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278 まるまって眠る

「げっ、真っ暗じゃねぇか!」

 榎本が悲鳴を上げる。露払いとして夢中で敵を斬り続けたガルドは、HPゲージが赤く染まる程に満身創痍だった。

 マグナが「今日はここで休むぞ」と言いつつ、ガルドの筋肉質で立派な胸筋に向かって弓矢を打った。回復スキルの付与された矢で、数発ごとにMPの自動回復を待ちながら、傷だらけのガルドを元に戻していく。

 回復専門ではないため効率は悪い。しばらく弓矢を放つ軽やかな攻撃音が一定間隔で響いた。

「なぁ。ここ、上に部屋あるよな。田岡の」

「ああ」

 榎本は見上げた先を指さした。はしごの先に穴が空いている。榎本自身がハンマーで打ち壊した「破壊可能床」だ。あの時のままになっており、穴のむこうにはもう一つ天井が見えた。

「このエリアはモンスターの出ない安全地帯だ。上ではなく別にこのあたりでも、俺は構わないが?」

「……じゃあ俺が使っていいか?」

「む? なにをだ」

 首をかしげたマグナに、榎本が満面の笑みを見せた。

「お、忘れたのか? ラッキー」

 回復待ちでその場から動かない二人をさておき、榎本はボートを床に置いてスルスルとはしごを登り始めた。登り終えて天井裏に消えた頃、ようやくガルドは部屋にあるものを思い出す。

「マグナ。ふかふかのベッドで寝たいなら、榎本を一度殺してどかすしかない」

「ベッド! そういえばあったな!」

 やっと気付いたマグナは、しかし首を振って「いや、譲ろう」と大人な対応をした。

「俺は俺用に持ってきている。ガルドこそ行かなくていいのか? 取られるぞ」

「ゆっくりでいい。半分もらう」

「は……」

 唖然としたマグナが弓矢を一本打ち込み、それを最後に手を止めた。回復が完了したことをHPゲージの量感覚で感じ取り、一ミリも減りのないゲージに満足した。急ぐように促されたこともあり、さっさと田岡の部屋へ登っていく。

「半分……シングルベッドだろう? いやまず異性だろう、ん? アバターならいいのか? いや止めるべきか?」

 後方からブツブツ聞こえるが、ガルドは気にせず進んだ。

 田岡の部屋は当時のままだ。

 荒々しく戦闘の傷跡が残る部屋に、ガルドは少しだけ申し訳なく思った。田岡が大事にしていたらしい植木鉢はそのままにされ、家主が別の家に引っ越したことも知らず咲き続けている。家を手に入れてから意気揚々と編み物を始めた彼に「趣味といえば、植木鉢の世話は……」と聞いたことがあったが、彼はどうも「命」を感じたかっただけのようだった。

「——もういいんだ。君らも、彼らもいる。私は一人ぼっちじゃないし、会話する相手がいるんだ。すごく幸せだよ。はて、あんな水も必要ないただの造花にそこまで入れ込んでたのは何故だろうか?」

 田岡はそう言って、この部屋とは決別した。

 その部屋の田岡が以前使っていたふかふかのベッドに、榎本は大の字で転がっている。

「いい感じのスプリングだ……」

「そうか」

「どうしてもってんなら譲るぞ?」

「いい」

 にやにやと笑う榎本に、ガルドはアゴで「奥へ行け」とジェスチャした。しかし伝わらないらしく、不思議そうな顔だけ起こして寝転がったままだ。

「ん?」

「もっとそっちいけ」

 田岡の古いベッドは、横幅はともかく長さが大きめに作られている。並んで寝ようなどとはサイズ的にも全く思わなかったが、ガルドには最初で最後のオフ会を雑魚寝で過ごした思い出があった。

 榎本が足を伸ばきっても若干空いている足元のスペースに、巨体を宙返りさせながらガルドはダイブした。

「んどわぁっ!? おおい!」

 ベッドがスプリングを発揮し、寝ている榎本と飛び乗ったガルドをバウンドさせる。ガルドは浮いている間に猫のように背中と足を丸め、榎本の足に自身の足をぶつけて寝転がる。スペースの関係でどうしても体が当たらざるを得ないが、それを足の裏で自分から蹴りに行った。

 そして武器と全身の装備を非表示に、オプションでつけておきながら非表示にしていたマントを表示にした。フロキリ時代からデフォルトで体の一部だったふんどし一丁になる。そこに、肩のあたりから空中に浮いているオリーブ色をしたベロアのマントを、毛布のように体に巻きつけた。

 そして一言。

「寝る」

「寝れるかぁっ!」

 榎本が即座につっこんだ。

「やれやれ、そうなるか……」

 登ってきたマグナの呆れ声と、布を広げるばさりという大きな音がする。マメで凝り性な彼が自作してきたハンモックの音だ。目をつむったガルドには見えなかったが、部屋の天井に這う梁に紐を通して設置準備に入っていた。

「……やっぱ俺、寝袋でいいわ」

「遠慮するな」

「お前は少し照れとか! ぎこちなくなるとか! 無いのかよっ」

「今更」

 目も開かず鼻で笑った。

「狭くはないか?」

 マグナが配慮の一言を入れるが、ガルドは日頃から丸まって眠っている。普段通りだ、と断った。

「猫かなにかみたいだな……ほれ」

 足裏で踏んでいた榎本のスネとふくらはぎが引っ込むのを感じ、ガルドは気持ち数センチ足首を伸ばした。ベッドの端から布擦れの音がする。榎本が寝返りをうったのだとわかるが、どの方向へなのかはわからない。

「意外と大きいんだな、田岡のベッド。榎本も非表示にしたらどうだ」

「だっ、コイツもいんのにか?」

「そのガルドは脱いでるが」

「だってなぁ……いや、そのボディで脱がれてもどうってことねぇけど。あー、着替えのこととか考えてなかったな」

「着替え……装備のことなら考えたが、そうだったな。服に違いない」

「いろいろ破綻してるな」

「お前だって、その鎧姿で眠るつもりか」

「非表示にしたところで、脱いでるわけじゃないからなぁ」

 榎本とマグナがそう話し込むのを、ガルドはぼんやりと子守唄代わりに聞く。昔は静かな部屋でないと寝付けなかった。今では逆に、こうして仲間の声を聞くのが心地よい。

 安心感に近い。昔は人がいない状態が安心できた。身を守るためのドアや鍵が無い今、誰かに守ってもらうしかない。その誰かとして、ギルドの五人は申し分無かった。 

「どのくらいで起きる?」

「自然に起きたらでいいだろう。時計もないしな」

「適当になったよな。向こうじゃ遅刻連絡三十分前とか徹底して、予告五分前にはログインしてたってのに」

「社会人として当たり前だ。それに、お前とガルドはもっと早くログインしてただろう」

「暇人だからな」

「ホワイト企業のホワイトカラーは気楽だな。ガルドの方が忙しいだろう。高校生だぞ、部活までやって……今年から受験生だろう」

「確かにな。課題も予習も友達付き合いもあるし」

「高校の友人、か。自慢じゃないが、俺はクラスに友人などいなかった。ガルドはどうだろうな……ゲーマーだがオタクじゃない。顔もいい。服装も清楚だったな。ヒエラルキー、どのくらいだ?」

「だっ、ストレートに聞くなよ。そういうとこだぞ。そうだな、友達はそこそこいたってよ。オフ会明けからちょっと喋るようになったんだけどな。恋愛トークについていけなくて『二十六の彼氏』持ちだって嘘ついてたくらいだ。んな会話するダチがいるってなると、モブ以上ギャル未満ってとこか」

「リア充だな。お前もだが」

「あ? 俺はリア充ってより多趣味って感じだぞ」

「色々なことに手を出して、その先々でコミュニティに加わってるんだろう? それがリア充でなくてなんなんだ」

「広く浅く、ってね。ディープに掘り下げてるお前の方がスペシャリストだろ」

「ジェネラリストとスペシャリストの優劣など無い。俺は生粋の、純粋培養で世間知らずなオタクだ。リアルが充実してようがしていまいが穴を掘り進め続ける愚かなオタクだ」

「あな?」

「オタクは穴の深さによるものなんだ。どれだけディープなネタを持ってるか、どれだけニッチなアイテムを持ってるか。ある程度深く掘ってしまえば穴からは出られなくなる。それか、気付いたら穴から出ていることもある」

「沼じゃなくてか」

「あれはジャンルに引き込まれる様を表現している。穴は掘るものだ。自分で」

「おー、沼は勝手に引き込まれてくってことか」

「俺は自分で探求したいんだ。沼などという受動的なものじゃない。俺は、俺が好きなものを自分で見つけ出して愛でる。自分で深みにはまっていく。だから沼じゃない」

「なるほどなぁ。よくわかんねぇけど」

 まだ会話は続いている。他愛もないように聞こえるが、今までマグナが「通じないから」と控えてきたオタク話だ。ガルドも少し興味がある。榎本は聞き手に回っていて、時折寝返りをうつ振動がスプリングで増幅され、ガルドの全身を揺らした。

「共有なんてするつもりはないが、この孤独な世界じゃ好きなアニメも見られん。不満なんだ。今の俺は、あの居心地の良い穴から出てしまっている。せめてネットが使えればな……俺は孤独ではないが、魂が孤独だ……」

 ガルドはちらりと目を開き、天井を探す。紅葉のイチョウのような渋い黄色の紐が揺れていた。マグナのハンモックは秋の木の葉のような色で、ぷつりと枝から落ちて落葉してしまいそうだった。

 榎本が慌てたようにフォローする。

「さ、サルガスに頼んで、オンデマンド配信してもらえばいいじゃねぇか」

「む、民営は断られたと」

「オンデマンドは有料コンテンツだろ? CMなんてハナから無い」

「そうか……そうか!」

「フロキリでの金払えば、もしかしたら見れるかもな」

「可能性は高くないが、試す価値はあるな! 早く帰ろう!」

「元気になったようでなによりだが、まだ一日目だぞ」

「いや、オンデマンドがもしダメなら拉致被害メンバーを集めることが解決につながるんだ。やれることは全てやろう」

「解決って、アニメ欲のか? なんでだよ」

「アニメーターや絵師や文字書きがいるかもしれないだろう? 一人でいいんだ、ジャンルもこの際構わん。少女漫画でも喜んで読むぞ」

「……お前」

 ガルドも榎本の言いたげな声に心の中で頷く。眠りかけた意識の中で、マグナの貪欲さに「それでいいのか」と笑った。



 朝。

 塔の横穴の前で、三人はゴンドラに荷物を積み込んだ。

 ゴンドラはワゴン車ほどのサイズで、手作りのソリボートはすっぽりと収まった。だが余裕があるわけではなく、ボートの中に一人、ボートの天井に一人、ゴンドラ部分に一人乗り込むことになった。

 塔から発進すると、瞬く間に視界が真っ白になる。上に張られているリフトのロープも、数メートル先には白い雪の向こうに見えなくなった。屋根のない籠状のゴンドラは、ガルドたち乗員の体に雪をかぶせた。再現されないため寒くはない。

 大降りの雪の中を、ごうんごうんと音を立てて次の山へと向かう。

「よく聞けガルド」

 ゴンドラの縁に両腕を広げて乗せながら、榎本はボートの天井に腰掛けているガルドに声をかけた。返事代わりに顔を向けると、榎本は説教じみた口調で語りだす。

「田岡たちには言わない方が混乱招かなくていいのはわかるが、お前、自分の性別忘れてねぇだろうな。花の女子高生なんだぞ。ああいうのは、その、俺相手だけにしろよ?」

 昨晩の寝床の件を言っているらしい。ガルドは話を聞くふりをしながら、榎本の鼻をじっと見た。ハナの女子高生というはガルドにとってアイコンでしかない。リアルよりネットに重きを置くようになってから、ガルドは自分の性別・年齢を薄く見ていた。

 忘れたことはないが、気にすることではない。

「いいか。男はみんな狼なんだ」

「あったな、そんな歌詞」

「あ、俺は違うからな? 紳士だろ? 理性がある」

 ボートの中で電子上に文章を書いているマグナが、無口なガルドに代わって話し相手になった。榎本の自称紳士発言は無視している。

「いいか? 女ってのは狼にとって魅惑的なんだ」

「それは……身体はそうだろうな」

「え? あー、心もだろ?」

「性自認が女で身体が男でも、男からすれば魅力的なのか?」

「……ぐ、確かに」

「色々問題はあるだろうが、ゲームだったころと違い今や俺たちは『この身体』がメインボディだ。リアルで女だから、というのはもう過去のことだろう」

「あー、なるほどな。『榎本』が俺じゃない身体してるってのもそうだだ、ガルドは顕著だよな」

 ガルドは榎本の鼻から下にいるマグナに目線をずらす。エルフの頭頂部と、長い指をするすると空中で動かす仕草が見えた。問題点を書き連ねているメモ画面を開いているらしい。

「無事帰れた場合を考えて、ガルドのリアルはギルドメンバー以外には秘匿事項とする。これは出発前の話し合いで決めていたな」

「ああ」

「ではもう一点として。ガルド自身この世界でどう扱われたいか、だ。オフ会をする前には戻れん。となると、お前は選ぶことができる。後のことは考えなくていい。帰ったあとにでも変えることができる。リアルと切り離された今の現状だけ考えろ」

 マグナが上にいるガルドを見上げてそう言った。ボートの外に立っていた榎本も、真面目な顔をガルドに近づける。

「ガルドの自然体ってのは、俺にしてみせたような感じなんだろ?」

「……ああ」

「じゃあアレのままがいいな」

 あっけなく榎本はそう認めた。ガルドにとっては意外な反応だった。目を丸くして「ん?」と聞く。

「自然にそうなってるんなら、それが今の『ガルド』だ。ストレスはなるべく無い方がいいさ。佐野みずきのことはこのまま忘れちまえ」

「いいのか榎本」

 マグナがガルドではなく榎本に聞いた。

「お前が意識していては元も子もないが」

「……気をつけるさ」

 さみしそうな笑みを浮かべる榎本に、マグナが畳み掛ける。

「ガルドが雑魚寝で俺のベッドに来ても、怒るなよ?」

「え、無理。怒るわ」

「矛盾しているぞ!」

「ヤなもんはヤだわ」

「榎本、認めたんじゃないのか。ガルドが男になりつつあること……いや、性別が溶けてなくりつつあること、か。佐野であることを忘れろとはそういう意味だろう?」

「俺ん中ではまだガルドと佐野みずきとがイコールなんだよ。でもガルドだから俺にはいい。他のやつはダメ」

 ガルドは特段違和感のない理論だったが、マグナが「理不尽だろう……」と呆れた。

「いいんだよ、俺はコイツの相棒だからな。それに、オヤジさんへ無事に無傷で送り届けてやんねぇと。だろ?」

「過保護か」

「言ってろ」

 ガルドは榎本をまじまじと見つめた。唯一無二の相棒はいつのまにか、保護者でもあったらしい。

「ん」

 雪の降る山と山の合間をゴンドラが駆ける。心地よい感覚に、ガルドは微笑んだ。

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