313 喰らう反撃、ここから
現実世界から友を助けるため奮闘している九郎は、敵との戦争状態にあると日電スタッフへ周知していた。最初は個人的なものだった。田岡という唯一無二の友が捕まり、助けだすための足がかりになるはずだった。
一般プレイヤーも巻き込まれ、布袋という相棒も失い、それでも着々と敵の背中に手を伸ばしていた。
逃げる敵を追っていた。九郎始め、日電の社員全員がそう思っていた。
「戦争だ。宣戦布告も無しの、あちら側には自覚も無しの」
全社員に向けて送ったボイスメッセージに、九郎はそう吹き込んだ。風向きはがらりと変わった。
まず部下が誘拐された。その折に出向社員が重症を負っている。この時点で対応に追われた日本電子情報警備株式会社は、ヌルスルタン・ナザルバエフ国際空港発のシェレメーチエヴォ国際空港着、エア・アスタナA321便に関する情報収集に出遅れてしまった。社員の安否や病院の位置などは細やかに把握できたが、現場で何が起こったのか、事件性の有無などは全て現地当局に押さえられている。
だからこそ日電警備は焦った。案の定、世界にばら撒かれた乗客失踪事件はテロによる誘拐と断定された。運悪く乗客内訳がカザフスタン国民ばかりで、比率にして八割を超えていたこともあり、両国の関係を悪化させるのが目的だろうと噂されている。
ロシアと旧ソ連構成国との争いは、他の国々を巻き込みかねない巨大な種火だ。
九郎たちの焦りは戦争への予感だけではなかった。自分たちと誘拐犯罪集団との戦争の、大きな黒星になってしまったのだ。優位に立つための行動は立地的にも大変厳しくなる。状況は悪くなる一方だった。
ロシア政府は、脳波感受型デバイスに関わる日本国内での誘拐事件を知らない。全く関係のない部外者である日本人は、痕跡が残っているはずの飛行機に立ち入ることすら許されなかった。
そして、把握しているこちら側の誘拐事件について情報共有すべきだとの九郎からの打診も、日米双方からストップが掛かってしまった。それこそ冷戦の再来になりかねない、という現場スタッフからすれば理解しがたい理由だった。
八木へ伝えた「悪いニュース」は、救った乳児の両親らを救うために動き始めているカザフスタン共和国軍が、全く見当はずれの場所ばかり探していることだった。自力で脳波感受型デバイス絡みの事件だと気付かない限り、彼らエア・アスタナの被害者たちを最優先で探す組織は無い。
「あの子は、じゃあ」
「八木……我々に出来るのは、一刻も早く元凶を叩くことだ」
元凶のすぐ近くに子どもの親がいるはずがない。八木は分かっていた。自分たちは日本の組織で、日本人の救助を優先させる。後回しになるのを黙認しろ、ということだ。
「他人任せには出来ませんてェ」
エア・アスタナ機誘拐事件は国際社会の大注目を浴びている。だが怪我をした日本人の男と小さなロシア人乳幼児が無事だった理由を、ほぼ全員がそのままに考えていることだろう。
日電警備は極秘裏に調査出来るよう、社長の兄のツテを使い中国経由で働きかけている。が、動きは鈍い。歯がゆい日々が続いたが、意識不明だった八木の目覚めは思った以上に早かった。
そして八木よりも早く、田岡の口を経由して届いた三橋のメッセージが、佐野ら日電警備の元へ届いた。
東京、新木場エリア。
ここには倉庫の形をした日電警備の仮移設本部がある。暗くうず高いその最奥には、大型の船舶用コンテナがそのまま搬入されていた。人間が入っても天井高には余裕があり、窓の無いちょっとしたプレハブ小屋のようにも見えた。
倉庫側からコンテナへ大量のケーブルが入り込み、中からは光が漏れていた。防菌用ビニールが垂らされ、一歩踏み入ると消毒液のにおいが鼻をツンと掠める。
さらに奥を見れば、ホワイトパイプの移動式ベッドが二つ。
「危険でさァ、ボス」
「言ってられん。他にあるか」
「ねぇけどよぉ」
八木は横になったまま、こめかみから生えている角デバイスをフル活用して早速仕事に復帰していた。同時に社長である晃九郎とシリアスな話をしているが、八木特有のフランクな口調が空気を柔らかくしている。
隣から、話に全く関係ない間の抜けた男の声がした。
「ん? う んうん……うん……くひ、くひ ひ。聞い てくれ、九 郎。いっぱい いるぞ。いっぱい 人 が来た。うん……と ても いいことだ」
「……ふ」
八木のベッドに隣り合う形で、田岡のベッドが置かれている。飛行機内で誘拐された三橋が向こう側へ辿り着き、田岡の言葉全てが九郎の耳へ届いていると周知されて数日。
田岡はこうして、九郎を名指しして喋ることが増えた。テンポが常人のそれではない。
そのたびに九郎は話の腰を折り、田岡の寝顔を見つめ、微笑んで真面目に聞き入る。鼻頭まですっぽり覆っているヘッドセットから露出しているアゴのあたりを撫で、喋るたびに震えるノドを確かめ、田岡が生きている事実をかみ締めていた。
「ボスぅ」
「む、ああ。分かっている。危険だから行かないというのは理由にならん。生体ビーコンを埋めていくからな。何かあったら解析を頼む」
「んな不吉なこと言わねぇでくださいってェー! ゴホッ! み、三橋の方ので、十分ですって。他の、ゴホ、役所とかPMCに委託とか!」
八木は横になりながら話していたため、自分のつばがノドに引っかかりむせた。潔く身体を起こし、腰を引く。移動可能な医療用ベッドのヘッドボードに背中を預けた。
「私がここにいても、もう指揮することがない。ここにはお前がいるからな」
確かにそうだと八木は声に詰まる。体調はどんどん快方に向かっている。比例して新木場本部でのかじ取り役が増え、九郎は遠隔で諸外国に散ったメンバーの指揮に注力していた。
「ったってなァ」
「田岡の声は全て録音しデータベースにしている。離れる間、頼むぞ」
「俺ァ、アンタが拉致られないか心配してんだぜ!?」
折れた足のギプスが膝まで覆っているため立ち上がれないが、八木は身体を可能な限り浮かせてボス九郎に訴えた。自分のことより部下や組織の心配をするのは理解出来るが、一番懸念すべき「これ以上被害者を増やさない」ためにビーコン一つでは心もとない。
「せめて護衛つけろって」
「分かっている。あぁ、ここにも数人配置するからな」
「俺らンこたぁいいから。アンタ、ホント自分のこと優先しろって。布袋ちゃんみたいになるのだけは勘弁してくれや」
八木は説得をあきらめた。ビニールの幕をゆったりと手で避けながら退出する九郎が、ちらりと振り返る。
「……ああ。今私が倒れれば、救えるものも救えなくなる」
沈む声で九郎が言い、マントを翻すかのようにビニールの部屋幕を降ろした。
「おーおー、まるで世界の命運背負った勇者サマみてぇ」
八木は笑い、身体をまた横に戻し、通信に意識を集中させた。
<どーだァ?>
<いい感じですよ! あ、この信号強いですね。増幅頼む>
<了解>
<あ~まただ~。迂回! このやろう!>
<なぁ、この段階の認証が俺でも外せるのって意図的?>
<課長一っ!>
<聞こえてる。班長に最新版渡したからな。各々おろして>
<これ公開鍵だ>
<四つ目、oracleの42.1.0>
<やばいやばいやばい>
<海外に繋ぐとき一旦落ちてからやってくれって何べん言えば分かる!>
<みつはしー! 俺の愛機が汚染されたら弁償してもらうからな!>
<社用使え>
<うおおお! 熱い、熱い! 顔が熱い!>
<あ、ギャンさーんっ>
社内LAN上はかつて無いほど騒がしかった。必要以上に愚痴や暴言が飛び交い、落ち着きとは全く無縁だが、よくよく聞いていると簡単な会議のような役割を果たしている。あちこちで勝手に議題が生まれ、その会話に気付いた人間が勝手に参加する我侭な会議だ。
八木は声を掛けてきた社員の一人との会話を表層へと引き上げ、他の音声はレベルを下げてBGMにした。
<はいよォ>
<ちょっとこれ! ここ! なにしてくれちゃってんだ! 危険度マックス、脆弱で古臭い、こんな超古代的な関数仕込むなんて!>
<今の世の中じゃ規格外だろぉ?>
<面倒すぎる!>
<狙ってんの>
<こんな旧時代な式でもジイサン一人いれば一発ですって。俺ら若いから時間かかったっすけど。若いから! 若いからぁ!>
<繰り返すなって、わァってるよ。あんなぁ、わざとだ。ふるいに掛けてんだ。今時使わねぇだろォがなんだろうが、有人なら自分で調べて解ける。でもな、市販の弱いAIなら解けねぇの。データで投入されたものを条件にしてりゃぁなー>
<にしたらなおさら意味あるようには思えないんですけどぉー>
<時間稼ぎなんだからいいの。つかAI任せかもって話出てただろぉが。もしあんなに古い関数まで網羅してるなら、それこそ犯人特定しやすいわ。参照データ数が量子コンレベル。それ、素人が使うならクラウド接続だろ?>
<う、いや個人所有なら>
<だったら政府管理のIDがある。住所まで載ってるぞ>
<うう……あ! 有人なら解けなくないです!>
<話戻ってんぞー。だからふるいっつったろ。何重に重ねてるからな、その一層でAIの足止め出来れば十分なワケ。で有人操作をおびき出す、と。おら、文句言ってないでさっさとハジけー>
<あー、ギャンさん? 実はっすね……この層とそれより深い層、仕込んどいた地雷……『起動履歴』が無いんです>
<……へっ?>
八木は耳を疑った。
<そりゃ、え? いや、いやいや。あんなぁ、こっちは奴らがもう既に突破済みって前提で動いてんだろ? だから深層に張ってた隠しビーコン信号の復号作業を……>
<もちろんそっちもしてますけど、表側の晒しビーコン信号、多分無事です>
<ハア!?>
思わずベッドから跳ね起きた。八木は脳波コンだけでなく口からも叫ぶ。
「<んな馬鹿な!>」
<ッスよねぇ……説明聞くまで俺個人の勘違いだとばかり>
<今ドキ高校生でも知ってんだろォ! んな初歩的なヒューマンチェック!>
<古過ぎて、かなぁ>
<ちょ、ちょ、まてよオイ>
<AIにまかせっきりでチェックすらしない、つまり相当な人手不足……もしくは古過ぎてこの層でつまづいてる若手ばっかりって可能性があります>
<だとしたらチャンスだ! おい! 今隠しビーコンの方読んでたヤツら、キリいいところで切り上げてこっち手伝え!>
八木が大声で叫ぶ。正確には音量ではなく重要タグをつけたチャット発言で、他の情報より優先されて全員の目に届くようにしただけだ。一斉に振り向いた同僚たちへ、八木が罠として掛けておいたビーコンデータを紐解くよう伝える。
「なんでなんだァ、なんでそんな簡単なことを……」
相手の手で改竄されているとばかり思っていた。昏睡から目覚めた八木が聞いた報告第一報時点で、三橋の生体ビーコンは「注意深く暗号化を重ねたブツ切りデータの隠しビーコン」を直して使うことになっていた。
敵が三橋から発信される位置情報に気付いた際、真っ先に止めにかかるだろう餌用ビーコンは放って置かれている。敵に汚染されて攻撃的なウイルスが入っているだろう、という前提があった。
こちらももちろん、本命の隠しビーコンを守るため層状に罠を重ねている。深層には大事なビーコン位置情報データがあるが、辿り着くために罠を解除していく必要があった。
それはこちらも同じことで、解除に人手と時間を食われていた。
比べて餌用ビーコンは、罠の無い表側に設置してある。
<なんだそれー!>
<え、晒してた餌ビーコン使えるってことか!?>
<早く言ってくれよギャンさん!>
<俺らの苦労!>
<ばーか、後回しでいいがナァ、そっちも別の衛星経由だろ?>
八木が注意すると、添えるように中堅の同僚が解説を入れる。
<位置データは多けりゃ多いほうが正しい。ビーコン二つ掛かりで特定したほうが、海外で展開している現地スタッフの助けになるぞ>
<ああ、確かに! よし、そっちの若手は引き続き隠しの方を頼む。俺らと先輩たちで一気にこっちを片付けましょう!>
<釣り餌の方、指示書あったよな>
<こっちだ。今配る>
<はーい本部のみなさーん! 私達も手伝いまっす!>
<遅ぇぞ鳥取派出所! トラップに気をつけろ>
<ねぇこのアラートって何!? なんかやっちゃった? ねぇ!>
<それお前が昔つけた尿意アラート。長時間潜り過ぎだ。トイレ行けよ>
<うわ恥ずかし>
笑い声が電子の場を包んだ。つらい、苦しい、もういやだというような悲鳴は全く聞こえない。
<気をつけろ。ビーコンの位置データ救出が成功したら、すぐに発信そのものを止めさせる自壊文法が起動する。巻き込まれるな! 調べようとコネクトした閲覧デバイスにも感染する!>
<攻撃ですね>
<敵がひっかかってくれれば万々歳>
<さァて、どうだろなぁ>
八木はベッドに横たわったまま、ぺろっと舌なめずりする。
<釣りもいいけどなぁ、俺ァ喰らいつくぜ。狩りだ! 三橋喰ったヤツを、今度は俺らが喰らう!>
<了解! 用意してますよ!>
<サイバーアタック、スタンバイ!>
仲間達の声が頼もしい。そして、眼前に広げられた大量の「用意していたブツ」は恐ろしい。
<こんだけ流し込みゃあ、一つぐらい感染するだろ>
目に見えているのは一覧に過ぎないが、見ただけで八木の背筋はぞくぞくした。今まで仕事柄ワクチンを精製してきた側として、イヤというほど見てきた悪しきファイル名が並んでいる。
参考資料として保管されてきた多種多様なタイプの電子ウイルス類が、隔離された端末からの飛び火を今か今かと待っていた。




