223 鬱憤晴らしは遊ぶに限る
イラついている時や不平不満に怒り心頭な時、人間は様々な方法でそれをなかったことに出来る。無視、排除はそのひとつだ。ガルドはそうやって嫌なものに蓋をし、そして痛い目に合ってきた。
経験は成長を助ける。
ガルドは「もう逃げない」という決意と共に、新しい困難への立ち向かい方を学びはじめていた。
自分達が望む機能を与えてくれないAIに「こいつはそもそもそんな力を持たない」と諦めること。それもひとつ。
実現しない「現実への帰還」から敢えて目を逸らし、自分はこの世界で生きるヒューマン種なのだと思うようにすること。それもひとつ。
それでも不安は襲い来る。ガルドはそうした時何をすれば良いのか、榎本から教わっていた。
ギルドホーム、シンプルな白い壁に囲まれた戦闘訓練用の闘技場。
「むしゃくしゃしてる時は体動かすに限る!」
迫り来るハンマーの鎚をタイミング良く剣先で弾きながら、ガルドは世界大会を忘れた純粋な戦い方を思い出していた。ここ数ヵ月ですっかり染み付いてしまった戦術に気をとられ、快楽のためだけの戦いが出てこない。出てくる切っ先は全て防御寄りで、次手を優先させた軽いものばかりだ。
バックステップを混ぜながらのなぎ払いを繰り出しつつ、ポジションを仲間がいること前提で慎重に組む。なぎ払いは邪魔になりやすく、最近はスキルのスロットに入れることすらしていなかった。ぎこちなく振り切った後は、着実に勝利を掴むための、ちまちました切り合いが続く。
「おいおい、腑抜けたかー!?」
「そっちこそ、なんだか細い」
「ぐっ! くそ、お互い癖が抜けねぇな」
「ああ」
榎本の煽りに煽り返したガルドは、彼の動きの向こうに夜叉彦の存在を感じた。こうして一対一で向き合っているとわかるが、榎本が体の向きを細くポジションすることで生まれた空間から感じられる。ガルドがなぎ払いを封じたように、榎本は脇に夜叉彦がいることを意識した動きに染まりきっていた。
嫌でも出られなかった世界大会を思い出す。城からずっと不機嫌な榎本と同様に、ガルドも眉間をピクリとひきつらせた。
相手に一発ぶちこみたい。お互いの呼吸がぴたりと重なる。
「だぁああっ!」
「ん!」
以前のような思いきりの良い振りかぶりに、二人とも顔を見合わせてくっきりと笑みを浮かべた。続けてスカッとするようなパリィの成功音がする。
こうでなくては。ガルドは嬉しさのあまり、使いどころではないスキルを剣構えのモーションで呼び出した。
身の丈を越える大剣を片手で構え、突きを繰り出すためのチャージ姿勢から腕を突き伸ばす。ガルドのスキルツリーが選択肢を弾きだし、かちりと一つの技が完成する。
榎本とガルドの距離は、このスキルを使うにはあまりにも近すぎた。
「しぃっ!」
夕暮れのような赤が煌めき、目の前の男を捉えながらガルドの視界を一色に染め上げる。エフェクトが過剰に乗り、キャラクターオブジェクトを覆い尽くしてしまっていた。それでもシルエットで見える榎本の動きが全進と気付き、ガルドはさらにスキルを当てようと一歩踏み込む。
十八の突き。それを迎え撃つ榎本のハンマーは、バチリと刺激的な閃光音とフラッシュで包まれている。スキルにはスキルで相殺、というのは対人戦の基本だ。盾を持たない二人ではこれ以上あの場で出来ることはない。
見切りで避けてもその先すら飲み込む程の、近距離。相手を倒したいという「大会」の戦いよりも俗的な、快感のためだけの動きだ。
「っはあっ! いくぜぇ!」
榎本の上品なゴールドと白のハンマーが、点滅を混ぜた発光エフェクトを一層強くした。柄を地面でドスンと一度叩き、榎本の体全体をサークル状に包む光が波紋のように広がってゆく。
待ちきれない雷が時おり体を這いながら、やがて鎚をすっぽりと覆った。
その瞬間をガルドは待った。
スキル発動前に自分のスキルを叩き込むのも戦法の一つだが、それは面白くない。榎本のスキルと正面衝突するのがいいのだ。ガルドはうすら笑みを浮かべたまま、腹の奥から沸き上がる感情をもて余し気味に押さえ込んだ。
煽られた際の焦れのような急く感覚と、久々のバトルらしいバトルの高揚感で胸が一杯になる。押さえ込み、それでも唇と顎がひきつるのがわかり、ガルドはスッと目を細めた。
こんな近くでスキル同士がぶつかるなど、榎本相手以外では滅多にない。楽しみだ。ほぼ運のような位置取りと表面積を減らす姿勢次第で、残り体力が大きく左右される。
目の前に立っている相棒の榎本は、それを意図的に勝利へコントロール出来る。見慣れた顔の、にやついて締まりのない様子から忘れてしまっていた。純粋なゲーム経験の年数差が、こうした緊迫時の生存率に繋がっている。どうしても感覚では叶わない部分があるのだ。
悔しい。
タイミングを図るためにチャージを一拍長くした大剣スキル・落陽を真っ正面に構える。慣れ親しんだいつもの姿勢で、自分の直感を信じてガルドは右手足に力を込めた。
そして来るであろう黄みがかった雷鳴を見ることなく、眼前一杯に夕焼けを叩き込んだ。
「好きだねぇ」
プカリと浮かせた半透明の球体を見つめながら、メロが呆れたように呟く。リビングとして使用している以前のラウンジのソファでお茶をしているメンバーは、応援するわけでもなくぼんやりと映像を見ながら雑談をしていた。
帰宅早々に闘技場へ駆け込んだ二人の様子を娯楽のテレビ代わりにつけっぱなしにし、コーヒー片手に装備を分解するという内職作業を続けている。メロはイベント装備の発光する宝石装飾をひき剥がし続けており、それをどこに設置するのかと夜叉彦はひやひやしながら見ていた。
自分の持つ不格好な編みぐるみのことは棚にあげている。手作りのぬいぐるみなど初めてのことで、既に夜叉彦は愛着を抱いていた。
ガルド視点と榎本視点の映像を球状のスクリーンで見ながら、作業の合間にやれ「あそこは判断ミスだ」「あの動きはキマってるな」などと批評をする。
「だからって、榎本の憂さ晴らしに付き合わなくったっていいと思うんだけど」
夜叉彦が指摘した憂さ晴らしという単語に、昼食をとった青椿亭の後のことが話題に上がった。
「鬱憤が溜まるのは理解できる。現に俺たちもストレスでピリつくことが無くはない。それを発散するための手仕事と、今後の計画立案だ。あの二人はそのどっちも精力的だが、それ以上に効果的なのであればPvPもやぶさかではない」
「見てるとこっちまでやりたくなってくるなぁ!」
「ジャスが満足できるのは討伐モノでしょ? まだちょっと不安……」
メロがそう言いながら細い腕をさすり、身震いするジェスチャーで恐怖を表現した。マグナ達は手を止めずに話に耳を傾け、不思議そうな顔をした夜叉彦が語りだした。
「思うに、GMはこの状態で俺たちがどう反応するかを知りたい訳だよな。だとすると、モンスターに狩られるなんてプレイヤーにとって当たり前のことなんだ。死んだくらいじゃ死なない、はず」
「デスペナルティ、フロキリは無かったからな」
「でも命は奴等が握ってるんだよね。うーん……」
「フロキリに閉じ込めたということは、フロキリらしい何かが必須項目なのだろう。他のゲームとの違い……落ちぶれて人気がた落ちの、しかし固定ファンが根強いこのタイトルである必然性。だとすると……」
そこまで言いかけたマグナを遮り夜叉彦が続ける。
「狩りゲーだってのは、あんまり理由にならないと思うんだけどな。だってもっといいタイトル出てるだろ?」
「なら、モンスターに殺されリスポーンしても、リアルの体は害されないはずだ。行くか? クエスト」
「うっ」
「ほら躊躇した」
「慎重に行きたいよね」
「む? 俺は心配することなど無いと思うぞ!」
「そりゃジャスはそういう奴だしねぇ?」
メロが夜叉彦にふる。
「そうそう。だってアイツ、信用ならないじゃん」
ガルド目線のスクリーンいっぱいに映る夕暮れのような赤を見ながら、夜叉彦はぶうたれてティーカップに口をつけた。コーヒーアロマのリラクゼーション効果は期待したほど発揮されず、吟遊詩人風の男に対する警戒心は抜けないままだった。




