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235 母の初ダイブ

 そんなブルーホールの海面、最新ログが漂う入り口の片隅。

 張り付けられた「黒ネンド対策映像」なるものをを見ようと、今まさに一人の女が流れに乗ろうとしていた。初めてトライしようとする初心者サーファーのように、不器用にぎこちなく波を感覚する。辿り着いた先の晴れた視界と、眼前に突如現れた猫に女はぎょっとした。

「きゃっ」

 鋭い眼光で睨むのは、銀の毛並みをしたオス猫だ。首から下はタイトなデザインの黒スーツで、よく見ると筋張った革に近いディティールなのがわかる。プレイヤーではない女は知らなかったが、フロキリで難敵として知られるコウモリ型モンスター由来の装備だ。

 背中には、ロケットランチャーのような筒状のものを背負っている。

<黒ネンドについて、その危険性は既に広まっているため省く。対策だが、まず空港や港など国外へのルートに近付かないのが一番だ……>

 猫は落ち着いた口調でそう語りだした。低音で耳通りの良い声をしている。その様子を初心者の女は、目ではない場所で見て、耳ではない場所で聞いた。

 酷い違和感だった。目の前には姪が座っているはずなのに、女にはその姪の顔が一ミリも見えないのだ。

「これが、脳波感受の視界……」

「どうです、おば様。意外とスムーズに見えたでしょう」

 姪の声も遠く聞こえる。まるでプールの中に潜っていて、水の上から声をかけられているようだ。中には自分一人と、語りかけてくる猫が一匹いるだけの世界に思える。

 佐野弓子は、はじめてのフルダイブに疎外感と静寂を感じた。

「よく聞こえないわ、すずさん」

「あ、感受のレベルはアップダウン出来るんですよ。耳の辺りにあるボルテージのアイコンを……触る、みたいにして下さい」

「触る?」

 姪のすずが説明するが、その言葉もニュアンスでしかなかった。架空の脳内マウスポインタを操作するだけでも、手術から間もない初心者は大層苦労する。しばらくはスマホのサイトをスマホ画面サイズに見るのがちょうどいいとされていた。

「やっぱりしょっぱなから飛ばしすぎな気がしますわ、おば様。ダイブ型SNSに動画の再生なんて。せめて普通の、テキストと写真のウェブサイトから始めませんと……」

「少しくらい無茶でも、取材は妥協しないものよ。不可能じゃありませんからね」

「うーん……本当に良いのでしょうか……」

 すずはうんうん唸りながら、叔母である弓子を止めかねていた。彼女の強いこだわりは共感できる。しかし、専門の技術者として止めた方がいいことも分かっていた。

 こんな無茶な使用をしていては、コントローラの過剰な刺激をさばききれずに頭が疲れてしまう。説明書にも書かれていることだ。

「おば様、三十分潜ったら三十分休憩ですよ?」

 恐らくすぐにでも酷い頭痛になって現れるだろう。すずは困った表情のまま、頭痛薬を探しに席を立った。


 研究学園都市・つくば。職場である鏃工業(ヤジコー)出資の研究施設から、タクシーで十五分ほどの距離にある高層マンションの中層階。中島すずが独り暮らしをしている一室がある。

 佐野弓子は、姪のすずが愛用する高性能デスクトップPCに真新しい脳波感受型コントローラを接続し、ネットサーフィンをしていた。

 みずきが持っているような、磁石内蔵型の有線接続ではない。磁力が機械に影響するのを嫌がったメカニカルギークすず監修の、帽子型接続端子だった。

 高そうなチェック柄の鹿撃ち帽(ホームズ・ハット)を魔改造した手作りである。

 弓子は感心しきりだった。世の中の技術は瞬く間に進歩しており、こうして帽子を室内で被って仕事する日がやってきたのだと驚いていた。自分一人では調査もままならないと、姪の部屋を見て実感したのである。

 職業柄、一通りの最新設備を自前で揃えていたその部屋に、弓子は数日転がり込むことにした。

 やり方を教わり、横浜の自宅に戻ることも出来た。フルダイブ機械はあるのだ。喧嘩していたころに聞いた娘の説明によれば、「初期型だが今も後続の追従を許さない名機」らしい。

 が、姪のすず曰く「マシンの貸し借りは、たとえ家族でも承諾無しでは駄目」なのだ。例えで歯ブラシのようなものだと説明され、弓子は頷くしかなかった。

 しかし承諾も何も、娘は行方不明だ。正確には誘拐されている。しかしそれを極秘にしている弓子は、咄嗟に「娘には内緒にして欲しい」と嘘をついた。

「いくらみずきの為とはいえ、ちょっと過保護すぎません? (ひとし)おじ様の過保護、伝染ってしまったんですか?」

「なんとでも言ってちょうだい……今まで私は固すぎたんです。あの人を見習わないと」

「か、固くなんてありませんよ。母よりよっぽど優しいじゃないですか、ちょっと厳格で教育熱心でしたけど」

「……貴女、そんなこと思ってたんですか」

「あ、あはは……ですが、だからって、みずきのフレ(オンラインフレンド)まで査定しなくてもよろしいんじゃないでしょうか」

 叔母である弓子に向かって、すずは物怖じせずにズバリと言い放つ。弓子は怒りすら湧かずにそれを聞いた。昔から姪はその母親、弓子の妹によく似ている。融通のきかない女だと言われる自分より、数段上を行くキツさを持つ妹だ。そして正義感溢れ、しかし自分に似て頑固だった。

「ふれ、と言うのはネットの友達ね。Friends……本当に友達なのですか?」

「もちろんです。確かに人種も年齢も、経歴も年収も様々ですよ? でもみずきが見極めて、一緒に思い出を作り、仲良くしているんですから……友達、です!」

「友人関係は清いに限りますが、そこまで口を出すつもりはありませんよ。それより問題は男です。みずきさんの恋人、このゲームは利用していただけだという話でしたが……ちょっと信じられない。でしょう?」

「まぁ、それは確かに……」

 ブルーホールを全力で覗いている弓子には、そう同意の言葉を発したすずの顔は見えない。しかし嘘はついていないだろう。姪は男に不信感を持っており、その詳しい事情も妹経由で弓子は知っていた。

「もし良くない相手だったら、と思うと……」

 これは嘘ではない。弓子の、母としての本心だった。

「そ、そうですよね! みずきのプレイヤーネームすら分からないですけど、とりあえずその『日本代表のENOMOTO』とやらを調べてみましょう!」

 そう言って気合いを入れ、すずも鹿撃ち帽をかぶった。

「娘の同級生とこんな形でやり取りするとは、正直、思ってもみなかったのだけど。あの子は、友人に恋人のことを詳しく打ち明けていたようね」

 私には何も言わなかったのに、という言葉を腹に戻して弓子は続けた。

「その恋人の情報から考えると、やはり導入サイトで見た『ENOMOTO』と一致するの。彼が変な男でないか、どうしても気になって……」

 そして犯人に繋がる情報も、という言葉もゴクリと喉の奥に飲み込む。

「任せてください、おば様。こういうサイトは見慣れていますからね」

 脳波コンの専門家として、すずはブルーホールをチェックし始めた。初心者の弓子に脳波感受の操作方法を言葉でアドバイスしながら、圧倒的なスピードで溜まっていたログを流し読む。

 加えてキーワードに「えのもと」と入れる。しかし中々ヒットしない。

<——第二に、脳波感受型コントローラの特性である『同時に二つのデバイスには接続できない』点を活用するのがベストだ。つまり、ずっと何かをつけていろ。スマホでもHMDでも構わない。だが無線はこの場合意味がない。とにかく、こめかみをフリーにするな。ここを物理的に防御するのが最優先だ>

「……この注意喚起、一体何に備えるつもりなの?」

 猫の声がすずにも聞こえ始めた。その台詞の内容に、すずは研究者の嗅覚をくすぐられたのだった。



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