284 月を置いて山の向こうへ
「おにぎり、美味かったな」
「ああ」
海苔と米の味は久しぶりだった。パリッとした香ばしい海苔は炙った直後のようで、米の粒立ちも見事だ。
ガルドはしみじみと、日本産の調理シュミレーションゲームが参入してきたことを喜んだ。キッチンの主と化した金井によると、一般的な家庭料理以上のものが再現できるらしい。旅立ちの際に言われた「帰ってきたらふぐ刺しにしよう」という発案は、ギルドメンバーのモチベーション向上に一役買った。ガルドも楽しみにしている。
山小屋で和風な昼食をとった後、三人はボート型ソリをひたすら走らせ続けた。
小屋の前にいた雪ダルマ型の大型モンスターを乗り越えれば、他に注意するような敵はいない。素通りで何体もの敵を通り越し、その度にガルドと榎本は「つまらん」と文句を言った。
道中は遊びたい誘惑との戦いになった。
「攻撃パターンが変わった特殊型の時は、前のに引きずられる。ガラリと作戦変えたほうがやりやすい」
「あ、それアレだな。クラゲの時の」
「ああ」
「ほう、アレにもアタックしたのか。特殊型になってもほぼ一緒のパターンだったはずだが、そうか、逆に変更点が少ないとやりずらいのか?」
「そういうことだな。毒触手振るう回数が四・三・一なのが五・三・一・一になるだろ?」
「……最後の一を忘れがちになる」
「そうか、見切りなら大差ないがパリィとなると変わるのか」
「大違いだ」
「アレでコイツ、四回もミスったんだよ。次こそはって言ってトライしては撃沈。最後の方イライラしてたよな」
「忘れろ」
「やだね」
「五回目でリテイク無しか? それは十分凄いだろう」
「全然だ」
戦いたい気持ちを持て余したガルドたちは、ひたすら少人数プレイをしていた頃の成功談と失敗談を話していた。ボートの中でマグナは聞き手に回っているが、すかさず分析を入れ、その内容が的確なためにテンポよく話が進んだ。
「人数が多ければ、合間が繋げるんだがな……特に夜叉彦がやる『怯ませ』の有無はでかいだろう。もともと大剣一振りでこなせるように出来てないだろう?」
マグナが言っている内容は、ガルドのアイデンティティであるパリィ・ガード担当の限界を意味していた。
「何度やっても無理なとこは諦めるさ。俺だって避けきれないこともある」
「悔しい」
ガルドは素直にそう言った。ゲームのシステム上どうしようもないことだが、何度も挑んで一度も避けれなかった攻撃など山ほどある。しょうがないと分かってはいるが、ガルドはずっと悔しかった。
山の頂上に近付き、木が一気に減る。雪が一層強くなった。
「負けず嫌いってのは必須だよな」
「ああ、ロンベルは全員そうだな」
二人も同意し、ガルドも頷く。ゲーム如きに、と笑う人間もいるかもしれない。だが、他のプレイヤーに負けたくないという一心で六人全員は真剣に取り組んでいた。
「そういや……今この世界で一番強いの、俺たちだよな」
「む? いや、分からんぞ。海外で同様に拉致られたトッププレイヤーがいるやもしれん」
「だとしたらやっぱり俺たちが一番だな。あのままやったら優勝は俺たちだったろ」
「そんな自信どこから出てくるんだ」
マグナが呆れた声で言うが、ガルドは九割五分その通りだと思った。そのために数ヶ月単位で努力してきたのだ。これで優勝出来なかったならば、それこそ悔しさで寝込みそうな話である。ガルドは「優勝は出来る出来ないじゃない、するものだ」とだけ付け加えた。
「にしても、この世界ではどうだろうな。他のゲームが現在進行形で混ざって来ているんだ。そうなると、他のゲームが戦闘を含むものだった場合、システムとして勝てないかもしれん」
「む」
「お、おう。コマンドのRPGとか参入して来たら困るけどよ」
「だろう。どうしても間に合わない攻撃があるように、どうしても当たるだろう? 攻撃コマンドや……ターン制の、とかな」
ガルドはそれでも、と考える。仲間たちもそれぞれ得意分野があり、総合すれば弱点が無い。
マグナはレーシングゲームが得意で、夜叉彦はダンジョン探査型のホラーゲームが得意だ。榎本は昔からアクション一筋で、ジャスティンはコマンド型のMMORPGを長くやってきた。メロはああ見えて音楽ゲームに詳しく、おそらく上手いだろうとガルドは思っていた。
自分は、と振り返る。フロキリ以前はあまりゲーマーとは言えない人生だったが、一人称視点で進めるガンアクションをしてきた。FPSと呼ばれるジャンルだ。
「大丈夫だ。適応できる」
「ま、なるようになるさ」
「……お前たち、なんでもいいのか」
マグナは呆れていたが、ポツリと「強制とはいえ、ゲームは楽しむに限るがな」と笑った。
山をどんどん駆け上る。
頂上の弩級大型モンスターは戦闘を回避できるため、横を素通りして山向こうへ下る予定だった。ガルドはもったいないと横目で見るが、三人で倒せるような敵ではない。いつもの六人でも遊び感覚で行くとたまに全員が倒されるほど高難易度で、装備も今のものでは心もとなかった。
「見えたぞ」
榎本が声をかける。マグナもボートを改造したソリの天井穴から顔を出し、見慣れた金色の円形モニュメントを鑑賞した。
雪山の頂上に収まっている円盤型のモンスターは、目鼻といったパーツが無い。正面に見えている今は円の形に見えるが、美術館の彫刻作品のように微動だにせず、すれ違うと薄い板に見えた。
「ルナ、ゆとり出来たら挑もうぜ。いつも通り」
「そうだな。勘が鈍る」
範囲攻撃が凶悪な円盤のルナは、ガルドがフロキリのストーリーモードの中でも比較的気に入っている追加エピソードが由来のモンスターだ。目覚めてすぐにここから城まで下っていこうとする、氷漬けの兵器。プレイヤーが侵攻と虐殺を阻止するストーリー展開で、ギルド単位の通常サイズと期間限定レイド用の超巨大サイズを楽しめる。
正式名称は「古代人が遺した対人巨大殲滅兵器・ルナ=マヤーノカ」だ。ルナは愛称だった。
氷結晶城を攻めるために生まれた円盤型兵器はギミックが複雑で、攻撃パターンが分かっていても位置取りが難しく、無傷で生き残ろうとするには柔軟性が必要だった。
ガルドは月のような形を見ながら懐かしんだ。
下手な有人プレイより練習になるから、と六人はかなりの頻度で山に登りクエストを繰り返してきた。今日は無理だがいつか、とガルドは目を細め睨みつける。
山の急勾配の末、鋭い犬歯のような頂上に円盤がグサリと刺さっていた。
満月がモチーフらしく、細やかなレリーフの装飾と黄金がアート作品のように見えた。こちらから一撃を加えないと見向きもしてこないため、スレスレの近いルートで山を越える。
グンと地面が下りに変化し、ソリの中からマグナがロープを掴んで牽引のサルを操った。
「っと、すげえスピードだなっ!」
榎本とガルドはジェットコースターを下るように、体を後方に傾けてGを耐えた。前に捕まり損ねたため、腕は必死にソリの縁を握っている。
「っ……そうだな」
落下する感覚に、ガルドは背中がぞわりとした。幼い頃にブランコを漕いでいた頃の、なぜか突然怖くなった瞬間を思い出す。
「このペースなら予想より早くつきそうだ」
「でも流石に今日中は無理だろ」
「予定通り泉で泊まろう」
「それ以外無いな。安全地帯なんてあそこぐらいだ。早めに着くからには早く出れるし、損はないだろ?」
「ああ」
マグナが挙げた泉という名のキャンプ地は、純正のフロキリではファストトラベル・ポイントだ。この山の中で唯一モンスターが入ってこない中継地点で、ちょうど小屋と目的地の中間地点にある。しかしただの泉で、何か建物があるわけではない。
「吹きざらしだぞ、大丈夫か?」
「気にならない」
雪は止むことなく泉に吹き込む。木々に囲まれる分吹雪は弱まるが、風と雪がミックスされて届くことに違いはなかった。寒さは感じないが、吹きすさむ風圧は体感が再現される。
「ぐっすり安眠とはいかないからな」
「覚悟して来てるって」
マグナの忠告に対し潔く答えた榎本は、岩を飛び越えた衝撃で大きく跳ねたボートの天井口をぎゅっと掴んだ。それさえなければ頼れる男のセリフだが、とうとう両手で縁を掴んだまま体を縮こめる。
「荒れてきた」
ガルドは大きく外に上半身を出し、地面を覗き込む。一面の雪だが、所々黒い岩が顔を出していた。下れば下るほど悪路になるだろう。泉のある山の麓は、平地を通り越して谷のようになっている。もう一時間も走っていれば、そのうち林が見えてくるだろう。ガルドは隣に視線を戻した。
その時また一つ岩に乗り上げ、大きくソリボートがバウンドする。
「うひぃっ!」
隣のハンマー使いが悲鳴をあげた。
「そうか、ジェットコースターを断固拒否するタイプか」
マグナがごく真面目な顔で分析するが、言われた榎本は悪態をつく余裕すらなかった。からかおうと思ったガルドは、その表情を見て考え直す。
「マグナと交代、どうだ」
「や、や、いい。ここから外見てた方がマシだ。つーか、んなマジな顔で……」
首を大きく横に振りながら、榎本は一生懸命茶化した返事をしようと口を開く。おそらく「マジな顔で心配するほどじゃない」と言いたいのだろう。ガルドは頷いた。
「知らなかった」
「運動が得意だからな。てっきり苦手など無いかと……そうか、BMXを観戦専門で嗜んでたのはそれか」
「自転車で一回転ぐらい出来るかと思った」
マグナとガルドで頷きあっていると、堪りかねた榎本が愚痴のような反論をこぼした。
「できないから憧れてんだよ! くそ、浮遊感までご丁寧に再現しやがって」
「大丈夫か」
「に、苦手なだけだからな!」
「分かっている」
「マグナ、避けれるのは避けてくれよっ」
「善処する」
笑いをこらえた声でマグナが返事をした。榎本は話を続けようと口を大きく開き、ちょうど訪れた傾斜の折り目に言葉を飲み込んだ。
「う、嘘だろ?」
このゲームが純正のフロキリだった頃は加速感も浮遊感もなかったため、何の変哲も無い急勾配だと思っていた。ガルドは直前になってやっと思い出すと、榎本を心配そうに見つめた。
この先に、ほぼ落下に近い傾斜がある。
登る際はイワトビペンギンのようにジャンプで登るような場所だが、こちら側から行くときは楽だった。落ちればいい。着地でダメージを負わない限り、風景が流れていくだけのことだった。
今やそこに、凄まじい浮遊の感覚が追加で再現される。
「どおあっ!?」
顔を白くさせている榎本をスクリーンショットで撮影しつつ、ガルドは自由落下をしばし楽しんだ。




