318 無くした友を、盗られた部下を
ドイツ、ハンブルク。
車に乗り込むと暖かく感じるほど、風が冷たい。普段どおりのスリーピーススーツでは暑いかと思ったが、九郎はむしろ肌着を厚くすべきだったと後悔した。連れて来た部下は、もっと動きやすい服装にすべきだったとスーツそのものを後悔している。
周りは誰も彼もラフかつ安全靴という運動・防護性能に溢れた格好をしている。カーキとブラックの戦闘服集団に、九郎たちビジネスホワイトカラーは浮いていた。
入念かつ迅速な事前調査で、犯行グループの位置まで特定できている。迷うことなく目的地へと進むだけの移動に、戦闘服の男たちはリラックスしているようだった。緊張しているのは九郎たち三人だけだ。
気を紛らわせるために窓の外を見る。日本人である九郎から見ると堅剛で先進的な町並みが広がるが、この規模の町でも首都から離れた地方都市だという。さすが戦前日本が手本とした国だ、と九郎は感心した。
その一角でギョッとするほど異色な様相をしているエリア、レーパーバーンへと偽装バンで進んでいく。
車のラッピングはカリーブルスト移動販売車だ。観光地によく馴染むが、バンの車体は全て防弾合金で出来ている戦闘特化仕様らしい。
現地の協力者が用意してくれたものだ。
九郎はドイツに発つ前、自身より顔の幅が広いらしい久仁子へ支援を依頼していた。進展しない事件解決へ痺れを切らし金にいとめをつけなくなってきた彼女は、二つ返事でごっそりと現地の民間軍事会社を手配してくれた。
九郎のような一見さんは有力者でもお断りの、信頼と恩義で仕事をするような男達だ。限定された知人の紹介ならば合法も非合法も請け負う危険な彼らを、なぜ久仁子の紹介ならばすんなりと契約できたのか。九郎の中で何通りか憶測が飛び交ったが、わざわざ確かめるようなことはしなかった。
ドイツ語と英語、時折ヒンディー語が飛び交う。その中から自分へ向けられた内容を九郎は聞き逃さなかった。
「……ああ。突入の作戦立案はそちらにお任せする。提示した条件さえ守ってくれれば、なんだって構わない」
返事も、一拍の間を置いてからドイツ語で返ってきた。
全て脳波コンに接続した翻訳ツールから日本語の意味として感じ取れるが、耳に聞こえる発音も外国語とは思えないほどハキハキとして聞こえる。多国籍な社員を抱える会社特有の、外国人に聞き取りやすいよう意図した発音だ。
加えて、話す口元は真っ白で歯並びが良い。肌はずっしりとしていて筋肉質で、座っている姿勢も良い。
狭い車内で装備に身を包んだ男達からは、まるでボディビル選手団のような暑さがにじみ出ていた。温度だけでなく視覚からも感じる。
目だし帽にヘルメットは暑くないのだろうか、と九郎は少し引いた。筋骨隆々とはよく言ったもので、正規軍ではないため半袖の男もいるのだが、露出している腕の分厚さにおののく。
自分の細い首など、その大きな手のひらでひとひねりだろう。電子空間では九郎の方が強いことに間違いはないが、これから向かう敵地は犯人側も物理で守っていると予想できた。
そうした兵器の取り扱いや制圧の手順などは九郎および日本側のスタッフ全員が素人で、潜水艇探索の際に米軍兵士たちの豊富な知識と経験を目の当たりにした九郎は、余計な口を出すより任せた方が良いと学んでいた。
異国言語の交わりあう中、がらりと窓から見える景色が色を変える。
ネオンカラーでピンクが弾け、セクシーな女性の看板が色とりどりに溢れ、卑猥な単語が観光客向けに英語でドンと出ていた。
レーパーバーンは観光地で人が多い。しかし対象年齢が限定的な、いわゆる風俗街と呼ばれる類のものだ。奥まった路地に入れば落ち着くが、道中のほとんどを人の目が多い歓楽街の街頭が占めている。そこを正面から走っていかなければならない。
犯人がレーパーバーンを選んだのはそれが狙いか、と九郎は睨んだ。
人気がゼロにならない街。首都でも夜はがらんどうになるが、ここはドーナツ化現象とは無縁の街だ。真夜中こそが盛りで、二十四時間眠らない。
防犯カメラを掌握し、人の目のある場所で堂々と振舞う。あとは電力を過剰に使用している特殊な遊戯施設だと言い張れば、この街で安全を確保するための理屈は通るだろう。
PMCのリーダー格が「ここだ」と言い、車を停車させた。
「こちらの突入は?」
聞けば、振り返りざま男が「自分が護衛する。同時に全員来い」と手招いた。電子戦装備のバックパックを背負った部下の一人が「ひぇ」と小さく悲鳴を上げ、肩当ての紐をぎゅっと握る。
「……行くぞ」
九郎はジェラルミンで覆われた高性能PCを二つ、両手に持ったまま車から降りた。
得られていた三橋のビーコン情報だけで既に、この地点周辺一キロ圏内に絞りこんでいる。そこまで出ていれば、あとは条件を照らし合わせて特定できた。九郎はドイツへの道中で早々に、細かい建物の住所まで調べつくしていた。
上空からの衛星画像と電力消費量、郷土史データや土地売買の経歴データ、そして現地に住むプレイヤー達が口をそろえて「ここの近くだとバグるよ」と書き込んでいる掲示板。
全部合わせると、居抜きを繰り返して原型をとどめていない雑居ビルに突き当たった。
外見は何の変哲もない、ごく一般的なビルだ。過去の物件情報にさかのぼれば防音が完全になされた地下室があり、扉が完全には閉まらない半個室が点々としているらしい。その一つ一つに大規模な電気配線と給水・排水設備が揃っている。元の用途はさておき、人を一人ずつ閉じ込め生かしておくのには便利だろう。
情報は揃った。あとは、中にいるらしい三橋の救助と、敵本体へ繋がる証拠の収集だ。
九郎は固唾を呑み、PMCの一部隊がドアの前で陣形を整えるのを見つめた。
部隊の全員が脳波感受を埋め込み、薄型の送受信デバイスを貼り付けたヘルメットを着用している。無言のまま一糸乱れぬ連携で、封鎖されていたドアを開放するために決まった配置へスタンバイ。
一度ぴたりと隊員が制動する。
街のざわめきしか聞こえない。扉の前に立った男が脳波コン経由の号令を受け、小型の破城槌を、左ひざから太ももにかけてのプロテクターから膝蹴りの形で打ち出した。
九郎は身構えるが、音は意外と小さかった。
映画のような爆音を想像していた九郎は、ぱすんという小さな破壊音と、続いて室内へ攻め入った隊員たちの足音に驚かされる。遠くで酔っ払いが叫ぶ外国語の一字一句が理解できるほど静かだ。
<よし、行くぞ。止まるときはすぐ止まれ。指示ですぐに伏せられるように>
隊員たちに習ってそう通信で入れれば、後ろの部下二人は緊張しきった顔でごくりと頷いた。
中は廃墟そのものだ。埃臭く、じめついていて暗い。はるか前方まで進んだ隊員たちが照らすライトで不安こそ無いが、すぐ後ろを歩く部下が<俺、お化け屋敷とか全然ダメなんですけど>と泣き言を呟いた。
窓の無い、あっても全て段ボールやベニヤ板で乱雑に目張りされている暗い室内を、すぐ前を歩く護衛の男の懐中電灯だけ頼りにして歩く。床に散らばっている酒のビンや缶、薄汚くなんだか分からない箱のようなものを避けつつ歩くと、どうしても最前線の兵士と差が開く一方だった。
埃とコンクリートが擦れる小さな音だけが響く。三十人規模とはとても思えない静けさだが、時折金属の塊が揃うチャッという音に、九郎は心から安心した。
フロキリでも良く聞いた、ガンナーの構え音と同じものだ。
曲がり角があるたびに身を隠し、銃を構え、安全を確保しているのだろう。だからこうして九郎たち一般人も突入に参加できている。
<ボス!>
唐突な部下の悲鳴。
<報告>
<黒ネンドの波長です!>
九郎は視線だけ背後の部下へ向ける。
<起点を探れ。同時に各種オーディオをハック、ECM用意>
<了解>
怖がっていた部下二人が一転、真顔で集中し始めた。宙を強く睨み、足取りに震えは無い。九郎はその間、他の敵性信号が無いか収集データをモニタリングしていく。
黒ネンド早期発見用の音波軸は真っ赤になっていた。
通常の火薬武器に加えて軍事会社が持参した非殺傷兵器・風圧銃が撃ち出す超高圧の圧縮空気弾を受け、ホバリングしていたドローンが壁に激突していく。
狭い室内ならではの戦法だ。ドローン自身がプロペラとモーターを内蔵しているためか、衝撃を受けた反対側へ勝手に回転し、床や天井にバウンドし、重たいカメラが振り子のようにドローンを振り回す。ジャイロセンサーを強引に狂わせるもので、人間に当たっても相当痛いほどの風圧だ。
床に落ちたものは、部隊に数人いる電磁ネット持ちが虫取りのように集めた。九郎たちも道中、ゴミのように捨てられた大量のドローン入り網袋を見かけている。あとでバイトにでも回収させるか、と九郎は名残惜しそうに見送った。非常に貴重な犯人へ繋がる物的証拠だ。銃器で破壊されていないため、チップなどは落下の衝撃を除きほぼ無傷だろう。
ぜひ回収したい。九郎が顔を険しくさせていると、一番先頭を行っていた部隊から報告があがる。
被害者を除けば無人。
「やはりか」
犯人たちは既に逃げ出していた。
もともと居たのかすら分からないが、このAIドローンを調べればある程度割れるだろう。オート起動が搭載されていても、一番最初にドローンのスイッチを入れるのは人間の手だ。機械工学を得意にする部署がある日電の仮本部や、ツテが広い白亜研究所の白亜博士ならばどうにかなるだろう。
無人機を無力化しながら、階段を下がっていく。
「う……」
階下はさらにカビ臭いが、埃は無い。
来るまでは酷かったのが嘘のように掃除が行き届いている。案内されるまま地下四階についたころ、九郎たちはスーツのスラックスが真っ白になっていた。それほど汚れていた床の上にはタイヤの跡が何重にもついていた。それは地下四階まで室内運搬機を使ったということだろうか。
被害者達は黒ネンドで操られていただろうが、「ニンゲンの遠隔操作」では階段の上り下りに弱いことも判明している。機械で運搬されたとみていいだろう。九郎は推理のログに書き留める。
地下四階フロアを埋め尽くしている大量の半個室ブースは、一つ一つ丁寧に透明ビニール製のカーテンが下げられている。
<どうだ>
<信号テストしないとなんともいえませんね>
<でも……我々で剥がせそうには無いです>
<そうか>
田岡の例から予想されていたことだが、被害者たちは外側から回線切断することが出来ないようだった。
既に調べつくされた田岡の脳波感受型コントローラ用フルダイブデバイスは、大きなヘルメットの形に加え、耳の後ろに金属部品がある。ただの支えとして設計者が作った宛がいのパーツは、設計図とは大きく乖離して独自の形へ変形していた。
無理やり田岡の脳波コンを取り外そうとしたときのことを思い出しながら、九郎はブースの一つへ足を踏み入れる。
床をごん太のコードが何本も遭っている。上を大またで跨ぎ、梱包フィルムのような薄いビニルカーテンを開き、中に置かれている棺のようなプラスチックの箱を見た。棺に見えるが死んでいない。箱型のベッドと呼ぶべきだろう。九郎は覗き込んで顔をみる。
日本人ではない。機器で覆われていて分かりにくいがロシア系の男性、三十代後半といったところか。
おおごとになるだろう。中に押し込められている彼のアゴと耳後ろには、九郎の予想通り手術の跡があった。
周囲では傭兵たちが、依頼どおり記録をとるため走り回っている。ドイツ当局に荒らされるより先に証拠を掴み、被害者達の救援は現地の一般警察に任せる予定だ。
一般人が彼らを見れば、ログアウトを無理にさせようとするかもしれない。その一点が心配だった。
九郎は彼らへ情報を伝えず去るつもりでいた。犯罪すれすれの行為をしている自覚はある。国には目を瞑ってもらっている。これ以上、自分たちの活動が日の目を見てはいけない。
早く気付いて欲しい、どうか彼が殺される前に。
肉の焼ける臭いに気付いてほしい。
九郎は願うが、塵も「無理に外そうとすれば死ぬぞ」と伝える気はなかった。申し訳ないとは思うものの、田岡以外の被害者は優先順位が低い。田岡を救うまでは、自分たち日本人が行動していると気付かれてはならない。気付かれて、行動を制限され、田岡を救う人間がいなくなってはならない。九郎の頭はそれ一色だった。
田岡には痛い思いをさせてしまった。
あの日に戻れるのならばやり直したいほど、ただぼさっと見ているしか出来なかった九郎は自分自身を憎んでいる。
一度、回線を切断したことがあった。それでも田岡は目を覚まさなかった。
田岡の頭から勢い良く煙が発生し、肉の焼ける忌まわしい臭いが立ち上り、数秒後には熱痙攣をはじめた悪夢の光景が目に浮かぶ。慌てて有線接続を付け直したが、田岡のバイタルは危険値まで下がってしまった。
脳波コンの一部から飛び出た金属部品は、両耳の後ろから脳まで貫通している。そんな仕組みのものは作っていない、と開発者の男は泣いていた。後から犯人の誰かによって改造されたらしいが、その手段は分かっていない。黒ネンドのような遠隔操作で行った可能性は捨てきれないが、怪しい人物などはパブリックシギントには映っていなかった。
回線や電源を落とした場合、金属の針が異常に熱を持ち、脳を焼き殺す。田岡はかなり危険な状態だった。付け根を掻き分けて見た医者が苦悶の声を上げるほど、熱でグロテスクに爛れていた。無菌室へ移送したのはこの頃だ。
<ボスっ! 三橋さんがいません!>
九郎は衝撃で思考が一瞬飛んだ。
<なに?>
<全ブース見ましたが、いないんです!>
<他のフロアの再チェック! ビーコンは!>
<もう信号は完全抹消済みですよ、そう設定しましたから!>
慌ててブースを飛び出し部下の下へ走る。三橋を取り返しに来たはずだが、無駄足どころか警戒させてしまったかもしれない。焦り、脳波コンでデータをもう一度洗い直していく。
<近くのシギントは!?>
<無理です無理です、足つきますよ!>
<ボス>
部下二人とは違う声が入った。
<滝>
<三橋先輩はこちらでも探します。警察向かってるので逃げて! 十五分だけ時間稼ぎます!>
<くそっ! あちらもなかなか有能だな!>
他の隊員たちにも声をかけ、九郎は撤収を指示した。
収集した現場のデータは完全ではないが、とにかく拘束されないよう釘をさす。三橋回収用に用意していた小型の担架には、ドイツでも日本でもない別の国の製品を持参している。放置しても問題ないだろう。
着の身着のままといった慌てようで撤収する中、九郎はまた、もう一度願った。
田岡を助け出すために、どうしても止まるわけにはいかないのだ。上手く回線を生かしたまま運び出してくれ、現地の同志たち。あとはよろしく頼む。
ブースはどこも静かで、何の返事もない。正面を向く。
滝と大柳に指示を出しつつ、九郎は走った。




