303 悪路進んで一歩下がる
中国とロシアに程近いためか、どこかで見たような白砂と山々の風景が広がっている。首都などは反射ガラスがビカビカ光る超高層ビルばかりで、まさにオイルマネーの可視化都市だ。
時折旧ソ連らしき建築様式の建物が見え、看板の読めない文字も相まって三橋は緊張した。大昔あったという戦争の気配がする。実際にはここは平和そのもので、しかし日本よりずっと、戦争に近い場所にある。
カザフスタン。
旅行先としてはマイナーを通り越して無名、少なくとも三橋の周囲でこの国に詳しい人間はいなかった。出向上司の八木曰く「資源豊富なせいで核からは逃げらんねぇ国」で、しかし美人が多いらしい。
最後の備考的情報にタンカーで移動中だった三橋は浮き足立ったが、到着後から作戦開始まで全く無意味に終わった。
観光などする暇の無いスケジュールに加え、人が住むような街には寄りもせず、宿にすら泊まらない日々。女性の影はなく、ロシア語が公用語のカザフスタンで聞くのは英語だけ。周りに詰めるのは屈強な米国軍人ばかり。
そして、隣でもたれかかってきている体温からは、若干薄れた化学デオドランド臭がした。
「うーげぇ、うっぷ」
「吐かないでください、マジで。滝じゃないんだから」
「あーダメだァ、もうノド仏まで来てる」
「待ってちょっとビニールほら、ほら!」
車はよく揺れた。日本でも田舎の砂利道は揺れるが、外国の未舗装道路を走る軍用ジープは次元が違った。先進技術はこうした極限地域にこそ実験として使われるべきだ、と三橋は唇を噛む。車用のサスペンションに電磁浮遊を使う先進技術は、シリコンバレーで既にバンバン走っている。
なぜあんな綺麗な道路で走るのか。またゴトンと突き上げられ、三橋も胸いっぱいに不快感が広がった。時折八木の頭に生えるツノのようなウェアラブルデバイスが髪に当たるのも、三橋を不快にさせた。謎のジェルが塗られていて、ペタペタと当たる感触がひどく鬱陶しい。
向かいに並んで座る日本人二人組は、しっかりと天井のネットを握り表情を崩さずじっとしていた。
背広を着ているが、筋肉が隠しきれておらず、胸板がくっきりはっきり、黒いネクタイを境に隆起している。声だけ心配そうに、真っ青な出向社員へ声を掛けた。
「大丈夫か?」
「三半規管には自信あんだけどなァ」
筋肉二人組に答えつつ、八木はノドを覆うように撫でた。三橋は慌ててビニールを広げる。
「侵襲型のメリットは VR 酔いが無くなることだが、デメリットは電子起因以外の酔いに一度なると治りにくい点だ。昔ながらの対症療法も効果がない」
「その、酔いに、なりにくい、はず……」
「予測不能な視界のゆれに処理が追いついてないんだろう」
もう一人の筋肉が話に加わった。彼のほうが年長のようで、隣の筋肉は「そうですね」と敬語で返す。
「侵襲性脳波感受機器に適応すると、予想できうる範囲の揺れは自分の中で補正できる。通常の小型船のような、波を受けた場合のゆれなどは大丈夫だ。さらに言えば嵐のような酷い波も、適応とイメージさえできれば酔わない。残念だったな、この悪路は発展途上国ほど悪くない。日本の砂利ほど良くもない。予想しにくいランダムな地面だ」
「時々草生えてるせいか、少し横滑りしてます。それもあるかと」
「横移動の予兆を一般人が予測なんて難しいさ。気に病むな」
「うえっぐ」
八木がえづく。経験と慣れからなんとか酔わずに済んだ三橋は、アコースティックギター片手に馬で荒野を旅するハートフル西部劇フルダイブゲームに感謝した。
「平衡感覚を全デジタルにすれば落ち着くはずだ。あと数分の辛抱だぞ」
「くそがぁ。高出力ジャマーが邪魔~、なんちゃって、うぉえぇっ!」
「ちょっとギャンさん!? ったく、あーもー!」
満身創痍でもユーモアを忘れない八木に笑いつつ、三橋は背をさすり袋をあてがい続けた。
作戦は果てしない移動を伴ったが、どこかを目指すわけではなかった。ハムスターの滑車のようにぐるぐると回る。中心点には対象の建物を据え、その周囲に張られた金属フェンスの内側すれすれをジープで走り続けた。
設定した建造物を自動で向き続けるAI搭載型車載ECMユニットは、人体には即座に影響ない程度の強い電波を放っている。広げて放つことが出来ないスポットタイプで、三台のジープが車を三角形に取り囲み、そのまま回転し続けることでくまなくジャミングする作戦だ。
三橋は作戦直前を思い出した。乗っている人間は遊園地乗り放題気分が味わえるぞ、と米軍サイドの偉い人が笑っていた。三橋はそのとき一緒になって笑ったが、全く笑い事ではなかったのだ。さすってやりながら、一人苦しんでいる八木を哀れんだ。
八木がひとしきり吐いて落ち着いた後、建物内部に突入していた米軍制圧部隊から英語で「内部、安全が確認できた」と報告が入った。
「やっとかぁ」
「仕事はこれからですよ。ジャマー止まったら勝負です」
「っし。こっちも全速前進だ!」
「ヨーソロー!」
「ノリいいじゃねぇの、三橋」
「速度よし、ログよし、デコイよし。追跡モジュール、よし!」
冗談めいた言い方で、規定の装備を指差し確認していく。
「余裕だな。三秒前」
背広の男二人は、車から直接生えたコードをこめかみに宛がい、ジャマーやセンサーなどの装備を直接コントロールをしている。三橋はそうした車載センサー類の間借りをし、組んでおいたトラッキングのプログラムを走らせる実行部隊だ。ごくり、と生唾を飲む。
「大海原が呼んでるぜェ」
八木が笑みを浮かべたまま、目を閉じ天を仰いだ。三橋も作業用のデジタルエリアに全神経を集中させる。視界が白い空間に埋まり、断片的な二進数の嵐となった。脳裏に機械が吐き出す「通信待機」の文字。
「二、一」
目を開けていたころに窓から見えた建物は、二階建てだった。白っぽい砂地の上に建ち、三橋たちの車から見ると真横に位置している。
その場所と全く同じ場所に、カウントがゼロになった途端突如として電波塔が現れた。
「っし!」
八木が側にいるのを感じる。アバターは無い。ただの位置情報を脳が存在感として感じ取っているだけだが、三橋には馴染みのものだ。その八木から一直線に、最短ルートで赤い紐が伸びていく。そう感じる三橋も、別の種類のモジュールをまっすぐ伸ばした。
電波塔に見えるものは、中継地点として作られた犯人グループのサーバー室だった。中はどうなっているのか、三橋はなんとなくの想像しかできない。
有線で中身を暴くのは危険である、と中に入ること自体米軍に禁止された。おそらく手柄を総取りしたいのだろう、勝手にしろと八木らは鼻で笑いつつ従う。どうせ物理フィルタ——指紋や網膜といった生体認証と脳波感受機器に付与された固有IDとのマッチングで初めてログインできる——で直ぐには情報など触れない。解析には時間がかかるだろう。
我らがボスは、速攻を求めている。
そのために前もって準備をしてきた。一時的に三橋たちの手でオフラインにし、さらにわざと故障を解消しオンラインにすることで、回復したというステータスが犯人の所在地へメタデータとして飛んでいく。狙いはその、最後の飛ぶデータの送信先だ。
ネットワークは、繋がり続けるために「どこか故障したら迂回する」ように出来ている。繋がらなければネットではない。アイデンティティの維持に必死な生命のようで、三橋はネットの可愛らしい特徴だと思っている。
迂回行動、そして迂回された状況からの回復も、どんなハイスペック集団だろうと自動に任せているはず。そう八木は予想したのだ。
ここで人間が出来ることは少ない。事前準備、そして用意したプログラムがきちんと動いているか見守るだけだ。塔から送信が済んでしまえば、光の速度で目的地へ向かって飛んでいく。どうこうできる人間などいないだろう。
「串使ってんのなぁ、やっぱ」
「追ってます」
光の点に見えたステータスデータが、予想した方角ではない明後日の向きへ飛んだのを二人で見守った。今のところデータ収集にエラーは無い。犯人側がこちらの目に気付いているかもしれないが、向こうからこちらに何か仕掛けてくるとすれば、それもまた正確な IP アドレスを割り出す手がかりになる。
「くそ、衛星っぽい経由地ねぇーなぁ。かましてくれればさっさと日本に帰れるってのによぉーもぉー」
八木がうなりながらデータを眺める。衛星を中継していれば、日本国内から情報開示を求めるだけで済んだ。八木はリアルタイムで確かめていたらしく、三橋も吐き出されたデータを覗き込んだ。
「トンネリングは正直どうにでもできますけど」
「お前が犯人だったらどうするよ。え? 何重にも重ねろやー。つか行き先わかりゃなんでもいいだろぉ?」
「複号するだけなら楽できますよ」
ふと、分析数値に不審な点を見つける。
「あれ、ここ速度が著しく低くないっすか? なんだこれ」
「んあ? あー、半世紀前かてレベルだなぁ。おう、こいつぁもっと昔の、オンゲなんか夢物語だったころの『ピービロビロビロガーガー』並みだァ」
「なんです、それ」
「ダイヤルアップの真似~」
「はぁ」
「笑えやぁ。つまり間に色々挟んでんだろ? んにゃ、そりゃあ中継挟んでFWやらなにやら挟んでトンネリング。バナナボートかよ」
三橋は瞬間的に笑った。乗り物ではなく食べ物のバナナボートをたとえに使うなど、偏食の八木らしい。炭酸嫌いの彼が栄養剤代わりにしょっちゅう食べているデザートだ。バナナを生クリームとふわふわのスポンジで見えなくなるほど、つまりたっぷり覆われていると言いたいのだろう。
「分かりにく……」
「その上この速度ってこたぁ、中身全部チェックかけてるな。それくらいすりゃあこの速度にもなる」
「ボスがゲットしてた『内部回線速度が二分の一』って情報、このことでしょうか」
「さぁねぇ。ホストにクライアントが合わせるにしても、フルダイブで『遅え』って感じることぐらいあるだろが」
「うーん、本人たちはラグ感じてないっぽいって聞きましたよ?」
「そこが引っ掛かるな。いや、んなことより俺らは終端探すぞ。ホストサーバーの場所がゴールじゃねぇからなぁ~」
八木が一段と大きなデータを展開する。三橋が覗き見ると、それは数字と対応する表になり、さらに追加のデータが地図になった。八木が続々と書き換えているらしい。
「これ、え? ここ?」
「カプセルぐらいサクッと開けろバーカ」
「えええ……んな無茶な」
表示の中の地図が何度も切り替わるが、中心点が数ミリずれる程度で、その全てがヨーロッパのある国を表示していた。
「お、次の目的地はここか。なんつーか、意外だな」
「先進国じゃないですか。なんででしょうね」
「回線速度的にこれ以上串刺してるとは思えねぇ。こりゃひょっとするとホシまで来たかもな」
「もう? もうですか! やった!」
「どうだろうな、知らねぇけど」
「えー? でもま、ここより遥かに整備されてるでしょうし、日本よりパブリックシギント有能ですし」
「少なくとも、今よりうまく動けるだろうよ」
八木がアゴで電波塔をさす。中にいる米国人の妨害は減るだろう。彼らとしては共同戦線を張っているつもりで、しかしボスが持たせた電子戦装備以外に武器を持たない八木たち日本人を「一般人に毛が生えた程度の協力者」と決めつけている。安全と行動制限はいつも寄り添うものだ。三橋は頷いて、先に向こうへ飛ぼうと急かす。
「待て待て若人、まずは報告だ。ボスにな」
<聞いていた>
「うわボス! いたんです!?」
<作戦遂行中だろう、のんきだな>
「す、スンマセン」
<フ、お前達らしくて良い。で、確定か?>
「出てきたデータ全部解析してる暇なんてねぇっすよぉ。八割ってとこかね。それでも向こうでブルーホール使ったノイズの反応みりゃ、すぐ絞れるでしょうよ」
「位置情報送ります、ボス」
「読んどいてください。こっちは暫定地にすぐ飛ぶんで」
<いや、不要だ。そのままロシアに飛べ>
「っあー!?」
ボス・九郎がまさかの指示を下す。三橋は車よりよっぽど吐きそうだった。
「ろ、ロシア……」
「ボス! こっちはいいんすか、こっち!」
八木が叩きつけるように地図を送信した。九郎は迎え撃つように別視点の地図データを八木の眼前へ送りつけ、赤いポインタを追加表示した。
<ここに行け。データ解析の技術者が足りない>
「えー……」
「そりゃ、まぁ、足りないってんなら……」
<心配するな>
ボスは地図を撫でるように消し、なだめるように言う。
<ドイツにはもうスタッフが行っている。彼女に対応させる>
「ビールはお預けかァ」
八木が嘆いた。




