280 山小屋とちくわとチーズ
ガルドの腕と剣がたてるけたたましい音に、巨大な雪ダルマのモンスターは首をもたげた。振り上げた腕をそのまま、足だけ滑るようにヌルッと音のなる方角へ移動する。赤い目がまっすぐガルドを見ている。
敵の注意を引くアクションはひっくるめて「挑発」として、各武器ごとに固有の動きがトリガーとなって使える行動になっている。大抵、腕や武器同士をぶつけあって音を立てる動作だ。
絶対に釣れるというわけではない。元々溜まっていたヘイト値に加え、その直前までガルドと榎本は同じ程度のパワーで攻撃していた。ヘイトの数値は拮抗しているだろうと予測していたガルドは、想像通りの結果ににっかりと笑った。こうして仲間のピンチに釣れるとは、なんとも心地よい快感だ。これだから前衛はやめられない。
倒れていた榎本が飛び上がり、強めの一撃を打つ準備をしている。自分はそれを支援するための仕事をすればいい、とガルドは信頼しきった。得意にしている大剣でのパワーカバーリングはこうして相棒のためにある。
仲間をかばいつつ、自分も無傷で凌ぐ。
その上そこそこ強い攻撃を叩き込む。メロのような圧倒的火力でもなく、パリィでの軽い援護を得意とする片手剣でもない。センスとゴリ押しで生み出したガルド特有の戦術だ。腰を落とし、剣を両手で構え待ち構える。
「よし」
脇からマグナの声がする。支援の合図だ。小さなエフェクトと効果音で内容を把握。速度の強化、続けてくる二発目も同じものだ。その分スキルのタイミングはさらにシビアになるが、それも含めてガルドは楽しくなる。厳しい状況であればあるほど胃の裏が震えた。
壁のような存在に目の前が一気に暗くなる。ぬるりと巨体の影がガルドを覆った。はるか上に何かが動く気配。ガルドは視線を向けず、陰り具合だけでタイミングを図る。
先制攻撃はしない。小さな腕と鋭い爪の、大降りな横凪ぎをスライディングでくぐって避ける。視界から完全に敵が消えるが、雪ダルマ型モンスターのコンボは飽きるほど見てきた。次にすべきことは分かっている。
身体を半回転させ踏ん張って立ち上がり、次にくる攻撃の方角へ剣を構えた。先程までガルドがいた場所に、正面からXの字の形に両手で斬撃攻撃してくるはずだ。その中心点をイメージする。
直後、二撃目が飛んできた。息を吸い、調子を合わせて肩をうならせる。
「ふっ!」
肺の中を全て吐き出しながら、ど真ん中目掛けてスキルの一つ「ワンエイティ」を放った。下から振り上げ、身体全体でひねりながら高く上まで斬り上げる。技の最後には身体が真反対を向くため、百八十度回転という意味の技名になったらしい。ガルドが持つスキルで数少ない炎の属性を付加されたもので、ガス火のような瞬間的な炎が剣から巻き上がった。
衝突音が一つ。
巨体が放ったXとガルドのワンエイティがぶつかり、爽快なパリィの成功音がした。技の反動で後ろを向いたガルドは、その音と氷が軋むような悲鳴をたよりに次の動きへ続ける。
単純な縦振りかぶりの重い通常攻撃を一つ、振り向きざまに叩きおろす。見えていなかった相手の巨体は、ひるんだのか先ほどより数歩下がっている。予想通りの場所だ。ガルドの剣はその胴体にしっかり入った。
「マグナ」
離れた場所で弓矢を射つ仲間の動きも、敵と同様に耳で聞き取っていた。その音が途切れたのを察知し、ガルドは一声呼ぶ。それだけで察してくれる頼りがいのある仲間だ。
返事は弓で返ってきた。ガルドが紡いだコンボを引き継ぎ、リズムよく通常攻撃で合間を濁す。
その間にガルドは大きなスキルの溜めに入った。気に入っている十八番のスキル「落陽」で、巨大な雪ダルマを倒すのに必要なダルマ落とし戦法のために下腹部を狙う。
その頃には榎本が復帰し、ガルドより長い溜めを行うスキル「プルートウ」のエフェクトを発しながら対角線上に立っていた。目が合う。二人で同時ににやりと笑った。
「むんっ」
ガルドは腰を入れて歯を食いしばり、両手持ちの大剣を片手に持ち替えた。重い両手剣を軽々と翻しながら、赤と黒の閃光を十八回叩き込む。一番頑丈な三等分した最下層の下半身をふっ飛ばすのに、あともう少しダメージが足りない。ガルドはアイコンタクトで相棒に視線を送ったあと、落陽が残す陽炎の色をそのままに次の溜めへ移った。
タイミングを合わせて榎本がスキルを放つ。
遠心力で回転をかけ、重い宇宙のような効果音と共にダークなオーラをハンマーで叩き込む。何度も何度も回転攻撃を行うため、目に見えないコンボカウントが勢いよく溜まっていく。
あと数回回転を残したところで、耐え切れずに雪の塊が爆散した。
ツララが割れるような悲鳴を上げながら、頭部と上半身だけになった雪ダルマがぐったりとへたりこんだ。ダウンだ。
「ラッシュ!」
マグナの声がした。頭部は届かなくはない場所まで落ちてきたが、遠距離プレイヤーが少ないため上半身部分まできっちり落とす。ガルドは溜めていた二度目の「落陽」を、榎本は通常攻撃を、勢いよく一斉に放った。
数秒ラッシュを続けていた榎本が、敵の小さな挙動の変化に気付き、向こう側から声をかけてくる。
「来るぞ」
敵のパターンは研究済みだ。ガルドも同様に退けられるようスタンバイする。腕の動きの変化、視界にちらりと入り込んでいる雪ダルマの、ワシ鼻が何かをこらえるような震え。タイミングは個人で判断する。
「っし!」
「ん」
ガルドと榎本は予兆をしっかり見極め、敵の素早い反撃を見切りで回避した。その隙に、マグナが二人へ攻撃力底上げの支援を始める。ガルドは「きゅ」とだけ礼を言った。
だが疑問だ。回復に専念するから支援など期待するな、と言っていた割にガンガン支援してくる。真面目なマグナらしくない。
回復や防御重視ならば、そのための補助スキルというものもある。防御を高めておけば被ダメージそのものが少なくなるのだ。なぜ防御寄りのものを寄越さないのか、首を少し動かしたガルドは気付いてしまった。
ちらりと見たマグナは、血走った目をしたままうすら笑いしていた。
ガルドもつられて笑った。あのマグナも、なんだかんだ言いながらスリルを楽しんでいる。真面目な男だが、たまにこうしてBETするのだ。「ガルドと榎本がこのままノーダメで倒しきれる」方に賭けてくれた参謀に、心から感謝を抱く。
ガルドは神経を回避に集中させた。
本来ならフルメンバーの六人で挑むべきところを、たった二人で押しきっていく。その上回避まで完璧にしようとは、やはり無謀だったのかもしれない。めまいのような苦しさを味わいながら、ひたすら隙をついて接近し、襲い来る攻撃を避け、近付きを繰り返す。
背中が時折熱く感じるのは、間違いなくマグナの心意気だ。
「いいぞ、あと二割!」
上半身は被ダメージの表現でぼろぼろと崩れた雪の壁に変化してきていた。畳み掛けるようにスキルと通常攻撃を織り交ぜたコンボを繋ぎ、反撃は確実に避けるかパリィかでダメージを防ぐ。
危うくガルドが冷風を浴びかけた時は、榎本が感電効果のあるスキルでカバーする。榎本の回避が間に合わない時は、ガルドのパリィが横から攻撃をかすめとる。動きの鈍い重量武器を扱う二人は、お互いをかばい合うことでなんとかしのいでいた。
そのギリギリをガルドは楽しんでいた。
無言のまま、吹雪く雪山の傾斜をゆっくり登っていく。走ろうと意識するだけで元気に走り出すはずのアバターボディを、三人は噛み締めるようにゆっくりと歩かせていた。
誰も口を開かない。
無言のまま、豪雪の地鳴りと風の甲高い音を全身に浴びる。ガルドは思わず音量を下げようとし、リアルサイドのフルダイブ機コンソールなど触れないことを思い出した。
ヘッドセットをつけたまま身体側に意識を戻す「離席モード」アイコンは、このゲームと言い難いシステム上にはもう無い。以前はログオフアイコンの上にあった。音量操作はログオフ後か離席モードでしかできなかった。
「はぁ」
ため息だけが漏れる。脇にいる二人は無言のままだ。
雪ダルマ型のモンスターは、全員が無傷のまま倒しきれた。
それは喜ばしいことだが、それ以上に近接担当二人の疲弊がひどい。ぐったりとした表情で、ぼんやりとした脳みそに休息を欲している。疲れと、燃え尽きた灰のようなくすぶりが思考を停止させている。
マグナはらんらんとした目のままでボートを担いでいる。感動と狂喜が入り混じり、高すぎるテンションが一周回って無言だった。
三人が登る先には目指していた小屋があった。見た目は完全に断崖絶壁の山肌そのもので、よく見ると五メートルほどの高さまで岩肌を人工的に削って作った壁になっている。
岩山の壁にところどころ規則正しく空いた正方形の穴は、かすかな日光を小屋に導く窓のような役割をしていた。登りきったガルドたちの正面には、巨大な長方形の入口がある。窓同様、岩肌をくりぬいただけで扉すらない。二メートル超えのガルドが楽に入る上に、同じく高身長の榎本を肩車しても頭はぶつからないだろう。
三人並んでも問題ないその入口を通過する。うるさかった風の音がやんだ。
小屋の中を見渡したガルドの鼻先に、エスニックなお香の刺激が刺さった。ぴりっとしつつ甘ったるい、アジア圏にありそうな香りだ。拉致前によく来たいつもの小屋となんら変わらず、少し懐かしい。
ぼんやりと薄暗い室内は、風がないため外より静かだ。外装と同じ岩肌仕立ての壁で、装飾品の類も何もない。ただ点々と、椅子が並んでいる。ガルドたちはここを「小屋」と呼んでいたが、山と山の間に建つ建物——つまり山小屋の役割をしている建物という意味で、一般的な意味でのウッディな山小屋とは様相が違った。
正確には中級者のための高レベル帯へ向けた中継地点、ファストトラベル・ポイントだ。通過点に過ぎない。ゲームだった頃、ここは待合所のような扱いだった。大量の長椅子はその名残で、教会のように一方向を向いている。マグナはこの整然とした空間が好きだと言い、ガルドは、ただのがらんどうな場所というイメージを持っていた。
実際、何もない。椅子と飾りのオブジェクトしかない。
「着いた」
「っはぁ~」
ボートごと中に入った三人は、並んでいる長椅子の列の先頭に陣取った。設置されている公共の大型オブジェクトは、持ち上げたり移動させたりすることが出来ない。狭い隙間に入れるわけにもいかず、先頭の空いた場所にボートを降ろした。
「疲れたな」
「おにぎり」
ガルドが早速ボート内に上半身を突っ込み、ごそごそと荷物を漁った。中に置かれた風呂敷包みには、アイテム化出来なかったおにぎりなどでこしらえたお弁当が入っている。サンバガラスのキッチンで金井が握ってくれたものだ。
「やべーな、肩凝ったわ」
榎本は肩を回しながら長椅子に座り、隣に立つマグナを見た。
「どうした、つっ立って」
「……あ、ああ」
心ここにあらず、といった様子のマグナが慌てて座った。榎本と、おにぎりを抱えてボートから戻ったガルドが怪訝そうに様子を伺う。戦闘中の、血走ったギャンブラーのような表情はなりを潜めている。ぼうっとしており、いつものマグナらしくない。
「何がいい。鮭、たらこ、ツナマヨ、昆布の佃煮、ネギ味噌、あとこっちはチーズちくわだ」
「チーズちくわ!?」
「らしい」
「なんだそれ初耳だぞ、おにぎりの具にしちゃ挑戦的すぎるだろ!」
「む」
「んだよその顔。ちくわとコメってどうよ」
「むう」
「ほら、想像すると味が淡白すぎるだろ」
ガルドと榎本がお弁当の中身で盛り上がるが、エルフはその長い耳に会話が入っていないかのような顔でじっと座っていた。
「……マジでどうしたよ」
「いや、その、衝撃的でな」
「ん、今のか」
「ああ。正直回復アイテムを使う覚悟をしていた。いや、俺の計画だとアイテムの三割をここに着くまでに消費していてもおかしくない」
マグナがブツブツと言いながら、榎本が差し出したチーズちくわのおにぎりを受け取った。
「ま、普通に考えりゃそうだな」
「……一個も減ってないぞ」
「ああ」
携帯用アイテム袋から、初になる消費アイテムとしてガルドが烏龍茶の缶飲料を取り出した。プルタブが完全に取り外せる古い形の缶で、若いガルドからすると逆に目新しい。
烏龍茶を飲みながら、榎本に存在を隠していた梅干しのおにぎりを頬張る。強化された味覚再現の、奥深い酸味に舌の奥がきゅんとした。
「三人であれを、ノーアイテムでだと? お前たち本当に分かってるのか、これは凄いことだぞっ」
マグナがじわじわと感激し始めた。
「あー、俺とガルドはほら、そういうの慣れてるから」
「ああ」
「慣れ? これがただの慣れな訳あるか」
「ノーアイテムはマグナがいればこそだろ。俺らだけだったら……回復の桃、五つくらいで行けるか?」
「四つだな」
「それあれだろ、装備を氷耐性上げないと厳しいだろ」
「いや、だとしてもそんな数で済むのか!?」
マグナが叫びながら立ち上がるが、榎本とガルドは冷静におにぎりと烏龍茶を口に運び続けた。
世界大会対策を始める前に取り組んでいた「人数制限プレイ」のことは周知の事実だったが、その詳しい成果や内容はギルドメンバーにも詳しく話していなかった。マグナが驚いているのは、二人が対モンスター戦で「時間をかけてでもノーアイテム・ノーダメージ」を目指していたという事実だ。
「そんな驚くことかよ」
榎本が口いっぱいにたらこのおにぎりを頬張りながらそう言い、ガルドはおかずとして持ってきたキュウリの糠漬けを二人に差し出した。マグナは相変わらず興奮気味に「こんなことしてたのかお前たち!」と絡んでくる。
「いいから食えよ。美味いぞ、さすが日本産」
「特に海苔」
「……何味だ、これは。チーズか」
「ちくわチーズ」
「ちくわ!」
冷静沈着なマグナが戦闘やおにぎりにいちいちオーバーなリアクションをとる珍しい様子に、ガルドと榎本は無表情のふりをしつつ、こっそりとムービーを撮り続けた。




