228 ウィッシュ・リスポーン
話し合いの内容を宛先の無いボイスメッセージとして保存しながら、彼らはひたすら話し合いを続けていた。他愛もない内容が挟むものの、一貫して出てくるのは「旅先案内人サルガス」のことである。
一昔前の吟遊詩人風な男は、間違いなく敵であるGMの意図でそこに立っている。それだけは確実だった。
「奴は俺たちの生活を改善する用意があると、そういうニュアンスで話していたな」
「結局何が出来るのかはわからないし。権限が無いのかもね」
「家具配置のパスワード要求を却下されたのも、確かにただのAIにはキツい頼みだったかもな」
「こんなのすら出来ないんじゃあ、何も出来ないだろうな! お悩み相談窓口ということか」
「いいねー。ひたすら愚痴るだけ。敵への精神攻撃に使えそう」
「そういうことだ。返事を期待するからイライラするんだろう? 返事するだけのマネキンと思えば楽になるはずだ」
サルガスへの対応は、ガルドと榎本が闘技場で話していた内容とほぼ同じ形で決着を迎えた。脱出方法には直結しない自動音声窓口のようなものだと、そう自分達で納得して終了としたのだ。
メロがぐったりとした表情でソファにしだれながら、文句のように話題を移す。
「あの黒マントのことはもういいよ~。それより次の事! ね、やっぱりやるんでしょ?」
「ああ」
一転してラウンジに期待感と不安さが充満する。
「……キルとリスポーンの実験だろ? 死ぬかもしれないんだ。もっと慎重に行かない?」
最も不安さを隠さず表現したのは、意外にも夜叉彦だった。普段は陽気で前向きなことばかり言う男が、おずおずと臆病なことを言う。非常に珍しい。
「びびってんのかよ、夜叉彦」
榎本がからかうように挑発する。しかしロンド・ベルベットのアクセルとブレーキのようなもので、普段は榎本がブレーキやツッコミをする立場にあった。逆になっただけにも思え、ガルドは物珍しい様子に目を細めた。
どちらにしろ二人がハンドルを握っている訳ではない。真逆の意見が出たとしても、ギルドの進行方向は「極力全員の賛成を得た妥協案(どうしてもダメなら多数決)」と決められている。
「びびるさ。そりゃあ、今ですら命がかかってるのにその上もっと危険なことするんだから。不安とかないの?」
「ない」
言い切った榎本に、夜叉彦はひゅうとはやしたてるような口笛を吹き「豪胆だねぇ」と感心した。マグナもそれに頷いて賛同する。怖がることを恥じる様子はない。夜叉彦は続けて、びびっているのではなく「リスクを考えて足踏みしてるってこと」と説明した。
「うむ、なるほど……」
いつも暴走気味のジャスティンは、その様子を見て少しクールダウンした。自分の考えがアグレッシブだということに、こうして客観的な評価を目撃しないと気付けない。そのことをジャスティンは自覚していた。
「何が起こるか分からんと、不安……なるほどなるほど」
普段より長く考え込む彼に、榎本が食いつく。
「へぇ、悩むなんて珍しい……ジャス、随分と融通きくようになったんじゃないか?」
「いやいや、俺は頑固親父だ! 融通などではないぞ、これは」
「ガンコオヤジってポジティブな単語だっけ?」
「いや、批判的な意味合いが強いはずだが」
「ジャスが自称してると褒め言葉に聞こえてくるよな」
「俺は頭が良くなったんだ、条件を飲んでる訳じゃないぞ?」
自信満々といった顔でソファから立ち上がり、あっけらかんと一言言い放つ。
「一発おちれば済む話だ!」
握りこぶしからぴっと親指を飛び出させながら、にっかりと笑った。
一夜過ぎ、雪原。ギルドホームのある中央エリアから、一番近いモンスター出没エリアだ。
「俺が子どもの頃、既にブームは過ぎていた。親父が持っていたDVD……ガルドは分からんか。旧式の映像ディスクを勝手に観てなぁ。ハマったぞ。毎日観た!」
「突然なんの話だ?」
「ああ、トップガンだ」
耐久値のある装飾アイテムを外し、手持ち装備で中堅どころの一式を着込んだジャスティンが雪原に立っていた。ドワーフ種で小柄な彼によく似合う、なめし革で作った素朴な風合いの革鎧だ。ちりばめられたワンポイントのヒモが真っ赤に燃え、時おり火花を散らしている。
ジャスティンの隣には同様に、最強より一段下げた装備を着ているマグナ、ガルドが立っている。マグナはメカニカルでタイトなボディスーツで、荒廃系SF映画にありがちなグレイッシュの薄汚れたデザイン。ガルドは相変わらず黒っぽい武骨な西洋鎧だ。普段のものより肩まわりがトゲで覆われていて、腰が厚ぼったい。
「トップ?」
「トップガン。映画だ。二十世紀のな」
「古い」
「ちゃんとカラーだぞ? 最近の若いモンは『二十世紀の映画は全部サイレンス・モノクロだ』とか思ってる。そんなこた無い! 世紀末は良いものも多かったんだ……」
「前世紀のものなら見たことある。荒いが、カラーだった」
「お、何見たんだ?」
「キンザザ」
「……ざざ?」
「不思議惑星キン・ザ・ザ。俺が勧めた映画だな……覚えていてくれて嬉しいぞ、ガルド」
「マグナが勧めた? ダァハハ! そりゃあマニアックでさぞ名作だろうな!」
そう大笑いしながら大きな盾を圧雪の地面に突き刺し、ジャスティンが灰色の敵を見つめた。少し離れた先に居る四足歩行の鼠型モンスターは、ここから見ると小さいように思える。しかし実際には、近づくと小柄なドワーフをゆうに越える大きさなのだった。
「どっちが面白い?」
「一般受けしたのは間違いなくトップガンだろう。あれは俺も好きだ」
正直に言えば、勧められたキンザザという映画がどんな内容だったのか、ガルドは全く記憶にない。演者が何を言っているのか最初から最後まで理解できず、タイトルだけが脳に刻み込まれていた。それに比較すれば、ジャスティンの言うトップガンは面白いことだろう。
「俺ぁあの映画で男のロマンを学んだんだ! あれを見る前の俺は、それはもう臆病で泣き虫だったぞ」
その話を聞き、マグナとガルドは驚愕の顔で横のジャスティンに振り向いた。予想も出来なかった恐怖知らずの男が持つ過去に、今の勇敢さを比較して信じられないと冷やかす。
「そんなに影響されたのか」
「型破りなトライをしてこそ男! 人のしなさそうなことをするのが英雄!」
「ジャスの『新しもの好き』はそこがルーツか……」
「だから、自分から死にに行くのか?」
ガルドがいつもの無表情のまま聞き、目線をネズミ型モンスターの方向へと戻した。若干鋭い物言いに、不器用な優しさで彼を引き留めようとしているのが二人には分かる。マグナは目をつむり、ジャスティンは笑いながら答えた。
「がはは! 俺は死ぬんじゃないぞ、落ちるだけだ!」
これからジャスティンは、このネズミに殺されに行くのだ。そしてそれが死かデスのどちらを与えるか、実証でもって確かめる。ガルドは不安で息が苦しくなるのを感じ、ひとつ大きく息を吐いた。
「心配か」
「ああ」
「大丈夫だとも! デスゲームなど御伽噺だ」
そう言いながらまた笑い、タワーシールドをずぼっと雪から引っこ抜く。そのまま背中に装着し、悠然と歩き出した。そのドワーフ種らしい小さな背中を見ながら、ガルドは口をきゅっと噛んだ。
「同じ豪胆者だろう、榎本も行ってこい」
<あー? 良いぞ、行くか?>
「おいおいお前達、二人もいらんぞ! 英雄は一人で良い!」
大勢居たはずのロンド・ベルベット専用ギルドチャットのプロパティは、オンラインのグリーンランプが五つしか灯っていない。自分を含めて六人で会話するそれに、榎本の音声入力文章がポコンと現れ、それに反論するようにジャスティンは大声で返事をした。
榎本達三人は、敵を挟み対角線上で待機している。不慮の事態に備え、全滅を避けるためにギルドは分散して雪原に立っていた。ざくざくと足音を立てて進むジャスティンを全員が見つめ、普段は見えないよう隠していたマップを表示させ、彼のHPゲージをまばたきもせず監視する。
<死んじゃうかもしれないんだよ!? やっぱり止めた方がいいんじゃないの!?>
夜叉彦は当初から変わらずに、この意見のまま朝を迎えていた。
「大丈夫だと思うがな。恐らく」
「マグナがそう言ってるから、信じよう」
<だぁってー!>
<分かるよ夜叉彦。でもウチらの命、今ですらGMが握ってるんだよ? 人間、水がなけりゃ一週間で死んじゃうんだから。点滴止めるとか、バイタル維持を止めればすぐ死ぬの。だったら自分で動くか動かないかの違いじゃない?>
<お、珍しくメロが茶化さないで論理的なことを……>
<もぅ、うるさいよ~。だってこれを確かめないことには街から一歩も出れないんだよ。それに、もしジャスが死んだらウチも死ぬから>
「おい、早まるな」
「嬉しくないからなぁ! 道連れがメロなど!」
大声で心配の声をディスるジャスティンに、メロはフェイスアイコンの怒りで遺憾の意を示した。榎本がフォローに入る。
<だな。そんなの順番の違いだろ。最初がジャスってだけで、俺ら全員近いうちに殺されるさ>
「榎本のは豪胆でなく執着の薄さだったのか?」
「らしい」
<違ぇよ! 俺は『どうせ順番来るから早まらなくても良いしジャスも間違ってない』って言いたいの! すり替えんなよ、つかジャスだろ? 一番無謀な奴は>
<おいおい、一回落ちるだけだぞ。何も怖いことなど無い>
遠くまで進んだジャスティンの発言が、自動で文字に切りかわる。なにが無謀、これは英断! と言い張るジャスティンを、メンバーが意見で取り囲む形となった。
<ジャスほんとに分かって進んでるの?>
<ん? リスクのことは承知の上だぞ。まあ覚悟は出来てるからな。ほら、この中で一番年長は俺だろう>
そう文章で伝えてくるジャスティンは、普段の騒がしくて大きな声が無いためか、随分としんみりした様子に思えた。軽率にも思える今回の行動だが、彼が彼なりに考えた結果なのだと伝わってくる。
ガルドは首を横にふりながら、遠くにいったジャスティンへは文章として伝わると知っていたが、小さな声で思いを伝えた。
「ジャス、年とか関係ない……」
<あるぞ。半世紀生きた。十分……という訳ではないが、後悔の無いように生きてきた。遺言代わりに聞いてくれ、俺はかなり満足気味なのさ!>
その文章を、全員が厳かな面持ちで読んだ。楽観的な見方でいたマグナも、険しい表情で空に浮いているコメントを見ている。横目でチラリと見たガルドは、不安感を更に増してしまった。自信ありげに太鼓判を推したはずの男が、その言葉を自分で信じられないでいるのだ。不安にもなる。
しかし、と首を振った。
「マグナ……仮説、信じてる」
生半可な励ましは要らない。自分が出来ることは、全力で無茶をすること。ガルドはギルドメンバーを信じていた。理屈の無い無謀な賭けだが、それでこそ自分だと頷いて見せる。固かった理系の参謀が眉間をぐっと詰めてから、ゆるゆると緊張を解いた。
「……ああ。すまん」
「謝るな。自分が信じてる。だから大丈夫だ」
「そうだな。俺を信じてくれ。ジャスはリスポーンする。必ず、だ」
いつものマグナらしい、ニヒルで不敵な笑みだ。人を見下したかのような顎の角度、腕を組んだ威圧的な姿勢、そして説明的な口調が続く。
「リアルの死と俺たちの死は同じものであるはずがない。ゲームの死は『continue』で、これには続きがある。死んでから続く、最初に戻るという意味を持っているからな。リアルの死と同じ意味ではないんだ」
死、という言葉を大っぴらに言えるマグナを、ガルドは素直に図太いと感心した。この四日でのストレスフルな環境で、その言葉はとても身近なものへ移り変わっている。いつ自分達に訪れるか分からない、といったニュアンスのものになった。
「フルダイブで四日経った。水も飲まずに」
それが死だ、という言葉をガルドは飲み込み口に出さなかった。マグナはそのことを異にも介さず、話をスムーズに続ける。
「それはただの死だ。哲学的な意味とか、そういうことは聞くな。俺は、食物連鎖的な死とか、心肺の停止という死しか説明できないぞ。人間の死の意味は……榎本にでも聞くといい。あいつは暇だ。命題を与えてやった方が奴の為になる」
<聞こえてんぞオラ>
榎本の言葉がぽこんと音を立てて表示される。怒っている様子ではない。榎本は怒りを表現するのに、文章表示音をミュートにする方法をとることが多い。もちろん全員知っていた。
ガルドにだけ話しかけていたつもりのマグナが、頬をひくつらせながら頭を下げ、手を腰に当てながらゆっくりうなだれてゆく。顔が赤い。任意で切り替えられる自動文章化の機能を切ったつもりだったのだろう。隙のないマグナにしては、珍しいミスだった。
「……そうか、オフじゃなかったのか」
「凡ミス」
エア眼鏡ポジション直しをして恥を隠しつつ、聞かれたからにはとマグナは立ち直る。
「お前達も聞いていたなら、俺の言いたいことが伝わっただろう。俺は死んだことなど無い。だから知らん。だがキルとリスポーンなら死ぬほどある」
<死ぬほど? 死んだことないけど死ぬほど死んでる?>
「……ものすごく、キルされた経験が、ある。どうだ」
<お利口な言葉遣いじゃなくていいよぉ、マグナ。マジめっちゃぬっころされたって意味で使ったんでしょ?>
「そう分析されるとやりづらい……」
メロはぺろんと舌を出したフェイスアイコンを載せた。
<ほら、俺の言った通りだろう>
ジャスティンの名前でそう表示され、全員がはっとHPゲージを注視する。すっかり会話に気をとられていた。彼のゲージはみるみるうちにカラーの量が減り、真っ赤を通り越し、やがて黒い縦線一本になり、そして空っぽになった。数字はゼロで点滅している。
「じゃ、す……」
遠くに見える雪原の白い世界で、テラコッタ色のカーリーヘアがゆっくり倒れるのが見える。色味がすぅっと雪に溶けるように、戦闘不能を示すグレイになっていった。
ガルドは息を止め、固唾を飲みながらゲージを見つめ続けた。




