163 眠れる田岡
彼らを見ながらぷっとんは一人の男を想う。
彼らが「あの人」のようにならないように。そのために彼女は今日から一週間、命を懸けて戦うと誓った。ちらりと窓の外を見る。あの空は彼のいる病院まで続いている。そして、彼が囚われている世界にも続いているはずだ。
「ファーストクラスのラウンジってさぁ、シャワーあるってホント?」
「ああ、あるぞ」
「何せ俺たち二回目だからな!」
わいわいと騒ぐギルドメンバーを悲しませたくない。ぷっとんはさらに決意を強いものにし、話題に参加していった。
「ぷっとんさんはアイス食べよっかなー!」
飛行機が出るまで、あと二時間。
都心から埼玉に寄った場所に位置する北千住。
その線路沿いに建つ、一際大きい白亜の真新しい建物に男が一人眠り続けている。
「——ひ」
しんとした人気の無い部屋に響き渡る声は、眠っているはずの男のものだった。
一般の患者が物理的に侵入できないよう、完全に出入りが別ルートにされたエリアがある。静脈、網膜、指紋、声帯という様々な認証をクリアしなければ入れないそこは、照明が落とされ常に暗かった。
政府が取り持つ病院。その個室の一角に男が眠っている。
「ひま」
時おり動くその唇から、たまにこうして言葉が漏れる。
五年前はもっと顕著によく喋っていた。それを聞いて仲間達は心を痛め、逆襲を誓う者、彼を「死んだもの」だと思い込むことにした者、見ていられず逃げ出した者もいた。
「まんどりる……るーれっと……とまと……トランスポーター……ターミナル……るーれっと」
一人しりとりをする男は、真っ白になった髪を伸ばしっぱなしにして枕に散らしていた。その顔を、現行のものよりも基盤がむき出しになっている古いフルダイブ機のヘッドセットが覆っている。チカチカと光るインジケーターはテテロと近い色をしていた。
「とまと。ナポリタン。ミネストローネ。チーズ……グラタン。チーズ、ピザ」
徐々に食べ物の名称へと変わりだした独り言と、心拍を計測する機器の無機質で定期的な音が合わさり溶けていった。
「ぴざぴざぴざぴざぴざぴざ」
突然痙攣するような声を出したかと思えば、ぴたりとその声が止む。
彼は口以外のものは動かせない。心臓や呼吸器などは勝手に動くが、彼の意思で動かせる肉体は口だけだった。
しかし彼は肉体の口を動かしているつもりがない。
「あっはははは!」
壊れたような笑い声を上げた彼は、別のカラダの口を動かしていた。ここには無い別の肘を指差し「ヒザ!」と叫び、自分で「そこはヒジ~」とツッコむ。
彼のボディは、確かに存在していた。
場所の違うところにある彼の口と、横たわっている彼の肉体の口が連動し、大きな独り言となって病院の一室に響き渡る。
「……ひま」
永遠と続く彼の一人遊びが虚しさを見舞い人に与え、この五年で仲間は一人また一人と足を運ばなくなっていた。
続けて来ているのは壮年の男女だけだろう。彼らは今、空港で「第二の彼」を生み出さないために活動している。
田岡はこの世界に生きながら向こうに閉じ込められている、世界でただ一人の「電子状態の拉致被害者」だった。




