267 エルフロール
ガルドは飛び退いた。
開けた扉のすぐそばに人が立っていれば、それが誰であれ驚くだろう。さらにこの家は作ったばかりなはずで、自分たち以外に誰かが住んでいるなどありえなかった。人影だと気付いた瞬間に体が勝手に後ろへ飛ぶ。
相手の黒いシルエットだけしか見えなかったが、それで十分だった。身長はガルドより幾分か小さい。肩幅はさらに細い。武器らしき得物は見えなかった。
飛び退き廊下の壁まで下がり、武器に手をかける。背負っている大剣の柄を握り構えようと腕を振り上げたが、後ろの壁が邪魔で抜刀できないことに気付き、慌ててさらに飛び退いた。
廊下側に開かれたドアを盾にできるよう、来た道へと下がる。続けて剣を頭上に構えるが、シャンデリアに引っかかり動きが制限される。
そして、ドアの向こうから人の手が出てきた。
そのままドアを掴む。細い指が長く伸び、やせ型の男にも老婆にも見えた。それがまた恐ろしく、逆立った猫のようにガルドは一気に戦闘モードへシフトした。
「くっ!」
これほど狭い屋内戦など経験がないガルドは、大剣のリーチに戸惑い反応が遅れた。腕を引き突きの構えに移ったころには、室内の人物が飛び出してきていた。
「え?」
自分ではない男の驚愕の声が聞こえ、その元である相手の顔が見えた。
突き攻撃が無意識に脳から弾き出される。先制。目より早く、鍛え上げた瞬発力からの一突きが放たれた。瞬間、目の情報が脳へやっと届いた。ガルドはびくりと痙攣するように体を震わせる。
「うわあっ!?」
生っぽい男の悲鳴と、目に飛び込んできたそのリアルで見慣れた服装に、ガルドは自分がまた取り違えたと気付く。慌てて腕を止めようと脳波をコントロールするが、既に剣は飛んでいった後だった。
「あ」
「ひぎゃあああっ!」
怖がる男の眉間スレスレをガルドの黒い大剣がすれ違う。柄を握っていた手を無理に止めたため、そのまま剣だけが奥へとふっ飛んでいった。
自宅で刃物男と出会ったような顔で、掴んでいるドアを握り締めたまま男がバックした。そのまま勢いよくドアが閉まる。
「ど、ど、ドロボー! 強盗!」
「あ、いや」
「誰かーっ!」
「違う、すまない、間違えた」
「間違えた!? に、日本語だけど外国人じゃないか! 剣なんか持って……ひ、ひぃーっ!?」
ひきつる悲鳴の後に、ガルドが開けようとしたドアが向こう側から勢いよく開く。近づいていたガルドは男が開いたドアの勢いを額と鼻に受け、思わず苦悶の声をもらした。
「うぐぅっ!」
痛くはないが、鼻にモノが当たるというのは不快極まりない。
「本物! 本物の剣だ! なんだ、異世界みたいじゃないか! 僕は異世界にでも来たってのか!? やっぱりぃ!」
飛び出してきた男はスーツを着ていた。メガネをかけており、ガルドを見てまた「ぎゃあっ!」と驚き、巨体を押しのけながら廊下へと飛び出してきた。
「こ、こ、この館の主かっ!?」
廊下の奥へと二秒ほど走り、男はくるりとガルドを向いて訊ねてくる。手にはガルドの大剣が握られており、重そうにこちらへ構えてきた。へっぴり腰で足は震え、メガネがずり落ちていて迫力はない。
スーツは紺色に白のストライプが入った一般的なビジネススーツだ。電車などでよく見る量販店らしい薄手のもので、靴も同様に安そうな形をしている。ツヤ感はガルドの父ほど手入れされていないように見える。そう再現しているグラフィックの精度を褒めつつ、ガルドは仲間に文章チャットを送った。
<一般人をみつけた>
フロキリにはメガネが存在しない。
どこかのコラムで見た文章に「開発スタッフに一人もメガネフェチがいないなんて。あの会社はケモナーしかいないのかい?」というギャグらしきものが載っていたが、理由はさておきメガネはひとつもないはずなのだ。
「おい!」
「違う、すまない、脅かすつもりでは……」
なだめつつ様子を伺う。田岡の一件で思い知り、仲間と判別方法を話し合っていたおかげで冷静になれた。ガルドは彼を「巻き添えになった非ゲーマー」だと仮定し話を進める。
「ここの、この館はどうなってる! お前……騎士っぽいな。護衛か? 主人はどこだ」
「主人?」
「いるだろう、領主とかっ」
話が見えず、ガルドは戸惑った。騎士と言われれば確かに鎧装備で覆われている。付加効果を持つ装飾のエンブレムを貼るなど、騎士団のように見えるエッセンスもある。しかし領主とはなんのことだろうか。考えたガルドが思い至ったのは田岡の存在で、ここの成り立ちのことをかいつまんで言う。
「ここは、サンバガラスのホームだ」
男は突然震えていた手に力を入れた。重そうにしていたはずが、軽いハタキでも持っているかのようにピンと構える。
「さ、サンバ、ガラス? なんだか暗殺ギルドの名前みたいな……はっ!? まさか!」
足を大きく広げて踏ん張るように立ちなおし、ガルドが落とした大剣を眼前に突き出した。ガルドは田岡のときのことを思い出す。彼もそうだった。
「ここはアジトだったのか……僕たちを捕まえて監禁して、一体どうするつもりなんだ! 進んだ科学の知識を奪うのか! それとも僕たちには何かほら、その、チート的な何かがあるってのか! 答えろ!」
ガルドは哀れんだ。きっと彼は田岡同様、長い時間を孤独に過ごしていたのだろう。突然現れた自分を犯人グループだと勘違いし、武器を手にして殺されまいと必死なのだ。
ならば、とツバをひとつ飲む。トラウマにならないよう、暴力を避けて彼を説得しなければならない。右手でアイテム袋を探る。惰性で入れっぱなしだったトリモチを出そうと入口を開くアクションをした。
それをすかさず男が制止する。
「動くなっ! 暗器か!? 何も出すんじゃない! ま、裏ギルドのただの護衛騎士なんて敵じゃないけどな。ふん、情報は吐いてもらうぞ?」
スーツのメガネ男子は笑いながら目を細めている。
<一般人? まじかよ、田岡の家すげー>
ガルドの眼前にはアイテムのアイコンが横一列で整頓され、右上にはチャットの文面がちらほらと現れだしていた。榎本の能天気な発言と、目の前の緊迫した状態とのギャップにぐらりとする。
「……む」
思わず不満が漏れた。スーツの男はガルドの武器を奪っている。素手で応対するには厳しい状況だ。
ガルドは恥をおして仲間に救援を求めた。
<へるぷ>
カタカナに変換するくらいの余裕はあったが、わざと緊迫感をだす。
<が、ガルド!? まじか、大丈夫かっ>
<今行くっ!>
<ヤバイじゃん、ガルドがこんなこと言うなんて!>
効果は絶大だった。
仲間たちが焦って勢いよくそう発言するのを見ていられず、ガルドはチャットウインドウを縮小して端にどけた。顔が赤くなっているのがわかる。再現でアバターにも出ていることだろう。
「見上げた忠誠心だ。なるほどな。よっぽど怖い領主なんだろう」
ふむふむ、と一人で納得しはじめた男に、ガルドは交渉で事態の解決を試みた。武器さえ使わせなければ問題ないのだ。話術は最も苦手な分野だが、父の血を信じてガルドは口を開く。
「あー、誤解だ。自分たちは同じ被害者だ」
「同情買おうってのか? ふーん……」
つまらないと言いたげな表情になった男は、じりじりとガルドに近づいてきた。思わず下がる。
会話の上手い父からなぜこうも口下手が生まれるのだろう。答えはすぐに出る。母と混ぜたからだ。論理派と感情派がプラマイゼロになった結果を恨みながら、前と後ろ両方の様子を伺う。
後方からドタドタとやかましい足音が聞こえてくる。前は数ミリずつ近づいているが、ガルドはその四割ほどのスピードで下がっていた。何かがあれば男は飛び出してくるだろう。そして身の丈に合わない大きな大剣を突き立ててくるはずだ。
「あなたは日本人だろう。どこから来た?」
「この変な屋敷じゃないところ、かな。大体、あんたらが閉じ込めてるんだろうがよ。ぁあ!?」
不満げに声を荒げた男を手のひらで制しながら続ける。
「違う、閉じ込めたのは別の……」
「それも! あんたらの仲間だろうがっ!」
急にスーツの男が声を裏返して叫ぶ。ガルドは驚き、素早くバックステップを踏んだ。後方に二メートルほど一気に下がり、とっさにコブシを握りしめてファイティングポーズになる。意図してではなく、ゲーマーとしての訓練で身につけた無意識の行動だった。
「おっと」
慌てて冷静になったガルドは敵対の構えを解き、手をホールドアップにして「敵意無し」を表現する。
「ガルドっ!」
慌てた相棒の呼び声がする。装備の金属音がすぐそばまで来るのを聞き、ガルドはそちらを手で制して止める。
「大丈夫だ」
「おい、剣どうした」
榎本が後ろからガルドの肩を掴み、引きながら進んで位置を入れ替えた。ハンマーは既に抜刀状態で、苦手なパリィをできるように角度をなだらかに構えていた。
「落とした」
「出たなドジっ子」
「うるさい」
「愛剣落として敵に取られて、丸腰ですってポーズしてもしょうがないだろ」
「方針は交渉だ」
「お前の剣持ってんじゃねぇか、あいつ。いいから俺の後ろ下がれよ、んでトリモチ」
「む」
言い争いながらも、ガルドと榎本は男との距離を慎重に図っていた。会話で解決できるはずなのだが、前例の田岡は会話で激昂し襲ってきたことを考えると、これ以上警戒は解けない。パリィに適した距離まで逆に距離を詰めつつ、男を落ち着かせるセリフを考える。
「あー、俺ら別に普通の人間だからな?」
大男二人がじわりじわりと近づいてくるのは圧迫感があるだろう。ガルドは申し訳ない気持ちのまま、アイテムの欄からトリモチを掴む。
「くそ、増えた……なんなんだ、どんだけ騎士いるんだよ! くっそ!」
肝が座っていた印象のスーツ男性だったが、急に余裕のない様子でおののいている。
「おい、また逆鱗踏み抜いてないか?」
「よくわからないが、多分踏み抜いた」
「ま、情緒不安定だよな。田岡ケースなら数年、俺らと同時ならざっと六日くらいか」
「会話はしっかりできているが、言ってることがわからない」
「……サルガスみたいなNPCか?」
榎本の問いに答えたのはガルドではなく、理系然とした男だった。
「しかしメガネ装備など外見のトレース以外ありえないからな。それにファンタジー性皆無な服装からして、俺たちが黒い部屋に閉じ込められていた状態と同じなんだろう。外見を3Dトレースした……再現アバターとでも呼ぶか」
「うおっ!?」
追いついたマグナが武器を構える榎本をどかして前に出てくる。弓は格納状態で背負ったままだ。
「おいっ」
「心配ない。どうせキルされても別の建物に飛ぶだけだ。さて、どこからどう見てもアジア系の容姿……日本人で間違いないか?」
マグナは堂々とした口ぶりで話しかけ始め、男から会話のペースを奪い取っていく。
「あ、ああ」
「そうか。我々の容姿は外国人に見えるだろうが、本当は同じ日本人だ。閉じ込めた犯人とは別の、むしろ同じ被害者同士だ。武器をおろしてくれるか」
「へ? いや、あの」
「我々は武器を構えていないだろう? だったら平等に……おっと、ほら榎本、さっさとしまえ」
榎本のハンマーを強引に背中へ押しやり、振り返ったマグナは仕切り直しに耳へ髪をかけた。ブロンドロン毛の合間から、彼がアバターに選択したエルフ種特有の長い耳が見える。
メガネの男は突如大声で叫んだ。
「あーっ! えっ、エルフだ!」
「む?」
「うっわマジかよ! やっぱ異世界、やっぱりトラック転生!? いや飛行機転生か……すげぇ、あんた何歳だ? 魔法使えるのか?」
フランクな口調でどんどん喋りながら、大剣を床に刺して耳を触ろうと詰め寄ってくる。マグナは眉間に皺を寄せ、触れる寸前の指を手の甲で強めに打ち払った。
「いってぇ!?」
「……ほぅ。そういうことか。田岡とは違うタイプの……」
「え、こいつが勘違いしてるのってまさか……」
熟考し始めた二人にガルドは「どうした」と聞くが、榎本は目を泳がせて「あれだよ、ほら」とはぐらかす。
そしてマグナは男に仁王立ちで宣言した。
「……いかにも俺は森のエルフの民! 今年で三千歳くらいだ!」
「本物だーっ!」
「人間、ニホン人とやらだろう! 領主が到着するまで館からは出られないぞ!」
「そ、そういう展開か……おおかた、過去日本人から科学知識や内政チートの恩恵を受けていたとかで、俺にもそれをさせようと……ふん! 悪くない!」
マグナとメガネの男はなにやら会話を続けていたが、その様子をガルドは唖然としながら見ていた。明らかにマグナはロールプレイをしており、メガネスーツの男はそれを信じ込んでいる。
「あれは、わざとロールを?」
「戦意は無くなってきてるが、メリットどうこうじゃなさそうだな。楽しんでるだろ、あれ」
榎本は大きくため息をつきながら「田岡は?」とガルドに聞いた。ハンマーは完全に力を抜いて下へおとしている。
「ああ、先に行った」
「装備持ってるからアイツも大丈夫だろ。手分けして他にいないか探すぞ」
「他に?」
<そうそう。ウチらは二階行ってるからね>
メロが会話に文章チャットで加わる。その少し前には、マグナが全体送信したスクリーンショットの画像が表示されていた。ぶれているが、スーツ男の全身が入っている画像だ。
<見覚えあるんだよね。成田のラウンジでさ>
夜叉彦のコメントに、榎本とガルドは頷きあって廊下を進み始めた。




