22 ジンジャーエール三杯目
立ち話から席に落ち着き、ドリンクを二杯ほど飲み終える頃。
みずきはすっかり「ガルド」としての調子を取り戻していた。夜叉彦はまだ硬さがあったが、その反応を見て逆にガルドは冷静になりつつある。出てくる声はみずきの声だが、頭の中ではガルドの声に聞こえてきた。
すっかり会話の内容からみずきの容姿のことが無くなっていったことも、普段通りのガルドに戻る手助けになった。
注文していた料理が出来たのか、テーブルにまで香ばしい香草と鶏皮の香りが漂ってくる。ゲーム酒場風居酒屋の名物、香草のチキングリルだ。数種類の商品を、店員がトレンチに乗せて颯爽と運んでくる。
「何この小鉢。塩辛?」
「俺だ!」
「だろうな。見た目からして」
「……ちょっと欲しい」
「わー渋い! ま、確かにガルドの趣味だよねぇ」
「ん、結構好き」
ガルドがジャスティンの塩辛に興味を示した。そこをメロが評価する。普段から外見で好みを誤解されやすかったガルドにとって、内面でそう感想を言われるのは嬉しいことだった。メロは正直なのが長所で、世辞を言うくらいなら黙るタイプだ。本気でガルドらしいと感じたのだろう。
ガルドの笑みが自然とこぼれる。小鉢を受け取り、ちょこちょこつまんで取り皿によそった。そして一口食べ、口元の笑みはそのままで目元が細くなる。
ガルドと全く変わらない喜び方を見て、周りのオヤジ集団は和やかな気持ちに包まれた。
「カクテキキムチ、食べるか?」
「ほら、カレイの煮付けもあるぞ」
お節介な親戚のように、あれこれと皿を進めてくる。
「しかし全員チョイスが渋いな。フライドポテトとかサラダは? ピザもないのか」
「サラダなら食べてもいいけどな。というかその例えも貧相だろ。何だよその炭水化物のオンパレード。今はあれだろ、バーニャカウダとか」
「バー、何?」
榎本が挙げた料理名に、ジャスティンは目を丸くする。
「バーニャカウダ。ガルドは知ってるだろ?」
「ソースが油っぽい」
「何それーまずそうー」
「女の子たちに人気なんだよ! お前、その表現わざとだろ! 悪意に溢れてる!」
「時間が経つと分離するソースと一緒に、硬い生ニンジンとかを合わせる」
「うわぁ~」
「若いもんの好みってのは、どうにもよく分からん」
「うちの嫁さんが『おしゃれな野菜のディップ』とか言ってたやつかな? おしゃれだから人気なんじゃない?」
「はぁ、これだからジジイどもは……」
「榎本よりガルドの方が若いからね! 二倍くらい!」
「中身ジジイだろこいつ」
「いい。バーニャカウダより『いぶりがっこ』が好きだ」
「うまいよなぁ、あれ!」
ガルドが挙げた漬物のいぶりがっこから、ご当地の漬物の話題に移っていく。やがていつものギルドホームで行われるような、ロンド・ベルベットにとってごく普通の飲み会になっていった。
「さてみんな、本題忘れてない? 酔いすぎる前に済ませるよー?」
そう切り出したメロが、インド綿で作られた肩下げカバンからボックス型ファイルを取り出す。透けて見える中には、ゲーム中で使用されている明朝体フォントで書かれた文書が見えた。
「ほれ、ちゃっちゃとサインして」
「英語か……」
「被せればいい。ほら、貸してやる」
ジャスティンの持つ書類に透明なフィルムをかぶせた。自動的にフィルムが発光し、英語の上に日本語を表示する。ARの一つだ。
国際言語である英語は、こうした世界規模の書類によく使われている。だが英語が読めない人類はまだ多い。圧倒的な人数を誇る非ネイティブのために開発されたのが、英語翻訳機能つき透過フィルムだ。最大手の商品名から「英語膜」と呼ばれている。
極薄のそれは、よく見ると液晶ディスプレイで出来ている。近年急速に普及したアイテムで、動詞として「英語に被せる」というワードがこの作業だと通じるほどだ。
サイズは様々で、小さいものを動かしつつ読むものもあれば、A3サイズの大型をぺらっと被せて読むものもある。マグナが持っていたのは手ごろなB5サイズで、榎本はよく使用されているA4サイズ。高校生のガルドは安価な名刺サイズを持っていた。メロと夜叉彦はビジネス英語レベルを習得しており、今回のものは補助なしで読める。
何も対策していなかったのはジャスティン一人だった。
一人一人書類を書いていく中で、自然と話題は目的地の話になった。初めての参加である夜叉彦が疑問を振る。
「観光地とかって回れるの?」
「前回は夜とかに出かけたぞ。あと前後だな」
「絶対いなきゃいけないのは四日間くらいでね、ちょっと早めに向こう行ったり、帰るのを遅めたり出来るんだよ」
「なるほど」
「今回は上手くGWに挟んでくれてるからな。有給をちょっと追加するくらいで済むだろ?」
前回行ったメンバーが二人に助言を行う。内容も今回のものに合わせ、休暇の取り方などを決めて行った。
そこに榎本がアゴヒゲを触りながら問題提起をする。
「しかし大丈夫なのか? 未成年だけで海外に行くなんてできるのかよ」
「ダメなのか?」
「親権者がいないとなると……同意書だな」
ガルドは海外旅行の経験がない。飛行機には何度か乗ったことがあるものの、今回新たにパスポート取得からすることになる。親などが一緒に行かない今回の遠征は、少し厄介な手続きが必要だった。
「同意書って、親のか」
「そうそう。確かテンプレートがネットにあったはずだよ。書いてもらいなよ、ガルド」
「……ああ」
海外渡航経験の豊富な夜叉彦が、神妙な態度のガルドに説明した。話を聞くにつれて、どんどん顔が険しくなっていく。母か父のどちらかには海外遠征のことを話さなければならないことがわかってきた。
ガルドは新たな悩みが首をもたげるのを、忌々しく感じ取った。嘘をつくのは好きではないが、正直に話したところで遠征を止められるのが目に見えている。
自分で自覚があるほどに、ガルドは箱入り娘だ。中学生になるまでファーストフード店で会計をしたこともなかった。門限もあり、その管理に父が管理する警備AIが使われたため逃げられない。
それは今現在も続いており、今頃AIが発した不在アラートが父の端末に届いているだろう。ガルドは反抗してこなかったが、過保護な親を時折鬱陶しく思っている。
年齢が上だとはいえ、男性ばかりの集団で海外に行かせてもらえるはずがない。正直に話したとして、娘がゲームをプレイすることに無関心だった母が急に制限してくる可能性もある。それだけはガルドにとって許し難かった。
一瞬心がみずきに戻る。ガルドが、今一番大切な居場所が否定されるのだけは、親であろうと許せない。ガルドは、想像するだけで腹の虫が沸き立ってくるのを感じる。強い感情を抑えながら、決意を一言呟いた。
「どうにかして行く。絶対に」
「……わかった。ま、どうにでもなるさ」
何か感情を含んだような顔のまま、榎本がガルドの肩をバンバンと叩く。女だからと遠慮しない態度に、ガルドは不思議と嬉しくなって小さく微笑んだ。
主人公の名前を呼ぶ際の法則を修正しました。仲間の目線で進む場合プレイヤーはガルド、リアル側の人物はみずきと呼びます。本人目線で進む場合「本人が今どちらとしてここに立って会話をしているか」を判断基準とします。




