204 ここが我が家、ギルドホーム
氷で出来た巨大な城の向こう側に自分達が建てた家がある。
普段はマップからの転位で移動するところだが、木の枝を指で叩いてもマップ表示の反応はない。裸足で徒歩移動するしかなかった。
「あ、そこのゲート!」
「ゴールだな」
住宅地のようなエリアが向こうに見えてくる。その入り口に三つのドアが唐突に建っており、それをメロはゲートと呼んだ。
リアルのような「土地を購入し住宅を建てる」という仕組みそのものがゲーム内では適応されない。無限に近い家があり、それはボタン一つで生まれ、簡単に消すことが出来る。実際にそこに家があるわけではなかった。
フロキリにおける全てのギルドホームの玄関が、この住宅街入り口にある三つのドアだ。発光する白とライトブルーに光り、縦に細長く、ガルドの横幅では突っかかるほどに細い。近付くと自動で透過処理され見えなくなった。
奥から太陽光が差込み、うっすら見える草原を照らしている。
ぽっかりと空いた縦長の穴の向こうの景色は住宅街ではない。ガルドにとっては見知った家が建っているだけの、小さな草原がちらりと見えた。
雪降るミドガルドでは異質な原っぱになっている。グリーンが生い茂り、空は春の麗らかなスカイブルーだ。耳を澄ませると鳥の声も聞こえる。ガルドは自然と、足取りが軽くなった。
このほがらかな風景は、近寄るプレイヤーに応じてサムネイルのような仕組みで見えているだけだ。通過すると「そのプレイヤーが登録している自ホームへ転送」という処理がなされるようになっていた。今もそうだろうか、とガルドは大股でゲートを通過するように進む。
ドアと体が触れ合う瞬間、アバターはギルドホームのあるエリアへと飛ばされた。パッと視界が白に移り、スーッと視界が広がるSEと共に風景が現れる。
地面が若草色になり、足を動かすと草の音がした。緑の香りが吹き込み、暖かい風が顔を撫でる。春の景色だ。
「ついたーっ!」
子どものような表情を浮かべながら走り出す夜叉彦とメロを見ながら、ガルドは安堵感に包まれていた。以前榎本の自宅に招かれたときと同じように、緊張の抜け方が肩の動作に現れる。
同じように気の抜けたような声を、珍しくマグナがもらした。
「ギルドホーム……」
「まるっきり同じだなぁ!」
背の小さいジャスティンが隣で見上げながらそう話しかけてくるのを、小さい頷きでガルドは返した。ジャスティンはガルドの反応を見て満面の笑みを浮かべ、ふさふさの長い剛毛を棚引かせながら走り出した。
ガルドは石畳から急に芝生へ変わった地面を踏みしめながら、そこに凛として佇んでいるホームを見上げる。
寸分の狂いもない。ロンド・ベルベットの仲間達が設定変更を繰り返して手に入れた、いつもの我が家に違いなかった。
重厚な焦げ茶のオーク材で暖かく囲った壁と、分厚く手製の優しさを感じさせるホワイト系統のソーダガラスがはめられている。装飾はどことなく雪深いエリアのものに加えて、何故かバリ島風のエキゾチックみがプラスされている。何よりその家の柱は全て太く、とても強固だった。
「我が家だ」
「安心感パネェな」
重みのある巨大なこだわり住宅だ。現実にあれば大きすぎて掃除が大変そうなほど大きく、ログハウスではなくウッドペンションに近い。
フロキリらしい世界観として、雪深い地域特有の建築様式が最低限必須となっている。ロンド・ベルベットのホームは基礎を高くしていた。雪国では豪雪に玄関を塞がれないよう、一階は車庫や倉庫にすることが多い。これで必須の条件をクリアしていた。
リアルであれば無駄なく使うだろうその部分は、重みに耐えられる太い支柱をたっぷりと使用した高床式にされた。組まれた木材がどことなくバリ島のリゾート住宅感を出している。
しかし玄関に続く階段は丸太を切ったようなデザインで、北欧の木こりがDIYで作ったような武骨さがあった。
階段の先にある玄関扉は、ガルド達長身幅広プレイヤーもストレスなく入れるよう二枚扉の中央開きになっていた。黒い牡鹿の顔をしたドアノッカーを二回叩くと鍵が開くよう設定されている。
「ほんとにパクってるっていうか……そのまんまって感じだ!」
「犯行グループがフロキリを吸収したのかもしれん。何がしたいのか謎が多いが……」
「そんなことより早く入ろうぜ、寒くないけど裸なんだぞ」
玄関先でギルドホームをじっと見つめる中、榎本がさっさと入ってゆく。強いノックの後に見えた向こう側で揺らめく暖炉の炎に、全員が感嘆の声を上げた。
「ふわぁー!」
「いつものギルドホームだ……」
「のどかわいた」
「一杯ひっかけたい気分だけど、飲んでもいい?」
「名案だ、世界大会失敗の祝賀だなっ」
「それより服だろ!」
「行けなくて祝賀って変だって。残念慰労会じゃない?」
「だから、服! 服を着ろ!」
わらわらと雪崩れ込むメンバーを、体感温度を快適温度より若干高くする設定にされたエントランスがふんわりと暖かく包み込んだ。
エントランスはホテルのように天井が高い。レイド班を合わせると巨大ギルドになるロンド・ベルベットにふさわしい広さがあり、至るところにソファやチェアが置かれている。
照明は少し落とされていて程よく暗い。奥にはバーカウンターが広がっていて、ダーツが壁にかけられ、チェス盤やビリヤード台が鎮座する大人の空間だ。
実際にはレイド班の大多数を占める二十代・三十代が好む傾向にあり、前線メンバーである六名はこの辺りにはあまり顔を出さない。
「やっとゆっくりできる!」
入ってすぐの、レンガ造りの暖炉前に置いてあるふくよかなロングソファが、軽い体をバウンドさせながらキャッチする。勢いよく寝転んだメロはまだ全裸だった。
「おいメロ、早く来いよ!」
「人間、服がないとダメだな。リアルと違って重みは無いが、こんなに落ち着くとは」
「触り心地なんかはあるし、やっぱり裸じゃないのは安心だよな。うーん、パンツは無いけど」
「パンツなんてフロキリのアバターじゃ皮膚と同化してくっついてたから、アイテムですら無いだろ……正直なくても問題なかったけどな」
「今は違和感ある」
「困ったね」
「葉っぱつけとくか?」
「嫌だ、なんか原住民みたいじゃん!」
「大昔に流行った芸人みたいだ」
「なんだそれ」
「俺も見たことないけど、あそこに葉っぱつけて踊るらしいよ」
「いつの時代も裸芸は流行るんだな……」
「メロ、一人裸芸でもする?」
「い・や・だ!」
壁際に設置されている宝箱のようなアイテムボックスは、個人の装備品が入っている。
ボックスを握りこぶしで二回ノックすると現れるポップアップをスクロールしながら、彼らは着なれた一式を呼び出し装備していった。
ガルドも同じように、普段使いの装備をクリックする。
黒を基調にした利便性の高い素直な鎧を選び、続けて破損耐久値が設定されている装飾品を選択していく。無くてもいいが、着けたい気分だった。
投げナイフ、左腕を守るガントレット、限定クエストクリア記念のエンブレムなどをぽちぽちと押し、それらがデフォルト通りに体に巻かれていくのを眺める。
ものが砕け散る映像を逆再生するかのように、氷の粒子が体の周囲に現れ凝固していく。それぞれが次第に色を帯び、つやめき、表面の描写を深め衣服になってゆく。見慣れたそのモーションにガルドは懐かしささえ覚えた。
「喉渇いた〜」
「そうだな、一息つこう」
「飲み物か……リアルで飲んでいるわけでもない俺たちが、ダイブで飲んだら水分補給になるのか? 排泄もどうなる。いつものように八時間でアラートが鳴るのか? 飯はどうなる……」
「マグナ、とりあえず一息つこうな」
「ココアとコーヒーと紅茶とミルクと酒、どれがいい?」
戦闘用のものより少しラフな赤茶色の着物を着込んだ夜叉彦が、普段使用しないレイド班用バーカウンターの内側に回り込んでいる。既に手にはジョッキが握られ、フロキリ製作スタッフが全力で再現したのだというアイテム「ビールサーバー」を操作していた。
斜めに傾けつつ注ぎ、泡の割合をビール黄金比で完成させる。そのジョッキをとりあえず二つ作成した夜叉彦がドンと勢いよくカウンターに乗せると、あっという間にジャスティンが手にした。
「俺はビールだ!」
「他に飲みたい人~」
「ずりーぞ、俺も生な」
「ウチもぉっ!」
「服着たらおいで」
「すぐ行く! 今行く!」
そうしてがばりと起き上がったメロの反応に、仲間達も笑みがこぼれた。拉致誘拐、そして監禁という極限の状況であるが、家ごと、それを取り囲む仮想世界ごと封じられているというのが余裕に繋がっていた。ガルドもゆったりと微笑む。
戦いでの耐久度を持つ装備を着込み、自分で作り上げた顔と体でサイバーな酒を飲み交わす。
それは日常そのものだった。
「ははっ、やっぱりお前飲まないんだな」
「ああ」
ガルドは普段通り、ジョッキになみなみと注いだジンジャーエールを勢いよく喉に流し込んだ。




