205 この空は向こうまで続いていない
「現状を整理しよう」
「なんか、ぷっとんが質問してきたような状況になってないか?」
「ああ、あのピンクな部屋で話してたネタか! ゲームに閉じ込められて出てこれなくなったら……だったか」
「まんまじゃねーか、やっぱ知ってやがったなあのババア!」
榎本は憤りをそのままにジョッキをあおる。不信感を増幅させながらむすっと眉間にシワを寄せる彼を、やれやれと客観的に見ながら仲間達は笑いあった。
ぷっとんが何か事件の裏側を知っていたことは、察しがついた。続いてガルドは、その彼女もあの拉致の場にいたことを思い出す。
「ぷっとんも、ここに来ているはず」
「その通りだ。まだ外と連絡がとれていた時に聞いた情報が正しければ、付き添いメンバーも同じような状況下にいるだろう」
「どれぐらい来てるんだ? 俺たちが飛ばされたエリアにはいなかったみたいだけどな」
「探索は必要っぽいね」
「マップの範囲はエリアごとだから、かたっぱしから行けば出てくるだろうし……洞窟とかも行く?」
「高難易度ダンジョンは後回しにするぞ」
「へーい」
後衛で全体の指揮を務めるマグナが、眼鏡のブリッジを押し上げる仕草をしながらマップを眺めた。眼鏡は無い。フロキリに眼鏡は存在しない。
ギルドホームと周囲のエリア、ログイン時のゲート代わりになっている氷結晶城が表示され、中心には握手アイコンが五つ表示されていた。
フレンドはサムズアップアイコンで表示される。ガルドサポーターのボートウィグや夜叉彦サポーターのMISIAなどはその表記になるが、ぷっとんのフレンドは意外にもガルドとメロの二人だけだった。
フレンドではない状態のマグナ達には、名前などは表示されない。戦闘エリアならば接近すればネームが出るが、かなり近づかなければ反応しない。目視出来る程に近くなければならず、捜索に変わりはない。
「フレンドなってればよかったなぁ」
「人探しはかなり難しいんじゃないか?」
「時間かかりすぎるな。目で探すなんて、分担してもかなりキツいよ」
夜叉彦がうなだれながら顔をかいた。顔を斜めに横断する傷跡を撫でるが、フロキリ同様凹凸は無い。ただの着色ディティールだ。
「看板とかどうだ、犬猫はそうやって探すだろう?」
ジャスティンが無邪気に発案するのを、とりあえずの着地点とした。
「それがいい。うん」
「とりあえずかな」
「じゃ、次な。使えない機能の洗いだしと生身の生命維持について!」
榎本がソファに座るガルドのすぐ左隣に座りながら発言した。長い足はいつものように投げ出しローテーブルの上、腰はズリ下がり気味になっている。言っている内容は真面目だが、その姿勢と態度は不真面目かつ怠惰だ。
「使えないものを探るのは大事だね、特にパンツ!」
「ああ」
「布を巻くしかないだろうが、そもそもフロキリで規定されたアイテム以外のものを作り出すことはできないだろう。ここはゲームだ。アイテムと俺たちの動作はリンクしている。もしそうだったら、そうじゃなかったら……If・elseの考え方で判断されるだろう。アイテムでない物はその判断基準に照らすことすら出来ないからな」
バーカウンターの高さに合わせられた小高い椅子に腰掛け、そう長くマグナが語る。彼は胸部をガッツリとあけた耽美なデザインのボディスーツを着ていた。本人はパイロットスーツのつもりで着ているらしいが、ガルドにはフィギュアスケートの舞台衣装にしか見えない。
「どうすんの。フロキリの時には感じなかった、この下半身の違和感……」
メロが心底悔しそうな顔でマグナを見つめるが、どうにもならないと首を振られてしまった。
「ううー……」
「優先すべきは洗いだしだな」
「ああ」
「命どうこうはどうしようもねーってのは、確かなんだけどな……」
榎本の言葉に全員が表情を無にし、その場で姿勢を正しくさせた。
「……俺たちの生身、大丈夫かね」
「こればっかりはどうしようもないだろうな!」
「何か目的があるはずだ」
「それを考えるのは、外にいる仲間達だよ。俺たちはここで心を殺さずに生き延びることを考えよう」
「そうだな」
「監禁状態ってやつだからね、さすがにストックホルム症候群は無いだろうけどさ」
バーカウンターの内側から寄りかかりそう話した夜叉彦があげた「監禁被害者が犯人に特別な感情を抱く」という不穏な言葉に、ガルドはあることを思い出していた。
出発前、父に買うよう言われたポシェットのことだ。パスポートは拉致の際も、首から下げた子どもっぽいそれの中に収まっていたはずだった。
それがないと帰宅できない。
それが今や、ログアウト出来ず「人間に戻れない」状態にいる。
そう思い至り、ガルドはその現状をポジティブに転換した。
「ヒューマン種の自分がここにいる……そう思うと、少し楽だ」
「なるほど、そうだな。人間じゃない俺たちがこの世界に住んでるだけだ。閉じ込められたんじゃない」
マグナの言葉に、ガルドは仲間達を思う。
誰も言葉には出さないが、妻や子どもを残してきた仲間ばかりだ。全員が仕事もそのままに、別れの言葉もなく離れざるを得なかった。その苦しみは想像以上に痛みとして気持ちを沈めている。
ガルドは家族を想う。
父親にはディンクロンがついている。彼と連絡がとれていたときに頼んでいたが、当たりだった。母親にはその父がついている。
ガルドは学校と友人達を想う。
共に学校生活を過ごした仲間だと思っている彼女達は、自分が消えてしまったことを悲しんでしまうだろう。それを慰めるすべもない。謝罪と後悔が浮かび、そして続け様に思った少しの安堵に、ちくりと胸が痛んだ。
とりあえず受験の心配を後回しに出来る。
その一点は特別な解放感を十七のみずきに与え、その快楽のあとに「もし無事に帰れたら」の後の結果を突きつけた。進路がこのままでは「浪人」だという現実だ。
「せめて、話せるように」
ぽつりと呟く。せめて英会話くらいはマスターしておこう。ここでも不可能ではない。ビジネス英会話を使いこなせる榎本や夜叉彦、意外にもネイティブ並みに話せるメロがいる。
勉強はここでもできる。慌てるな。ガルドはそう言い聞かせながら、しかしどんよりとため息をついた。




