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雪がゆっくり、もさもさと降っている。
オンラインゲームを一人ぼっちで楽しむような、一匹狼的ユーザーばかりが集まっていたはずのル・ラルブ。プレイ当初はよく来ていた元野良専門ユーザーのガルドは、目の前に広がる愉快で騒がしい様相を信じられないといった顔で眺めていた。
「ル・ラルブには似合わないな」
相棒・榎本もそう言って笑う。
「ん、違和感しかない」
「ソロのマッチング以外使い道無かったからな。ここにいるヤツらなんて縁遠かったのばっかりだろ。あぁ、お前の周りにいるのは元ソロが多いんだったか」
ちらりとボートウィグを見た榎本に、ガルドは懐かしみながら深く頷いた。車の改造を終えてやってきた仲間は久しぶりの再会を喜び合っている。普段はガルドにくっついているボートウィグも、今は夜叉彦やメロと語り合うために騒がしい輪の中へ入っていた。
ル・ラルブにはイベントに使える広場らしい場所が無いため、ソロマッチング用の待合ロビーへ全員が集まっている。
ひらけた野外の、中央に浮かぶ世界観ぶち壊しの巨大な電光掲示板が目印だ。受注されたクエストの一覧がずらりと、目まぐるしくスクロール表示されていたころが懐かしい。空っぽのまま宙に浮いているなど、以前ならばありえない光景だ。
「おい榎本! お前ん方のクルマ、俺らが格安でメンテしてやんよ。顔貸せ!」
「んだよそれ、金取んのかよ……ん」
ひらりと手を上げ「行って来る」の意。
「ん」
一つ頷き「いってらっしゃい」の意。
鈴音の一人に呼ばれた榎本が町の外へと歩いて行った。クルマは壊したつもりなど無いが、メンテナンスと言いつつ機能の追加をするのだろう。ガルドは一人、待合ロビーに置かれた大量の長椅子の一つに腰掛けて風景を眺めた。
鈴音とロンベル・レイド班からピックアップされて集まった「ル・ラルブ救援班」は、案の定お祭り好きでジッとしていられないレイド班側が八割以上をしめていた。
数少ないが混ざっている鈴音からの救援は、先ほど榎本を引き連れていったリアル技術者ばかりらしい。そこそこ話すメンツだが、彼らについてガルドが知っているのは「工場のとは少し違う技術屋。在宅で図面ひいたり」しているらしいことぐらいだった。
ガルドと特に絡みの多いソロ上がりのメンバーは被害者陣にも数名いたはずだが、今回の救援班ではボートウィグ一人だけのようだ。ガルドは特に話し相手もいない中、ぽっかりと空虚な暇を持てあます。
食べ物も飲み物にも飽きたころ、こっそりとロビーを抜けて気に入っている場所へ向かった。
徒歩数分の崖の上。ロビーから出て町の道を歩き、外れの岩壁につけられた階段を登り、脱衣所でポップアップ「温泉に入る」をタッチする。勝手に装備が消えタオル一枚になり、露天の入り口へ瞬間移動させられた。
掛け湯、というのがマナーらしい。勢い良く頭から手桶で湯を被り、片手で顔と頭を拭う。ざぶざぶとお目当てのエリアへ突入していく。
肩まで入れば全身が一気に熱くなった。
「っはー」
ガルドは全身で一人、大自然と温泉を満喫した。今朝も起き抜けで一度入ったため、本日すでに二度目の風呂だ。リアルでは日本全国各地にあるらしいが、なぜこの歳まで一つも巡ろうと思わなかったのか。ガルドは人生を後悔するほど、この数日で温泉にはまりこんだ。
ル・ラルブにしか無いとなると、城下町に戻ればまたシャワー生活だ。
田岡がオーナーのシェアハウス・サンバガラスは湯船があったが、五人詰めれば湯が無くなる程の狭さだった。こことは段違いだ。それに、とガルドは空を見上げる。露天というのは最高だ。開放感が段違いだった。
城への帰還が残念だと本気で思う。耳下まで湯につかり、息を吐くモーション。しかし現実のような「ぶくぶく」は再現されず、ただ温感再現の場所が広がっただけだ。頭まで潜っても息が出来る。
身体はどうなっているのだろう。本当に湯に浸っているように、全身がしっとりとしている。そう感じているのは脳ではなく皮膚なはずだ。長年フルダイブで過ごしたガルドは、この心地よさが単なる再現ではないと直感している。
ポカポカする気がする。
今は感じないが、他にもいくつかある。新たに加えられた「歯磨き」行為によるスースーとした感覚もそうだ。
再現しきれない腹の奥からの温度やメントール冷感。仲間とは共有していないが、これらは全てこの牢獄世界につかまってから感じた新しい技術だ。進路について調べる中、現在最先端の研究テーマとしてアメリカの技術系大学研究室HPに載っていたため覚えている。
温泉の再現は、市販されていたレベルでも「外気温の変動」程度だった。この温泉施設の元ネタが温泉ゲームではなく背景の一種として使われていたのも、低すぎる再現率のせいだ。
皮膚の水分接触を再現するのも、腹の中からの温感再現も、水中と外とが入り混じった複雑な浮遊感再現も、まだまだ研究されていない机上の空論だった。
「いい、湯だな」
メロがゴキゲンで歌っていたフレーズを思い出しながら、そらでなぞる。湯だ。口にした瞬間、リアルの自分が包まれているものをガルドは感じとった。
その質感は普段、脳波コンで遮断されているのだろう。ここでのみストレートに伝わってくる。喜ぶべきか難しいところだが、自分の置かれている状況が徐々に具体的に思い描けるようになっていた。
「きもちいいかね」
「っ!?」
ガルドは飛ぶように起き上がり、水しぶきを上げながら大きく後ろに下がる。
「おどろかせてしまったかね。それはすまないね」
「な……だ、だれだ!」
初めて聞く男の声だ。すぐには方角が分からず、首を振って探す。広い湯船の奥に、太腿まで浸かった状態で立っていた。
そもそもいつから居たのかすら分からない。来た時には居なかった。先ほどまでガルドは一人だった。温泉エリアに入ってくる際の、障子をひくサウンドエフェクトも無かった。
「だれ? ボクかね。ボクはキミの代わりで、キミのためのモノでね」
会話の内容が飲み込めず、ガルドは岸壁側に背中が付くほど下がった。鈴音もロンベル・レイド班も全員顔は分かる。目の前にいる男は、全く見覚えの無いアバ夕ーだった。
整った西洋系の目鼻立ちに、フロキリで一番人気なアーモンド型の瞳を埋めている。パリコレでモデルをするような、似たような完成度で埋没しがちだが非常に整った、一般で言う「美人」を目指して作られただろうヒューマン種のフロキリアバターだ。
ガルド同様タオルのみの裸体で、それもフロキリによくある細身の、しなやかで若々しいボディをしている。髪型もデフォルトの目に掛かる程度に長いセミショートを茶色で染めている。
パーツごとには見覚えがありそうで、全体でまとまっていると見覚えが無い。
「ソロか」
「いいや。ボクはキミとの対話を望むのでね」
先ほどから癖のある言葉選びだ。
ガルドは一転、城にいる黒尽くめの美形を思い出した。あれも美形で、少し顔を作るルールは違うが口調は癖がある。サルガス。AIで、プレイヤーの情報収集を望んでいた。男はアレと同じことを言っている。
「……AIか!」
ガルドは叫んだ。武器は無い。不安で気がそぞろになる。
「みんなそう言うがね。判断材料はドコかね? まぁ、興味ないがね」
ガルドは仲間たちへ通信を入れようと焦点をずらすが、男は慌てた様子になって止めてきた。
「あ、待って。ボクのことを口外するのは全く許されないことだがね。連絡相手が危険になるが、構わないかね?」
「は?」
「キミ専用のボクでね。他のニンゲンはボクではないのでね」
ガルドに理解できたのは、男が自分となんらかの関わりあいを望んでいるらしいことだけだった。
ワケが分からない、という顔を続けていると、まるで返事としてそれに答えるように男がうすら笑いをする。サルガスがよくする機械的な笑い方だ。
「長期被検体、番号AJ01の重要性は継続だがね。キミはその次なのでね、他とは違う自覚を持ちたまえ」
「言っていることが分からない。どういうことだ」
「ボクのアクセスが他の被検体に及ぼす影響はイレギュラーなのでね。ココに来たのも、他の反対を押し切ってのことなのでね」
男はざぶ、ざぶと温泉の湯の中を大またで近づいてくる。ガルドは右側へ進路を変えて少しずつ後退した。距離が詰まってくる。
「それに、あまり被検体にボクの存在が知られるのは、計画の進行段階上害悪なのでね」
「害悪?」
「キミ以外の第二被検体グループには、それぞれ差異を持たせたいのでね。比較できないほど変化速度が足並み揃う場合、被検体の重要度順に『処分』も検討せざるをえないね」
その恐ろしい言葉に、ガルドはヒュっと息を呑んだ。震えそうになる。久しぶりの純粋な恐怖に、膝が揺れ力も入らない。
処分とは、随分ストレートな言葉だ。
「今すぐ他のユーザーへの通話行為をやめるのだね。こちらもこんなに早く被検体を減らしたくない」
死ぬ、殺す、殺される。ガルドは目の前のAIが恐ろしいものだと気付き、愕然とした。
非公開なはずのチャット送受信も全て筒抜けなのだろう。ガルドはそっと、銃を突きつけられた一市民のように両手を上げ、通信画面を閉じる。
「よろしい」
案の定だ。見透かしたような男の目をガルドは睨み、腕を下げる。
「心拍が上がっているようだがね。急上昇ではないかね? ストレスはよろしくないのでね」
「誰の……だれのせいだ!」
叫ぶ。
「フム。キミの強い感情は記録しておくのでね」
ガルドはこの一言で、急速に頭が冷えるのを感じた。信号機や掃除機相手に怒るようなもので、自分が道化に思えて恥ずかしい。睨む目は変えずに距離を保つ。
武器を握るイメージをしても手が握りこぶしにならない。普段と違う、生身を操る感覚に近いシステムだ。ガルドは、指を一本一本握りこむ拳のイメージを強めた。
みりみり音を立てて、拳が人を殴る形に出来ていく。
「怖いのかね」
「こわくない。殺すぞ」
「キミは処分どころか、生命維持に気を遣うほどの重要個体なのだがね。命は保障されるのだがね。平常状態まで心拍を戻してくれないかね」
「謝るつもりも無いか」
「キミの言う通り、謝罪は無理だがね。参考文献から引用した計画と、その運用における調整の手法が必要だからボクはこうしてココにいるのだがね。そこからの引用だが、キミの行動を狙い通りへ導くために必要な燃料は『有益な情報』、キミの、こちらに不利益な暴走を止めるために必要なブレーキは『犠牲』」
有益な情報で一、犠牲で二を指で作り、男が笑う。
「犠牲……? 何がブレーキだ!」
右の拳を目の前の男の、うっすらと笑った左頬へ勢い良く打ち込んだ。
「脅しのつもりか!」
固い。コンクリート壁を殴るような感覚だ。痛くは無いが肘がしびれ、怒りが収まらず、そのまま男の顔を手のひらいっぱいでわし掴んだ。爪を立てるとツルツルすべる。気味が悪い。腕を引いて身体ごと数歩下がった。
まだ男は笑い顔を続けている。
「キミを殺すことが出来ないからだね」
バカ正直に本当のことを話す男へ、ガルドは怒りが湧き上がった。嘘でも「お前の命はこちら次第だから言うことを聞け」と言えばいいのに、そうガルドは願っているのに、だ。
胸が痛い。自分は別にいいのだ。ガルドは唇を噛みながら思う。別に死んでしまったとしても、まだ「みずきを失って狂うほど悲しむ誰か」は居ないだろう。
ドライな家族、嘘で取り繕った友人たち。祖母が居ない今、ガルドの一番はこの世界にいる仲間達だ。
その仲間達は、一番大事な何かをリアルに残してきた。
自分以外の仲間はここで倒れてはいけない。そんな、ガルドにとって自分以上に大切な仲間たちの命を人質にとっているのだ。目の前の男はまごうことなき敵だった。
泣きそうになりながら睨む。
「なんでだ。なんで、佐野みずきを、殺さない」
「死なせない、のでね。BJ01。キミだね。BJ02とはボクの有無が違うのでね」
「02?」
「ユーザーネームは榎本といったかね」
差、という言葉に男の言った「処分」というキーワードを思い出す。
キミ以外の第二被検体グループには、それぞれ差異を持たせたいのでね。比較できないほど変化速度が足並み揃う場合……
処分されるのは榎本だ。
そう思い至った瞬間、ガルドは泣き叫びたくなった。震えて肩を抱いてうずくまりたくなるのを、必死に理性で止める。
「BJ02は非常にキミに近しいのでね。彼には別のアプローチが予定されているのでね。ボクがキミへ接触したことを知った瞬間、そちらの計画が破綻するのでね。その時は困ったことに、かばいきれないのでね」
最後の一文に、ガルドは表情を崩す。恐怖を隠すため仮面のように固めた顔が、驚愕と混乱で複雑に険しくなった。




