23 マンゴーソース・ダイス
秋葉原に根を張る山手線が終電を迎える頃、榎本が時計にふと気付いた。
「あ、おい! もう終電ないぞ!」
急に大きな声をあげたが、周りの反応は焦りのないのんびりとしたものだった。
「ん? 帰るのか?」
「バカ、俺じゃなくてガルドだろうが。タクシー呼ぶか?」
ほろ酔いで判断力の鈍ってきたマグナの声をさらりとかわし、榎本が焦ったようにガルドへスマホを見せる。
「いい。オールのつもりで来た」
簡潔に告げると、ガルドは表情を変えずに箸で味噌モツ煮をつまんだ。口一杯にモツと八丁味噌のコクが広がり、しっかりと歯ごたえを楽しむ。味が濃く、共にしていたジンジャーエールとの相性が抜群だった。ストローで勢いよく飲む。
「あー、寝袋じゃアレだからさ、ソファくっつけてベッドにしようか?」
「ありがと、でも大丈夫だ。寝るつもりはない」
相変わらず気を使う夜叉彦だったが、ガルドは全く気にしていない。金曜の夜に徹夜でクエストに出向くのも、そのまま寝落ちしてイビキをギルメンに聞かれるのも経験済みだ。リアルだからと困ることはなにもなかった。
「紅一点が未成年で、知り合ったきっかけがネトゲ……」
心配そうな榎本に、ガルドは「身分証置いてきた」と補足を入れた。
「それ、つまり年齢証明するものが無いってこと?」
「十七も十八も大差ない」
「ゴリ押しで逃げ切る気か!」
「そういうところ、向こうそのままだな」
「いざとなったら俺らの中から『保護者です』とか言えばいいよ。メロとかいいんじゃない?」
「えへへ、やった。ガルドはうちの子ってことで」
「いやいや待て待て、俺は!?」
「ジャスは似てなさすぎてアウトー」
「なんとぉー!」
仲間たちが一層盛り上がるのを聞き、ガルドは恥ずかしくなってひたすらモツ煮を食べ続けた。
「夜中にオールできるほど元気なのもアレか、肉体年齢か」
マグナがしみじみと呟く。榎本を除く仲間たちも頷き、つまみをぱくつきながら酒を楽しんだ。
「確かに、年々起きていられなくなってきた。完徹は月二回ぐらいだなぁ」
「夜叉彦のは疲労もあるでしょ、仕事終わりとか特に」
「う、まぁね。去年から今のところに来たけど、これでも前の部署より早いんだよ? 上がり」
「……なんというか、条件によっては転職も勧めよう」
「ありがと、マグナ。実はもう考えてる」
「そういやガルドさぁ、深夜四時にラーメン食べに離脱とかしてたよね。元気だなーって思ってたぁ。こういうことだったんだねー」
メロが言い出した言葉に、ガルドはなるほどと納得した。同年代の友人と夜食の話になり、ダイエットを気にしない場合はポテチかラーメンがメジャーだったことを思い出す。若い故のチョイスだ。
「俺もよくする。太るの分かってんのに、誘惑に負けるんだよな」
榎本が笑った。
「だからお前ら若いって言われるんだ……胃もたれと無縁だろう?」
「おう」
榎本とガルドがセットで扱われるのも、二人とも若いと言われるのも、普段のプレイによる印象が大きい。
ロンド・ベルベットのスタイルとして、金曜の夜から日曜の朝方まで誰かしらログインしているのが基本だ。全員参加は前もって組んでおき、それ以外の時間はたまたま居るメンバーでパーティを組み出撃する。
榎本とガルドは高確率で居るのが特徴だった。
「いや、別に俺は普通の四十代だからな? 二日酔いも胸焼けもするし、自分の枕の臭いとかもたまにチェックしてるぞ」
「加齢臭気にしてるの? えぇー、ジジ臭い……」
「するだろ。え、しないのか?」
中年男性特有の悩みに、ジャスティンやマグナは「する」と同意した。メロが一人首を傾げているが、北海道の偉大な自然と共に働く農家の彼にとって、加齢臭など些細な問題らしい。そもそもメロはいい香りがする、とガルドは焚き染めたインセンスの香りを褒めた。パッと顔をほころばせてメロが喜ぶ。
その隣で、夜叉彦はソファ席の後ろに投げてあった自身のマフラーを手繰り寄せ、小さくすんと臭いを嗅いでいた。安心した顔で戻すのを見ると大丈夫だったのだろう。
「ちなみに加齢臭は耳の後ろをしっかり洗うと取れるらしいぞ」
「本当!?」
予想以上に食いつきの良い夜叉彦に、ガルドは少し面食らった。一番若い三十代後半の夜叉彦はガルドの父親よりも年下だ。かなり若いイメージだったが、それでも加齢臭は気になるらしい。意外だった。
そういえば、とガルドは父親の匂いを思い出そうとして、すぐに止めた。父親はファッションにうるさいタイプで、当たり前のように男性用香水を愛用していた。加齢臭対策も万全だろう。
自分用のボディーソープを海外輸入で手に入れているほどだ。仲間たちにも進めた方がいいだろうか、と考えたがそれもすぐ止めた。ガルド自身はというと、安易で手軽なものを求めた末の、固形の牛乳石鹸である。アドバイスできる立場になかった。
いつもと同じような雑談で盛り上がる中、やはり内容は徐々に海外遠征にシフトしていく。日付変更線をまたぐため、日数的には大幅に損をする今回の遠征にブーイングをつけ。しかし有名観光地である会場の、しかも一等地のホテルに無料で宿泊できるという点に喜んでみたりした。皆忙しく盛り上がる。
ガルドは骨にしみるほど寒い今の東京から比較し、常夏の島に思いを馳せた。ふわりと甘い名物を想像し、数名が揃って店のデザートを注文する。
「お待たせいたしました、ハワイアンパンケーキのお客様~」
「あ、はいはい! ここ三人!」
ふわふわした、美しい焼き色のついたパンケーキが粉砂糖の化粧をしている。添えられたホイップは、見た目より口どけが良く軽やかな溶け具合が特徴だ。フレッシュなマンゴーの、ダイス状の果肉やソースがゴロゴロと散らばっていて見た目も美しい。そこになぜか華やかなハイビスカスが添えられている。食べられるのだろうか、とガルドはじっと花を見つめた。
「おお! なんだこのホットケーキは!」
「パンケーキ」
「なんだこのパンケーキは!」
「ハワイアンパンケーキ」
「ハワイ!」
「うぅん、トロピカル~! そうだ、写真撮ってからにしよ」
「女子か」
腹の出た中年の男は初めて出会う料理に衝撃を受けている。派手好きの男はSNS用の写真を撮ろうとスマホを持った。
ガルドは淡々とジャスティンの言い間違いにツッコミを入れながら、早速一口切り分け食べはじめた。口いっぱいに南国の甘みが広がるが、それ以上に感動がある訳では無い。普通の料理と変わらないペースでパクパクと食べ進めた。
テーブルを越えた向こう側に座るジャスティンを見ると、ちょうど山盛りのホイップクリームを半分に割って大口に放り込むところだった。スキンヘッドの大男が、熊のようなヒゲにクリームをつけながら咀嚼する様子は強烈だ。ガルドは目が離せないまま、小休止にジンジャーエールを一口飲む。そうしないと食べ続けられない。甘いものが得意でないガルドはすでに疲れ始めていた。
ジャスティンは怖いもの見たさな精神が強いため、皆が手を出したがらないものに果敢に挑むタイプだ。数十年前、果敢にオンラインゲームに挑んだのも同様の理由だった。いま彼は、女子の流行に挑もうとしている。顔を拭わないまま、酔った勢いのまま大声で「甘い!」と叫んだ。
「そういや、甘いのは苦手じゃなかったのか?」
「苦手だ!」
「なんで頼んだ……」
やれやれ、とマグナが少し食べはじめた。伸ばしたフォークでパンケーキ部分を正四角形に切り取る。
「ふ……」
声のした方を向くと、メロが優しい顔をしている。口の中の幸福を全身で味わうような、蕩けた雰囲気が伝わってきた。
「……幸せそうだな」
「うん」
このギルドで一番甘いものに目がないのはメロだ。だからこそ女子がどうのと差別されないのだろう、とガルドは心の中で感謝する。元ギルマス・ベルベットがセクシーならば、メロはキュートだ。そしてやはり自分は屈強なゴリラなのだと、周りからの評価を素直に納得した。




