256 入れない夢の街、居るのは幻の街
コーラを前に、田岡は絶望していた。
目の前の大男は殺し屋ではなかったらしい。瞬く間に他の殺し屋たちを締め上げたと思えば、なんと自分に話しかけてきたのだ。長らく人と会話していなかった田岡は、数往復のことだったが、震えるほど感動したのだ。
大柄で黒い鎧を着込んだ彼が、今までのことを「ゲームだ」と言いきったことは許せない。今でも怒っている。それでも、その後にまるで反省しているかのような切り替わりで敬語になったこと、そして目線をずらさない芯の強さに感銘を受けたのも大きかった。
しかし栓抜きがないと飲めないものは飲めない。
「飲めないのか」
コーラなど、まず飲み物など数年口に含んですらいない。喉通りはどんな感覚だったろうか、と田岡は必死に思い出そうとした。しかし出てこない。喉に炭酸が落ちるとは一体どんな刺激だったろう。
「……栓抜きがなくても大丈夫です」
そういうと大男が左手で栓をわしりと掴んだ。そのまま軽く上に引っこ抜く。ぽん、と軽快な音がした。
「え?」
「この世界は、どんなものも人工だ」
男が手のひらをこちらに見えるように開いてくる。田岡は素直に覗き込み、衝撃を受けた。
「……手品か?」
あるべき王冠がない。消えてしまった。
「手品じゃない」
「じゃあ……砕いたのか?」
「欠片もない」
「じゃあ手品じゃないか」
「……瓶のふた、というものが存在しない。開けるという動作をすれば、瓶はふたのない瓶に変化します」
「変化? 瓶にはふたがあって当たり前だろう」
「瓶の形をしていて、なかに飲み物の映像が閉じ込められている。口をつけて飲む動作で、味と喉ごしが機械から自分に送信される。そういうプログラムらしい、です」
「プログラム」
訳がわからずおうむ返しになってしまう田岡の声に、剣を背負った大男はコーラの瓶を渡した。そして空いた手で、こめかみの辺りを掻き分けて撫でる。
「ここから」
「……あ、ああ! 脳波感受、疑似送受信機!」
思い出した田岡が悲鳴をあげる。
「ああ! そんな、そうか! 私はずっと……そうか、そうだったのか!」
「ああ」
「君もか!」
「ああ」
「彼らにやられたのか!?」
「いや、違う。違います。彼らは仲間で、えっと、すみません。勘違いで貴方をAIだと思った」
全く申し訳なさそうには見えないが、大男は謝った。田岡は首を思い切り横に振って「私も勘違いしたっ」と謝罪を返す。
「君らを殺し屋だと思ったのだ。最初は助けに、たす、助けられ……」
助けられた。その単語を口にした田岡は、胸に五年間の苦しみが押し寄せてくる。涙は出ない。枯れたと思っていた。
「な、泣けないのは、そうか、私はずっと私の受け取った私だったのか。そうか……そうか」
「田岡さん」
「気づかなかった。いや、頭が固まって……まだ、正常な判断が出来ていないと思う。私はもう死んでいるのかもしれない」
「生きてるか死んでるか、確かに分かんないけど」
顔を上げると、もう一人増えていた。顔に痛々しい傷をつけた、細身の男。着物を羽織っている。黒髪だが、顔立ちはアジア圏のものとは違うようだ。
「こうして話せているから、俺たちはここで生きてるよ。な?」
「ああ……自分達も、体がどこにいるのか、生死もわからない。だから仲間だ」
襲ってきたと思い込んでいた殺し屋たちは、やはり彼の仲間らしい。頷きあった二人は優しく、田岡を見つめて再度頷いた。
「そうか、ここから出られるんだな。やっと、やっとだ」
「お待たせした」
「ははは、待っていたよ。もう何年も。はて、何年経ったかな……」
「え?」
「えっ」
「……ん?」
二人が驚いたことに、田岡は再度緊張した。
<あんな『痛がるモーション』、人間だったら逆におかしいレベルだ>
チャット欄では、長々と「NPCと非ゲーマーを見分ける方法」を話し合っていた。
<そうだな。痛みというのはこの世界でも出力されないらしい。そういったところは、やはりフロキリと大きな変化は無いようだ>
フロキリとの違いで「加速感・重力感」が判明しているが、ジャスティンが初日に榎本へ自分を殴らせた時から痛みは無かった。そもそも現状のフルダイブ機では、強い痛みを再現することは出来ない。
そして、よっぽどの演技派でなければあれほど痛がる真似は出来ない。それは全員が分かっている。
<しかし城のヤツはもっとこう、人形のようだったぞ?>
<サルガスな。あんまりボコらなかったのもあるだろうが、被ダメアクション、乏しかったな>
<ふむ。フロキリ製のモンスターがその辺りは上手かったからな。俺たちは『キーや人型を動かすAIは痛がる演技が上手い』と思いこんでいるのか>
<つまり、その考えをやめりゃいいと! 分かりやすいな>
<基本、敵側のNPCはサルガスみたいなんだよ。青椿亭の奴等見てもそうだし>
<二例もあれば十分だ。犯人は高度なAIなど作れない。そして逆に、我々が違和感なく思える人型の存在は人間である可能性が高い。で、どうだ?>
<異議ない>
<同じく>
<よし。ガルド、夜叉彦。お前らも……おい?>
<二人とも、読んでないのか?>
「そんな、そんなことって……」
<……おい、どうした?>
夜叉彦がか細く振り絞った声に、周囲が驚く。表情は見えないが、田岡と会話していた二人に何かあったのだと分かった。慌てて再度ハンマーを構えた榎本が、相棒を呼ぶ。
<ガルド>
「……驚いた」
ガルドが率直にそう感想を述べると「詳しくはメロと合流して……とにかく、戻ってから話す」と続けた。
「お、俺、まだよく飲み込めない。田岡さんの勘違いなんじゃないのかな。あり得ないって。この世界ってそんなに古い?……フロキリより前ってことかな?」
「……とにかく帰ろう」
「帰るとは? 私は帰れない。ずっと、ずっと帰れない。ずっと、これからも帰れないだろう?」
「この世界にも家はある」
「ほお、家か。いえ、いいな。欲しい。家、家」
田岡と名乗った槍使いの声が、夢ごこちに繰り返した。大事にしていたらしい鉢植えを無視し素通りした田岡は、穴に近づく。丁度近くにジャスティンが立っていた。
「彼だけ背が低いんだな。ここから降りるんだろう? し、下は一体どうなってるんだ?」
<俺らは動けんからな、先に行っててもいいぞ>
ジャスティンが胸を張ってそう言うが、ガルドは真面目な顔を崩さず毛むくじゃらの背中を押した。
「……死んで一階に戻っても同じだ。むしろ早く取れる」
「もごー!」
トリモチで目隠しされたまま、ジャスティンは穴に落ちていった。
「で、わざわざ戻ってきたわけだ?」
「ああ」
塔を駆け降り滑るように下山し、雪原を強行軍で勇み足に戻った一行は真っ直ぐホームへと向かった。途中でチャットラインに復帰したメロにも城から引き上げて合流するよう伝えつつ進む。集合場所にはギルドホームのラウンジを指定した。
もう空は真っ暗になっている。裸足だったためガルドに背負われて下山した田岡は、大きな背中から夜空を見上げて「星! 星だ!」と叫び、始終空を見上げて楽しげであった。
街のはずれにある、全てのギルドホームへの入り口が立つ住宅エリア。ラウンジではなくここでガルドたちはメロと鉢合わせた。
「へー、田岡さんっていうんだ。合流一人目。よろしくねぇ」
「おお、よろしく頼む……お嬢さんかな?」
「ロン毛だけど男だよ! 声は普通に性別通りじゃん!」
「そうかそうか、ははは」
「慣れてない感じがウチらとしては新鮮だけどさぁ……」
「おお、鳥さんもいるのか。ぴよぴよ」
「ふぁー! どうしようどうしよう! すごい人来ちゃった!」
「君は鳥が好きなんだな。私もだ、特に飛ぶのがいい。ペンギンより小鳥が好きだ」
メロと田岡が噛み合わない会話を続ける。ギルド:ロンド・ベルベットの一行はトビラの先に行けるのだが、ある問題で立ち往生していた。
「田岡さん、やっぱり入れないな」
「とりあえず青椿亭でどうだ」
「え、また移動? ギルドに仮でもいいからいれてあげればよくない? ほら招待……あ、そっか。そもそもギルドメニューがダメなのか」
メロがフレンド一覧からギルド加入の招待状を呼び出そうとし、手を宙に浮かせたまま固まる。ギルドに入るにはギルドマスターのフレンドになる必要がある。ギルマスがいないロンド・ベルベットだが、こうした義務的な面でこの一年はメロが雑務を請け負っていた。
請け負うだけで、権限はない。マグナの自宅PCで組まれたアルゴリズムが書き換えるパスコードで代行処理を行うだけだ。パスコードの閲覧が出来ない今、ギルドからの離脱は出来ても加入は不可能だ。
「……え、何これ」
メロが試そうとした手をそのまま進める。指で周囲のプレイヤー名を呼び出し、書かれた文字に戸惑いを見せた。
「フレンドもなにも、田岡は『ゲームプレイヤーじゃない』ってことだろ」
「俺たちもやろうとしたんだけどね」
仲間内でそう話し合う輪に、田岡は疎外感を隠さず入っていく。
「あぁ、私と君たちはやはり違うんだな……はっ、日本人じゃないのか、やはり! 君だって外国の血が!?」
夜叉彦に振り返り顔をまじまじと見つめる田岡を、榎本と夜叉彦がフォローに入る。
「いやいやいや、俺たち全員日本人だよ。名前と顔は飾りだから。それに俺は夜叉彦で、こっちは榎本な。がぜん日本人ネーム」
「そうなのか。かざりか。おお、傷は本当ではないんだな。なにか理由があって飾っているのか?」
「うっ、いや別に理由なんかないけど」
「あー、こいつの傷はヤーさんの入れ墨みたいなもんだよ。カッコつけて怖がらせようとしてるだけ。意味ないけどな」
「榎本だってアバターのへそにピアス埋め込んで、本気でカッコいいと思ってるよね」
「んだと」
「へへん、VRなんだからアバターは自分のファッション。めでる目的じゃないことくらい常識だよね。つまり似合っててカッコいいと思ってるんでしょ?」
「その台詞まるっと返すぜ夜叉彦! お前そのゴンブト剛毛ストレート、リアルで猫っ毛だからだろ〜」
「ほっとけよ、憧れてたんだよ。貧弱に聞こえるから猫っ毛って言うのやめて、毛が細いって言って」
レベルの低い言葉の応酬を榎本と夜叉彦が繰り返すが、田岡はじっと二人の姿を見つめている。
「ほお……まるで一張羅を着るようだ。クローゼットから選び、理想を着て、鏡にうつる自分と、自分以外の誰かがいる街を歩いて……街を……街の……」
田岡が目をとろんとさせてぼぉっとし始めた。口からたまに独り言のような声が漏れる。
どうやら記憶にあるどこかの街を見ているらしい。塔からの帰り道で一度見た夢見る田岡の空想モードを、ガルドはこっそり「トリップ」と名付けていた。
「ちょっと、飛んでるけど大丈夫なの? この人」
「よくわからんが、そういう男らしいぞ。ほら、気にせず青椿亭に行こう! すぐ行こう!」
「……話し合いだ、酒は無し。特にジャス、水割りは水じゃないからな」
「なんとぉー!」
「だろうと思った」
またぞろぞろと歩き始める一群に続き、ガルドは無言で田岡の後ろについた。最初に彼を見つけた責任感から、何気なしに田岡の保護者のような動きをかって出る。しんがりについたのは、彼が遅れすぎてはぐれないようにだった。
しかし田岡は想像以上に器用な男で、ぼーっとしているが周りが見えているらしい。速度も方向も周囲にピタリと合わせるのを、ガルドは素直に感心しながらついていった。




