249 火事が怖い
手筈通り、牽制から入る。マグナが打った弓はまっすぐチェストのすぐ脇を通過し、その背後にある部屋の壁に刺さった。ターゲットの老人には当たっていないが、その音と衝撃に奥から「ひぃっ」と悲鳴が上がる。
「出てきたら頼むぞ」
「ああ」
トリモチにもアイテムのセオリー通りにリキャストタイムがある。一度使用したら、十五秒使えない。これがゲームならば急がず粘るだけだ。何度でも繰り返せる。だが今回はなるべく早く決着をつけなければならない。
逃げられたら二度と会えないかもしれないのだ。もちろん普段通り復活するかもしれないが、その保証は無い。アリスの不思議世界に出てくる時計ウサギのようなもので、彼がいないと話が進まないかもしれない。
ガルドは大きな責任を感じながら、がぜんやる気になっていた。
燃えるシチュエーションだ。サルガスのときも思ったのだが、ゲーマーとして「後に引けない戦闘」というのはゾクゾクするのだ。笑みを強め、舌で口のはしを軽く触る。
一発の弓矢ではダメだったかと、マグナがもう一発を引き絞っている。今度の矢にはエフェクトが灯っていた。あまり強すぎるスキルだと倒してしまうが、現れたのは火の玉のようにぼんやりと浮き上がった赤の効果光で、非常に弱いものだとわかる。
「よし」
チャージもそこそこに、マグナが弓を放った。先程の矢がまだ刺さる壁の、全く同じ場所に向かう。はりつめた矢が解放され、鋭い音がひとつタンと響いた。
オブジェクトが被った。グラグラとお互い競うように居場所を取り合うような、ゲームならではのダブり表示になる。数秒後には二発目だけに固定される。
そしてあっという間に矢羽まで燃え上がった。
この火は燃え広がることはない。ただの効果ビジュアルで、そもそもゲーム空間の中だ。壁はデータでできていて、もちろん燃えるもので出来ていないのだから当たり前のことだった。
「あっあっあっ」
慌てたような声に、マグナとガルドが目を見張る。仲間の声とは大違いのカラカラと乾いた老人の声だ。こちらを警戒してなのか、頭は隠したままで必死に腕を伸ばし始めた。
「……腕だけでも行くか?」
「……どうするかな。動きが止まった時ならイケるかもしれんが」
二人で見つめるターゲットの腕は火のついた弓矢に手を伸ばしていた。届くか届かないかのところで指がかすっている。
NPC、AIだとすれば非常に高度に組まれている。まず、フィールドに置かれた道具を使おうとするのが高度な発想だった。その上、敵からのターゲットロックを警戒している。妥協案として「射程に入らないぎりぎりの場所」で止まっているのだ。ガルドは素直に感心した。
まるで人間だ。
「あっあっ……あれ?」
老人は、突然なにかに気付いた。腕の動きが止まるかとガルドは咄嗟にトリモチを構えたが、あっという間に手はチェストの奥へ仕舞われる。頭が良い。舌打ちをひとつ、耳を澄ませた。
彼はまだ、なにかをしゃべっている。
「も、燃えない? 火事は怖い、が、ならない? なぜ。なぜだ。なぜ。火なのに。火? 火の……カミサマか?」
不思議なコメントだ。火の神とやらがなんなのかは分からなかったが、引っ掛かっていたことの答えに思える。火が燃え移り火事になる、と予想できる男なのだろう。
ガルドに先ほどの予感が再び走る。
「寄る」
「ん? お、おい! ガルド!」
ガルドはそう宣言し、後ろで慌てるマグナを置いてずんずん近付いていった。
最前線でガードを担当するジャスティンと榎本の隣まで進み、並ぶ。二人は真剣に武器を構えているが、ガルドはトリモチを片手に棒立ちのままだ。
「おうガルド、さっさと……ん?」
隣に立っている榎本がトリモチを一瞥し、それを投げろと催促してくる。が、ガルドはそれをわざと無視して質問に入った。
「火事になると、困るのか」
「は」
榎本の間抜けた合いの手が入るが、そちらには目で一つ頷いて見せる。疑問というより心配するような表情の榎本に、思わず一瞬笑いながら老人へと向き直した。
槍を持った男の睨む視線は変わらず、むしろさらに強く睨まれたが、ガルドは話を続けた。
戦わずに解決させてしまうのは勿体ないが、もし彼が「ぷっとんが言っていた彼女の部下」であれば、ゲームのことをよく知らずに来ているかもしれないのだ。
空港にいたというぷっとんの部下、ゲーマーではない脳波コン所持者かもしれない。
ここがアクション性の高いゲームを元にしていることを、彼は知らないかもしれない。そんな彼を、剣や弓で痛めつけるのは気が引けた。
「ここは、ゲームだ」
その言葉に首を伸ばした男の顔が、やっと全てチェストの影から出た。はじめてまじまじと見つめる男は、空港にいたらきっと忘れられないような風貌をしていた。




