315 邪悪な木の門
「なーんか、静電気みたいな何かが顔を這ってる感じするんすけど」
「大丈夫か、それ……」
城下町に比べてほんのりと涼しく感じるのは、厳しい自然の北東を感じさせるためのゲーム的なエッセンスだ。
風を顔に浴び、ガルドは目を細める。黒い岩と硬い氷交じりの雪は、ゴツゴツとした山岳地帯風デザインを目指して配置されている。その高低差のせいで、今まさにガルドは荷馬車のように走っているところだ。
岩の多い急勾配な雪原を、真っ赤なソリ——タイヤ式になり、もはや人力車と呼ぶべきもの——が走っている。形は人魚島からの帰還にガルドらが使用したものと同じで、背の高い小屋にも見えた。
相変わらず動力源は牽引式で、荷車を牽く取っ手のような柄がフロント部分につけられている。だが以前より改造が加えられ、モンスターではなく人間が納まって牽くのに適するような、人力車程度の小ささに縮められていた。
南西に位置したディスティラリ・クラムベリ側の道に比べ、こちら側の山は崖が多く起伏が激しい。ガルドは揺れの少なそうな、それでいて岩の無いルートを選んで走った。
車を牽いているのはガルド一人だ。
モンスターでの牽引は、タイヤ式になった改造三段階目にもなると少々早すぎる。ガルドは自分から率先して俥夫を買って出たのだった。
力仕事だから率先した自覚は無い。単純に、車を引いて運転するのは楽しかった。周囲は筋肉男らしい役割分担だと笑ったが、榎本とボートウィグは何も言わずに苦笑いしていた。
車内では、同行することになった三橋が病状を訴えている。
「さっきからチクチク鬱陶しい」
「お前、生身の方大丈夫なのかよ」
「うーん、正直不安はあるんすけど、そんなことより仕事がはかどってるのでいいや」
「確かに生身側の不調を訴えたところで解決方法、特にないよなぁ」
「この感触、どう考えたってヤツラの仕業ですし」
三橋の同行は、彼が言う「仕事」の一環だ。
ゲーム的な装備を何も持たなかった田岡と同じように、ゲーム内の通貨で買える装備をガルドたちが選び、武器そのものは本人へ触らせて選んでもらった。その結果、片手で持てるリボルバー式の銃とラウンド型片手盾の兼業タンクになった。本人はやたらと満足げだ。
だがあまり似合っていない。
ボディ用の装備も合わせて重みのある防御系・重量型にし、痩せぎみの三橋は一気に平均男性以上の肩幅を手に入れた。茶色ベースの皮製鎧で、シルバーのチェーンと白くモフモフとした装飾毛がアクセントになっている。本人の希望で、頭まで鎧にはしていない。
そのため、大きな鎧から細い首がにょきっと生えている。
ガルドは三橋に「お祝い」だと言って白ボアのタートルネックとフードが合わさった追加装備をプレゼントした。防寒フードは装飾品扱いで、一定ダメージを受けると破損し消滅する。
三橋は満面の笑みで喜んでいた。フードが頭と首を増量し、鎧とのギャップを埋めてバランスが取れる。ガルドはこっそりと、横浜で青春を謳歌していた頃の友人たちに感謝した。雑誌を開きつつ熱弁していたファッションテクニックがこんなに役に立ったのは生まれて初めてだ。
「ビーコン埋めたの頭頂部だから、それかなぁ。だといいんすけど」
「ビーコン?」
「そうっすよ〜。外国行くなら必須ってんで慌てて、ね。コレが動いてるなら、仲間達が生身の身体を見つけてくれるのも早くなるんで」
「なるほど、そういう意味でのビーコンか。やるなぁ、捨て身の作戦じゃねぇか」
「決死の。正確には死に物狂いに頑張ってる我らがボスの指示なんスけど。ボス自身も入れてますし」
「ディンクロン……そんなに気合入れて取り組んでんのか、アイツ。あの『やる気ゼロ超えてマイナスのチート野郎』が」
「おーっと、それ以上僕のボス馬鹿にするのは許しませんよー?」
「へぇ、あのディンクロンも部下には慕われるんだな」
「なんすか? その含み。こっちでどんな感じだったのか逆に気になる……」
車内で話しているのは榎本と三橋だ。他のメンバーは後発の、もう一台のマシンでやってくる。設置面が多く移動速度が遅くなってしまった連結型ソリを高速化するため、クラムベリから辿り着いた鈴音・ロンベルレイド班混合チームで新作を開発している最中だ。
技術班のリーダーは意外にもボートウィグで、非ゲーマーを乗せつつ護衛できるような装甲列車を目指しているらしい。SF映画好きのマグナは下絵の時点で大絶賛していたが、ガルドは不満だった。
あのデザインは全くイケてない。なぜ配管。なぜ煙。なぜ火を噴く。そもそも足回りにキャタピラなど必要ないだろう。先頭車両の鉄製ギザ歯など本当にいるだろうか。ガルドには全く理解できなかった。
先んじてロンベルが誇る腕利きアタッカーであるガルド・榎本コンビ、そして解決捜査班のリーダーを任命された三橋の三人だけがル・ラルブへ急ぐ。
人選理由は三点だ。アタッカーの補填、現地調査。そして、ぷっとんへ先行して会わせたいという情報網形成だ。最後の一点は三橋本人の強い希望だった。
三橋は、「現地における解決捜査班のリーダーは布袋女史であるべき」だと言って譲らない。実務上それが正しく、早急な合流が日電警備社員的には望ましいのだと力説した。
実際、ガルドたちは迷惑でこそなかったが、二人の伝書鳩役には少しばかり疲れていた。
ぷっとんと三橋は顔見知りのようで、既にガルドなどを間に介した会話は出来ている。だがフレンド登録をしていないと、直接の音声チャット通話は出来ない。そしてフレンド登録も、IDをDMでやり取りする以外の方法では、直接顔を合わせなければならなかった。
フロキリユーザーだったぷっとんのIDは分かるが、三橋のIDは田岡同様に文字化けしていた。数字だけのはずのIDに半角カナが入っている時点で危険物だ。フロキリのころと変わっていない画面では、入力すら出来ない。
ガルドは走りながら、解決を彼らに頼らなければならない面目なさ、そして三橋を巻き込んだ間接的原因だという自覚からくる、腹の底からの強い罪悪感に落ち込んでいた。
「はぁ」
他の仲間に比べればどうということのない悩みだろう。会いたい家族に会えない苦しみ、リアルとは違うゲーム空間に閉じ込められている苦しみ、生命の保証が脅かされている苦しみ。それらに比べれば優先順位が低いものばかりだ。
言われた訳でもないのに勝手に三橋へ申し訳なく感じているガルドは、謝ることで逃げる方法をとれない。
付きまとう罪悪感に正面から立ち向かわなければならなかった。
どうすればいいか考える。
「いやいや、俺なんて全然っす。支援タイプなんで」
「エースって言ってたろ? リーダー向きじゃないのかよ」
「布袋女史のリーダーシップにゃ全然叶わないですって! いやウチのボスの方がボスっぽいっすけどね」
「まぁアイツ、ギルドのサブマスとしてはかなり有能だったけどな。別に堅苦しくそういう年功序列とか考えなくていいんじゃね?」
「俺は後ろから支援するのがいいんで」
「その、腰に下がってるお前が選んだ銃と盾。ガンガン前出るスタイルの武器だぞ」
「げぇっ!? まじっすか!?」
「まじ」
「銃だから選んだのにー。支援職じゃないんすか?」
「ただの中距離武器だし、盾持てば誰だってフロントだろ」
三橋が繰り返すポジション名に、ガルドは振り返った。痩せ気味の彼の、今にも折れそうなほど細い腕と背中。
支え援護する。陰ながらの、気付かれない貢献も支援の一つだ。
「なるほど」
本人に気付かれないよう秘密裏に、そして誠心誠意、彼の望みを叶えることこそ償いになるだろう。ガルドはそう決意を新たにしていた。
城を離れれば離れるほど、雪の量はどんどん増えていく。豪雪地帯だ。更に標高が高ければホワイトアウトエリアだが、その手前の、比較的降雪量が控えめな場所を選んで走る。セントリーガンから剥がしたタイヤのお陰で、たまに雪の上を足で蹴って加速する程度の仕事で済んでいた。
前方に巨大な岩が見える。ぶつかったら車は大破するだろう規模で、飛び越えるのは無理だ。下り斜面を滑走していた車はすぐには曲がれない。
だが慣れたもので、両足を揃えて膝を曲げ、身体を浮かせて車のどのパーツより早く岩へ足をついた。
「つかまれ」
念のため乗客に警告する。
ぐっと力を込め、そのまま飛ぶように足を伸ばした。左側へと車を強引に横滑りさせる。直進していた車が大きくカーブし、車内から野太い男の悲鳴が聞こえた。
「慣れたもんだ」
ドリフト気味に滑り込む。大人向けファンタジーアクションゲームならではの、極限までリアルを追及した雪の粒と氷の上を、スピーディで大迫力なレースゲームらしい演算で駆け抜ける。現在の科学力で再現出来る最高峰のリアリティとエンターテイメントに、ガルドは俄然燃えた。
背後の車体部分が衝撃に耐え兼ね、雪塊を吹き飛ばしながら横に吹き飛ぶ。
そのままガルドは勢いに任せ車を一周回した。そして、両足で雪の大地へ杭を打つようにブレーキをかけ、正面を向いたタイミングで前へ蹴る。
科学の力で作られたタイヤは、不思議なことに雪の上でもどんな場所でもコンクリートと同じ速度で回る。地面の材質が考慮されないのは、宇宙空間でのレースゲームだったスクスピシリーズの恩恵だろう。ガルドは「プレイしててよかった」と心底ゲーム歴を誇った。
ココまで来ればしばらく下りだ。岩も減る。マップで確認したガルドは背中を車体前方フロントガラスへ預け、膝を柄と腕の間に収めた。
運転手が空中体育座りのまま、車はアルプスの山々にも似た急勾配を勝手に駆け下りていく。
「ガルド!? お、お前っ、少し安全運転とか考えろよ! 壊れたら簡単には直せないんだぞー!?」
「分かってる。大事ない」
下がってはいるがフリーフォールではないため、榎本は前回よりもずっと元気だ。三橋は奥で笑っているらしく、楽しそうな声が聞こえた。
「おにーさん運転上手いっすね!」
叫ぶように奥から褒め言葉が届いた。
「ん、どうも」
「上手いも下手もあるかよ、無免許だぞコイツ」
「ソッチもだ」
「えー、二人とも? 自動運転車でも免許ないと一人じゃ乗れないじゃないっすか」
「ああ」
「都内じゃ不便無いしな」
「まぁ、お二人の世代だと多いっすよね」
免許の取れる年齢まであと数ヶ月残しているとは言えない。
三橋はどうやら、ガルドと榎本を本気で年上だと思っているようだった。今の四十代から上は免許取得率が低く、逆に車両免許取得へ公的な税金ばら撒き支援が入った三十代以下は取得率が跳ね上がる。
ガルドはフン、と車内にいる男を煽った。
「そこの榎本よりは上手い」
「言いやがったなテメェ」
「スクスピ6は確実にこっちが上」
「数回やっただけじゃわかんねぇだろ」
「十一回やって、十回負けててか」
「ぐ、スクスピでも2なら俺の方が上手いぞ」
「古い」
「でもあれ名作だぞ。シリーズの方針固めたし、加速アイテムのバランスは一番シビアだった」
「確かに」
「6も悪くねぇけど、甘いぞアレ。親切すぎる! もっとだな……」
榎本が楽しそうにレースゲームの話をしはじめた。三橋も経験者らしく、過去の思い出を織り交ぜながら話に加わる。途中、岩が見えれば早めに軌道変更し、登り道になる前に加速し、細い山の裾野と巨大湖の脇はゆっくりと走った。
途中で数度の休憩と一泊野宿を挟み、一行は目的地ル・ラルブへ数分という位置まで近づいていた。風景はとげとげしい針のような岩山で、横から殴りつける氷雪がいびつに積もっている。そんな悪路でもタイヤ走行は有効で、予定日数よりも早く到着できていた。
牽引の柄の内側で、榎本が円盤に両足を乗せ、雪の上を滑らせるようにして滑走している。
スノーボードの要領だ。道中にガルドが編み出したもので、三橋用に持参した丸い盾をボード代わりにしている。たまに降りて走り、車全体の加速をかけなければならないが、ボードが出来るなら俺も! と二日目から榎本が牽引を変わっていた。
「このものものしい邪悪な鳥居、なんなんですか?」
「あ? じゃあく?」
ガルドは榎本に「寄るか」と声をかけた。三橋が、車体にあいている穴でしかない窓から顔を出し、少し外れた道の先を指差している。牽引役の榎本が徐行からゆっくり停止すると、窓へ上体を突っ込み滑り落ちるように、三橋が外へ出た。
「見慣れちまって邪悪には感じないけどな」
「確かにホラーだ」
「怖いか?」
「全く」
「グロスプラッタだったら寄り付かなかっただろ」
「R18タイトルはプレイできない」
「ははっ、そりゃそうだ。子どもにゃまだ早いな」
「あと半年切ってる」
「そうかそうか、もうそんな時期か。誕生日ケーキ作ってやるよ。ホールのショートケーキにチョコプレートで『ハピバ☆』って書いてやる」
「む」
「お、なんだよ意外だな。まんざらじゃないみたいな顔して」
「別に」
走っていった三橋に聞こえてはマズい話をしつつ、ゆっくりあとを追いかける。
「あともうちょっとったって、それ十八歳ってことだろ? 酒解禁まで二年残ってるじゃねぇか」
「……言わなくなったな」
「酒のめって? 考えてみりゃお前、コッチでも向こうの倫理観で生きてるだろ。そういうの大事だよな。大事大事」
「やっと分かったか」
「だから安全運転しよう、とか」
「んっ」
「ドリフト走行は道路交通法的にアウトだよな、とか」
「むぅ」
「そもそも無免許」
「く……」
「法律遵守が最優先なんじゃないのかー?」
「く、車じゃないから……」
「それ言ったらビールだってビールじゃないだろ、って。うわっ、んだこりゃあ」
「ん?」
榎本が立ち止まり、上を見上げる。ガルドもおなじように首を持ち上げ、空を見た。
「邪悪って——そういうことかよ」
「今度はなんだ」
「スクショとって全体共有しとくぜ。もしかしたら……」
「もしかすると、だ」
寄り道で立ち寄ったのは、ル・ラルブに隣接する自動生成系ダンジョンの入り口だった。山に小さくあいたトンネルのような穴と、その入り口に立つ不気味な木が目印だ。大きく背を伸ばした枯れ木が鳥居のように二本、穴を挟む位置で伸びている。枝先が絡み合い、カラスが止まり木にして不気味な声で鳴く。そういう意味ではダークなデザインで、しかし邪悪と呼ぶほど怖くは無かった。
そのはずが、見上げた枯れ木の鳥居は姿かたちを大きく変えている。昔と違う。
「おにーさん、これ、もしかしてなんかの入り口っすか?」
「三橋、ゆっくりコッチへ。下がったほうがいい」
「え?」
「いや、動かない方がいいかもしれねぇ。既に入ってたらどうよ」
「む。三橋、アラートは聞こえるか?」
「あらーと? このピーンピーンってやつ?」
「あー……」
邪悪と呼ぶにふさわしい姿へ変わり果てた鳥居は、まるで魔界の門のようだった。
元の枯れ木と、図録や美術館で見るような西洋の彫刻像とが融合している。木から生えるようにしてくっついているが、境目は粘土を指で成形したようななだらかさだ。
黒いコールタールのツヤっぽい質感エフェクトが掛けられた彫刻郡は、どれもフロキリとは違う別タイトルのニンゲンに見える。四方へ腕を伸ばし、引きずり込もうとしているようでおぞましい。ガルドはしかし、グロテスクとは正反対な質感をむしろ美しいと思った。
全て裸体で、フロキリのヒューマン種よりも滑らかな筋肉をしている。とても本物の人間から撮られたトレースのポリゴンには見えない。ギリシャの彫刻より肉質が耽美寄りで、顔の造詣はどれも普遍的な美を目指しているように見えた。
ガルドは人並み以下の観賞眼だが、高名な彫刻家によるものだと言われても納得できるクオリティだ。
そして心なしか、ル・ラルブ周辺の険しいBGMが不気味なイメージへ転調している。
リズムが変わり、ドラムが増え、不調和音のような違和感を覚える。
榎本がこらえきれず、低く「くっくっく」と笑う。
「なぁ相棒」
「言うな」
「嫌な予感しないか? なぁ」
榎本は楽しそうに、ひじでつついてくる。
「寄るな。喜ぶな。トラブルだ」
「なんだよ、お前も笑ってるじゃねぇか。同類だな」
そう相棒に指摘されハッとし、ロへ手を当てる。確かに榎本の言うとおり口角が上がっていた。トラブルには違いないが、どちらかといえば嬉しいサプライズだ。
冷静さのタガが外れると、じんわりとガルドにもゲーマーとしての熱狂が湧き上がってくる。
「今気付いたってか? 可愛いなオイ」
「だれが」
「なに自分に驚いてんだよ。素直になれって~」
明るく絡んでくる榎本を手で払うようにして牽制する。
「ん」
「旅ってのはこうじゃなきゃなぁ!」
「さっさと三橋回収」
「じゃ、もし来たらカバー頼むぜ」
「ん」
手持ちのアイテムは潤沢だ。ホラゲ製ヤマタノオロチ戦を踏まえ、少ない人数でも戦えるよう一級品をそろえている。腰のアイテム袋は戦闘用補助のものでパンパンだ。
その中からバフ系の石版チップを取り出し、床に叩きつけるモーションで叩き割った。高音とスカイブルーのエフェクトが光る。
「三橋、そこ動くなよ。絶対、ゼーったい動くなよ!」
「フリっすか、それ」
同じように石版を割った榎本と共に、ガルドは飛び出した。




