260 歯車は過不足なく
ゲームの公式が設置した窓口の中で「ほぼ用が無い」場所がある。プレイ歴の長いガルドでも初めて来るほど縁遠い窓口で、その珍しさにメロ以外がそわそわしていた。
城のログイン用玉座は階段の上、二階部分にある。だがゲームプレイに必要な事務的施設はおおよそ一階部分にまとめられていた。階段を降りてやって来たエントランスは、分厚い天井と巨大な柱で作られた半屋外で解放的だ。
「スキル研究所はひっきりなしに来てたけど、ここは初めてだよ」
「メロだけだろう? 来るのは」
「えーっとね、去年アイツと来たときだけだよ」
天井は高い。豪勢なシャンデリアと消えることのないロウソクが明かり取りだが、昼間だと必要ないほど太陽光が降り注いでくる。城下町より数段高い場所に建てられているため、中から見晴らしよく町並みが見渡せた。主要エリアで騒がしいはずが、住民が七人だけとなった今ではシンと静まり返っている。
「アイツ?」
田岡が素朴な疑問を投げた。
「ああ、ウチらの……元リーダーってとこ。一年前に引退して、入れ替わりで来たのが夜叉彦ね」
「ギルドマスターという役職で、名前はベルベットという。俺たちは『ロンド・ベルベット』というチームだ。チームのことをギルドと呼ぶ」
メロとマグナが簡易的に説明した。田岡は真面目な顔でふんふんと聞いていたが、興味はそれほど無いらしい。詳細を聞かず次の行動について尋ねた。
「そうか、私はそのローンベットとやらに入るのか?」
「ロンド・ベルベットな。しかも違うし」
「田岡さん、あなたはあなたのギルドを作るんだ」
榎本とガルドがそう教えると、田岡は他人事のように「ほー」と感心した。
「そしたらクエスト行って、サクッと条件解放して、おうち建てよう。田岡さん家」
「ああ、家はいいものだ。とてもいい。我が家は大事だ、港区に建てた。もう何年も帰っていないが、あの家は大好きだ」
田岡が夢心地でそう呟く。出てきた土地の名に榎本がすかさず反応した。
「み、港区ぅ? うっわ、金持ちかよ……」
「憧れるねぇ」
「何、高いとこなの?」
道民のメロや横浜市民のガルドにはピンと来ない。メロの発言に合わせてガルドも榎本を見る。
「新宿よりステータス的に上って言ったらわかるか?」
「っひゃー!」
メロは目をぱちくりさせて驚いたが、ガルドはまだよくわからなかった。
港区に一戸建てを持つ田岡だが、今や体の住居は足立区にあった。千住エリアに建つ巨大な病棟の一画、厳重な警備エリア。
「ほー」
田岡の声がシンと静まり返っている部屋に響く。彼以外に人間はいない。心拍を計測する機械の規則正しい微音がなるが、それ以外には物音一つなかった。
九郎が黒服たちとやりあった時に比べると、部屋の様子がものものしい。壁には簡易的な防音フィルムが貼られ、ドアとベッドの間に後付けの壁を設置している。内ドアのガラスには感染注意のバイオハザードマークが貼られていた。
「ああ、家はいいものだ。とてもいい。我が家は大事だ、港区に建てた。もう何年も帰っていないが、あの家は大好きだ」
田岡の声がまた響いた。
その言葉を、新たに設置された高性能集音マイクが拾う。データ化されたファイルはネットワークには一切流されず、有線のまま隣の部屋にバイパスされていた。
隣の部屋は同じ作りをした病室だが、機材が運ばれ物々しい様子だ。ベッドなどは全て運び出され、パイプ椅子とキャスター付きのテーブルが占領している。数人の背広を着た男たちが機材をいじっており、中央では調査チームが会話の解読に励んでいた。
「家と繰り返しているが、ギルドホームのことだな。先程の単語で確信が持てる」
「ええ、間違いなくロンベルの事ですの」
「どうやるのか分からんが、ギルドホームを手に入れるらしいな。やはりインフラ整備から入るつもりか。田岡が塔に居たというのは、つまりロンベルが塔まで一度出たということだ。捜索を始めているんだろう。他の面々の無事を確認するのも時間の問題だ」
「ちょっと安心ですの。ああ、別に心配してた訳ではありませんの、あの方が健やかに過ごすのに雑魚どもが必要なだけで……」
「わかっている。それよりだな」
「ああ、それこそわかっておりますの。先のことは口に出しませんのよ? 秘匿性重視で」
「そこまでしてくれるとはな。感謝する」
「げっ、チーマイに礼なんて誤解されますの! ワタクシ別にチーターの親分なんてしてませんの!」
「……どんな誤解だ」
阿国とディンクロンは昨日から病院に詰めていた。プレイヤーの視点であれこれと向こう側の状況を予想する。先日から続く田岡の会話を一字一句漏らさないよう記録し、それが情報漏洩しないよう細心の注意を払って扱った。
「準備までは?」
「三日」
「よし。医療スタッフは?」
「ドイツから呼びましたの。あの方と繋がる唯一のスピーカー、死んでもらっては困りますの」
阿国の言葉はトゲがあったが、言うほどクズではないことをディンクロンは知っていた。自分の方が倫理的に踏み外している自覚がある。それも全て田岡のためで、正義などもうどうでもよかった。
「……私は田岡を優先させるからな、阿国」
「わかっておりますの。ワタクシはそのお爺ちゃんよりガルド様を優先させますので、あしからず」
もし田岡の命に危機があれば躊躇なく、ディンクロンはガルドたちとの情報ラインを断ち切るつもりでいた。逆に阿国はその情報ラインを田岡より優先させるだろう。やはりガルド至上主義の彼女には要注意だ。医療スタッフを自前でも揃えつつ、ディンクロンは部下たちに通信で指示を飛ばした。
<三日でそちらに行く。準備を頼むぞ。三橋たちは自由に最短距離で解析を進めろ>
<了解>
各方面から報告が飛んでくる。進展の無いチームもあったが、ディンクロンは状況を俯瞰で見るよう心がけていた。遅いのではなく成果が形になっていないだけで、部下への怒りは無い。
<すみませんボス>
案の定三橋から謝罪が来るが、気にしていないと返事をした。
「そんなに落ち込むな、三橋」
<せんぱぁーい! すんません、ほんとすんません!>
「よくやってくれてるさ。ボスもわかってるはずだよ」
<そうっすかね……進捗ゼロなんて俺らだけなのにぃ>
「積み重ねだろ? そんなにすぐに結論まで出ないさ。それより体に気を付けなさい。もっと食べろ」
<またエスパーみたいに>
「痩せたんだな、そうだろう。食べなさい」
<墓穴掘ったぁー! 食ってます食ってます! ギャンさんもいるし>
「八木くんと三橋なんてどっこいどっこいだろう。もういい、ケータリングそっちに発送するからな? 今は一人でも欠けたらダメなんだ。よく食べてよく寝ること。いいね?」
<あざーっす!>
そしてプチリと切れた音声に、佐野仁はため息をついた。娘に言いたい言葉を部下に言ってしまう。代替というやつだろうか。罪悪感と共にペットボトルのカルピスウォーターをあおった。
「佐野さん」
「大柳。悪いんだけど、有楽町ビルにケータリング手配頼んでいいかい? 二十六人だな、今日は」
「あ、はい」
迎えにきた大柳を体よくあしらいつつ、佐野は手洗いに向かった。大きな一枚鏡と、長く一列に並ぶ洗面台の数々が出迎える。センサーに手をかざし、出てきた水で顔を洗った。
「……ふう」
娘が見つからない。もう随分離れているような気がし、佐野は立ちくらみに似た恐怖を覚えた。あの子の声はどんなだったか、最後に会ったときの顔はどんなだったか、鏡を見ながら思い出そうとした。血が繋がっているのだから似ているだろうと思ったのだ。
目が合ったのは、クマのひどい腑抜けた中年だった。
「人のこと言えないなあ」
びしょびしょのまま前傾で立ち尽くす、くたびれた醜い男がこちらを睨んでいる。こんなんじゃみずきに笑われる、と佐野は気合いを入れて笑った。いつもの穏やかな笑みではないが、取り繕えるほどの余裕はなかった。
「佐野さん」
手洗いから出てすぐの壁に、手配を頼んだ大柳が寄りかかって待っていた。手にはスポーツタオルが握られ、それをずいと差し出してくる。
「あれ、ケータリング……」
「そんなの一分あれば済みますから」
「ああ、ありがとう。さすが。しかも用意いいね」
「まぁ、そういう性格なので」
大柳が無表情で言う。気遣いの顔ではない。
「……僕なんかより、ボスの秘書しなよ。出世には効果無いよ?」
部下の大柳が感情の機微に疎いことをよく知っている佐野は、彼女が仕事としてフォローをしているのだとすぐ気付いた。
「そんな意図じゃないですよ。それに、ボスにはあの女性がいますから」
「久仁子さん?」
「いえ、その付き添いの人です」
「ああ、あの人。凄いよね」
「あの人がいると周囲の進捗が良いので、効果を実感できます。物をいっぱい持ち歩き、上司の行動の先を読んで渡す……これは雑務ではなく全体のマネジメントなのです。それに、持ち物が多いのは効率的なんですよ」
「でも重くないかい?」
「トレーニングだと思えば一石二鳥です。ハサミも役に立ったでしょう?」
「そうだったね。助かったよ」
そう雑談しながら部屋へと戻る。荷ほどきなどまだまだ先だと思っていた佐野は、ボス九郎や組織の判断が想像以上の早さで動いていることに驚いていた。この避難場所を確保したのはつい先日なのだ。あっという間に搬入される機材に目が回りそうだった。
「さて、もうひと頑張りだ」
「あ、佐野さんは指示出しに専念して、これ以上荷物触らないでください。倒れられても困るので」
「ぐっ、そ、そうだね」
佐野は鋭い物言いの部下にたじろぎつつ、自分の腹を見た。まだ蓄えた脂肪は減っていないが、そのうちみるみるなくなっていくだろう。忙しさと食欲不振で摂取カロリーは減っていた。
優先して準備すべき大部屋には、複数名のスタッフが忙しそうに荷物を運び入れていた。部屋の広さに比べ、人数は驚くほど少ない。
市民体育館ほどの広さの部屋に、様々な機材が運び込まれている。天井はさほど高くないため、だだっ広いオフィスのワンフロアに見えた。医療に関わる機材は半透明のテントに覆われ、有楽町のものに似た大型冷却システムが壁を埋め尽くしている。窓は目張りされ日光は射さず、明かりは蛍光灯の白い光だけだ。
これから続々とPCやフルダイブ機が運び込まれる。座ってログインする座面合体型の機種をところせましと並べるらしい。
脳波コンの無い佐野は扱えなかったが、逆に拉致されない人間として出来ることもある。そう気を取り直し、部屋の中央まで進んだ。
入り口と対角の隅では、通信技術者たちが配線図を広げて話し合っていた。どんな機器も、あの有線網を使って敵とやりあう。回線速度は重要だ。この部屋に集められたもの全てが、佐野たち「日電警備対テロ班」の武器になる。
「早速ミーティングだ。設営は続けて、入れる人は入って」
「……チームリーダーだけで良いのでは? それぞれの班にいるのに」
大柳は真面目にそう提案した。佐野は首を振る。
「大柳、僕たちは歯車だ。そんな僕たちに出来るのは、各自の回転数を正確に把握して、操作する人間に伝えること。つまりボスに、ね。ボスからの命令は個別に落ちてくるから、そういう意味でミーティングは吸い上げ作業なんだよ。末端まで全員が対象さ」
「そんな前向きな『会社の歯車』発言、初めて聞きますけど」
「そうかい? 僕らはあの人の意思の一部なんだ。三橋が独自に動いていることすら、ボスの意思のなかだ。あ、大雑把でいいんだよ? 帳尻会わせはボスの仕事さ。僕らは替えがきく。でも数が足りないと勝てない。増やす・減らすはボス判断」
「そう言われると、ボスは大変ですね」
「だろうね、でもそれが出来る人だ。さあ、僕らも仕事だ。進捗と、君らからの提案を聞こうか……足立くん、有楽町ビルとの連携で良い案があるとか言ってたね」
佐野はテキパキとした口調でヒアリングを始めた。ぱらぱらと集まってくる同僚たちが、大声で立案内容を言い始めた。
横浜にはしばらく帰れそうにない。しかし妻も独自のルートで犯人たちを追っており、佐野は罪悪感無く仕事に打ち込めている。
今までやって来た単発の情報工作とはケタ違いの、巨大で見えない敵との情報戦が始まろうとしていた。




