287 おにぎり、クラムベリ
背後にはコントロール不可のソリが、前方からは懐かしの顔が駆けてくる。ズルズルと押される形で進むガルドに、轢かれかけていたはずの人影が逆に向かってきた。
「か、か、かっかぁ~!」
泣いているらしい。アバターでは涙もエモーション感受で再現されるが、少しコミカルな表現になる。滝のような涙で毛むくじゃらの顔を濡らしながら、勢いよくコボルト種の男が走ってきた。
「閣下!」
「ウィグ」
「閣下ぁーっ!」
何度も何度もニックネームを呼ぶ。そしてどんどん近付いてきた。大きく手を振り、尻尾を振り、最後には両手を上げてバンザイのポーズでバタバタと走る。
「よ、よがっだ、いる、いた! きてくれた! うわぁああっ!」
そしてガルドの予想通り、ボートウィグはガルドの身体めがけて飛び込んできた。
身長はかなり差があるため、ガルドの腰にビッタリくっ付く形になる。子犬のような頭頂部が見え、ふさふさの毛を撫でようとし、背中のボート型ソリを思い出す。
「閣下、閣下、あれから僕ら結局、結局ハワイに……行けなぐ、ぅぐすっ!」
「わかってる」
「うう、さ、最後だったのに。最後のチャンスだっだのにぃっ~」
「気にしてない。大丈夫だ」
「うぐ、ぐす、ぐす……」
ボートウィグは静かにすすり泣きをしながら、あれこれと話し始めた。
「フロキリなのに、大好きなゲームなのに、ちっとも楽しくねぇっス。閣下もいなくて、ぐす、僕は、ぼ、うえぇ、ログオフもできない、地図も真っ暗、フレコールはブランク、閣下が、閣下がいるかも分かんなくて……うう、ひとりぼっちなのかなって、でも、こんな所いない方がいいのに。閣下は無事にハワイに、着いて……なんで居るんスかぁ!?」
急に大声で叫んだ赤毛のコボルト種に、ガルドはびくりと肩を震わせた。泣きながら声を張り上げた男は気迫に満ちており、背中にあるソリのせいで退路もない。逃げられない状況でなお、ボートウィグは背伸びをして距離を詰めてくる。
「ウィグ」
「閣下が居てくれるの嬉しいけど、けど、な、なんで来ちゃってるんすか!?」
「なんで、って」
「だって、無事に、ああ、うああ、閣下ぁ、かっかぁ……」
とうとう子どものように泣きじゃくり出した男に、空港で感じた年上の風格は全くない。
混乱しているのか、言っていることも理不尽だ。後ろのソリが完全に止まるのを感じ、ガルドはゆっくりとソリを抑える手を離した。そして、ボートウィグの頭を片手でガシリと掴む。
「置かれた場所で咲く」
「へ?」
「そういう名言がある。ここにいるなら、ここでやれることをする」
「閣下……カッケーっす……」
ほおけて涙が止まったボートウィグを、アイアンクロウしたまま強引に引き剥がす。必死に腕でひっついてくるが、ガルドの腕力はそれをたやすく引き剥がした。
「うあ~」
泣きそうな声を再度あげ始めるボートウィグに、ガルドは頭を掴んだ手を緩めて何往復か、乱暴に撫でた。髪はリアルの彼と同じように鳥の巣状で、エアリーさに指が埋まる。たまに当たる犬耳もふさふさだ。
「ふぷっ、んー、へへへ~」
「さっさと剥がれやがれ、この犬っころ!」
「あ、榎本さんチーッス」
「なんだよその差はぁ! つか、お前なぁ! 避けろよ、危ないだろうが!」
「閣下に轢かれたい! 思い切り轢かれたかったんですぅ! あ、マゾとかじゃないですよ?」
「おいガルド、こいつ一回ブン殴れ」
「ウィグ、あとでな」
「やったー!」
「喜ぶな!」
途中で転げ落ちた榎本が追いつき、ボートウィグの首根っこを引っ張った。ガルド同様身長差のせいで、まるで子どもを捕まえる教師のようだ。腹部の圧迫感に解放されたガルドが街の方角を見ると、街門からぱらぱらとプレイヤーたちが駆け寄ってくるのが見えた。
全員、街門近くまで先に進んでいたマグナを目指している。
「参謀~」
「ま、マグナ氏! おお! おおお!」
「マグナ! どこにいたのさー!」
顔ぶれを見ると、見送りに来たのであろう鈴音のメンバーばかりだった。マグナが再開を喜びながら、何か長ったらしい説明を始めている。おおよそこちら側の状況をしているのだろう。ガルドはボートウィグを連れ、探していた仲間たちの元へ歩き始めた。
「心配かけやがってこのメガネ! おい!」
サバサバとした女性の声が響き、打撃音が続いた。何か硬いものを叩いている音だが、遠すぎてガルドには良く見えない。
「……夜叉彦ならル・ラルブだが」
「おぁっ!? そ、そっか。や、別に知らねーし、あんな奴勝手にくたばりやがれ! マジねーわ、くそ」
「相変わらずだな。元気そうで何よりだ」
「元気!? どこがだし! マジヘビーだろ、んだよココ。おっさんがル・ラルブってどういうことだよ、なんでメガネこんな遅いんだよ!」
「班を分けてだな……ともかく、遅くなったことは謝罪しよう。理由はさっきも軽く説明したろう?」
「謝んなバーカ!」
激しい文句をマグナへ叩き込む女は、ラズベリー色のセミロングヘアをしたグラマラスな美女型のプレイヤーだ。中身は夜叉彦に似た青年で、女のフリをしてゲームをプレイするネカマとして有名だ。ばっくりと背中の開いたシルバーのイブニングドレス装備を身にまとい、柄の長いハンマーを背負っている。
「ミーシャ、クラムベリにいるプレイヤー全員集めてくれるか」
「すぐ呼ぶ。大聖堂でいい? って言っても今みんなこっちに向かってっけど。メッセで点呼すっからよ」
不機嫌なまま場所を指定したMISIAは、まるで不良女性のような口調でマグナと事務的なやりとりを始めた。
ミーシャはガルドが所属するロンド・ベルベットのファンギルド鈴音舞踏絢爛衆の所属で、夜叉彦のファンをまとめ上げる立場にある。周囲で再会に沸き立つ他の面々の顔ぶれからも、一番リーダーシップがあるミーシャは中心人物になっていたらしい。マグナと現状の確認作業をしている姿は、まさにガルドに足りないコミュニケーション能力が溢れ出ている。
大聖堂と聞き、ガルドたちもゆっくりそちらへ向かっていく。
「閣下。外、大丈夫だったんスか?」
「ああ」
「でも、でも、そんな危ないことしないでくださいよぉ~」
「いや、ああ」
口ごもったガルドに変わり、榎本が話を変わった。
「俺らをなんだと思ってんだ、お前。急いで来たんだぞ?」
「いるかどうかも分からない僕らのために、リスキーだって言いたいんすよ!」
「聞いてたんだよ、お前らがこっちに来てるかもって」
「え? だ、誰に?」
榎本がボートウィグに説明しようと口を開き、途中で真一文字に閉じた。
「えーっとだな、外で動いてる……あー、めんどいから後でマグナにまとめて聞けや」
「あぁもう、相変わらずだな!」
呆れつつ笑うボートウィグに、ガルドは「メッセ」と話を変える。メッセージの欄の、フレンド一覧にあるボートウィグの名前の状態がオンラインに変わっていた。
「メッセ? あっ! 閣下がオンになってます!」
「ウィグだけ。ミーシャはまだ」
「なるほどな、直接会話すると切り替わるのか。ミーシャがオフラインってことは、一方的に声が聞こえるってだけじゃダメらしい。相互に会話してパスを繋ぐイメージでいいか?」
「ん、多分それ」
「おお、榎本さんもオンラインになってるっス。よかった、これで離れても大丈夫ですねぇ閣下~」
そう言って腰にぎゅっとしがみ付いてきたボートウィグを放っておき、ガルドはメッセージの操作欄を開いた。
試しに目の前のボートウィグへ「test」と、そしてロンベルのグループチャット欄へ「到着」とだけ送信する。ガルドは続けて顔の見える限りの、クラムベリメンバーのプレイヤーネームをざっくり記載し始めた。
「……おいボートウィグ、お前、コイツのことは極秘だぞ。いいか、言うなよ。態度にも出すな。いいか?」
「ぎゃ、分かってるっす! 普段通りっす!」
榎本がボートウィグの耳をつまみ、小声で忠告した。痛みはなくとも不快なのか、コボルト種特有の犬耳を守るように両手で庇おうと、ガルドの腰から手を離した。その隙にガルドはすかさず榎本を挟んだ位置へ移動し、マグナの周りに立つプレイヤーへ声をかける。
「クローゼット」
「あ、大将~」
ガルドの声に気付き、ふにゃりと笑いながらパタパタと一人が駆け寄ってきた。
大柄なガルドの半分もないほど小さな、フェアリエン種の少女だ。正式には「森の洋館のクローゼット」というプレイヤーネームで、メロの付き人としてハワイ入りする予定だった。彼女も巻き込んだのか、とガルドはやるせなくなる。年齢や容姿は知らないが、あまりストレスに強くないとは知っていた。
「大丈夫か」
「やぁ、大将に心配してもらえるとは~。大丈夫だよ。元気元気」
同じフェアリエン種でもぷっとんとは正反対で、クローゼットは媚びる気配の無い素朴な風貌をしている。ホワイトブロンドに発光ハイライトを強く入れた髪をゆるくウェーブにし、床につくほど長くロングにしていた。妖精種らしい丸っこい顔に碧眼がまん丸に配置され、背中の羽はほとんど見えないほど透明に設定している。
装備は弓装備で一番強い世界樹シリーズで固められ、本人曰く「森ガール」らしい。グリーンや明るい革の茶に包まれ、装飾の生成りレースが繊細でレトロな愛らしさを彩っている。このファッションへの譲らないこだわりという点で、メロとは堅い絆で結ばれた同志だ。
「……困ったことがあればなんでも言って欲しい。メロへの伝言でもいい」
「ありがと~大将。ちょっとね、ちょっと大変だったの。でも大丈夫。会える、よね?」
「城に戻れば」
「じゃあ、楽しみにとっとく。ほら、楽しみがあると元気になるでしょ?」
「ああ」
クローゼットはそう言って笑うと、隣の榎本を見つけ「あ、狩人~」と声をかけた。
「お、森の! やっと癒し系に会えたぜ。俺たち六人が来たからにはもう安心だ!」
「えへ、頼りにしてるねー」
クローゼットはいつも通りの口調で榎本と笑い合った。ニックネームで使われている「大将」や「狩人」は、一部の鈴音で流行っているらしい呼び方だ。榎本のそれは愛の狩人の略称で、要するにナンパ師のことだった。
「ここのメンバー以外は」
「全部で六人だよ。みんな鈴音」
ガルドはその数に耳を疑った。予想したより遥かに少ない。
「マジかよ、少ねっ」
榎本も同様に驚く。ガルドと違い、大きく声に出した。拉致直前に聞いたディンクロンからの情報では「数十人規模」で、てっきり百未満スレスレの五十人以上だろうと踏んでいた。街ごとに分散したとしても街に十人以下だとは予想していなかったのだ。
「そうなの? そっちは何人?」
「十人。うち四人は新人だけどな」
「いや、一人はベテラン」
「そうだな。俺らよりベテランだ。しかも爺さん」
「え? ええ? なぁに、それ?」
ガルドは榎本と内輪ネタを繰り広げ、戸惑う癒し系森ガールの反応に笑みを見せた。
クラムベリ大聖堂。
安直でストレートなネーミングの建物に、拉致後クラムベリに出現させられたメンバーがズラリと揃った。
古めかしく色彩の無いモノトーンな街並みの中心に建つ大聖堂は、城下町における城と同じ仕事を行なっている。ログイン用の椅子は祭壇脇に置かれた司祭のための厳かなもので、赤いクッションが城下町の玉座よりふかふかとしている。
天井はそれほど高くない。素朴で無骨な石造りの、色合いも石で作られたような濁りのある印象だった。窓はただの小さな穴で、ガルドが教科書で見るような荘厳とした大聖堂とは全く違う。写真で見た美しいステントグラスも無く、一見して大聖堂にしてはつまらなすぎる建物だった。
元ギルマス・ベルベットが「ロマネスクもいいわよねぇ」と言っていたが、ガルドには単語に聞き覚えがある程度だった。
「別のゲーム!?」
反響する大声に、ガルドは天井へ向けていた目を仲間たちの方へ向けた。
「ああ。試しにほら、食うか? 全然違うぞ」
聖堂の一番奥にある祭壇で、六人とロンベル三人で輪になっている。一歩輪から下がっているガルドには、榎本が手にしているものが見えなかった。隣を陣取るボートウィグとクローゼットの間から、輪の中にグイと体を突っ込んだ。
「む」
「なんだよ、お前は食っただろうが」
榎本が持っていたのは、もう一日分残っていたおにぎりセットだった。
「……あと十個も無い」
「六人だろ、足りるさ」
ガルドはなるべく無表情のまま、輪から顔を引っ込めた。
「あ~あ~分かった、足りるか? ひふみの……ほら、八つあったぞ」
ガルドは小さく頷き、一つ受け取る。それを見て、周囲のクラムベリメンバーがドッと盛り上がった。
「ウソぉ、そんなに美味しいのー!?」
「ほぉ、ガルド氏が取られたくないほどですかな? まさに太鼓判」
「ふーん、おにぎりねぇ。つーか味噌汁は? まさかコメだけで食えって?」
ガルドが暗に「あげたくないほど美味」だと表現したおにぎりを、久しぶりに再会したゲーム仲間たちは高く評価した。その中で一人、訝しげにミーシャが睨む。しかし周囲の和気藹々とした空気は崩れなかった。
鈴音やロンベルの間では、ミーシャのツンツンとしたアマノジャク的態度は当たり前のものとして浸透していた。ある種の演技やポーズのようなもので、周囲の顔ぶれを見て猫を被るのも周知の事実だった。今のミーシャは完全なリラックスモードだ。
「そんなミーシャにほれ、烏龍茶。フロキリの食い物も全部美味くなっただろ?」
「いや知らねぇし」
「食べてないのか? クラムベリにもあるだろう」
「あんなチーズ臭いのいらねぇよ。それくれ、そっちの」
チーズマカロニが名物のクラムベリは大変だっただろう。そう配慮し、ガルドは榎本が抱えたおにぎりの山からシャケおにぎりをパッと掴み、烏龍茶の缶と一緒に投げた。野球選手のように美しくキャッチし、ミーシャが荒々しく海苔のきいたおにぎりへ食らいつく。
「榎本氏~、我輩はそちらがよござんす」
「無理すんな爺さん」
「チリメンジャコおくれ」
「あ、僕閣下と同じのがいいっす」
「えーっと、塩にぎりって無い? 中身無い方が好きなんだけど」
「だぁー! お前ら何でそんなピンポイントに無い物ねだりなんだよ! 城下町まで行けばなんでもあるから! 我慢しろ!」
榎本が吠える。それにもまたドッと笑いが起こり、ガルドはギルド用メッセージへ「全員健康、メンタル問題なし」と送信した。




