171 ボス九郎。その名は——
有楽町の事務所で通常業務を行なっていた三人の部下に、霞が関勤務の布袋直属部隊が加わる。新しい部下達にも同様に脳波感受経由でもって、とにかく現場に急行するように、と男は檄を飛ばした。
非番チームには遠隔での情報収集を分担させる。誰がいなくなり誰が無事なのか。そしてそれが誰なのかを探らせていた。
ゴールデンウィークという通常以上の混雑と人手不足が捜査を阻み、現状一体誰がいなくなったのかさえ分かっていない。確定しているのは、男の旧友とその部下だけだ。
今でこそラウンジの入り口は封鎖されているが、事件後しばらくは出入りが自由だった。この時点で男は、犯人確保が砂漠の針を拾うよりも難しいことを悟っている。
飛行機の離発着を全て禁止し、空港の出入り口も封鎖し、そこから通じる一般道路をも閉じなければならなかった。それほどの事件であるという自覚が、目の前の空港側の人間には今でも皆無だった。
男は苛立ちが隠せない。
既に被害者は空の上だろう。目論んでいた脳波データ流入先の追跡どころか、彼の目の前でみすみす体ごと奪われる事態になった。想像以上に早い展開に、女から報告があった「オレンジカウチ突撃騒動」の影響だと気付いた。
不足の事態に敵も行動を早めたのだろう。
「とにかく、ここを利用していた客のデータの提供を要請する」
「そ、それこそ私の一存では出来ません!」
「ちぃっ」
舌打ちが思わず漏れ出てしまった。しかし期待はしていない。
この時間帯に離発着した飛行機の全てを部下に調査させているが、ここまでデータの改竄が徹底している敵である。どうせ何も出てこないだろう。客のデータは被害者の把握目的で、追跡については二の次だと男は順序づける。
「防犯カメラのデータは公開されてます、どうぞお好きに」
「すでに見させて貰っている」
空港内に照明と同じ数ほど展開されている防犯カメラの映像情報は、どれも事件数分前から書き換えられていた。ハッキング対策は万全でした、という空港側の見苦しい言い訳と、協力する姿勢も誠意の欠片もない対応に殴りたくなる腕を必死に抑える。
「目撃情報の内容は聞いているのだろう?」
「え、いえ何もありませんよ。いたって通常営業中ですし……」
痛む頭で男は呪文を唱えた。一般人は巻き込まれた被害者だ、一般人は悪くない、彼らを守るのも自分の仕事だ。そう暗示の言葉を繰り返し思い浮かべた。しかし怒りが収まらない。相手と、同様に無能な自分とにである。
「人が少なくとも六名、私の予測では十二名。十二名だぞ……連れ去られているというのに、それを、何もないだと……」
叫びたそうとした喉を、男は理性でもって必死に縫い止めた。普段キレが良い割に冷静でフラットな彼にしては珍しい振り幅の感情に、自分自身でどこか引いている部分がある。
怒りに飲まれる自分に呆れ、それを制御できない自意識のなさを「マルチタスクで感情が空中分解しているのかもな」などと自分で冗談を思い、薄ら笑った。
対面する無責任な責任者を非難していても話が進まない。男はこちら側の処理を脳の片隅に任せ、メインの思考を通信の先に集中させた。
<泣いていてもかまわないが、状況の報告を>
「泣いてなんておりませんの!」
文字情報で送り込んだ言葉に応答し、女の声が返事を返した。文字と音声の通信であっても、コントローラを持つもの同士ではタイムラグ無しでスムーズに行える。彼らならではの「会話」だ。
相手の電子音が混じらない生声は初めて聞くが、想像通りだった。芯とクセの強い少しヒステリックな女の声がキンキンと響く。
<さらわれた被害者の一覧は現在こちらで作成中だ。ファーストクラスラウンジと一般待ち合いエリア、審査エリアを通過していない見送りメンバーからも被害者が出たな?>
「……あと、ワタクシが雇った警備スタッフも三名、連絡がとれませんの。こちらはワタクシが手配した映像が生きてますの。そういったデータは全て貴方に……ええ、貴方が音頭をとるのであれば、ワタクシも異論はありませんの。貴方のレイドでの活躍は、とってもとぉっても、よく耳にしますもの。ねぇ、ディンクロン?」
少し嫌みっぽく名を呼んだ。
<……お前の情報収集能力も期待しているぞ、阿国>
通信先の女は、壮年の男をはっきりディンクロンと呼んだ。




