308 それでも罪悪感
歴代総理の名前全ては言えないが、それでも現職の二つ、三つ前なら顔と名前が一致する。晃五郎。純日本人らしい細目に温和な表情が目に浮かんだ。
ガルドはさらに記憶を掘り返そうとするが、元総理が活躍していた当時など年齢一桁の子どもだった。過去の政治動向特集番組で繰り返し流れるような、官僚を連れだち官邸を歩く姿ばかりが脳内でリピートされる。
晃五郎についての知識はある。情報技術の進んだ社会に法を追いつかせようと、それまで委託でしかなかった警視庁の一部公務民営化を強固に推し進めたリベラル派だ。
「引退して結構経つよな」
「もう八十は過ぎてるはずだ。うん。ああ、九郎と晃元総理、年がかなり離れてるんだ。間に三人いる。六郎、七郎、八郎」
「え、じゃあ九人兄弟なのかよ」
「いんや、最初が総理っす」
「長男が五郎って……」
「俺、前に調べたんすけど。ボスのパパの名前が四郎らしいですよ。続いてるそうで」
「才能ある一族にネーミングセンスだけ無いってことかよ」
「変っすよねぇ。なんか逆に新しいっつーか、晃って苗字もズルくないすか。そのまま名前に使えるっつーか」
「ははは!」
三橋と榎本が楽しそうに談話する中、田岡は困った顔で揚げモチをぱくぱく食べている。
「田岡さん」
「モチ君、ああ、これ揚げモチだ。おいしいぞ? モチを揚げたんだ」
「いただきます」
ガルドは平皿から五つぶ手に取り、指で摘みなおして一つぶずつ口に入れた。米菓子特有の香ばしさと塩味が口いっぱいに広がり、軽やかな食感は噛むごとにしゅうっと消えていく。もう一度食感を楽しもうと次の一つぶを口にし、また消えていく。永遠に食べられそうだ。
田岡は口をぱかっと開けて喋りだそうとするが、思いとどまり閉じた。
「いっぱい喋っていい。自由に」
「そ、そうかね。そうだろうか。いや、向こう側でたくさんの人が聞いているのだろう? ワタシのくだらない話を。くだらない、ああ、生きるのに必要ないことばかりだ」
「きっとディンク……晃九郎も、喜んでいると思う」
「あ、そうか! 九郎も今まさに聞いてるのか! おーい、くろーう!」
理解しているようで咀嚼しきれていないらしい田岡に、ガルドは眉を下げつつ話題をずらす。
「セーター編むのも凄い。自分には出来ない」
「ふふ、ありがとう。キミに褒められるのは、むず、うーん、こそばゆい。まっしゅまろうのような気分だ」
田岡は肩を小さくして身体を揺らし、うれしそうに身をよじった。こそばゆさをマシュマロで例える田岡はよほど食いしん坊で、しかし疑似的な食事はいくらでも食べられるのだ。塔での、何も飲み食い出来なかった彼の虚無の日々を思い出し、ガルドの腹はぐるぐると苦しくなった。
早く連れ出してほしい。ガルドはディンクロンへ願った。衣食住に不便無いと言っても、この世界には出来ないことの方が多い。
「夜になったら、ココアにマシュマロ。どうだ?」
せめて外でやるのを憚られる行為を。ガルドは小声でそう誘う。
「な、なんと背徳的な!」
「ん」
「実はな、もう夜中ラーメンはしてしまったんだ……」
「おお……」
「金井くんにはバレた。怒られてしまったよ」
「真面目だ」
「くふふ、リベンジしたいと思っていたところだ」
田岡は笑った。目に星が瞬くような輝きが一直線にガルドを見つめ、思わず友人たちを思い出す。遊びの予定を組む女子高生と全く同じ目をしている。
「あ、そうそう。名前!」
三橋が総理の名前の話から、顔を上げて「名前名前」と叫んだ。
「ん? 俺らのか?」
「アンタらのこと、コードネームで呼んでたんだ。そろそろホントの名前伝えないと! 田岡さんだけが頼りっすよ!」
「それがさっきの『ハンマー』ってか」
「そ。俺の名前は三橋。田岡さん、覚えました?」
「みつば君な。これ食べなさい。もう少し太ったほうがいい」
「違ぇし! しかもさっきと同じ話してるし!」
三橋は泣きそうな顔で隣の榎本を見た。
「俺は榎本だ。ハンマー使いなんて珍しくないぞ。区別つかなくなるぜ」
「えのきの根元はな、ステーキがうまいぞ。バター醤油」
「うわうまそう……って、えのき!? 『えのもと』だっつーの!」
「田岡さん、モチじゃなくてガルド。が、る、ど」
「たると?」
「ん、近い。いい調子だ」
「近くてもダメだぞガルド、褒めるな褒めるな」
「あーだめだこれー」
三橋はうなだれ、困った顔で田岡が差し出した揚げモチを摘んで食べた。
田岡を通じた外部への発信はあきらめ、ガルドたちと三橋は情報を共有するべくカーペットを囲んで立った。菓子も片付け、敷物の毛並みを一定方向へ整える。
そこへガルドや榎本が、それぞれが持つ長い武器の先を使って板書していく。
「ここっす。田岡さんが荒ぶってたタイミング。このときには既に田岡さんの移動済ませて、俺らは黒ネンドの調査を進めてました。その後、そうそう、田岡さんが初めてダーツをした時っす。敵の中継基地が中東に絞れたんで……」
「ダーツ? あのミニゲームのか」
「あ、ああ。ふひ、楽しいな、あれ」
田岡は恥ずかしそうにダーツの構えを真似し、腕をぴっと押すように振るジェスチャーをした。刺さったときの「だしゅっ」という音も口で言う。
「キミらが行った後だな、うん。行って二日目くらいだったかな」
「じゃあここか」
「この、随時ハチャメチャに設備投資しまくってる『久仁子』って人、被害者の中に婚約者がいるってマジです?」
「は? ぎゃはは! こんやくしゃ!? 言いふらしてんのかよアイツ!」
「え? 違う?」
「……ぜんぜん違う」
三橋は順番に、時系列表で「ヘリで空輸」「新事務所立ち上げ」「医療チーム発足」などが書かれたポイントを指差す。金の大盤振る舞い、久仁子というどこかで聞いたような名前、そして婚約者という突拍子も無いフレーズ。
榎本は豪快に笑い、ガルドはため息をついた。
「くにこ?」
「え、なんで田岡さん久仁子さんだけ名前スムーズに言えるの? えっと、民間協力者? っす。すっげー金持ち」
「婚約者なんて嘘だよ嘘、でたらめ! 相棒の名誉のために訂正するとだな、その久仁子ってのはネットストーカーで、一方的に思い込んでるだけだ」
「へー、だとしたら勿体無い。玉の輿っすよ? なんせほら、ボスって後ろ盾が複雑で、傘にきてメッチャ強いときと、逆効果で全く身動き取れなくなるときあるみたいで。俺も今回初めて知ったんですけど。でも、久仁子さんの名前出すだけで無敵なんすよ」
「あー想像つくなー。阿国の金とビジネス界隈での知名度、ディンクロンの政治的なバック。すげぇ、鉄壁じゃねぇか」
「性格もそんなに悪くないような……」
「リアルじゃおとなしくしてんだろうな。ネットじゃ一匹狼の暴れん坊だぞ。犯罪すれすれのこと平気でするし、個人情報保護法とストーカー規正法使えばもうワンアウト」
「え、ちょっと信じらんないです」
「マジだって。どんだけ厚顔なんだ、アイツ」
「だってゲーム上で知り合いらしい大学生たちも結構慕ってたのに」
「大学生?」
三橋の口から出た見知らぬ存在に、ガルドと榎本は目を丸くした。
「三人組で、一応清掃バイトっすよ。ゲーム好きで、たまたま久仁子さんやボスがプレイしてたゲームタイトルと同じものをやってたとか」
なんの疑問もない無垢な顔で言う三橋に、榎本とガルドは常識の違いを感じた。
「……そのタイトル、たまたま同じだと?」
「ええ。え? 有名なんすよね? 情報解析に派遣とかバイトとか入れてるんですけど、脳波コン持ちで募集かけるとほぼ100パー『プレイしたことある』って。ビッグタイトルだなー」
「さてはお前ゲーマーじゃないな!?」
榎本が叫ぶ。ガルドも二回すばやく頷いた。
詰め寄ると、三橋は細い目を丸くし「違うの?」と驚いた。
「あはは、俺VRライブ専門なんで」
「かー! つか周知行ってないな、わざとか? 産業スパイとか気になんねぇの?」
「そこはバッチリ。渡航歴・公安関係のチェックを徹底。あと、頼む仕事はどれもパズルピースみたいなもんです。それ一個じゃ意味ないんで。あーでも、清掃君たちはどうでしょう。田岡さんが保護されてるBHエリア以外全部入れますし」
ガルドは三人いるという清掃組に引っかかりを覚えた。阿国を慕うプレイヤーなど存在しない、ありえない。記憶の中のプレイヤー一覧表にヒットがなかった。
「ディンクロンの野郎、わざと部下に言ってないな。あのな、それ偵察しに来てんだよ」
「偵察? まさかスパイ!?」
「ああ」
「このゲームはマイナーだから。フルダイブできるってだけの条件じゃそんなに集まる訳が無い」
「口裏合わせてる」
「だが、集まってきてんのは奴の指示じゃないな。だったらもっと効率良く動く」
「えっと、ほんとに裏とか無い雇い方っすよ? 雇用エージェントに依頼して集めた人材なんで」
「ならソイツだな。フロキリのプレイヤーを集めた誰かが、意図的にディンクロンの本拠地へ流してる」
ガルドは寡黙にコクンと頷いた。榎本が話を進める。
「んでディンクロン本人は気付いてて、だが泳がしてるんだな。どこだ、音頭とれるようなギルド」
榎本が真面目な顔で目線を投げる。ガルドは腕を組み、ギルドのパワーバランスを思い浮かべた。
「挙げるなら三つくらいは」
「奇遇、俺も三ヶ所は心当たりがある。あ、だとしても動機が無いか。俺らをねたんでたところばっかりだぞ、普通だったら居なくなってせいせいするところだ。年間は無理でも月間ならランクボード塗り替えられるし、いいこと尽くめだろ」
「確かに」
「お優しい偽善集団か?」
榎本が後頭部をがしがし掻く。そして田岡を振り返り、口に指をあてて「今のオフレコでな。声に出して話題にすんなよ」と忠告した。
「スパイ確実じゃないっすか。あのボスがそんなの黙認してたなんて……なりふりかまわずって感じか」
「いや、フロキリプレイヤーが勝手に動くのを止める理由がないからじゃないか?」
「あー、えーっと、理由、あるんです……」
三橋が腰を上げ、ゆっくり立ち上がり背筋を伸ばす。そして勢い良く頭を下げた。
「すんませんっ! ほんっと、すんません!」
「えっ、突然どうした!?」
謝られるとは思っていなかったガルドと榎本は、驚きながら急いで同じように立ち上がる。
「三橋?」
「みなさんのこと、社会的には『行方不明』になってるんです……拉致事件そのものが無いことになってます! 極秘事項なので、なるべく事情が漏れないように箝口令が……なので今普通にゲームしてる人たち、何も知らないんすよ!」
「行方不明扱い? へー」
ガルドの心はちっとも波立たなかった。榎本の声にも怒りは欠片もない。
「はい……え、怒らないんすか?」
「だってなぁ、広まってニュースになればコレが悪者だろ?」
榎本がこめかみをトンと触る。
「脳波コン? まさかそっちの心配してるんすか? 自分が被害者になってる事件が今まさに隠蔽されてるって聞いて、普通なら怒らないわけ無いと思うんすけど」
「あー、俺とコイツ、そういうの気にしないタイプなんだ。あと田岡のログアウトが出来てなかった件について、『今まで噂ですら聞いたこと無い』ってのもある。なんとなく予感はしてたぜ。同じようになるってな」
榎本が毛足の長いカーペットにあぐらで座りなおし、三橋にも腰を下ろすよう促す。ガルドは皿を見渡し、まだ話は続くだろうと、追加のスナック盛り合わせを取りに階段へ向かった。
「汚職事件です。今世紀最大級の、人の生き死にが関わる拉致犯罪を国主導で隠してるんです。ちょっと怒ってください」
「お前もその一翼担ってんだろ。あ、罪悪感か?」
「あります、めっちゃある。でも、俺らはアイツらとは違うんで」
「そりゃそうだ。悪いのはお前の上の人間。アイツだ。アイツのこと恨むから、お前はいいよ。ここにいる以上お前も俺らと同じ。だろ?」
「なんか、すんません……」
「他のメンバーにこのネタ話すときは、とりあえず俺かガルドがいるときにしろ。どんな反応するかわかんねぇけど、なんとか手は尽くすから」
「あーめっちゃ助かるーありがとうございますーアニキー」
「へへ、おうよ! 少し気ぃ楽にして過ごせな。そのうちカッコいい装備買ってやっから」
三橋と榎本がお互いを気遣いあう中、ガルドはそっとキッチンへ立った。そういえば田岡はどうしているだろう。階段を上がりきり、石造りの手すりを握りながら吹き抜けになっている階下を見下ろす。
見れば、猫のように丸まり顔を隠した田岡が、微動だにせずジッとしている。よく見ると身体が寝息でふくらみしぼみを繰り返していた。寝ているらしい。
「……ふ」
思わず笑う。落ち着きのない言動に隠れてしまっているが、田岡は頭脳明晰で察しのいい男だ。ガルドは事あるごとに節々で感じ取っている。
あれはタヌキだ。気を遣って眠るフリをして、全く聞いていないと演技している。それか、そのつもりで始めたポーズがきっかけで本当に寝てしまったか、だ。
ガルドは田岡に尊敬の念を抱きつつ、吟醸や金井たちがいるキッチンへと向かった。




