305 交通事故発生につき
既に塔を過ぎ、氷で出来た城が見えてきていた。
疾走感のあるBGMが鳴る雪の原に、特有の模様――タイヤ痕――が延々と刻まれていく。前方のモンスターは白い鹿で、スピードはリスよりも猿よりも早い。ガルドの体感では、高速道路の追い越し車線にいてもおかしくないほどの速度だった。
パラシュート型ブレーキを畳んでいる今、車はちょっとした傾斜で空中浮遊する。そのたびに榎本が引きつった我慢声をあげた。
爆走しているのは、一週間掛けて作り上げ、山越え谷越え数泊を経てみんなの愛車となった「ガポー吟本」だ。
ふざけた命名は吟醸で、全員の名前を抜き出して合わせたキメラネーム。誰も呼ばないが、立派な正式名称だ。空気抵抗が存在しないという理由で車はどんどん縦に長くなった。
中の床面積は先代のソリよりずっと広い。布を縫い合わせてミルフィーユのような階層を作り、荷物置き場と共に「極薄カプセルホテル」を目指した吟醸特製の内装だ。
奥行きは、さすがに2mも作れなかった。ガルドや榎本は体を丸めて横になれば眠れたが、二人で話し合い「図体デカい俺らは交代で外に座ろう」ということになった。
室内で笑い合う二人の声を聴きながら、ガルドと、必要も無いのに付き合いでびったり寄り添うボートウィグは車のリア、わざとつくったトランクのフード部分に二人並んで座っている。
遠心力で落ちないようシートベルトまでつけてある。ボートウィグが設計図をひき、吟醸が装備のベルトを分解、縫合して作った四点式だ。
「ほらよ」
「あぁ~? もーなにそれぇー!」
「ははは! 連勝だな!」
「くっそー!」
榎本が楽しそうに笑い、吟醸が悔しそうに唸っている。ガルドは口にしようとしたが、榎本に悪気がないことも分かっている。ため息を一つつくに留めた。
そういうところだ、モテない理由は。悪気は無い。むしろ、吟醸に気を許して素を出し始めた証拠だ。ただし女性は喜ばないだろう。フェミニストの夜叉彦はいつだって女性の味方だ。指摘していたかもしれない。
「榎本さん容赦ないっすね」
ガルドの気持ちをボートウィグが口にした。そしてパッと顔をほころばせ「ね一閣下」と同意を求めてくる。ガルドは深く頷いた。
「だって嫌だろ、負けんの」
「うう~」
吟醸の性格を考えれば、彼女のご機嫌を損ねない対応くらい分かるはずだ。男ばかりの環境でチヤホヤされたい性分の、しかし「サバサバしてるよ? 話しやすいでしょ?」と自称する吟醸の望むことなどあからさまだ。
「ナンパ王子モードなら違ったかもしれない」
「あ、分かるっす! あるっす、チャラ男全開って時」
「ねぇよ、そんなもん。まずな、手抜いたらつまんないだろ。真剣勝負が一番だ」
「い、いいもん。その通り! 手加減とかムカつくし!」
「自分の得意な戦場まで持っていって、なーにが「真剣勝負」っすか。普通の女子はセブンブリッジなんて知らないでしょ。吟醸先輩がたまたま知ってたってだけで」
「女子ねぇ。っはは」
榎本が笑う。
「かっちーん!」
吟醸は感情をコミカルに発音した。続けてぷんぷん怒っているエモーションアイコンをぽこんと鳴らす。
「もーぉ! 城まで行ったら麻雀で勝負だ!」
同じロンドベルベットのギルドメンバーである吟醸は、きっとエントランスが昔のままだと思っているのだろう。以前置いてあったビリヤード台などの遊戦エリアにあった麻雀卓は、夜叉彦の小上がりに吸収されて遊べなくなっている。
榎本もすっかり忘れているようで、胸を張った声で、
「麻雀? いいぜ、受けて立つ!」
と返事をした。
「ほら、これがモード切替前なら『麻雀? いいねいいね、何賭けようか。あ、男女比は1:1な。ダブルデートみたいに』とか言うに決まってるっす」
「似てる」
「うっはーありがとうございます閣下ー!」
ガルドとボートウィグは、高速で後ろに進む車に揺られながら乗り続けていた。中にいる間は暇つぶしがいくらでもある。トランプもUNOもリバーシも、装備を分解してボートウィグが手作りしたものだ。しかし車外に座る二人は喋るくらいしかやることがない。
「いや、僕もそんなに人付き合い上手いほうじゃないんすよ? 毎年の忘年会にやる出し物、いっつも悩むんすよ。そういうとき『身近な人物のモノマネ』って鉄板っすよね。僕なんて結構痩せてるんで、太った上司の再現とかするっす。腹にタオル詰めて、首の下にガムテープでアゴ追加すると大ウケなんすよ」
「身内ネタの判定は甘くなる」
「そうなんすよー。下手な芸人の真似よりウケるんで。あ、一応芸能人ネタもあるっすよ。ほら、昔流行ったドラマの、自動運転させると必ず何か轢き殺す『呪いのオートパ』って話、あったじゃないっすか」
ガルドは曖昧に表情を作った。そのドラマが流行ったころなど、記憶もおぼろげなほどの幼子だ。車へ誘導信号を送る能動的電子信号機の普及率が一桁未満だったころの話である。
「ああ」
「シーズンごとに変わる運転手のモノマネを高速ですると、一つ一つのクオリティが『あれっ?』って感じでも笑ってもらえるっす」
「へぇ」
「あのドラマのとき、ちょうど僕小学生で。いやぁー都市伝説を超える恐怖でした! トラウマってやつ?」
ガルドにも、小さなころ見た映像が怖くて忘れられない思い出がある。今見てもどうということはないが、当時は寝られなくなるほど怖かった。ボートウィグにとってはそれが「自動ひき逃げマシーン」で、ガルドは「側溝」だ。
古のネットミームを見てしまった幼少のガルドは、雨の日にカッパを着込むことすら怖がり、側溝から男が現れるのだと信じて疑わなかった。思い出し、思わず笑みがこぼれる。我ながら馬鹿だ。
「うっ、だって子どものころは怖かったんすよ~」
ボートウィグが話の流れで「自分が笑われた」のだと勘違いし、焦ったように弁明する。
「『あばばばばばぁ! やっちまったあっ!』って」
突然そう言いながらハンドルを慌てて握る演技をした。犬顔がマズルをぱかっとあけ、上を向きつつ目だけ下を見、ぶるぶると横に顔を震わせた。
突然の顔芸にガルドは驚いた。肩だけが感情を無意識に伝える。
「くふふ、閣下びっくりしました? ふふふー」
元ネタが全く分からない。ガルドは困ったが、ボートウィグが楽しそうなのを見て同じ気分になった。丸くなってしまった目を戻し、肩をすくめる。
しかし突然、背中に重心がごっそり寄った。
「うわっ!」
足ごと背中側に引っくり返り、ガルドは不快を隠さず舌打ちを一つ。
「ああああぶっ!」
車内の榎本が、まるでボートウィグがしてみせたような慌てようで叫んだ。
「え、あ、嘘っ!?」
「っうわ!」
さらに吟醸が絹を裂くような悲鳴をあげ、車が大きく右に左に揺れる。ガルドとボートウィグは振り向こうとし、瞬間、勢い良く足元からなにかモノが飛び出た。ブレーキ代わりの傘だ。
「んうわぁっ!」
足が上がっていたガルドと違い、ボートウィグは運悪く、傘と車とを繋ぐ紐に足が絡まったらしい。
「ウィグ!」
「あ~閣下ぁ~!」
ボートウィグの悲鳴が遠くなっていく。
風を受けて広がった体は、地面すれすれを引きずられるようにしてついてくる。ボートウィグはさらにその後ろへと引きずられていった。痛くないからか、面白いときにあげるような声で「あーれー」などと言っている。
「ウィグ!」
ガルドは叫ぶが反応は無い。地面と物体がすれるゴリゴリという効果音が邪魔をした。シートベルトを外しながら、ガルドは個人チャットへ<無事か>と投げた。
そのうち、大きな何かに乗り上げた。
「ぐっふ!」
知らない声が地面から聞こえる。
ガルドは慌てて下へ視線を向け、異常を探った。何かあったのは明白で、続けて榎本へ<どうした>と通信を入れる。
車はゴトン、ゴトンと二回跳ね上がり、そして横へ滑り、激しい音を立てながら横転した。
エンジン役の牽引モンスターが金切り声を出し、車体に挟まれそのまま粉々に砕け散る。
<ひひひ轢いひい、轢いちゃった! どうしよ、ねぇ、どうしよう!>
吟醸が青ざめたような音声チャットを飛ばしながら、横に倒れた車の側面ドアから飛び出てきた。
タイヤは車同様フロントとリアで一箇所にまとめられている。二回跳ねたのは、大きな物体をタイヤで轢いて乗り上げたからだろう。ガルドは人身事故の対応にあたろうとし、全く何をどうすればよいか知らないことに気付いた。
<お、お、おちつけ。まずは安全の確保、次に被害者の救助、ああ、三角の、後続車に事故知らせるあれ>
<後続車なんて居ないよー! 雪山だよー!>
<ひいちまった人、下か? どこだ、後ろかっ!?>
榎本と吟醸があわてふためきながら動き始めた。車から出てきた榎本は車体を持ち上げ、吟醸がバタバタと地面をくまなく探すようにして走る。車両事故の経験も知識もフローチャートも分からないガルドは、とにかくドラッグシュートにさらわれていったボートウィグを助けるため後方へ走った。
<かっか? な、何があったんすか?>
<人を轢いた>
<ううえええ!? 轢いた!? ど、どうしよう! けい、警察! 救急車!>
「う、うう……」
チャットで聞こえるボートウィグのものとは違う、ボイスチェンジャーをかけていないようなあっさりした声が聞こえた。苦痛というより寝起きのようで、ガルドは慌てて主を探す。
「おい」
「な、なんだってんだよ……」
文句つく声が、しぼんで落ちたブレーキ傘の下から聞こえた。駆け寄り、ガルドは思い切り力を込めたモーションで傘を捲り上げる。
「うわっ」
「だいじょ……っん!?」
息を呑む。傘の下にいたのは、リアルで一度見た顔だった。
「怪我ない? し、死んでない?」
「車あんまり動かすな、現場検証まだだぞ」
「僕は無実っすよ。吟醸ちゃん先輩と榎本さんが運転手っすからね!?」
「てめ、同乗だろうが! ゼロじゃねえぞ!」
「ねーやめてよー、おきちゃったもんはしょうがないよー」
三人は真面目に交通事故の反応をしていた。ガルドは途中まで悪ふざけの延長線なのだと思っていたが、どうやら本当に事故を起こした当事者だと信じ込んでいるらしい。
混乱すると人は判断力を失うようで、ガルド自身も別の問題から内心大混乱だった。
「あれ、俺、飛行機で……雪? いや冷たくないし……ん?」
「あ、あの」
男は尻を払いながら立ち上がると、ガルドを見上げて目を丸くする。
「うわっ、お兄さんデカいね! がいこくじん? 服装も奇抜、っていうか」
「いや、その」
男の名前を、ガルドはどうしても思い出せない。
父の部下だ。空港で一度会ったことだけは覚えている。鶏がらのような細身に、こめかみが隆起していて黎明期の脳波コン使いだとわかる。安っぽいスーツでビジネスに一揃えしているが、足元だけ何故かスニーカーだ。泥っぽく汚れている。
そして、そうポリゴンで表現されている。田岡や金井同様「生体3Dスキャンでつくったアバター」だろう。
新たな被害者。
犯人は自分たちだけに飽き足らず手を広げ続け、悪事を重ねているのだ。ガルドは怒りを覚える。
「これアバターじゃないっすか! マッジか、マジかよ、おいおい。ギャンさーん!」
男は誰かしらの名前を呼び、ジッと耳をすませ、反応がないことにがっくりとうなだれた。
「俺だけ? ならまぁ、向こうで黒ネンド追跡してくれたりするだろうけど。俺の生体ビーコン特殊難にしたばっかりだし。くくく、転んでもへこたれないのは佐野さん直伝!」
唐突な独り言に紛れ込む父の名に、ガルドは心臓が飛び出そうになった。
「ガルドぉ、その人生きてる? 怪我ない?」
吟醸が泣きそうな声で近づいて来た。そして全く無傷の男を見て、顔を崩す。
「避けたの? ピンピンしてるじゃん。でも絶対乗り上げたよね、あの感じ絶対やっちゃったって思ったのに」
「轢かれましたけどね。ゲームの中なんでしょう、ここ。あれぐらいじゃ死にませんって」
「あっ」
「あ」
「あ、そっか! いやぁ、てっきりサラリーマンやっちゃったとばかり」
「まぁ、そういう格好ですし。田岡さん経由の耳長さん情報によれば、『外見スキャンで作られたアバターが四人』みたいなこと言ってたらしいし。俺もその口かと」
こちらに気づいて走ってきた榎本と、自力で傘から抜け出したボートウィグにも聞こえるよう、男は少し大きな声で宣言した。
「みなさん、もう安心ですよ! 他の仲間が犯人の居場所を見つけるのなんて、もう、ちょいちょいですよ! 時間の問題です!」
「お、なんだなんだ。ディンクロンの知り合いか?」
追いついた榎本がニヤつきながらたずねた。
「三橋と申します。日電警備対サイバー・セキュア部の次期エース! ディンクロン……ってプレイヤーネームっすか? クロンに九郎かけてんな、あの人。とにかくその人の部下ですよ」
三橋は、閉じ込められたばかりの人間とは思えないほどの明るさで笑った。




