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283 海のギャン

「さ、佐野さんの?」

「……ええ」

「え? な、え? おばさま、知り合いだったんですか!?」

 三人はそれぞれ驚愕に包まれ、状況の把握に一呼吸の時間が経過した。一番よくわかっていないすずは、二人の顔を交互に見て焦っている。

「どういう接点ですか!? あ、会社ですかっ!」

 取材かとすずが推測する。弓子は首を振って否定し、日電警備のことをもう一度話題に上げた。

「すずさんには言ってませんでしたね、仁さんの仕事先」

「おじさま? 有楽町の警備会社だとは……警備? 三橋さん、せ、セキュア設計って……」

「あ、あの、佐野さんにはいつも、お世話に……」

 三橋は絞るような声で言った。

 佐野弓子は佐野みずきに似ているのだ。いや逆か、とみずきの顔を思い出す。空港以降、彼女の行方を探すために防犯カメラの解析なども行ってきた三橋にとって、みずきの顔は見慣れたアイコンの一つだ。

 デジャヴの正体に気付きスッキリしたが、この後どう会話すれば良いのか全く分からない。何通りか向こうの出方を予測するが、どう転んでも空気を悪くしそうだった。

 それに、と三橋はうろたえている白衣のすずを見る。素敵な女性だが、佐野の妻の姪ということはつまり佐野の姪でもある。非常に近い親戚筋の方だ。

 婚活中の三橋はすぐ計算する。すずとの将来は、佐野仁の甥になる将来と同義である。三橋は恋心と下心を速攻除外した。佐野は信頼できる良き先輩だが、永遠にドーナツを口にねじ込まれ続けるのは嫌だった。

「おじさまの部下、ってことですか」

「そうなるわね。お忙しいでしょう、お疲れ様」

「いえ、その、佐野さんに比べれば自分など」

 一気にしどろもどろになる。

「大変かもしれないけど、あの人をお願いしますね。三橋さん」

「え? ええと……」

 急に佐野のことを託され、三橋は頭がクエスチョンマークにまみれた。真面目な顔でこちらを見やり、困っている三橋を気にせずそのまま弓子は続ける。

「あの人、子煩悩なんですよ。あの子を大事にして、自分を二の次にするんだから……」

 この一言で、三橋は弓子の言いたいことを全て悟った。

 細い体の、あばらの浮いた腹の奥が締め付けられる。自然と息を詰めていたようで、三橋はゆるゆると息を鼻から吐いた。奥歯は噛み締めたまま、くぐもった声で「はい」とだけ返事をする。

 娘を思う親の気持ちは、子のいない三橋には分からない。しかし目の前の弓子と、追跡船で見た佐野の覚悟のようなものは感じ取れた。

「えっと、おじさまってやっぱり職場でもみずき自慢してるんですか?」

 すずは眉尻を下げながら空気を和ませた。



 潮の香りがする。

 黒ネンドと資料一式をすずに託し、三橋は晴海埠頭の指定場所まで戻ってきた。

 すでに大型貨物船が到着しており、必要な物資を何台もの多輪駆動車に詰めてそのまま載せている。指揮を取っているのは見知らぬ別会社のスタッフで、三橋は船着場から離れた場所に立つ顔見知りを見つけて駆け寄った。

「戻りましたー」

「お疲れ三橋。あ、お前また抜いただろう! 参ったな、僕も今は持ってないし……せめて飴でも食べて。ほらっ」

 佐野は挨拶もそこそこに、三橋の顔色を見て黒飴を握らせる。

「じじくさ……」

「文句言うな、ほら」

 さらにポケットからチェルシーのヨーグルト味を取り出し、三橋の手に乗せた。

「そんなことより、佐野さんの方こそもっと食ったらどうです? 甘いの、買ってきましょうか」

「いいよ、どうせ受け付けないからね」

 佐野の背中が小さく見え、三橋は先ほどのつくばを思い出す。

 同じ苗字の女性もそうだった。元気に振る舞うが、肌艶や顔色がくすんでいた。佐野仁はそこからさらに、このペースで行くと三橋同様あばらが浮いてきそうなほど、一気に痩せたように見える。

 三橋には佐野の変わりようが死神の足音のように聞こえ、まだまだ自分の方が軽いことを棚に上げて心配した。

「せめてカロリー高いの選んで食べてくださいよ? 好きっすよね、炭水化物」

「まあね。うん、喉通りのいいコッペパンとかかな」

 独特なパンのチョイス方法に三橋は半笑いで返事をしつつ、端末から脳波感受で物品の不足をチェックした。到着していないものが何点かあり、それは有楽町散開チームの一部が引っ越しに手間取っているからだと報告が入る。佐野に代わり軽く指導の一言を送り、海の方へと振り返った。

「移動、佐野さんたちは空路でしょう。こっちにこたくたって……遠回りじゃないですか。無理しないでいいのに」

「いや、お前や八木君たちが気になってね。よくやったよ。音の解析からここまで割り出すなんて」

「なっ、そんなの、自分のワガママでやってたことっすよ? もっと核心まで探れるかと思ってたのに、全然で……」

 三橋は当初自信満々だったのだが、現実はそう甘くはなかった。時間さえあればもっと詳しく探れたのに、と口に出しかけ、空気ごと飲み込む。

 ザンという波音が大きく耳に入った。

 船の向こうに広がる海は穏やかで、無限に広がっているのかとさえ思うほど、そして三橋自身がちっぽけな米粒にでもなったように感じた。不安に感じ隣を見る。

「お前たちは光だ」

 三橋と目が合った佐野が、突然そんな言葉を投げてくる。

 その言葉に、やっと三橋は佐野がわざわざ港へ来た理由が分かった気がした。

 この広大な海の中から小さな小さな人間を探し出すなど、本当は不可能なんじゃないか。そんな不安。そして、そんな時に八木と同僚の滝が身を粉にして探し当てた、国単位での予測ポイント情報。それは佐野にとって、まさしく光だったのだろう。褒められているのだろう、と三橋は突然照れ臭くなった。

「……灯台でも見に来たんですか?」

 そうからかうと、佐野は何かを堪えるように笑った。


 三橋は佐野とひとしきり話を出し尽くしたのち、潔く船に乗り込んだ。

 空港での事件直後に乗り込んだ空母とは違い、タンカーと呼ばれる大型船だ。三橋たち日電警備専用に用意されたわけではない。というのは、既に九郎率いる日電サイドは上層の手を逃れたため、資金に制限があるためだった。

「今まで湯水のように使いすぎたって訳ですね」

「そーいうこった」

 隣の八木は良い香りがした。三橋がつくばにお使いで出ている間、準備と合わせて身支度をきっちり整えたらしい。海外製のデオドラントなのか、やたら化学めいた香りだ。

 しかし部屋がオイルくさいため、折角の香りが打ち消されつつある。

「高低差あり過ぎじゃないですか、にしても」

「しゃーない。機械様を運ぶオマケなんだからよぉ」

 体育座りで座る二人は、ぴったり肩をくっつけあうほど隣同士だ。周りは船内の配管らしいパイプが音を立てており、オイルで真っ黒になったタオルが干してある。空間は空いているが、立って歩けば顔にタオルが当たるため、隅っこに二人は陣取っていた。

「牢屋みたいなもんじゃないですか、これ」

「三橋ぃ、そのこめかみのモン、飾りか? え?」

 そういって大きなトランシーバーのようなものをカバンから取り出す八木に、三橋は悲鳴をあげた。

「無線交換機っ? しかもそれ、メスの方……」

「ふっふっふ! 船が持ってるのと別に、俺らは俺らで衛星回線使おうって魂胆よ。甲板にこっそり貼ってきてやったわ、次世代ビーギャン」

「それにオス側つけて、こっちに流すってことっすか……で、いくら?」

「知らね。社長におねだりした」

「ひっど! きっとスッゲェ高いのに! いいんすか!?」

 三橋は厚い顔をした八木を批難しつつ、ポータブルPCの電源を探して部屋をうろついた。中腰のまま壁を探し、海外型のコンセントを見つける。電圧の数字をチェックして差し込み、素早く八木の隣へと戻った。

「やる気満々だなぁ。さて、黒ネンドが吐いたエリアのデータから絞り込むぞ。おっと……演算委託先指定、どーするよ。俺ぁもうコネ使えないぞ?」

「それならつくばに。白亜のアドレス、教えます」

「おっマジか~やるねぇ~」

「なんすかその言い方ぁ! すずさんのご好意ですよ、もっと有り難がってください」

「すずさん、ねぇ~。芸能人で言うと誰に似てんだぁ? 女優? アイドル?」

「言いません。いいからさっさと分割して寄越せコノヤロー」

 三橋は八木と口で遊びながら、体の力をがくりと抜いて集中した。脳のソースを全てPC側に割く。

 視界に映るPCの中身は、ブルーホールとは違い真っ白だった。

 白だという認識すら三橋個人のイメージで、そこは本来何も無い。膨大な数のラベリングされたデータと、それを振り分けるための黒ネンドが吐いた反応データだけが、映画フィルムのように繋がって降ってくる。それを八木が目に見えないほどの速度でコマごとに切り、三橋に要らないものをカットアンドペーストで奪っていく。

「おめぇがつくばですずちゃんと密会してる時な。やっぱりあったぞ、上層部のコンタクト」

「えっ」

 急な報告に三橋は息をのんだ。隣で体育座りしたまま、八木が小声で顛末を語り出す。

「あー、そんなにビビんなよ。俺らのいた有楽町のビルに来たのは上の上で、コンタクトは上の下からだぁ。ま、『俺んとこ』って言った方が早ぇか?」

「内部分裂……」

「もともとあったんだよなぁ、布袋派閥ってのは」

「で、どうしたんすか」

「社長に投げといたぁー」

「軽いっすね! 古巣っつーか、ホントはあんた、まだあそこの人間だろ!? 口利きとかしないんすかっ」

「あー、無闇に喋ったらヤバそうだったからなぁ」

「ヤバそう? その人ら……布袋派? って何するつもりなんすか。知ってんでしょ、ギャンさん」

「まぁな。布袋さんはこの五年、すげぇハードな仕事しつつ、なんか知らんけど計画を練ってたんだなぁ。それは派閥の若ぇのまでみーんな知ってた。それがなんなのか、あの人が消息不明になってやっと明るみになったんだ。パニックだよ、あいつら。知らん事件調べてて、それにリアタイで巻き込まれたんだ。でもその調査を庁は『民間に委託した』って言ってる。警察も動く気配ゼロ。訳ワカンネェ! ってな」

 三橋はボス九郎と布袋女史の関係を知らなかった。ここ一ヶ月でおおよそ個人的な仲間だったのだと知り、部下にも知られないよう裏で昔から動いていたのだと気付いた。

 五年も前から、九郎も布袋と共に田岡の件で動いていたのだ。

 九郎と布袋は彼の精神を無傷のまま救出する方法を探していた。そして、次のターゲットになってしまった佐野の娘たちを守ろうと水面下で動き、布袋だけは数名の部下と共に巻き込まれたのだ。

 何があったのか知る九郎は残され、三橋たちは断片的な情報の元、彼の指示の下で動いている。

「パニックって……ボスに付いていけば布袋女史の所在調査とかが出来るって……」

「知らないんだよ、アイツら」

「え、ギャンさんから教えないんすか」

 三橋は逆の立場でIFを考える。もし九郎が、佐野仁や数名の仲間と共に行方不明になったならば。そして出向していた同僚が事情を知っていたのであれば。そのことに気付いた時、教えてくれなかったことを怒るだろう。理不尽だとしても激情にかられるはずだ。

 きっと布袋派閥は何かしらの感情を抱えたまま、今も苦しんでいる。

 三橋は、彼らに怒られなかったのかという意味を込めて「もう一ヶ月っすよ」と尋ねた。

「あの狭いとこに乗り込んできてよぉ、こちとら荷造りしてるってのに……ギャアギャア怒鳴りやがって」

「は、はは」

 三橋の笑い声は乾いていた。

「だぁってよ、全員こっち来たらダメだろがぁ。クビになるだろがぁ! クビ!」

 クダを巻きながら八木が叫ぶ。それほどか、と三橋は感嘆した。布袋は相当慕われていたらしい。救えるのなら懲戒免職すら厭わないらしく、八木は本気でそれを阻止するために黙っていたようだ。

「じゃ、ギャンさんだけ特別じゃないっすか」

「俺ぁ前から『社長を助けろ』ってぇ布袋さんからの指示を貰ってる。だから今もその指示で動いてんだよなぁ。特別じゃねぇ、仕事でだ」

「……でも、布袋派が全員ボスについたら千人力ですよ」

「社長がどう采配したか知らねぇけどなぁ、こっちには来ないと思うぞ。ま、向こうにいるからこそ出来ることもあるだろうしな」

 八木は熱くなってきたウェアラブルデバイスのツノに、ポケットから出した謎のジェルを塗りたくりながら続けた。

「新木場を守る、とかな。多分、北千住の病院は上の上が手配したんだろ。社長は上と仲が良くない。となると田岡っつー犯人に繋がる手掛かりの一つは、俺たちにとって不利な場所にあるってこった。そこにゃあ置いとけないってわけだよ……布袋さんっつークッションが居ない今は」

「布袋女史のお陰で田岡さん守れてたんすね」

「新木場は二の舞には出来ねぇだろうし、となると布袋派の出番だろ?」

 八木はニッカリと笑った。そして、小声になって三橋に内緒話を持ちかける。

「ま、黙ってた詫びにな、ちょーっとヒントだけくれてやったわぁ」

「あんたって人はー!」

 三橋は一緒になって笑った。やはり八木は、一筋縄ではいかない男である。


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