217 落ち込んだりもせず、脳は元気です。
分かりきった結果だった。
液体に入ったものが衝撃を増幅させて波を立てるのも、ぶつかりに行った人形が大きなものに跳ね返されてバウンドすることも予想できた。
しかし盛大にひっくり返るおでんの鍋と、それを持っていた頃と同じ姿勢でそのままこちらに向かってくるNPCは予想外だった。
「あははは! なんで止まんないんだよー!」
「おでん忘れてるよ!」
「ぎゃははは!」
「手ぶらでこっちくんなよ、不気味過ぎるって!」
ぎくしゃくした動きでやってくるグレイッシュな人型がまるでホラー映画のように恐ろしく、背筋がぞわりとしながら笑いが止まらない。
ギルドのメンバーは愉快で仕方がなかった。
想像以上にAIのクオリティが低いのがショックだが、無いよりは有る方が良いに決まっていた。ドジな新人店員を歓迎することにした。未だに出てこないクラムチャウダーを諦めて、メインもデザートもあべこべな祝宴の席に戻る。
「俺たちは試されているのだろうな」
「そう言われると御大層だけど、実のところは実験台に過ぎないような……」
不穏な発言をする夜叉彦とマグナだったが、その表情は笑顔だった。先程の余韻を引きながら談笑する酒の席は全くいつも通りで、懐かしいとさえ思う。
足りないものは多い。ログアウト機能も、周囲を囲むギャラリーやレイド班もこの世界にはない。そのことをしこりのように抱えながら、しかし日常に近付いた非日常を慈しむように共有しあった。
「新しいゲームでも作りたいのかもな」
「二十四時間フルダイブゲームってことか」
「おお、それはまた楽しそうだな!」
「能天気だなぁ、それまさに今してるだろ?」
「そうだったな!」
そうして笑いあい、久々のあっさりとしたジャンクでない料理を堪能した。三日ぶりの新鮮食材の風味、再現だがこの際もういい。上品な味付けと。皿に盛られた美しい一品料理に全員が笑顔になる。
それは、やっと訪れた人並みの生活だった。
「店員さーん、注文! シーフードサラダ!」
「シーフードサラダ」
「やっぱいいなぁ……冷たくてあったかい」
「料理はアツアツが命だからな!」
「ん……」
いつもよりハイテンションな席のはずが、しかしガルドは一人しんみりと角切りのサーモンを口に運んだ。味付けはどこかエキゾチックな風味が施され、その味がガルドにとある悔しさを思い出させる。
それがどうも渋い表情で現れたようだった。
「その、なんだ。本場のヤツはもっとウマイぞ」
「ん?」
決して不味い訳ではなかった。だが榎本は味をそうフォローしつつ、本場に行くこと前提で話を進めた。
「……行ったらおごってやるよ。シェイブアイスとマラサダもな」
隣の椅子に深く腰かけた榎本が顔も見ずにそう小声で話しかけ、勝手に気恥ずかしそうな様子でシュークリームを丸かじりした。
ぼさっとした顔でそれを見ていたガルドだが、その真意を一拍遅れで気付き頬を緩ませる。
サーモンのハワイアンポキが運ぶ世界大会への未練を「諦めろ」と言わない彼に、心のなかで感謝を伝える。恥ずかしそうな様子に免じて何も言わないが、長年の相棒ならわかるだろう。
案の定榎本はちらりとガルドを見て、一つ笑い、仲間たちの談笑に戻っていった。
「ねぇ、クラムチャウダー出てこないんだけど」
「諦めろ」
「追加でなにか頼むか?」
「む、一気に食うと楽しみが減るだろう」
「相変わらず、ジャスって溜め込むというか、けちだよね……」
「おおう!? お前も人の事言えんだろう、メロ!」
「というか俺たち全体的に『エリクサーはラスボスまでとっておくタイプ』だろう」
「俺はケチんないっていつも言ってんだろ、まとめんなよ。なぁガルド」
「ああ」
目を伏せたガルドの心は、ベランダでチーズフォンデュをつついていた「みずき」と全く同じであった。
調査は世界の思わぬ変化と生きる希望を教えてくれたが、難題は山ほど残っている。
「ぷっとん達、どこにいるかねぇ」
「FTは使えなくなっているからな。各エリアまで行って探して回るしかないだろう」
「ホームとの往復となると、距離的に厳しいのは極東と極西だなぁ!」
「地方都市に拠点を移すって話、出てたな。ディスティラリとクラムベリと、ル・ラルブと……ってことか?」
「でもこっちに飛べないとなると、やっぱりそっちで寝床用意しなきゃ」
「今のところ現実的じゃないだろ、それ」
具体的な順序などを話し合いつつ、メロが代表して六名分の会計を取り出した。装備装着後に腰へと戻ったアイテム袋を開ける。眼前へポップアップとして出てきたいくつかのアイテムアイコンの、コインマークを掴むように触った。
同時にメロは慣れた操作で数字を指定する。脳波感受で文字入力のように、数字のドラムロールを指定する。それだけで、コイン表示の向こうに行った手の中に、小切手のようなポップアップがぺたりとくっついた。
その電子小切手を、店員に向かってぺっと投げる。
「あとテイクアウトね~」
そう言って二桁の金額を追加で投げる。案内と注文をしてくれたグレイマンの店員は、その言葉に「はい」とだけ答えて無から有を産み出した。
棒にしか見えない手からころんと現れたのは、ただの白い球だった。
ガルドはフロキリの金銭がそのまま使えることに安堵した。使えない訳がない。後払いスタイルにはなっているが、そもそもゲーム内マネーを一定金額以上持っていないと注文できない仕組みだ。メロが隣で、宴会途中で注文しておいたライトミールとデザートのテイクアウト品を、球状のアイテム形式で受けとっている。
「つまみだな! デザートはメロ用か?」
「まーね。腐んないし」
「食いたくなったら食おうぜ。よだれ出るあの感じまで再現されちゃあなぁ……」
榎本と夜叉彦が腹部を見ながら話し込む。リアルでそこにあった日本人らしい風味程度の腹筋は消えていて、ゲームキャラ特有の、ごりごりと陰影がついた外国人らしいシックスパックが服の奥にある。
その奥に、胃はない。
空腹感は恐らくリアル側の情報だろう。既にそう結論が出ていた。
「飢餓しなくていいだろう」
「うえーだってさー、点滴とかチューブとか付けられてるって予想だろ? いやぁほんと、俺たち動物実験のモルモットになったなぁ」
おそらくだが、と前置きしたマグナが話した仮説は、「こちらの食事動作に連動して栄養供給されているのではないか」というものだった。博学な彼に仲間達全員が敬意を払うが、結果思い描いた自分達の予想図に辟易とした。
ガルドは声に出さずにこっそりと、|スパゲティシンドローム《管だらけの患者》という単語を唱えた。
「楽だろうが」
けろりと言い切ったマグナに、ガルドも知りうる知識を口添えた。
「胃ろう、という方法は聞いたことがある」
「あーまってまって、やだやだあれ手術いるやつでしょ! んでこう、ミキサーでどろどろにした食べ物を……」
「しかしそうやってでも俺たちを生かそうとしてるんだよな」
「目的のために、か」
「寝てる間に手術とかやだぁ~! 点滴だけとかじゃダメ? 希望無い?」
「無くはない。が、それでここまで活発な思考活動が出来るのか、疑問ではある。普段の経験で、これだけフルダイブで動き回れば……板チョコ一枚ペロリだろう?」
「ペロリだな」
「お砂糖足りないってこと?」
「ああ」
「単なる生命維持なら点滴でいいかもしれないけど、確かに俺たち『脳波は元気』だよな……」
「っくく」
何故か分からないがガルドはその事実が愉快で、小さく笑ってしまった。
「ははっ! 脳波は元気って、爺さんかよっての」
「ガッハッハ!」
「あはは! すごいねウチら!」
「誇っていいのか、これ……くく、っははは!」
全員で通りいっぱいに響くほど大声で笑った。




