239 雪山は遊び場
この世界をフロキリと思ってはいけない。心臓がいくらあっても足りない。ガルドはそう思い直しつつ、逆に現状の変化で乗り物酔いにならなかったことを安堵していた。
フロキリ時代、ロープリフトに関わらず「加速感」というのは無かった。世界は移動すると天動説よろしく周囲の風景が動く。自分に風を切るという感覚は無い。それはフロキリだけでなくほとんどのフルダイブゲームがそうだった。
重力感や加速感が実装されているのは、指定されたコースを戦闘機や車で走るレースゲーム、箱庭のなかで戦い合うロボットアクションゲーム、そしてスポーツシミュレーションゲームくらいだ。つまり容量を喰う。フロキリのようなオープンフィールドでの、武器も多様で敵も多様なアクションゲームではまず不可能だ。五年スパンでの開発リーク情報でもこの分野は進歩がないとされている。
<ありえん……ありえん……>
ジャスティンがそうぶつぶつと通信を入れてきた。気持ちはガルドにも理解できる。ずっと後方のロープにしがみついているだろう彼の顔は見えないが、いつものようにチワワの如くぷるぷる震えてショックを受けているだろう。久しぶりの「思考停止ジャスティン」だ。ガルドは小さく笑い、思わず声が漏れた。
<ふ>
<なになに、なーにー!?>
メロが状況を理解できずに説明を催促してくるが、誰も答えられる心理状態ではない。悲鳴やぼやき、ガルドの微笑だけが状況を伝えている。
<すっっごいよ、メロ! 楽しい!>
<ああ。酔わない>
<えっ、気持ち悪くないの!? てか楽しいってどういう状況?>
あれだけひどかったはずの乗り物酔いは全く気配が無い。それどころか、景色を楽しむゆとりまで出てきていた。雪が勢いよく前方から顔に叩きつけてくる。その合間に見える針葉樹林が黒い影のようで、あっというまに消え、また視界に影絵のようなスピードですかさず現れた。
まるで雪山を駆け登る狼のような目線だ。空中散歩のリフトも眺めが良くて好きだが、接地しているのもなかなかガルドの好みである。特にこの「加速している感覚」が良い。そのことに疑問を持つ前に、とにかく今はロープリフトを楽しんだ。
<これはなんだ? 本当にリフトで上がっていく……スピーディだ。記録を、そうだ、スクショで……いや加速感の記録にはならないか。ああ、感覚フィードバック付きのフルダイブ録画が出来る外付けウェアは……>
だいぶ落ち着いた様子のマグナが技術的なことを探ろうとしているが、頂上まであと数分で着いてしまう。その前に森を迂回するべくルートが右に大きくカーブする。その重心移動をガルドは心待にした。
雪の合間に、太陽の鋭い輝きが差し込んでくる。目を細めながらそちらを向くと、視界不良で分かりにくいが、鳥が同じ方向に飛んでいるのが見えた。尾がパトランプのように赤く警告的な光を引いており、ただの鳥ではないと自己主張している。
「……サステナフェニックス」
向かっているエリアよりも南西に据え置かれた大型モンスターだ。見た目通りの火属性で、何度も退治した定番の敵だった。
黒い森が途切れ、辺りは一気に開けた雪山になる。上級者用のゲレンデのような急勾配で、それを意にもせずロープリフトはガルドたちを頂上へと送り続けた。
「……そろそろか」
到着が近い。ガルドは少しリラックスしていた体制を臨戦体制に整えた。勾配のせいで後ろに下がりぎみだった上半身をぐいっと前へ倒し、膝を曲げる。
顔を上に上げるとロープリフトの終点が見えた。対向線にある、戻っていくロープとの折り返し地点だ。ふもとにあったものと同じ、寝かせられた滑車が二つある。いろは坂のようなヘアピンカーブを描きながら、ロープは山しもに戻っていく。
フロキリ時代はこのリフトがミニゲームのようなもので、離脱できずに滑車に巻き込まれて「ふりだしに戻る」仕様になっていた。
<真面目にやれよ? こんなところで死に戻っても置いていくからな>
<マジかよ。だれが脱落するか楽しみだ>
そう煽るように榎本が言うのを、ガルドは鼻で笑った。
<乗り物酔いで最悪な時でも問題なかった>
<ガルドの腕なら問題ないだろうね~。俺はちょっと自信無いけど>
「だーいじょぶだぁー!」
気弱な発言をした夜叉彦に、わざと大声で励ましたジャスティンの心意気が光る。何人かがポジティブなフェイスアイコンをチャットへ送り出した。
その頃にはガルドが片手を離している。
「っと」
スキーのリフトと同じ要領だ。
ガルドは腰をそのまま持っていかれないよう、背もたれにしていた金属板から意図的に大きく離れた。背を伸ばし、膝が伸びてしまったのを再び曲げようと、大きく前傾姿勢になる。
残念ながらそのままでは止まってしまう。スキー板があれば流れるように進むのだが、とガルドは不満げに自力での前方ローリング回避で距離を稼いだ。
「よっ、と」
後方の榎本は、体制を低くしてのスライディングで滑ってきた。確かに板無しであっても滑った方がリフトらしくて良い。ガルドはそう感心しつつ、榎本がスノボのように体を斜めにしているだと気付いた。
「……ボーダーか」
「お、そういうお前はスキーヤーだな?」
楽しそうに目を細めて言う榎本に、ガルドは勝手にライバル意識をメラメラと燃やす。スノーボーダーというのは、やはり非常にカッコいいのだ。緊張感の無いラフな姿勢で滑走する時などに強く思う。リアルの榎本がだるっとしたスノボウェアを着込んだ姿を想像し、悔しさが二割増す。悔しいが、自分には真似できない。
それがボードを滑れない自分のひがみなのだと、ガルドは気付いていた。
「おっ、どっ……」
榎本より幾分か遅く到着した声は、おっかなびっくりといった様子でロープリフトから脱出しようとしていた。ガルドのように転がるか、榎本のようにスライディングするか、または走るしかない。公式は走りだすのを推奨していたが、両足の同時着地からだと失敗しやすい。
案の定、マグナは普通に立ち上がろうと両足で雪を踏みしめ、前へと腰からつんのめった。腰に当てられた背もたれに押されたらしい。
「どぉっ!?」
普段聞かない濁音の効いた悲鳴に、ガルドの隣からは空気を封じ込めたような音がした。ちらりと覗き見ると、榎本が両手で必死に笑いを堪えている。
「ん」
「んぐふっ!」
たしなめるようにガルドが声にならない声をかけたものの、効果はなかった。漏れでた笑いにマグナが耳ざとく反応する。
「……フ、笑いたければ笑え。成功は成功だ」
「榎本」
「ふふ、わ、悪かったって……っはは、ははは!」
「久しぶりだったんだ……」
「しょうがない、数年ぶりだ」
「まぁ失敗はしてねぇし……お、ジャスはどうだ?」
そう言って昇ってくるリフトを振り向いた三人の目に、背丈ほどもあるタワーシールドを足で踏んでいるジャスティンの姿が飛び込んできた。ボードというよりソリのようだ。
「ああー! ずりぃぞジャス!」
「な、なに!?」
「だぁっはっは! タンク万歳! でゃーっ!」
そのままスムーズに、ガルドが望んでいたように颯爽と登りきりそのまま滑り続けた。勢いをそのままにガルドたちよりも数メートル先まで進み、シールド後方に体重を掛けてウィリーに。ざざっと雪を削りながら華麗に停止、ボードのようにシールドを立てた。
「決まった!」
「お前、いつの間に武器を乗り物に!」
<乗り込む前に『閃いたぁ!』とか言い出してさ~>
そうチャットに発言したのは、さらに後方から登ってきた夜叉彦だった。
「ハンマーじゃ無理だな……」
「弓もだ。細すぎる」
「……ワンチャンある」
<でしょ? 剣ならイケるっしょ?>
登ってきた夜叉彦の足元には、やはり刀があった。




