196 見えた中身、届かない助け
暗闇から突然差し込んだ光に目を眩ませながら走る。
距離感があやふやになっているこの黒い箱庭は、ガルドが思っていたよりずっと狭かったらしい。想像より早く日の光を浴びることが出来た。
「あっ」
「おお、なんじゃこりゃあ!」
境界線らしきものは無い。いつのまにか床まで白くなっていたことに気付く。
「ぼ、ボディは!?」
さらに、自分の体がない。ガルドは目を疑った。知らぬ間に手足や胴体が視界から消えている。
手を眼前にかざすが、何も見えない。ただ白く変化した床が見えるだけだ。それが床であるとわかる程度に、その場所は空間らしく存在している。たんたんと足踏みをすれば地に足裏が当たる感触を感じ、爪先に力を入れれば指が曲がる。
「一人称視点に違いはなさそうだが、どうやらワールドを構築している最中のようだな。こういうのは大抵アバターボディが一番最後だ」
「今まさにってことか。じゃあログアウトって言うよりプレイソフトの変更って感じじゃねぇの?」
「すごいじゃないか阿国。しばらく返事がなかったのはこの準備に専念してたからだな!」
仲間達がそう外部の様子を推測するが、ガルドは一人違和感を持っていた。
ここが本当に阿国達による移動なのであれば、それは「フロキリへの移動」で良い。フロキリの中に作った箱庭に居たのだ。自分達六人を外に移し替えるだけでいい。
そもそもこれはログアウトに必要なことなのだろうか。
白い世界が少しずつ形を成してゆく。地面が出来ていく。壁は奥へと遠退き、天井はぐんぐんと高くなって最後には現実での青い空のようになった。
「あれ? ねぇ、これさぁ!」
メロが気付きの声をあげた。姿は見えない。声だけがガルドの左側から聞こえた。
白い床と壁は、次第に世界になってきている。
「あー、フロキリだなぁ、これ」
優しい声で夜叉彦がそう言った。無垢だった白い床と壁はディティールが増し、すんとした青さを含み始めている。それは見覚えのある雪の色だった。ごろついた岩が辺りに転がっているのも見え始め、その苔のない綺麗な質感から、ここがエリアとしては初心者向けに設定された中央の雪原なのだと分かる。
「ぎゃー!」
絹を割くとは程遠い、低い声が無理をして高く上げるような成人男性の悲鳴が響いた。辺りを観察していたガルドは慌ててその方向を見る。
「……うえっ」
思わずえずいてしまった。
仲間が立っているだろう場所の空中に、五つの物質がじっとしたまま空中に浮かんでいる。
時おり向きを変えるように左右へ動く。あからさまに人体パーツの形をしているが、彼らの常識からは信じがたいものだった。
そもそもフロキリにあるはずのないもので、見慣れているわけでもない、しかし普段よく意識するものだ。
それは、半透明の青色に加工された脳の3Dモデリングだった。
フロキリは年齢制限がないソフトだ。
そもそも作る段階でレーティング監視AIが巡回するようになっている。オンラインの莫大なビッグデータから「未成年に相応しくない表現・言葉・テーマ」や「過去に著作権を申し出た数多の創作物に共通項がないか(販売予定国ごとにフィルターする機能あり)」など、ある程度の項目をチェックする仕組みになっている。ゲームに限らず、知的財産を取り扱うサービス企業は必ず使う公共物だ。
そして、全年齢ゲームには「脳」などという臓器はデータとして作られていない。
臓器、性器、卑猥な用語を電子化するボイスチェンジャーも規制されている。そもそもゲームタイトルの中にあってはいけないデータだ。
「きもーい! ね、ガルド!」
「ありえない」
「あれ、ガルドが決まり文句言わないな」
「ま、まぁそんな言うほどグロさはないよね」
「俺も、むしろそのありえなさにビビる」
「フロキリのアバターの中身に脳など無かったはずだなぁ。よく分からんが!」
「ジャスの言う通りだ。モンスターでもモツはない。コメディアニメみたいな流血ぐらいだった。今の俺たちには、フロキリとは全く別の……新しいアバターが与えられているということだろう。新しいがフロキリにしか見えないワールド、一から変えられたアバター。そして、|オンラインネットワーク《海》の気配がしなくなったこと……」
マグナの通る声に全員無言のままだ。
「……なぁ、予測一個いいか?」
沈黙を榎本がおずおずと破る。
「奇遇だね、今ウチ言おうとしてたとこ!」
「おお偶然だな、俺はその予測を元に暴れるところだ」
脳だけしか見えないジャスティンが不穏な発言をしたが、榎本とメロが考えたことと一致するらしい。浮かぶ脳という奇抜な状態で会話を続けていることも異常だったが、暗闇でなにも見えないよりはいいだろう。ガルドはまだ無い瞳で仲間を見つめる。
ぷかりと宙に浮かぶ脳が徐々に形を変え始めていた。
脳の下部に黄色く光る円のマークが発生し、それがみるみる内に網の様になり、真っ青な脳の表面を這ってゆく。
「ねえ! ウチら敵にまた中身だけ移動させられたんじゃない!?」
「この野郎! 脳のトレースまでしやがってご丁寧に! アバターとワールド与えて何するつもりだ!」
「阿国ぃ! ディンクロンっ! おい、返事しろ!……おぉくにぃー! おおぉーいっ! ……ガルドもほら!」
「ん? ……阿国!」
ガルドが呼び掛けているにも関わらず、あの阿国からの返事が現れない。仲間たちから愕然としたような呻き声が聞こえる。
楽観視し、のんきに救助を待っていた少し前の自分たちを恨む。ガルドたち六人は、とうとう阿国の手が届かない敵の手の内まで再度さらわれたようだった。




