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225 つくばの空

 都心から離れているが、通勤も不可能ではない程度の利便性を誇る中規模都市がある。ひらがなで「つくば」と呼ばれる街だ。空が広く、坂の多い横浜とは違う風景が広がっている。

 随分昔から、ここは先進科学の先端を追う街だった。

 国の後押しと強大な個人資産家の意図があって成り立つその構図は、いつバランスを崩してもおかしくないだろう。科学立国という立場がすでに危うい現代で、どこか過去の栄光にすがり付く未練がましさを感じる街だった。

 そんな財政のことなどお構い無しの市民は能天気に街を歩き、特殊な研究都市としての特徴は特に見受けられない。たまに立つ看板の「ロボット注意」という文字だけが異彩を放ち、しかし気にも留めずに街を歩いた。

 GWも明け、平日の昼。暑い日になるだろうとの天気予報を聞き、スプリングコートは置いてきた。七分丈のカーディガンをさらりと羽織れば、昼下がりに研究室から散歩に出掛けた研究者に見えないこともない。

 佐野家の留守を守るジャーナリストの佐野弓子は、妹の娘との待ち合わせを前にほんのわずかながら緊張していた。

 娘のみずきでさえ易々と乗り越えた「脳近くへ異物を埋め込む手術」が、弓子にはひどく恐ろしいものに思えた。つい先日まで忌み嫌っていたのだ。心変わりでもなんでもない。ただ、娘の力になれるのであればというがむしゃらな決意が手術を決意させただけである。

 空は嫌みなほどの晴れ模様で、弓子はイラつきながら太陽を呪った。

「あの子は……」

 娘はきっと、この太陽を拝むことのできない場所にいるのだ。そう考えると焦りが胸を突く。

「弓子おばさま」

 突然聞こえた自分を呼ぶ声に虚を突かれながら、慌てて振り返る。

「……通りすぎてたかしら」

「そりゃもう何メートルも。ふふ。ごきげんよう、おばさま」

 白衣を着た姪が、大きな老舗百貨店の紙袋を手に追い付いてきた。


「わざわざごめんなさいね」

「構わないですよ。むしろ嬉しいくらいです」

 そう切り出した姪のすずを弓子は親のような目で見つめた。随分大人っぽくなった。弓子の思い描いたすずから大きく成長した顔立ちに、彼女がかなり佐野家と疎遠になっていたことを思い出す。

「本当に久しぶり。最後に会ったのは……就職前でしたもの」

「ご無沙汰してました」

 弓子の妹の娘は、佐野一家とは別系統の顔立ちで生まれた。生後間もない彼女を見たときに知ったその事実は、当時二十代後半だった弓子に衝撃を与えたものだ。血をわけた娘に容姿が引き継がれないケースだ。しかし性格は妹に良く似ていて、つまり弓子自身に良く似ていた。

 すずは弥生系の薄い顔だ。一重に、上唇がつんと出ている。メイクも薄く、白衣の中は年の割にシンプルすぎるイエローベージュのワンピースだった。アクセサリーは皆無、耳元にも何もない。ベルトもない。容姿とファッションセンスは妹の夫、弓子からすれば義理の弟によく似ている。

「お元気そうで。仕事も順調そうですね、すずさん」

「ええ。好きな分野に浸かれるというのはとても幸せです。おばさまのアドバイスを受けて本当に良かった。あのときはありがとうございました」

 歩きながらぺこりとお辞儀をする姪に、弓子は罪悪感でいっぱいになった。

「と、当然のことをしたまでですから。すずさん? 親の言いなりなんて……」

 従ったところで、幸せになる保証はないのよ。そういいかけた。弓子は自分の言葉にぐらりと目眩を感じた。

 自分はどうだ?

 娘の顔がよぎる。

 自分が娘のみずきに出来なかったことを、姪のすずには出来た。「親の意見よりも、本当に自分がやりたいことをすべきだ」という一言。大学の学部で悩んでいた頃にかけた言葉だ。

「やりたいことが出来て、本当に幸せです。おばさまの一言がなかったら私、きっと母の言う通り自然系(バイオ)に進んでました」

 細い目を一層細くして晴れやかな顔をしたすずは、愛嬌のある笑みを浮かべて研究内容を話し始めた。

「今日これから行う施術も、じきに『装着』と呼ばれると思いますよ。今はひどい世論ですけど、フルオートで歯医者より楽な脳波コン装着が出来る時代が来ます! そしてもっといろんな年代の人が……おばさまみたいに五十代になってから入れる人がいっぱいくるような、そんな流れにしたいんです」

「……ええ、そうね」

 うきうきと話すその内容は、つい先日まで弓子が毛嫌いしていたものだ。脳波感受型コントローラへの反感が情報操作だということを知ってもなお、その気持ちは拭えない。生理的嫌悪感、というものだった。進路の相談に答えた時は知らなかったのだ。すずがやりたいことが侵襲性の科学技術を頭にねじ込むような、野蛮な分野だったことなど。

 今もまだおぞましく思う気持ちは消えていない。

「脳波コンの技術はPCやスマホに並ぶことなのに、日本だけがこんなに出遅れてるんですよ。そのことをみんな疑問にも思わない。変でしょう?」

「そうかしら。開発研究そのものは他国に比べても劣っているわけではないでしょう?」

「ええまあ。開発者人口は毎年増えてますからね」

 すず達若者世代は、という前提が抜けている。弓子はその世代間格差に何点かの疑問の解決を見た。

「そうね、あなた達は『先進』世代ですもの。クリエイトを副業にしたり、私たちの世代がしてきた仕事をAI任せにしてみたり……なにもかもが未来の価値観で生きていて、私たちが足を引きずっているんですから」

「そ、そういう意味では……」

「それでいいんですよ」

「え?」

「きっと脳波感受技術を嫌っているのは、我々かもっと年上の世代でしょうから。この良くない空気を打ち破るためには……あなた達の声が必要なのだと気付けました」

「おばさま?」

「私がこうして埋め込もうと思ったのは、理由が二つあるんですよ。一つはもちろんみずきさんの気持ちを知るために。もう一つは、知ったかぶりで未知の技術を批判していたことへの反省ね」

 歩くスピードを変えないまま、弓子は遠くを見てそう話した。

「そんな、おばさま! 気になさらないで? だってそれは……」

 歩くスピードを徐々に緩く遅めながら、すずはそう言い淀んだ。前を歩く弓子には表情がうかがいしれず、すずの影が遠くに行ったことで様子がおかしいことに気づいた。

「すずさん?」

「……おばさまのせいじゃありませんから」

 下唇を軽くかみつつ、すずは何かに耐えるような顔で暫し歩き続けた。それを弓子はじっと見つめる。

 仕事柄、得た情報の「裏取り」はずっと行ってきた。弓子はその経験でもって、何か情報を持った人間がする様々な表情をかぎ分ける程度の技術は培ってきている。

 一瞬の無表情を境に、すずは吹っ切れた顔をした。口を割らない流れだ。弓子は早々に情報の誘導尋問を諦め、話を切り替える。

「私の視野が狭かったのは間違いありませんからね……あの子は色眼鏡で見ずに手術を受けたでしょう? あなたに依頼したと聞きましたけど」

「それは私が安全を保証したからですよ。ごめんなさいおばさま、勝手にこんな大事な手術を勧めてしまって」

「それこそ気にしないで、すずさん。結果はともかく、これでよかった」

「え?」

 謎の含みを持った発言をした叔母に、すずは疑問の声をあげた。弓子の態度に妙な違和感を覚える。細い目をぱちくりさせながら、すずはそれが術前の緊張によるものなのだろうと一人で結論付けた。


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