271 カツ・つまみ食い
ガルドはまな板の前で低く唸った。
フルダイブでもHUD型のVRゲームでも、料理を作る一人称目線のゲームタイトルはそこそこ人気だった。リアルの技量に直接影響するという点で、専門的なスキルを学ぶゲームは多い。英会話やPCスキルもそうだが、料理は特に人気だった。
しかしガルドはやったことがない。
とりあえず包丁を握ると、慣れたフロキリのターゲットロックが視界に映る食材全てをオートに捉えた。まな板の上に置いた豚肉の大きな大きな塊、遠くに見えるスパイス群、金井の手元にあるエビやカキ一つ一つまで細かくロックオンしている。
「……敵でもないのに」
攻撃をしてくるわけでもない的へのロックに、ガルドは全く慣れないとぼやく。包丁をわざとゆるく持てば、見えない糸で釣ったようにぷらりと手の中で浮いた。手のひらから落下しない場所で止まる。武器装備と変わらないユーザー補助のひっつき効果だ。
豚肉の部位はおそらくロースだ。しかし塊が大きすぎる。スーパーで見かける食材とは訳が違う。ガルドは猫の手で押さえきれないためワシリと左手で掴み、端に包丁を向ける。
「ん?」
ターゲットロックがぴぴぴと音をたて、薄切りの厚さをサポートするかのように多重部位ロックへと変化した。肉の横中心線上に点々とロックがいくつも続く。
「なるほど」
端に向けていた包丁を、トンカツほどの厚さを目指して内側にずらす。するとロックオンがまた音をたてて変化し、豚肉塊全体をトンカツサイズで切れるよう、間隔を開けて場所を教えてくれた。
そのまま包丁を宛てがい、分厚い肉を断ち切るように力を込めて切った。リアルではありえないほど太い丸太のようなガルドの腕力が遺憾なく発揮される。大きく分厚い肉が豆腐のようにすぱすぱと切れた。
そのままリズミカルにどんどん切っていく。
「……やっぱり出来るやつはゲームでも違うな」
脇からそんな声が聞こえ、手を一旦止めた。横を見たガルドは眉をしかめ一言、思わず口癖のようなセリフをこぼす。
「グロい」
「ダメージ判定は無いんだけどな……」
まな板の上は真っ赤に染まっていた。
「判定の予測が甘い」
「ごもっとも」
「千切りが太くなったからもっと細く、とか考えたか。ターゲットのアイコンをわざと無視」
普段より饒舌にガルドは修正すべきポイントを指摘する。料理に関しては、ほぼ唯一榎本をボコボコに出来る。ガルドは少しスカッとしている。
「まぁ、戦闘じゃ常識だろ? 浅いヒット」
「確かに。で、連続でしようとして左手がおろそかになった。右手がタゲ頼りなら左手をもっと意識できる」
「慣れてないんだよ、料理ってのに」
「その結果がこれだ」
「……料理ってのは忙しいんだな」
ガルドは榎本と位置を入れ替えていた。
調理台の上を一式初期化し、新しいまな板と包丁を取り出す。血は一滴も無い。隣からはゆっくりと確実に肉を断つ榎本の気配がした。細いキャベツの千切りより、太い肉をカットする方が初心者向けだ。
「慣れればスピードが出る」
そう言いながら冷蔵庫に向かい、キャベツを一玉取り出した。新鮮な緑と水の匂いがふわりと漂い、触り心地もぱりっとした本物のようである。ガルドは苦々しく眉間に皺を寄せた。
「……明らかにフロキリの食材再現を上回ってる」
「それな。負けてる。つか発売したばっかりの味覚重視な料理ゲーだろ? 勝てるわけないだろ。フロキリはそういうところ、すっげー古い」
「それでも名作だ」
「……世界大会終わったらサービス終了する、とかいう噂もあっただろ?」
榎本は普段の口調で話しながら、ガルドが切っていたブタ肉をゆっくり切り続けている。表情は真剣そのもので、白人をゲームエンジンで表現した時特有の、何層も白と赤と青を重ねたような肌をした顔が包丁の音に合わせて揺れている。だがこの画質も古くなっており、最新作はもっとリアルな肌質だ。
「ああ」
ガルドはキャベツを普段よりも素早く切りながら続きを促した。切る位置をロックオンでオートに示す分、右手は垂直運動だけをイメージするのが一番スムーズだ。そう気付いてからの千切り生産スピードは跳ね上がった。
「噂に過ぎねぇよ? だけどよ、やっぱほら、思うことはあるんだよな。いつか終わるだろうって」
「ああ」
ガルドの手の中のキャベツは全て切り終わり、まな板の右側は千切りの山が出来上がっていた。手をかざすと「水にさらす」「そのままにしておく」という選択アイコンが現れ、ガルドは迷うことなく水にさらすを選んだ。
「こうやって最新ゲームに触ってると、ぶっちゃけフロキリの粗さが嫌になるんだよな。氷とか雪の表現は負けない、そりゃ分かる。それ以外がヒドい。だろ?」
「ああ」
榎本はひたすら喋りながら肉を切り続けている。それを脇目に、奥で鼻歌を歌いながらどんどんエビフライを揚げている金井に「卵とパン粉、もらうぞ」と声をかけた。
「小麦粉はね、冷蔵庫の隣の棚だよ。ボウルとかタッパーとかはね、食材持ち上げるとどうするか聞かれるから、そんときに選べば完了だよ。便利だよね、科学の力って凄いね」
丁寧にそこまでフォローしてくれる金井に礼を言い、必要なものをさらに揃えていく。揚げ物用の鍋や油が見当たらなかったが、金井が終わった後にでも譲ってもらおうと他の準備を進めた。
「レトロゲー、最初は楽しいよな。でもよ、しばらくやってっと、そのうちプレイ出来ないくらい粗に目が行くだろ。買い直しても結局そんなにやらないんだよな。動画見るくらいで満足しちまってさ、フロキリもいつかログインしなくなる日が来る。確実に、な!」
「ああ」
「それが俺は怖い。だからここにしがみついて、ダチが減っても、せめて……」
何かを言いかけながら、榎本がこちらを見て手を止めた。大きな肉の塊は全てトンカツの厚さに切り終わっている。ガルドは頷いてそれに答えた。手元を指差す。銀のバットにパン粉や小麦粉など、全て作業台の上に広げ終わっていた。
「で?」
「ん?」
ガルドは続きを促しながら、菜箸でパン粉バットから肉を取り上げた。そのままゆっくりと油の中に滑らせるように入れる。
「……せめて?」
「あー、なんでもねぇよ」
つい先ほど金井が退室したため、キッチンは二人きりになった。
金井は重そうな大皿二枚分の、山のように積み重ねたカキフライとエビフライを持って階下に降りていった。下では揚げ物をつまみに仲間たちが説明会を行っているだろう。
残った榎本は、何か言いたげだった。
「そうか」
トンカツを揚げていて油ハネを気にしなくて良いとは素晴らしい、とガルドは腕を見る。不可視になっている革製の腕部装甲が腕を完全に守ってくれていた。
榎本は隣で肉にフォークを刺している。ガルドが指示したもので、どこかで見たレシピの「肉の繊維を切って柔らかくする」とかいうものだ。再現での味わいに効果が出るかはわからない。
「こんなとこに来てっ、少し、そこんとこの悩みがっ、晴れたんだよな」
勢いよくフォークを振り下ろしてブタ肉をメッタ刺しにしている榎本が子どものようで、ガルドは「軽く刺す程度でいい」とは言わないことにした。
「らしくない」
「るっせ、俺だって悩むわ」
「晴れたならいい」
「おう。ほら、賭けただろ。『この世界に別のゲームが混ざってくる』って」
「……望んでたのか」
「そういうこと。フロキリのバージョンアップでもいいけどよ、ストーリーの追加ばっかりだっただろ? あと各国サーバーごとの新メニュー追加とか、新装備追加とか、変なアクションの追加、変なリアル側の商品イベントの追加、そんなんばっかりだ。そんな進化の仕方じゃ間に合わない」
キツネ色に近づいてきたカツをくるりとひっくり返しながら、ガルドは「フム」と頷いた。
「フロキリ2、なんてのもアリだな。続編。どうよ」
「開発会社はもう信用ならない」
ガルドはばっさりとそう言い切った。フロキリプレイヤーが拉致のターゲットにされたのは「時属性システムによる加速感と逆にここで起きている低速化」が関係している。それがガルドに不信感を持たせていた。開発会社がなんの関係もないとは思えない。
「……そうだな。そうだよな」
「落ち込んでるのか」
「悪かったな、ナイーブで」
慣れてきた手つきで脂身を中心に刺している榎本が、ふてくされながら言った。交友関係の広い榎本が過疎化していたフロキリを続けた理由が二つあることを、ガルドは本人に聞かなくてもおおよそ察していた。
「もしフロキリが終わったら、ロンド・ベルベットは散り散りになる。みんな揃って別ゲームに移る、とは考えにくい。少なくとも、前に言ってた『危ういバランス』は間違いなく崩れる」
「突然だな。なんだよ、それ」
「当たりか」
脈絡のないような言葉に聞こえるが、ガルドは真面目に話を続けている。
「さあな」
小麦粉、卵液、そしてパン粉のバットにダイブさせた肉を何枚か一気にひょいひょいと油へ入れ、しばらく鍋の監視に集中する。はぐらかした榎本の声色は、図星にしては落ち着き払っていた。ガルドは目線を鍋に向けたまま、小さく「わかる」とだけ同意した。
榎本は無言だった。
「……思い出にしてしまうのも、ギルドの解散も、この世界ではありえない。帰るめどすら立ってないのにこんなこと言って、バチが当たりそうだが」
「バチっつうか……」
榎本は語尾の音量をすぼめながら、最後にぽつりと呟いた。
「人としてヤバいんじゃねぇかっていう恐怖心、無いのかよ」
「ない」
ガルドは即断した。
「ガルド……お前、暗に言ってることちゃんと伝わってるか!? おい!」
油ものの調理中にキッチンで暴れるなど、危険極まりない。リアルであればすぐに火を止め離れるところだが、ガルドはもう火傷など怖くなかった。そのまま菜箸でトンカツをひっくり返す。
「音信不通は困るが」
榎本がオーバーリアクションし、振り回した腕が背中に当たった。
「がああ! マジかよ、分かって言ってんのか! ヤバいぞ!」
リアルであればよろめいて鍋につっこむところだったが、何度ぶつかってこられようとガルドは大木のような不動さでトンカツを見つめ続けた。そのまま言いたいことを言う。
「帰るの勿体無い」
「うわっ、声に出したな!? 俺がこんだけ遠まわしで避けてたのに、どストレートに!」
榎本がフォークを持ったままガルドの肩を掴む。そして、どうせキッチンには二人きりだというのに小声になって、耳元で注文を付け始めた。
「おい、俺以外に言うんじゃないぞ!? 普通ありえない思考回路だ。俺とお前だけだっ」
「ああ」
「変だろ、気でも狂ったか! 俺もだけどな! 勿体無い……というより、帰れるなら帰りたいがココ出たら二度とフロキリには戻れない、そう思うと手放したくない、って感覚だ。ああ……相棒、お前もか」
怒ってみたり嘆いてみたりと、榎本はくるくる表情を変えてじたばたと暴れた。やがて肩を強く硬いもので叩かれ、何事かと脇目で見る。
ガルドの屈強な肩に、俯きながらどんよりと頭突きをしているアゴヒゲ男が目に入った。
「あああー、もうだめだ、人間失格だ……」
ごつり、ごつり、と額をぶつけられ、その度に強い振動が全身に響く。
「最後のフロキリを惜しむだけだ。悪いことじゃない」
途端に頭を上げて榎本が叫びだした。
「もしかした永遠にこのままかもしれないだろ!?」
「出られたら、ここにはもう帰って来れない」
「……うぐ」
榎本が詰まる。ガルドはその気持ちに一定の理解を示しながら、どこかドライに捉えていた。
ここに来る直前悩んでいた進路のことを、この数日は忘れ去っていた。親や友人たちと会えないのは辛いが、一番好きだった祖母は他界している。悩みのないここは居心地がよく、ガルドは仲間たちほどストレスを溜めていなかった。
「ずっとゲームん中が『悪くない』とか、異常だ。リアルが恋しくないのか? 夏になったらキャンプ行って、ナイトプールでナンパして、美味いメシ食って、そうだよハワイから帰ったらしたいことたくさんあったんだぞ?」
「ナンパ以外は全部ここでも出来る」
「……知ってるっつーの」
うなだれたままの榎本を放置し、揚げたトンカツをまな板に取り出した。すかさず包丁で縦に切っていく。ざくざくという心地よい音と、鼻先をかすめる揚げ物の香りが食欲をそそった。
「榎本、言いたいことはわかる。オフレコだ」
「ガルド」
真面目な顔で肩を掴まれ、思わず手を止めて目線を合わせた。
「アイツ等も、これから助け出すプレイヤーたちも、全員がきっちり『帰りたい』と思ってるはずだ。俺たちもそう思ってるだろう前提で進む。ツラくなるだろうから覚悟しろ」
「ツラい?」
「アウェイだろ。俺らだけ。生きる目的が本当は帰還なんだぞ」
ガルドはなにも言えなくなった。このままでいてもいい、リアルに帰ってもいい。ただ、帰るために行動する気になれなかった。
「俺らは底抜けの刹那主義なんだよ。似た者同士のな」
「刹那」
「その場いっとき楽しけりゃいい、みたいな。生きる目的なんて、目標なんてそんな遠い話どうでもいい。楽しく戦闘して、騒ぎながらメシ食って、それが出来るならいいんだ」
「……勉強はする」
「お、大事だよな。そうだな、じゃあ俺がセンセイやってやるよ。外の奴らが生身の俺ら見つけ出すまでの、俺の仕事」
真面目な顔から一転、泣き笑いのような微妙な笑顔で榎本が宣言した。
「生きる目的になるか?」
「いや」
榎本は即座に首を横に振った。ガルドがカットしているトンカツを横からひと切れつまみ、大口を開いて一口でほおばる。
「はふ」
「つまみ食いか」
「うめぇな、最高だ!」
「そうか」
「……だってよ、生きる目的がゲームだったんだぞ。他に目的設定してどうするよ」
ガルドはその言葉を聞いて、なるほどその通りだと納得した。今までと違うことを目指すのを自然と嫌がっていたらしい。
「確かに」
「俺はどっちかっていうとこの板挟みがキツイ。普通の考えと廃ゲーマーの考えがぶつかり合っててな、胃がやられそうだ」
そう言いながら二切れ目をつまもうとしている。本来なら揚げ物は荒れた胃によくないだろうと思いつつ、気兼ねなく食べられる仮想空間であることにガルドは喜びすら感じていた。
「やるか、また」
榎本の手を叩き落としながら、ガルドは主語のない誘い文句を言った。
「いいねぇ。今度こそ一本取る!」
その返事にガルドは安堵した。榎本の表情が普段通りに戻る。サシでの勝負を楽しみにする、いつもの榎本だった。




