248 大事な植木鉢を壊さないで
植木鉢を倒さないよう、窓から数十センチ離れて夜叉彦が陣取っている。優しい男で、小さなサボテンに名前をつけて大切に育てたり、トイレの神様を信じていたりと、人間以外にまで優しさを振る舞うタイプだ。
ガルドは優しすぎる夜叉彦の配慮を長所の一つだと思っている。障害物のない射線を選びポジショニングしながら細身の侍を盗み見た。
肩にはおった朱色の着物は、ゲームのお約束でずり落ちることは無い。内側に着込んだタイトなボディスーツは和装がモチーフだ。白と黒で腰帯などの線を描いている。袴っぽさを出そうとしているのか、下半身はワイドパンツ仕立てだ。外国人が好むジャパンライクな装備は西洋鎧と違い軽やかで、ボリュームも控えめだ。
そう思っていた矢先、姿勢を変えた夜叉彦の腰から伸びる長い刀の鞘が鉢をかすめた。かつん、と陶器のような衝突音がする。
「あわわ」
気付いた夜叉彦が慌てて一歩、窓から離れる。ギリギリのところだった。見ていたガルドもほっとするが、チェストの奥から非難の声が鋭く飛んできた。
「おい!」
聞きなれない声が強く聞こえ、気がそぞろになっていたガルドと夜叉彦が肩をびくりとさせた。しゃがれた声は苦労してきた後期高齢者のようで、年齢からしてプレイヤー的ではない。NPCのように聞こえる。
「そこのお前、すぐに離れろ!」
チェストの方を見ると、ぷるぷると震えながら隠れつつ怒声をあげる老人が夜叉彦を睨んでいた。顔はよく見えない。少しだけ出ているが、すぐに隠れられるよう腰を落としている。手には槍が握られていて、穂先の形にガルドは教科書を思い出した。歴史の、かなり最初のページに載っていた形をしている。
「槍って……マンモス狩りか?」
「あー、人気だけどな。氷河期のゲーム」
「フロキリのモンスターが相手となると、その装備じゃ厳しいな」
「がはは! へし折れるなぁ!」
のんきに仲間が笑うなか、ガルドは警戒したまま老人の持つ石器槍を観察した。信徒の塔で共通テーマにされている水晶と全く同じ、透き通った青色の石器ナイフがくくられている。工業製品ではありえないほど乱雑に、彫刻刀でけずったような細かい跡が残っていた。
デザイナーが描いた装飾にしてはかなり不格好だ。付け根のヒモは赤の毛糸のように見える。麻ヒモや革のロープでないところに違和感を覚えた。
「離れろ、って……コレ?」
にらまれている夜叉彦は、男の視線など気にする様子もなく、植木鉢と男を交互に見る。
「く、うう……」
男は、何かに耐えるような声をだしながら、チェストの裏にゆっくり戻っていった。
「……変な動き。敵対は無し? でも警戒されてるし、話しかけてきたり。これが大事ってこと?」
「キーアイテムじゃないか?」
夜叉彦がゲームシステムを評価するような語り口で言った。それに答える榎本もサルガス相手にしていた観察と同じことをする。ガルドは首筋が伸びる感覚を覚え、それが緊張だと一拍あとで気付いた。
特になにかを考えていた訳ではないが、ガルドは「そんな言い方は男に失礼だ」と思ったのだ。そしてすぐに「NPC相手に失礼もなにも無い」と思い直す。ふと、ある可能性を本気で信じはじめていた。
「困ったな。拮抗状態か」
「作戦通りでいいんじゃあないのか?」
「うーん、怖がってる感じだしな……こっちに逃げてこられても困るよ」
「む」
「めんどいからさっさとトリモチでいいんじゃないか? なぁ」
そう榎本に話をふられ、ガルドはとっさに「ああ」と返事をした。いつもの相づちだが、相棒はその二文字に眉をひそめた。
「おい、どうした?」
「ん、いや……」
「気もそぞろ、って感じだな。なんか引っかかってんのか?」
榎本の言う通りだった。狩猟槍を構えている男や、素朴で手作業の跡が残る部屋の様子に、ガルドはどうも引っかかっている。少しのあいだ無言で考え、なぜなのか結論が出ないまま、歯切れの悪い答えだった理由を榎本に説明した。
「……サルガスと違いすぎる」
ホームがある中央エリアのど真ん中に建つ、氷結晶城にいた犯人製NPCを思い出す。あれは非常に粗悪な出来だった。日本語も口語にするには固く、意味が通じない。洋服や武器のデザインは古風だったが、完成された一体感があった。まるで昔のキャラデザインを盗用したような、手抜きのせいで逆にご立派になったかのような服だった。
目の前の老人は、チェストの影でまだ全身が見えないのだが、どうもちぐはぐな印象があった。手に持った狩猟民族の槍と植木鉢が大切なものらしい。信徒の塔の一階にいた乙女とは大違いだ。
乙女の部屋は真っ白で、宗教を重んじているという設定に忠実だった。祭壇や水晶玉が大事だったはずで、老人の鉢植えへの執着はガルドにとっては唐突で違和感を覚える。
そして何より、日本語が流暢だ。
「サルガスはろくに喋れなかった」
「ああ……それで今メロが苦労してんだもんな。確かに、同じGMが作ったにしては、随分お喋り上手に出来てるな」
榎本がガルドの意見に同調するが、それから話が広がるわけではなかった。そもそもガルドは疑問を持ってはいるが、目の前の老人を逃がすわけにはいかないのも、トリモチで捕まえ話しかけ、友好モードに切り替えてやるのも賛成だ。むしろそうしないなどとは考えていない。
「アレより喋れるのは、質問しやすい。何を考えてるのか、役割がなんなのか……」
「話せばわかる、ってか? だな。さっさととっつかまえるぞ!」
「ああ」
視界のすみで、マグナが弓をぎりりと引き絞っている。ガルドは、全力でトリモチを投げるための構えに入った。




