3 榎本の朝
「エインシエント=コカトリスを二人で! まずその発想が信じられないだろ?」
榎本はウイスキーのロックをちびちびなめながら、自分たちの成果を楽しげに振り返っていた。フルダイブ型ゲーム機と送受信の脳波感受型コントローラを通して、現実と同じ酔いの感覚を脳に錯覚させる。榎本はずっと上機嫌だった。
対するガルドの手には、レモン果汁とレモングラスの入った炭酸水のグラスが握られている。脂っこいつまみによく合う、意外に人気のあるドリンクだ。
小綺麗で上品な高級酒場は、常連プレイヤーと機械仕立ての村人で賑わいを見せている。高度な雑談能力を持つ村人型人工知能は、プレイヤーに異世界での日常感を引き立たせるエッセンスの役目を担っていた。有名プレイヤーの冒険談や新しいダンジョンの噂など、外界の話を全くしないよう設計されている。
照明であるガスランタンが、暖かな光で酒場を照らす。ファンタジーらしい素朴な装飾の店内は、天井から床まで焦茶のオーク材で覆われていた。手配書やギルメン募集の張り紙が貼られ剥がざれを繰り返し、壁にあとをつけている。酒と煙草、スパイシーな香水と仄かな花の香りがした。
至る所に置かれた小瓶へ一輪ずつ、淑やかに小さな青の椿が飾られている。店主が好きだという設定の青い椿から名前を取った「青椿亭」は、ガルドや榎本たちが足しげく通っている有名酒場だ。
高レベルプレイヤー向けのリッチなメニューを扱っており、木彫りの看板には椿とジョッキに入ったエールが描かれている。
「あぁ」
「で、だ。ここしばらくの目標を倒したとなりゃあ、次を考えなきゃならねぇだろ?」
「そうだな」
無口なガルドに代わり、話を榎本が進行させるのはいつものことだった。あぁ、とそうだな、を繰り返す。しかし声のトーンに違いが出るため、会話に支障はなかった。アバターに設定したチェンジャーボイスには、デジタル処理しきれない本人の声がにじみ出る。
ガルドの声には時折吐息のような、線の細さが混じる。設定した機械処理はかなり低めで、そのままだとかなり聞き取りづらい。
だが、ガルドの声だけは不思議とよく通った。
相棒の榎本は、ガルドのリアルでの声を「男にしては高い、インドア系な喋り方」だと想像していた。その認識は的外れではない。実際には「女の子にしては低い声で」ガルドをプレイしている。
「何がいい? 南の島エリアとかどうだ。リアルでもたまに雪降ってんだから、逆に降らないとことかよ」
「あぁ」
「よし決定」
嫌な時ははっきりそう表現するガルドを知っている榎本は、返事の意味を肯定・同意だと判断した。その後、この地方でよく食べられているという白身魚とジャガイモのフライ盛り合わせをつまみながら、次のターゲットについて意見を出し合う。そしてたまに、ギルドに持ち上がっているタイムリーな話題について話しあった。
この話題というのが目下ガルドにとって悩みの種なのだが、それは誰にも言わず隠している。特に悩みや気にするそぶりを見せず、電子的な仮想晩酌を二人で楽しんだ。
肉厚な魚の柔らかさと、揚がった油の香ばしさが口に広がる。飾らない素朴な味わいに舌鼓を打った。榎本は塩を多目に振りかけるが、ガルドはケチャップに軽くディップする。皿を挟んで一方的に話す榎本。そしてたまに返事を返すガルド。話し合いと言うにはキャッチボールになっていないが、ガルドにとって楽しい時間が過ぎていく。
やはりココは心地よい、とガルドはこっそり微笑んだ。「分かりやすく同意しないと聞いていないのと同じ」というリアルの会話が苦痛だったガルドにとって、榎本との話し合いは理想的な時間であった。
あれから幾日、二人は高難易度モンスターのモーションパターンを頭に叩き込む日々を送った。
作業を行うのはゲーム中でなくてもよい。動画サイトにあるゲーム実況を繰り返し見るのも効果的だった。著作権的にグレーゾーンだが、法の改正で先進国の動画サイトから消えつつある。発展途上国の怪しげなサイトを巡回しつつ、目標の攻撃パターンを全て把握していった。
榎本は通勤中にこの作業を行っていた。
電車通勤に利用する日比谷線の車内には、榎本同様すっぽりと目を覆う卵型のサングラスを掛けたサラリーマンが数名混ざっている。最近は増えた。四年前から使う榎本は、買い替えで既に二台目になった愛機を取り出して装着する。
ピタリと目にはめた黒いプレーヤーは、他の客が使うものより分厚く大きかった。サングラスではなく大型スノーゴーグルのようで、昔ながらのVRヘッドセットに似ている。
ヘッドマウントディスプレイ型携帯VR再生プレーヤーを、榎本は給料二ヶ月分を費やして購入した。プレーヤーそのものはコントローラーが無くても視聴できるため、比較的所持する社会人は多い。満員電車でも視界と音声は別世界だ。だが、プレーヤーの側面にある十字キーでカメラワークを操作する必要がある。
榎本のようなコントローラを埋め込む人間にのみ、本当の「仮想現実」が体験できる。早速榎本はこめかみに意識を向けた。
脳波感受型コントローラー経由で身体への電気信号をVRプレーヤーへコネクト。目の信号のみ映像優先、その他の信号はリアルを優先。聴覚への信号はボリュームを中に抑えた。
プレーヤーから伸びるコードは、スーツの外ポケットに入れているスマホに挿さっている。指で操作することなく見たい動画を選び、再生を開始した。
動画撮影者の動きを追尾するタイプの映像で視点そのものの移動は不可能だが、目線アングルは自分で任意のものに出来る。デフォルトでは撮影者の攻撃着弾地点が映像の中心だったが、榎本は敵モンスターのしっぽにズームをかけた。
なるほど、範囲攻撃前にはしっぽがやたら震えている。榎本はさらに他の部位のモーションとセットで何度も確認し、この時どう振る舞えば回避可能か想像を膨らませた。加えてガルドとの個人チャットブースにコメントとスクショを流し共有する。
そろそろ人形町駅だな、と榎本がプレーヤーを外そうとする。その時ポコン、と新規のチャットメッセージの通知が響いた。ガルドからだ。
先程の情報に対する礼を「thx」と表現しつつ、新たな情報を送ってきた。怯みを八回行うと怒りだすのは知っていたが、その怒り状態をキャンセル出来るのだと言う。どの攻略サイトにも載っていなかった新情報だ。
榎本はガルドに「愛してるぞ相棒!」とメッセージを送信した。