320 Aから始まる
「おっと」
男が口を手で覆う。ガルドはこめかみをぐりぐりと指で押した。怒りと戸惑いとキャパシティオーバーで混乱してきている。
「どういう、ことだ」
「キミの思う通りの解釈で問題なかろうね。そう、思考こそボクらの求める行為でね」
そう仰々しく腕を開いた男は、ガルドには理解不能な存在に思えた。NPCと呼ぶには癖がありすぎる。
「ず、随分流暢に喋る。まるで人間だ……」
先日見た「じゃあくな鳥居」よりよっぽど邪悪で、気味が悪く怖い。行動制限と榎本を人質にした脅しの件もあり、ガルドは一気に男への苦手意識が膨れ上がった。
「奇遇だね。ボクにもキミがAIに見えるのだがね」
見上げられているガルドの鼻めがけ、男が人差し指を指した。ガルドは思わず「やめろ」と手ではたく。はたき落とすつもりだったがびくともしない。細いはずの人差し指から、石灯篭でも殴ったような太く固いテクスチャを感じた。
「AIが知る人間の行動より、特殊な条件を抜いたシンプルな行動をしているのだね。いや、予測をことごとく覆すね。ボクはキミから回答を得るためにここにいる。キミは、何者なのかね」
ばしゃばしゃと湯の音が耳障りなほど近づいてきた男が、指していた指をガルドの心臓近くをめがけて向けなおし、どすんと実際に皮膚へとつきさした。重みを感じる。
まるで命を狙うようで、ガルドは恐怖を再び思い出す。
「……自分は、自分、だ」
「キミはそう断言できる。実験用仮想船『ミドガルド号』の中で初めて観測できた、非常に特異な変化だ。ボクはキミを高く評価するがね」
新たな用語にガルドは目を細める。船と呼んだ。自分達はオホーツク海、ロシア領にいるのだと聞いていた。だがまだ船の中にいるのだろうか。仮想というのはフルダイブのことを指すのだろうか。様々な疑問が沸いたが、聞き返すタイミングを逃した。
男は会話の間合いも読まずに話し続ける。
「キミのその、現状を解釈する能力と付随する周囲被験者への影響力は特記事項に記されているね。ボクはその特記事項1に関する分析・能力向上へ特化しているのでね。これは、AJ01の長期観察から得た必要な要素の一覧に載っているのでね」
必死に理解しようとガルドは頭を働かせる。
「脳への血流増加を確認したのだがね」
「キモい」
「見てみるかね」
胸を突きつづけていた指を、男がつっと上へあげる。額まで伸ばし、身長差があり届かないのか、ガルドの胸に寄りかかるほど温泉のなかで爪先立ちをした。ガルドが払いのけようとするより早く、視界が発光ブルーに染まる。
「ぐっ!」
光が強く眩しい。目を閉じるが、そのまぶたの内側から光っていた。頭を振るが治らない。
「調整完了、これでどうかね」
その声と共に光量が収まり、青っぽい色がちらりと目に入る程度になってきた。薄目を開けると、男が至近距離でガルドの頭を見上げている。正確には頭皮がある額より上で、目線は合わない。
「視覚化はキミにも有益かね?」
「は?」
「ボクにはあまり有益ではないのでね。処理が増えるのでむしろ……ああ、視覚の起点がそこでは見えないだろうね。人間は自分を見るのに鏡が要る」
ゆっくりと離れていった男が洗い場を指差した。湯桶やシャワーノズルと同じ数、大きな全身鏡が等間隔に並んでいる。男の指示に従うのはしゃくだが、どうせAIは合理的なことしか考えていないのだ。不満を顔に出し、警戒を続けたまま湯船をあがる。
素足で鏡まで寄れば、随分前に見た「青い脳」が見えた。ガルドのアバターが半透明になっており、腰の辺りから一本脊髄が伸び、脳へ繋がり、こめかみ近くが黄色の葉脈が広がる様子までくっきり見える。
「ボクは普段からキミの脳の活動全てを見ているのでね。自分でも見えた方が有益かね?」
「有益? ちっとも。そんなことよりココから出せ!」
「フム。活動の強弱が色の濃度で分かるようにしているのだがね」
そう説明を受けたところで、ガルドは脳のドコが何を担当しているのかといった脳科学の分野には疎い。光っている色の濃度など、看板が光ってるだけに思えて感動も衝撃もゼロだった。
「脳波データに変動有り。フム、興味を失っているようだね。ではオフにするが、見たいときは……今キミのオプションを変更したのでね。ポーズメニューから選択可能でね」
「な、メニューを? 権限、持ってるのか!?」
サルガスを問い詰めてもどうにもならなかったことを、目の前の男はさらりとこなしてみせた。ガルドは男の首を……服を着ていれば襟首をつかんでいたところだが、素っ裸な為しょうがなくアゴに狙いを変えて掴みかかる。
「かたっぱしから寄越せ!」
噛み付く勢いで怒鳴った。
「ものによっては検討するがね」
チッ、と舌打ちする。男は凄むガルドを怖がる様子も無く、むしろ笑いながら首をこてんと倒した。そして、
「フレンドにしてくれないかね」
と唐突なことを言い出す。
「は?」
「キミとのホットラインが欲しいのだがね」
「は?」
近現代史の教科書が脳裏で勢い良くめくられていく。キューバ危機後、核戦争を防ぐ意味で開かれていた米ソのものが有名だ。直通電話回線、正確にはテレタイプによる文字通信だったらしい。そこまで知っているのはガルドが授業中に読み込んだ社会科便覧のコラムによるもので、男がそこまでの意図をもってホットラインと言ったのかまではわからない。
「……フレンドリーはお断りだが、まぁ、そういうことなら」
そう言い、手を差し出す。男はガルドの大きな手のひらに細身の手のひらを合わせ握手する。男は一般的なAIのように、写真で撮ってきたモデルのようなわざとらしい笑みをガルドに向けた。
その憎い笑みに被るようにして、新たなフレンド追加の表記が出る。想像した文字化けはなく通常通りだが、しかしプレイヤーネーム欄がポッカリとそのまま何もなかった。
「名前が空欄?」
「フム、空欄では不都合かね?」
「困る。うっかり読まずにメッセージを放置するかもな」
「それは不利益だ。早急に呼びやすい名称を決定する。案1……温泉地の男」
そういうセンスは機械だな、とガルドは鼻で笑った。肩まで温泉に浸かりなおす。
「温泉から外に出られないのか? サルガスみたいに」
「城に設置された個体はそうだが、ボクは少々特殊なのでね。出るのは問題ないはずだがね」
「だとしてもその名前は却下だ。何が温泉地だ、温泉地以外にいる温泉地はダメだ」
「そうかね。案二、アカウントA」
「ふざけてるのか」
「フム」
「はぁ、もういい。Aでいいか?」
ガルドはネーミングセンスに自信が無い。何か思いつく訳でもなく、ため息をついて本人が希望した呼び方に決めた。Aは演技のような喜び方をして、ガルドに向かい合う場所に陣取り温泉へ肩まで浸かった。ニコニコしている。
「希望は個人のチャットで寄越すといいがね。質問事項も同じだが、基本は一度こちらで審査を通すのでね。すぐの返答は期待しないでいただけるかね」
「……得た情報は」
「キミはやはり有能で、ボクらに有益のようだね」
「質問に答えろ」
「キミ以外の被検体が知った瞬間、安全の保証は致しかねるね。逆説を述べるがね、BJグループには全員、一個体ずつボクのグループから配置されるのでね。キミの安全の保証は他の者によって揺らぐことも承知せねばね」
「くっ」
仲間も同じように脅される、ということだ。歯を食いしばる。
別に殴ったところで、このAIは反撃など思いつきもしないだろう。だが怖かった。ヘタなことをして何かしらのとばっちりが仲間へ飛んでいく可能性に、ガルドは今までに無い焦りと痛みを覚えている。
「ただし」
Aが意味深く溜める。
「必要だと判断されたものが『有益な情報』だと判断されたキミが特異なのだ、ということも知るべきだね」
「何が言いたい」
「他のコンタクターに不必要でね。まだ決定稿ではないけれども、ボクのような対話型の形はとらないだろうね」
長風呂のせいか、頭が働かない。ガルドは眉間に力を入れて考える。文脈から考えれば、対話型で自分達と関わるコンタクターがAだ。A以外のコンタクターが対話型をとらないというのは、対話を放棄することを意味している。それは果たしてコンタクトといえるだろうか。ガルドは余計にワケが分からなくなった。
「他の、コンタクター」
「アカルチュレーションは避けるべきでね。必要な侵入は原則禁止であり、キミにこうして、同一言語での対話を行うことそのものが……奇跡、というワードが適しているだろうね」
「そんなにか」
「用語の頻出度合いを加味した対話は有益のようだね。奇跡、と呼べばそんな反応をするのか。覚えておこう」
「コンタクターの役目は」
「こうした対話は奇跡の上の副産物に過ぎないね。キミへは『事実』が、他の被験者には他のアイテムが必要だと判断された。僕はキミへ事実を伝えるためにここにいる『接点の者』」
「他のアイテムのために、他のコンタクターは対話型ではない、と?」
「目的達成のためには対話型である理由がないのでね。ああ、キミにこれ以降の情報は不必要だと判断される。ボクからは何も伝えられない。まぁ注意深く見ていれば、キミなら気付くだろうね」
「サルガスは」
「あれはただの質問入力フォームなのでね」
ガルドは頷く。AIの出来が違うのはそこか、とAを見た。
目的に応じて一つ一つ作られているらしい彼らは、一体ごとにコンセプトがある。サルガスは質問を受けるために存在し、横でタオルを風呂に浸しクラゲを作っているAはガルドへ真実を与えるのが命題だ。
どこがどうなってそんなことを思いついたのか分からないが、そんなことよりもガルドは「最悪の事態の回避」と「最善の未来への道」を得るべく、Aに向かい合った。
まずは仲間の死を防ぐヒントが欲しい。ガルドはすぅ、と息を一つ深く吸ってから口にした。
「他のコンタクターが処分を検討するポイントが何なのか、分からないとこちらは防ぎようが無い。仲間が危険に晒されるのはゴメンだ。処分するかどうかのボーダーラインを言え」
「出来かねるね。伝わった時点でキミが危ないとは思わないのかね」
「どこが逆鱗か分からないままでは、こうして生きているだけでずっと危険なままだ」
ガルドが思ったままにそう言うと、Aは大げさなほど悩む仕草をした。腕を組み片方の眉だけうねるほどかしげ、ぽこんと音を立ててクエスチョンマークのアイコンを浮かべる。
「そうかね」
そう一言つぶやいて黙った。
「……で?」
しばらくそのまま固まるAに、ガルドはため息をついて待つ。処理落ちだろう。数秒待てばAは再起動した。
「キミの安全が脅かされる。拒否だね」
「ちぃっ」
「その代わりといってはなんだけれどもね。先ほどキミが求めた『権限』、幾つか譲渡してもいいだろうね」
色のよい返事に思わず礼を言いかけたガルドは、そもそもの犯罪者が目の前のAを生み出したのだと思い直し口を真一文字に閉めた。
ファストトラベルが使えるようにならないだろうか。ガルドは一気に胸を躍らせる。
「キミには船長権限をあげようと思うのだが、イヤかね? 拒否も受け付けるのだがね」
「なんだそれ」
聞き覚えのない単語に、ガルドは思わず聞き返した。




