われなくても>
<ではマニュアルをこれより送信するので受け取りたまえね>
そして怒涛の連続メッセージに、ガルドはため息をついた。
「どうした?」
「へっ、あ、いや……」
そういえば。ガルドは焦った。榎本とボートウィグが居る場だったことすら忘れていた。
「なんだ、さっきから調子悪そうだな」
「閣下、風邪っスか? あったかくして横になってたほうがいいっス……」
「意味ねぇよアバターじゃ」
「あ、そうだったっすね。あははー」
暖かい二人の言葉に、ガルドは胸が詰まった。嘘をつくことには慣れていて、罪悪感など今更な話だ。だが慕ってくれる舎弟と唯一無二の相棒に新たな隠し事をするのは、慣れなどでは隠し切れない痛みがある。
「大丈夫、少し湯当たりした」
「湯当たりってあるのか?」
「暑くてぼんやりする」
「温泉! 閣下、かっか僕も……」
「させるかこの野郎」
「あーも一鬱陶しいっすよ榎本さぁん!」
鈴音に所属する技術者達がアグラをかいて座り込んでいる、クルマの定位置のような場所にガルドも合流する。
待合ロビーの喧騒は少し収まっているが、メンテナンスがあければすぐに城下町への移動が再開される予定だった。
歩き始めると、自然と榎本たちもついてくる。二人で何か言い合っているが、本気ではなく、どこか幼少期のじゃれあいに似た遊びの喧嘩だ。
「閣下のお背中を流すのが夢だったんスよ!?」
「俺のを貸してやるから」
「いやだ一! 違うー全然もう違うー! 大きさ! 大きさが違うっス!」
「大体同じくらいだろ」
「もう全然話になんないっす。懐の大きさも器のでかさも、背中の大きさも、脳みそのでかさも閣下の圧勝です」
「誰がガルドに比べてバカだって!?」
「言ってないっすよ~自意識過剰~」
「にゃろーてめぇーこうしてやる!」
「あいたたたた! いた、痛くないけど痛い! こめかみぐりぐりはやめてほしいっす!」
バタバタと攻防を繰り返しながら歩く二人の様子が、背中側で見えないにも関わらず目に浮かぶ。いつもの景色だ。特にこの二人の場合、同じようなことをリアルでもやっていた。その様子を横で見ていた。想像にかたくない。
自然と二人の姿が目に浮かんだ瞬間、胸がさらにきつく痛んだ。せつなさが打ち、罪悪感がつかえ、二人が生きていることに安堵する。悲しいのか嬉しいのか分からない。
ガルドは自分でもよく分からないまま、なぜか泣いてしまいそうだった。
<A>
<呼び出されれば、答えざるをえないね>
<アバターフェイスのエモーションコントロールいじるMOD、持ってれば寄越せ>
返信が無い。
<A、はやく>
ガルドは元々、激情に駆られることがほとんど無い。経験が乏しく、どうすればいいのか分からなかった。
<状況を鑑みれば根本の原因はボクだろうに。張本人へ隠蔽の手伝いを頼むキミの精神構造、やはり特異なものだと報告できうるね>
Aのメッセージを読むガルドの後ろで、榎本がけたたましく笑い出した。
「くく、ははは! はー! マジかよお前! ケロリン桶で隠れない? マジか!」
「アバターの反映がみんな均一で助かったっス」
「ケロリンってこんくらいあるだろ」
「っス。こんくらい」
「だぁははは!」
「うー、小さくできるもんならしたいっスよぉ~」
「いや、誇れよ。すごいことだぞ? ははは! あーうらやましいな~ははは」
「ケロリンで比較するとみんな笑うんすけど」
「想像するだけで腹ぁよじれるな」
内容はガルドが以前聞いたことのあるボートウィグ鉄板の自虐下ネタで、榎本は初めて聞くらしかった。温泉の話から流れたのだろう。笑う二人の声に、ガルドは感情が混乱する。どんな感情トリガーを想起すれば、アバターはあんな屈託の無い笑顔を再現出来るのか。試そうとしても顔が引きつる。
唇をかまないと震えてしまいそうで、目を瞑っていないと涙が溢れそうで、ガルドの顔はどんどんゆがんでいった。
<……ショートカットを生成。起動はボクが監督する中で行うのでね、使うときは今回のようにボクを呼び出し、ここへ入力したまえね。エモーション管理のアクセス・コードを入力▽>
そう表示されたメッセージに、ランダムなアルファベットの大文字小文字が八桁並んだ。ガルドはそれをすばやく打ち込むと、そもそもの原因であるAへ向かって<ぶっ殺す>と一言悪態をつき、遅れて開いたエモーション管理画面を操作する。
初めて見る画面だが、英語で書かれたUIを読めるガルドにとっては問題にならない。
「あ、ちょっと榎本さん! しっ、ボリューム抑えてくださいっス!」
「っははは、え? ……あっ!」
二人がボリュームを抑えて話し始めた。ガルドの方角を視界の端に入れつつ見えていないフリをしている。
「じ、自重するっス……というよりこのネタ、もう閣下に披露済みなんスけど」
「うわ、最悪じゃねえか。印象最悪」
「ううっ! あのころは知らなかったとはいえ、どえらい下ネタ話しちゃったっス……」
「あー、俺もある。まぁしゃーないだろ、オッサンから下ネタ取ったら脂カスしか残んねぇぞ? それにあんまりコイツ気にしてないっぽいしな」
「確かに閣下ってば、ケロリンネタで爆笑してくれたっスよ」
「ッハ! マジかよガルド! 爆笑ってホントか? 半年に一回あるかないかだろ、お前の爆笑なんて」
背後にいた榎本が歩幅を大きくして追いつき、ガルドの肩に手を回して寄りかかってくる。ガルドの顔を覗き込むようにして「演技だろ。無理してたんじゃねーの?」と聞いてきた。
いたずらを見破った少年のような笑顔。
「……うそじゃない。今でも、面白いと思う」
「っははは! つえーな!」
振り向いたガルドの顔は、先ほどの苦しく歪んだ表情から一転、ツンと冷たい微笑だった。




