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304 怠惰共は快楽に、餓狼共は暗闇に

 犯行グループの使っている通信ルートが明らかになりつつある。すでに一本、ルートがほぼ判明した。

 大柳はボスから共有されたデータを受け取り、声をあげて歓喜した。自分が行っていた仕事——諸外国に住むフロキリユーザーを煽動し、黒ネンド周辺でブルーホールへログインした際に起きるノイズを手がかりにする調査方法——が実を結んだのだ。八木と三橋に流した情報は正しかった。それが大柳にとって心底嬉しくてたまらない。

 隣で一心不乱にメールを打っている同僚・(たき)も、インテリらしく小声で「っしゃ!」とだけ喜んだ。痩せすぎず太すぎず、あっさりとした塩顔、そして細い狐目に黒髪、シルバーフレームのメガネ。ギーク的容姿を寄せ集めたような男だ。

「お礼のメッセージ、作ってあったのあるわよね」

「もう送ってるよ」

 コーヒーの香りがする室内で、二人はリラックスしたまま脳波感受と手動デバイスを操作していた。仕事の会話をしているが、口調も砕け、たまに笑いながら着々とデータを組み上げる。

「ありがと」

「そっちの作業、こっち終わったら半分ちょうだいよ」

「もう、みっくん。少し休んで? コーヒー届いてるからね」

「じゃあ一緒に休もう。無理しないで」

「うん」

 優しい言葉に大柳は笑顔が止まらない。

 ホテルに頼んだルームサービスのコーヒーセットには、簡単な軽食がついている。この一室で缶詰になってから毎日食べているが、シェフが気をきかせているのか、毎回違ったメニューだ。代わり映えのない景色の中で唯一の楽しみであり、太ってしまうのではないかと不安でもあった。

 大柳は、滝がいるであろう右側に少し体を寄せる。HMDヘッドマウントディスプレイに阻害されて見えないが、体温と気配は強く感じた。

「……終わった?」

「あれ、早かったね」

「リモートの派遣さんに頼んじゃった」

 ゴーグル型の装備をしたまま、その表面にあるカメラを起動させる。脳裏の裏で煽動用のあおり文句を書きながらでもコーヒーは飲める。カメラ視点モードに切り替えれば、そっくりそのまま眼前の映像がディスプレイへ再現された。

 見えてきた映像に、滝がベッドから降りてテーブルに向かう後ろ姿が表示される。待っていればサイドテーブルまで運んでくれるはずだ。

 大柳はベッドに背を深く預けて待った。同僚で同期の滝と付き合い始め、既に二年。同棲はまだだ。

「一緒にハワイは行けなかったけど、十分楽しいわ」

「そうだね。少なくとも、あのタコ部屋にいるよりずっと良い。こっちの缶詰とは正反対だったよ。ここが蟹缶なら、あっちはシュールストレミングかな」

「ふふ、ギャンさん? 相変わらずね。才能ある人は変わってるって言うし、案外話すと常識人だけど」

「仕事さばきは流石の一言だけどね。本当、勉強になるよ。あてずっぽうかと思えば全部記録とって『同じ失敗は二度しない』を地で行くし、アイディアに煮詰まるようなロスもゼロ。整合性があるんだろうね。器用だ。真似できない」

「でも、凄いんでしょう?」

 滝がコーヒーを持ってやってきた。横になる前に一度、カップを二つとも大柳が受け取る。

「修羅場に限るけど、毎回。落ち着いたり、命令されると身なりに気を使うようになる。あの人の頭はすべきことの順位がロジックになってて、忙しくなると不快感より生存が強くなる。そこにも理屈がある」

「それはちょっと分かるかも」

「僕らとは大違いじゃないか。僕らはとにかく快適に、かつ仕事はスムーズに着実に」

「快適さって大事よ」

「僕らは幸せ者だ。君を幸せに出来ているかずっと不安だったけど、同じ仕事をしていて上司にも恵まれて、こんな快適な職場でさ……幸せ者だったようだ」

 滝がベッドの、クッションを大量に敷いてフカフカにしたヘッドボードに背中をたっぷり預け、大柳に預けていたコーヒーを受け取りちょいとだけ飲んだ。

 滝は気が弱くナヨナヨしているが、まるで湖のように静かな男だ。上がることも少ないが、荒立たない穏やかな精神に、大柳が持つ合理主義を共有してくれる。

「ちょっと贅沢しすぎ?」

「少しポケットマネーから出してるし、ボスもオフィス代浮いて喜ぶと思うけど……うん、ちょっと思った」

 ホテルは、それほど高くないが安くも無いダブルベッドの一室だ。恋人同士だと知っているのはボス・九朗だけで、他の同期や佐野にも伝えていない。

「ま、いいんじゃない? 実際滞りなく業務はしてるもの」

 そう言いながら、サイドテーブルの軽食をひとつつまむ。今日は小さなバケットに謎のパテが塗られたカナッペだ。さらにもう一つつまみ、滝の口元まで運ぶ。

「ん」

「ん? ああ、うん」

 ぱく、と食いつく彼が小動物のようで大柳を楽しくさせた。もう一つあげよう、と皿に手を伸ばした瞬間、大きな音で金属ベルのような呼び出し音が響く。

「ひゃ!」

「うわっ!」

 滝も同時に声を上げた。一瞬迷い、大柳は音が脳波側のツールによるものだと気付く。リアル側であれば、ドアチャイムはレトロなアナログベルだ。

「は、い。こちら大柳班!」

<二人とも、仕事だ。昼食は済ませたな>

 ボスの低く耳に良い声が響き、大柳はしゃきりと背筋をのばした。こちらの視覚・聴覚情報は届かないはずだが、大柳も滝も脳波感受に慣れきっているため、口での会話だけでなく文字通信での会話も平行している。そちらは通信ログとして上司の目に届く場所に保管され、場合によってAIによる日報(日次報告書)生成の元になることさえあった。

 顔に熱が集まる感覚に、大柳はいたたまれなくなった。軽食セット二人前を頼むか相談した際、二人揃って口がふさがっていたため脳波コンの仕事用チャット上で会話したのだ。

「……はい」

<よし。三橋班の進捗は共有したな。ドイツも追加しろ>

 相変わらずボスの話は色々と足りないが、数刻前に届いていた進捗共有用のファイルを読んでいたため答えが分かった。

「ここで、ノイズチェック探査を?」

<エリアが広すぎる。が、敵は既に適応した>

 状況を飲み込むために報告要綱へ単語検索を掛ける。どうやら、ドイツだと判明するために行った八木・三橋班の復旧ステータス送受信情報は、既に秘匿へ入り探ることが出来なくなったらしい。

「アジア圏に広めていたノイズチェックはどうしますか? 継続で?」

 滝が質問する。既に滝と大柳が持つ共通技能・トライリンガルの第三言語・ドイツ語を使った煽動文を生成し始めているが、既成のアジア圏向け文書は破棄するのかどうか、という意味だった。

<そちらは継続だ。ドイツは恐らく第二候補。本命はやはりアジアだ>

「となると、布袋部長の反応が?」

<WEBビーコンはアジアだ、間違いなく。それに、私が犯人ならリスクヘッジを重視する>

 それはつまり、大事な人質を手元に置き、それ以外は「場所が割れても危なくない地域」へ置いておくということだろう。それでも被害者に変わりは無い。ドイツも重要だ。大柳は本命調査の状況を質問する。

「八木さんたちは継続してアジアですか?」

<まだ()()()()で頼む。あいつらにはロシアへ飛んでもらう。アジアはお前たちのノイズ調査結果を見てトドメを打つが、今は現状通り陸上捜査を継続(一般ユーザー動員)だ。しらみつぶしでな>

「了解」

 大柳は自身の両手をぎゅっと握りこめた。ビヨンド。ボスと滝、大柳の三人が「布袋や佐野みずきら『メイン目標(ターゲット)』に最も近く、他のスタッフより一本向こう側へ辿り着いている」という意味合いのキーワードだ。線を引き、向こう側から手前へ戻すことを「佐野や三橋へ()()する」のだと言い換えている。

 まだビヨンド。

 伝えてはいけない。大柳はもどかしく、しかし手段を失うよりは良いと目をつむった。

<奴らの散らばりようが見えてきたところだ。こちらも散って追う。頼むぞ>

 そう言い残してぷつりと消えた音声通信ノイズに、滝は大きく息を吐いて「はぁ~」と安堵した。

「ドイツって分かったのね」

「みたいだね」

「私たちがここにしたの、ただ『喋れる』ってだけなのに。偶然? にしては局地的ね」

「なんだろう、立地? 設備? それとも……」

「やっぱり大国(米国)絡みかしら」

「うん、政治的な意味合いかもしれない。じゃあ(ロシア)に飛ぶのもそうだ。物理的に色々便利なんだろう。ビザを違法にとってこれる資金があれば、そりゃあ途上国より先進国のほうが通信インフラ的にもいいだろうし」

 コーヒーをサイドテーブルに置き、滝が考えていることをそっくりそのまま口にした。人によってはこの癖がうっとうしいと思うだろうが、大柳は他人の思考ロジックを聞くのが好きだった。

 アジア圏に広めていた煽動文書は、大柳の打ったドイツ語文書がイタリア・フランスといった『植民地時代の名残で現地民がかろうじて読める』類いの言語へと翻訳されて広まっていく。英語になっても翻訳っぽさが残るようにする狙いがあったが、それは後付けだ。

 英語圏であるイギリス以外であれば、ヨーロッパのどこでも問題ない。ドイツを選んだのは大柳たちの技術的な事情だった。たまたまにしては確率が低いダブリに、クエスチョンを浮かべたまま二人は作業を再開する。

「直接ドイツ語でかまわないの? 少し拙くしとく?」

「いつもどおりでいいんじゃないかな。問題は拡散方法で、流れた文章の出所さえバレなければどうにでもなるしね。いつものあの人に上乗せして握らせれば、上手いことしてくれる」

「また追加料金ね」

「こればっかりはしょうがない。信用と、詐欺まがいの話術が僕らにもあればよかったけれど」

 大柳はクスリと小さく笑い、HDMをつけたまま彼の肩に寄りかかった。

「詐欺みたいなことなら出来たじゃない。品川の水族館で」

「あ、あの時のこと蒸し返すのやめてくれよ」

 滝に口説かれた当時を笑い話にしつつ、二人は煽動役へ渡す台本と行動指示書をハイスピードで書き進めていった。



 大型旅客機内。

 ウズベキスタンに協力軍人を残し、八木と三橋は一般人も乗りあう通常の飛行機へ乗り込んだ。機材は大きく数を減らしている。そのほとんどは、現地へ残った日本人技術スタッフに託してきた。

 彼らの正体を八木たちは知らないが、どこに所属している人間なのか程度は想像できる。空か陸か海か、もしくは庁か。どれか一つにはあてはまるだろう。

「ロシア、ねェ」

「さて、どうします? 今回と同じ手は通用しませんし、前ほど時間に余裕は無いっす」

 三橋は小声でそうたずねる。エコノミークラスの便内はどこもかしこも狭く、しかし移動時間は仕事だと割り切った。隣の八木は、こめかみから伝わる大量のデータを読み解く作業に没頭している。

「前もって組むのは決まってらぁ」

 そう言いつつ出されたコーヒーを勢い良く飲む八木は、眉間にしわを寄せて「うっぶ、すっぺぇ!」と文句を言った。

「ロシアで集めているデータ、どれもクズですね」

「あんなぁ、しょうがねぇだろがぁ。ド素人なりにがんばったんだろうよ」

「一人でも知った人がいれば、俺らわざわざロシアまで行く必要ないんですよ? 文句の一つもつきたくなります」

「へいへい、泣くな泣くなぁ。ん?」

「泣いてねーよ!」

「これは予想だがなァ、俺らは都合がいいんだろぉよ。ズバリ、『専門家がいない故に~上手く動いてない海外現地を~ぐるぐるぐるぐる巡って~指揮しては去るっ!』みてぇなポジション」

「いやだー」

「今から行くのってロシアの潜水艇コントロールしてた基地局だろぉ? アジア圏で空港まで飛ばすための中継局は、今は用ねぇから離れるけどよぉ、でも多分また行くだろぉ? んで、見つけたドイツの本命と、田岡さん繋ぐランダム回線の生成が……」

「中国っす」

「そうそう。んで、無人機(UAV)操作が中国じゃないのは確定、と」

「アジアではありますよ、てかむしろ日本の可能性大」

「海苔巻食いてぇなぁ」

「唐突っすね。俺も醤油。醤油かけた卵掛けご飯」

「庶民かよぉ」

「大根おろしにポン酢掛けたやつ」

「貧乏かよぉ」

「焼肉!」

「ロシアなら肉あんだろぉ。あ、ピロシキ食いてぇ」

「いいっすね~」

 そんな会話をしていると、にわかに飛行機の便内前方が騒がしくなった。どよめきに近い小さな会話が何重にも重なっている。

「ん?」

 脳波感受の方ではろくに仕事をしていなかった三橋は、その音を耳に出来た。何か様子がおかしい。急な病人だろうか、と目を凝らす。人が立ったり歩いたりしているが、状況まではつかめない。

 よく聞こえなかった三橋は、何が起きているのか五感で感じようと、脳波感受機器用磁石つき有線ケーブルを外した。

 黒が広がる。

 三橋の記憶は、ここで止まっている。

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