166 ここは黒の、とある場所
どこだかも分からない、どこかの場所。
ここにはなにもない。ガルドは惚けていた。無音、黒、それ以外になにも見えない世界。あぶくの波を抜けていくような、軽いくすぐったさが皮膚を触っていく。
涙は出ない。
あるのは瞼の裏のような真っ暗な視界と、リアルでは感じない「自分がデータに囲まれている」という自覚だった。
自室や教室にいるときに、肌や匂いでなんとなくそこがどこだか知るあの空間把握の感覚。それが、ここはデータの空間なのだと教えてくれた。脳波感受のコントローラはうんともすんとも機能せず、有線の接続も無線機の感受も認識できない。
それでも、この場所がとにかくリアルではないことだけは分かった。
「みんな……ぷっとん……だれか」
声を出すよう声帯を震わせるイメージをする。
こうすれば自分の声と混じって電子音声が言葉になって出力される。いつものあの、線の細さと地の低さが重なる中年男の声が聞こえるはずだった。
しかしガルドの耳には、予想とは違う声が届いた。
録画した動画などで聞く類いの「客観的に聞く自分の声」が聞こえた。完全な少女ボイスが聞こえ驚く。
「……ウィグ、阿国、メロ、ジャス、夜叉彦、ミーシャ、マグナ、パジャマ子……だれか、だれか!」
少女にしては高すぎない声色が響く。そこは異様な世界だった。電子の感覚の中で、みずきとしての声が響き、感覚はガルドのものだ。
通常空間ならば声の反射で部屋のサイズが分かるものだが、それもおぼろげだった。声の響きは屋外のそれか、マイクで録った音をスピーカーで流しているような音質だ。
そして、誰の気配もない。
「榎本……」
意識してみれば、床に寝ているのか立っているのか、どちらが天井なのかも分からない。夢なのだろうか。ただただ、体に泡がまとわりついて弾けて拡散してゆくことだけを感じる。
突然会話が途切れたとしか思えないのが恐ろしい。なにが起きたのかガルドには全くわからない。痛みもきっかけもわからないのだ。
いきなり連れてこられたこの空間に、しかしガルドは予感が止まない。
「お前は誰だ」
虚空に聞く。「敵」は、見ているはずだった。




