155 鉄の犬
震えが止まらない。
「……なにが」
「閣下——閣下、大丈夫です?」
目を閉じるなど出来なかった。目の前の様子に、歯の付け根が地震のように勝手に動く。
あの男は、自分の代わりに立っていた彼に一体何をしようとしたのだろう。ガルドは目の奥がキュッと押さえつけられるような感覚に襲われ、両手で口を覆った。
「閣下……そうだ、深呼吸をしましょうか」
こめかみに付けたコードから感じているチャットの会話がうまく認識できない。何が書いてあるのか理解できない。リアルタイムで流れていることだけは分かったが、ガルドには一語一語が記号のように思えた。
直前の話を思い出す。オレンジカウチという名前、階段の下で阿国が言った「抜けた」の文字、うっすら笑った時の、あのアバターでもしていた表情。
その男は、なにかをしようとした。
手を伸ばし、首にかけようとした。
ガルドの手のひらが急激に痺れてくる。足もしびれ、息が苦しい。吸っても吸っても海のなかで溺れているような苦しさだった。
自分の呼吸音が、耳の内側にハウリングしてさらに大きく聞こえる。息を飲んだ時の、ひゅうひゅうという風穴のような悲鳴が一段と大きくなった。視界が潤む。
苦しい、海面に出たい、なにも考えたくない。
「っはあ!」
すると急に、視界が真っ暗になった。
続けてふわりと、自転車置き場のような鉄っぽい香りに包まれる。冬にボートウィグと乗った白いハイエースの香りだと、混乱する頭でガルドはぼんやり思った。
正確には車自体ではない。ボートウィグの私服に染み込んだ工場仕事の匂いだ。
不思議と、息ができるようになった。
そしてガルドの——みずきの小さな肩に、何者かの細い腕が回っていることにも気付いた。締め付けは次第に強くなってきており、顔がどんどん暖かい布地に押し付けられていく。
不思議と苦しくはなかった。逆に、手に感じていたちくちくとした痺れがとけてくる。
「……かっか、だいじょうぶです。僕がいます」
一定のリズムが途切れなく聞こえ、聞きなれたハスキートーンの声が絶え間なく響く。
歯が立てるカタカタとした音は、気付かない間にやんでいた。




