312 奥方の会合
娘がさらわれた佐野弓子は、あるグループに所属している。今日はその会合だった。
メンバーの数人がサービス業だったため、全員集合にはならなかった。どうせ旦那もいない。義理の実家に帰るよりも優先すべき会合に、彼女たちは最大限足並みをそろえた。
お盆休暇のつくば、駅からしばらく車を走らせた先の貸事務所。十五畳もないほどのちいさな一室に、女性ばかりが十数名集まった。年齢は平均すると四十、それぞればらばらの場所に生活圏がある。
「えぇっ!? それ本当なの?」
「ホントなのよ。ねぇ、実際どうなの? そっちは」
「アイアメインちゃんにいろいろ助けてもらったけど、ちっとも進まないの。精々ゲームで遊んでた時の、あの人たちの様子を教えてもらうくらい」
「よかれと思ってでしょうけどねぇ」
「聞いてるこっちはムカつくわよねぇ。子どもや私たちをほったらかしてる間、まっ昼間から飲み会とかしてたんでしょ?」
「そんな話をあたかも武勇伝みたいに……」
「そもそも子どもみたいにずーっとゲーム。ずっとよ? それでこんなことになって。全くなに考えてるのかしら」
続く夫への愚痴に、佐野弓子は居づらさを覚えた。警視庁から正式に「家族の拉致被害」を告げられたのは二十三世帯。信じられる夫・仁からの情報で、本来の行方不明人数を大幅に下回っていると弓子は知った。
その差が何なのか、ジャーナリズムに生きる弓子は気になって仕方が無い。
答えを求め、まず声を掛けたのは同じ立場の女性たちだった。
成田空港日本人拉致事件の被害者の会。被害者のほとんどが男で、それに比例するように、会の構成員は妻たちばかりが集まっている。
「やっぱりブルーホールとかいうところに入らないと、自分たちの手で調べたり出来ないのかしら」
「政府は一体何してるの? 使えないわね、もう」
「怠慢ね」
「被害者家族に寄り添おうとか思わないのかしら」
ブルーホールの話をふった女性は、周囲が一斉に始めた政府批判に乗り切れず笑ってごまかした。その様子を弓子はそっと見る。周りへ溶け込もうとしている人間特有の、判子で押したような型式ばった笑顔だ。
十数人いる婦人の集いは、ネットでのチャット会話であっても始終愚痴ばかりだった。その中でどうにか前進しようと話題を投げかけ、半ば無視され、口数の減ってきている彼女が弓子の今日のターゲットだ。
アッシュグレイのセミロングヘアを、毛先のみ当てたパーマがエアリーにみせている。服装はカジュアルな柄のTシャツとタイトなジーパンで、底の厚いサンダルも合わさると非常に若く見えた。
「あの、ちょっといいかしら」
「ん? あ、はい」
そういって貸事務所の給湯室へ呼び出した弓子は、口に指を一本当てて「静かに」と表現した。
「ちょっとだけお話聞かせていただきたいんですけど、いいかしら」
小声で切り出す。彼女は怪訝な表情をするが、弓子はさして気にせず続けた。取材相手に嫌がられることは経験上いやでも経験済みだ。自分がどう思われようと、欲しい情報を得るのが弓子の仕事だった。
「ブルーホールの中でも得られる情報には変わりありませんよ。アイアメインさんが知らない情報は無いんじゃないかしら」
嘘だ。弓子は憶測を意図して作り、わざと真実かのように伝える。アイアメインは単なる一プレイヤーで、佐野仁を超える真実は持っていないことが分かった。そんな彼女でも、弓子にとっては大事なバロメーターだ。一般の人間が得られる情報のボーダーラインを知っていなければ、こうして聞き込むときに下手を打つ。
「アイアメインは信用しちゃダメですよ」
若い彼女は眉と声をひそめて言う。
「影であの子『マリオネット』って呼ばれてるの。シンパの男どものスピーカーに過ぎないから」
「それでも、つまり色々な情報が集まってくるということですもの。上手く利用すればいいじゃない?」
「……それもそっか」
緊張がほぐれたのか、彼女は小さく笑顔になった。他の女性陣も家族の失踪で疲れてはいるが、彼女は輪に掛けてくたびれて見える。目の下には隈がくっきり浮かび、笑顔もはかなげだ。
「ブルーホールに出回ってる噂はご存知? 私は直接聞きましたけど、アイアメインさんから聞いてるかしら」
弓子は暗に「私は脳波コン所有者だ」と伝えるが、相手には伝わらなかったらしい。そのまま流され話が進む。
「犯人が使う『アンテナ』の近くでフロキリユーザーがブルーホールにログインすると、謎の『悪寒と砂嵐、吐き気やめまい』に襲われるっていう、あの?」
「そうそれ。今はもう世界中の脳波コンユーザーに拡散されて、フロキリのプレイヤー数、前の十倍近いんですよ?」
「そうなの? アイアメインちゃんはそこまで言ってなかったけど」
「ええ、私が調べたの。ユーザー数の正確な統計は開発運営会社にしか分からないって話でしょ? そんなことないわ。ログインポイントの人口密度くらいどうにでもなりますもの。おおよそ十倍ね」
「物好きね。自分から『アンテナを探すためにわざわざディスク買ってまでユーザーになる』なんて」
「そうね」
弓子は全くその通りだという顔をして頷いた。そういった嘘のつき方は得意だ。
「調べたりするのは難しそうだから、私は別の方法でアイツの力になろうと思うの」
彼女はそう宣言する。端整な眉をきっと釣り上げた表情は、先ほどより一層やる気に満ちていた。狭い給湯室のシンクへ背中を預け、スマホを取り出してみせる。発売直後の最新機種だ。
画面を押す指の強弱を認識し、多レイヤー化されたアプリを同時に操作できる。さらにモーションセンサが内蔵されているため、手のひらで指定された動作をセンサにかざして行えば、それだけでコマンドの入力が出来た。
「今日集まってくれた皆さんも誘うつもりで来たんだけど、ちょっと風向きが悪くって。えっと……」
そうしてスマホの画面を見た彼女に、弓子は笑いかけながら名乗る。
「弓子さんもどう?」
表示されていたのは、情報を匿名でリークするために開設された闇サイトのトップページだった。
「逮捕者出たんじゃなかったかしら、それ」
弓子は小声で言う。
「そうだけど、でもやっぱりおかしいと思わない? 隠蔽の理由、良く考えれば変だもの。混乱を招くのは分かるけど、だって、例えば農薬が基準値超えたニュースだって流れたことあるし、放射能のホットスポットの位置は調べれば出るのに。脳波コン使用者が拉致されたなんて、未使用者にとっては『些細過ぎるどうでもいいニュース』。日本で拡散を防ぐ理由がないじゃない?」
「え? ぜんぜん些細じゃ……」
「些細でしょ。野菜はみんな食べる。旅行もする。だから農薬とか特定地域の危険性とか、そういうニュースは爆発的に拡散されて炎上する。でも正直、脳波コンなんてマイノリティもいいところじゃない」
弓子にはそんな意識がなく、拡散を防ぐべきだという警察の言葉をそのまま飲み込んでいた。全く考えていなかったアプローチに驚愕する。
「なんで政府は、警察は……アイツやみんなが連れ去られたこと、内緒にしたがるの?」
当たり前の疑問だが、弓子には衝撃的だった。その通りだ。なぜ調査員はそのまま納得しているのだろう。なぜ夫は口止めしたのだろう。
「そうね、本当に分からないわ……あ、えっと」
うろたえる弓子に彼女は名乗りつつたたみかける。
「私? 朝比奈よ。ねぇ、何かあると思わない? 脳波コンのイメージはとっくの昔に地まで落ちてて、ブランドイメージ保護とかはありえない。ちょっと思ったのはね、世間の話題は今『ハイジャックテロ』に移ってるでしょ。その前もに日本人が狙われた別の拉致事件があったと知られたら、政権の支持率が下がるから……とか?」
「じ、時期が合わないわ。それに、ハイジャックは確かに一大ニュースだけど、あれは日本じゃなくてロシアとそれ以外の旧ソビエト、いわゆるNIS諸国との関係崩壊が目的でしょう。でなければ本気で国家間の戦争の火種です。今回のそれは、乗り合わせた日本人に敵意は無かったと」
「報道ではそう」
くい気味に朝比奈が割って入る。給湯室の狭い横幅いっぱいに腕を使い、オーバージェスチャーで声のトーンを上げた。
「今更信じられないもの。報道なんて。政府の発表なんて。だから裏から話をつける。ハイジャックでも拉致でも、犯行声明が無いなんておかしい。どこかが何かの目的で動いて、そのとばっちりで私の身内が被害にあったってことでしょ、それ。それならきっと、世界のどこかで蜜を貰った誰かがいるに決まってるの」
弓子は頷く。その言葉と語る朝比奈の心情は、大学の同窓が語っていたジャーナリストのそれに近い。ピューリッツァのような極限的な状況での報道官を目指した友人は、日ごろから不信感と疑問を晴らすためのジャーナルを熱く語っていた。
若い。彼女より十歳は離れている弓子には眩しく見えた。あのころの自分たちも、目の前にいる朝比奈も輝いて見えた。
娘が行方不明になって三ヶ月。
駆けずり回ってきた弓子は疲れきっていて、犯人を追い詰め状況を根本的に打開しようとなどは思い至るわけが無かった。
とにかく娘一人だけでも無事帰ってくれば、それでよかった。
朝比奈は違う。犯人を憎んでいる。
「そう。そうね。違和感ばかり。でもどうなさるつもり?」
指を朝比奈のスマホへ向けてさす。表示されていたサイトはスキャンダルのリークサイトで、匿名とはいえ、絶対に安全とは言えない。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない!」
「それ、複数人で一斉にリークするってこと?」
「空港で黒ネンドに襲われながら、逃げて無事だったプレイヤーってのが居るの。でも政府は把握してない。アメリカ海軍に助けられて無事だった人たちのことは把握してるみたいだけど。そのメンバーはリーク作戦に不参加よ。ばれちゃうから」
そう言いながら、朝比奈は給湯室の冷蔵庫を開けて覗き込んだ。中には「被害者家族の会」が持ち寄ったデザートが入っている。その中で比較的小さなカップケーキを一つ取り出すと、おもむろにかぶりついた。
「貴方、それ……」
「一個くらいバレないバレない。私、結構隠し事は得意なの。パートナーが誘拐されて今ここにいるんだけど、アイツ私がここまで詳しいだなんて知らないくらいよ」
「誘拐されてから調べたんでしょう? 私もよ」
「あ、ううん。パートナーがゲームを始めたころから。コントローラが無いからブルーホールって場所には入れないんだけど、プレイヤーの一人と友達なの。で、情報流してもらったり、アップロードされてる動画見たり」
朝比奈はパクリとカップケーキを食べ切った。弓子はチャンスを嗅ぎ取る。
「貴方、じゃあご家族のプレイヤーネームもご存知なの?」
「もちろん。じゃないと動画見てもチンプンカンプンだし」
弓子より年若いらしい朝比奈は、オーバーに肩をすくめる。そして欧米的なほど豊かな表情使いで笑みを浮かべた。
「……でも、流石にウチの子の名前とか分からないわよね」
「子ども? あ、そういえば未成年が被害にあったんだっけ。お気の毒に……空港に居た若い子って、そう多くないんだけどね」
初耳だった。ユーザーネームでの一覧はあるが、実名での被害者一覧は個人情報だとして秘匿されている。
「そうなの?」
「しかもほとんど開放されたり逃げ延びてたりして、それっぽいのは居ないけど」
朝比奈は闇サイトが出ていた表示からスマホを切り替え、プレイヤーの被害者一覧を出す。カタカナやローマ字ばかりが続き、その隣の行には、弓子には呪文にしか見えない単語も載っていた。
「オフ会に出てて、その様子がネットに上がってるのなら話は別。でもそういう顔出し一切してないなら、ちょっと調べようないかも」
「印象は!? あの子、とっても無口で頑固なの。女の子で、今年で十八歳になるわ。そんな感じの子いないかしら!?」
「女子ね? ネナベじゃなければ……鈴音かソロか、チーマイとかかな」
「いるの、いないの」
「急くねぇ。ぶっちゃけ居ないわ。高校生でフルダイブ? 早すぎる。相当攻めてるじゃない」
「否定は出来ないわ」
「鈴音にだったら『若い子』で『女子』、居なくはないけど。無口ではないかも。でもオンとオフでロ調すら変わるロールプレイヤーって可能性あるよ」
「ロールプレイって、疑似体験での学習法じゃなくて?」
「それはビジネス。ゲームだとそのまま『演技プレイ』って意味になるの」
「なるほど、そうね。みずきさんは演技を……」
弓子は想像した。無口で自己主張が無い娘は、もしかしたら屈託の無い子どもになりたかったのかもしれない。感情の起伏を激しくアピールしたかった、それを許される場所や間柄を求めた、のかもしれない。
「だとしたらやっぱり鈴音かな。あとチーマイのぷっとんも小さくて女の子だけど」
「ぷっとん? 不思議な名前ね」
「そう。見る?」
スマホの上空で、指を使って文字を描く。検索エンジンに「ぷっとんチーマイ」と表示され、そこからレイヤー層の重なりで類似画像や動画のキャプションが、画面の奥から次々と現れた。
一番前の動画を、朝比奈は人差し指でノックして開く。
「このちっちゃくて耳の長い、ピンクの子」
<きゅ~るる~ん! ぷっとんさんの前に敵は無しぃ! ぷっとんさんの背後には草も生えぬぅっ! てへっ!>
「え」
弓子は、目に見えた娘の可能性を全く認められなかった。




